■ CROSS ROAD ディール急襲 第1部 2章2話3
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鼓動が速い。
唇が震える。
何が──何が起きたのだ?
パチパチ炎が爆ぜていた。
話し声が、遠く聞こえる。視界いっぱいに広がった火焔。焼かれ、のたうち、苦しむ人影。炎に黒くうずくまり、地面に倒れ、焦げていく人影──。
炎の轟音が聞こえていた。
地獄絵図さながらの光景だった。いや、まさに「地獄」がそこにあった。
それを眺める隣の顔には、傭兵たちの無感慨な顔には、動揺ひとつ見当たらない。それは常識を超えていた。死にゆく相手を見届ける、平然とした冷徹な横顔。こんな人たちは見たことがない。横並びのその中には、まさに兵を手にかけたあの長髪の顔もある。
「……そ、んな」
愕然と、エレーンは立ちつくした。
膝が笑い、震え出す。頭が真っ白に焼き切れて、わずかでも指を動かせば、きっと勝手に叫び出してしまう。
音の全てがざわめきと化し、周囲の声は聞こえているのに、言葉の意味を捉えられない。ただ虚ろにたたずむ体を、事象のすべてがすり抜ける。
「── 一度に、三百を消し去るとはな」
男の野太い濁声が、意味を伴い、耳に届いた。
見れば、山賊のような蓬髪の男が、長髪の方を振り向いている。
長髪は戦禍に目をやったまま、事もなげに言葉を返す。
「どうでもいいような雑魚どもだが、あんな障害でもない方が、バードの負担は軽くなる。ま、これで少しは事が有利に──」
「なんてことするのっ!」
端正な顔の長髪が、眉をしかめて見返した。
平手の音に気づいた周囲が、弾かれたように振りかえる。
「このアマ! いきなり何しやがる!」
剣呑に吊るしあげられて、エレーンはたちまち爪先立った。息苦しさに顔をゆがめて、だが、長髪の顔を負けじと睨む。
「わかっているの? あんた、自分が何をしたのか!」
──あァ? と長髪が顔をしかめて、うるさそうに舌打ちする。
「あんたは人を殺したのよ! 生きてる人に火を点けたの!」
そう、そうなのだ。
思考が、ようやく追いついた。信じがたい光景に。後戻りできない現実に。多くの命が、たった今、
断たれた──。
「それが、どうした!」
「あんた、ちっともわかってない! 人が死ぬのがどういうことか!」
喉元の拳を両手でつかんで、エレーンは長髪に食い下がる。
「どんなに泣いてわめいても、二度と戻ってこないんだからっ!」
「──なにを勘違いしていやがんだ」
長髪が舌打ちで突き離した。
投げ出された土道の地面で、喉を押さえてエレーンは咳きこむ。
「てめえが言ったんだろうが。"戦え"と」
息をのみ、目をみはった。
爆風荒れる街道の向かいを、長髪がぞんざいに顎でさす。
「戦うってのは、ああいうことだ」
「──ち、違う──違うっ! あたし、そんなの頼んでない! 殺してなんて言ってない! あ、だって──」
首を強く横に振り、へたり込んだまま長髪を仰ぐ。
「あの人達にだって家族がいたのよ? 家で待っている家族がいたの! なのに、それをあんなふうに──」
「知ったことかよ」
「人でなし! あんなの卑怯よ! いくら戦争だからって、あんな不意打ち卑怯じゃない! 人にはやっていいことと悪いことが──」
「きれい事ぬかしてんじゃねえよ、ねえちゃん」
ぞっとするほど冷ややかな目で、あの長髪が見おろした。
「だったら俺らに、死ねってか? 卑怯? 人でなし? 結構だね。こっちは笑っちまうほどの戦力で、馬鹿みてえな劣勢ってのに、軍隊相手に楯突こうってんだぞ。中には、まるで使えねえ素人しかいねえってのによ」
「こ、殺さないで!」
とっさに、その足に追いすがった。
「殺さないで! あの人達を殺さないで! あ、だって、殺さなくてもいいはずよ? 捕まえとけばいいじゃない。終わるまで、どっかに閉じこめておけば! ねっ! お願い! 殺さないで!」
時に退屈なほどに安泰な、ぬるい霧が引き始める。
盤石の土台を揺るがして、暗い焦燥が迫りあがる。
……わかって、なかった。
あたし、全然わかってなかった。
なりふり構わず殺し合う。他人を容赦なく叩きのめす。相手が死んで動かなくなるまで。これが、
──戦争。
だったら、これは、今まさに死んでいく、あの凄惨な光景は──めらめら燃え立つ火焔の地面に、軍服が転がったまま動かないのは、大勢が一瞬で吹き飛んだのは、あの人たちが死んだのは──
ひやり、と戦慄が背を撫でた。
淡い安穏で保たれたぬるい領域を侵食し、恐ろしい現実が胸に迫る。だったら、これは、
──あたしの、せい?
あたしが、彼らに頼んだから?
(──どうしよう)
ざわり、と頭の芯が痺れた。
呼吸が浅く、息が苦しい。どす黒い闇が膨張し、意識の枠を凌駕する。手足の感覚が離れていく。どうしよう、あたし、
──取り返しのつかないことを、した。
燃え立つ炎を背景に、長髪が口をつぐんで眉をひそめた。苦々しげに舌打ちする。
「甘ったれたこと、ほざいてんじゃねえ。こっちの何十倍だと思っていやがる。向こうは殺りにくるんだぞ」
はっ、とエレーンは顔をあげた。
「なんでもするっ! ねっ、あたし、なんでもするから!」
かすかな譲歩をそこに見出し、がむしゃらにその手にすがりつく。
「あたし、ここで応援するから! あんたのことを、みんなのことを、あたしがここで支えるから! だからもう──」
「いい加減にしろ」
別の声が、訴えを阻んだ。
腕を、強く引き戻される。
「これは戦だ。敵を殺らなきゃ、こっちが殺られる」
見下ろしていたのは、あのケネル。エレーンはあわてて首を振る。「で、でも違う。あたしが頼んだのは、あんなことじゃ──」
「戦になれば、人は死ぬ。考えるまでもない。当たり前の話だ。あんたも啖呵を切って戦端を開いたんなら、少しは心得ておくことだ」
ケネルはにべもなく言い捨てて、「──おい!」と苦々しく沿道を見る。
「何をしている。さっさと屋敷に連れ戻せ」
やり取りを見ていた二人の部下が、足を踏み出し、駆けてくる。エレーンはあわててケネルにすがった。「で、でも違う! あたしが頼んだのはあんな──!」
「あんたは、もう引っこんでろ。それと、そこの茂みの執事!」
「──は、はいぃっ!」
ケネルが特定した茂みから、弾かれたように人影が飛び出す。
名残惜しげに茂みを振り向き、そろりそろりと寄ってきた。そわそわおどおど上目遣い、へらへら揉み手でケネルを見やる。
「……お、お呼びで?」
媚笑いを浮かべているのは、あの世話係の老執事。ぎろりとケネルがその顔を見た。
「もっとしっかり見張っておけ。二度とこいつを部屋から出すな。引っ掻きまわされちゃ、こっちがかなわん」
「ケネル!」
たまりかねて注意を引くが、ケネルは執事を見たまま目もくれない。つかまれた腕を振り解こうにも、力が強くて動けない。
「さ、奥方様。参りましょうか」
両側から腕をとったのは、ケネルが指名した先の二人。あわてて抵抗、暴れるも、がっしりつかまれ、振りほどけない。
足を踏ん張るも引きずられ、みるみる街道が遠ざかる。
土道にたむろす傭兵たちが、苦笑いして動き出したのが見えた。
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