■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 1章 4話3
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素知らぬ顔を決めこんだ男たちの人垣に、促されるがままエレーンは歩いた。歩くしかなかった。足を止めても、すぐに後ろから追い立てられる。
強ばった足をよろめかせ、わずかな隙間に目を凝らす。
(ケネル、どこ……)
わななく唇を軽く噛みしめ、エレーンは絶望に目をつぶる。ケネルが近くにいるはずがなかった。馬を降りて別れてから、大分歩いてしまっている。何気なく捜した蓬髪の首長も、結局捜せはしなかった。ここには顔見知りとて、ろくにいないが、誰か見咎めてくれないだろうか。この際あのチョビひげでもいい。誰か、誰か──誰か
──助けて。
ぐっと腕をつかまれた。
そのまま手荒く引っ張りこまれ、とっさによろめき、たたらを踏む。
力任せの勢いのままに、頬が激しくぶつかった。だが、夏陽を浴びた靴先は明るく、野草が鬱蒼と茂っている。まだ森に着いていない。なのに、なぜ、彼らは急に──
急変にあわてて顔をあげれば、すぐ目の前に革製の生地、厳つい上着の肩辺り。そして、特徴的な一房の──
ああん? と五人が舌打ちして足を止めた。
疎ましげに顔をしかめて、肩を揺すって振りかえる。
威嚇まじりのその顔が、ぎくり、とあからさまに硬直した。
「……え?」
「あっ──いえ、あの──」
「一体どこから──いえ、いつから、そこに──」
「なんの用だ」
しどもど五人は目配せした。
向かいに立った相手から、ばつ悪そうに目をそらす。「い、いえ、その──」
「用があるんじゃねえのかよ」
肩先を覆うしなやかな感触──。
ぶつけた頬にそれを感じて、エレーンは捕らえた相手を仰ぐ。
腕を荒っぽくつかんでいたのは、整った顔立ちの薄茶の長髪。眼光鋭く、ファレスが五人をすがめ見ている。
場が凍りついていた。
気まずげな五人を睥睨したまま、ファレスの横顔は一瞥もくれない。
重い沈黙に耐えかねたように、男の一人が頭を掻いて、とりなすように笑いかけた。「す、すいません、副長──さっきのは別に。ちょっと、ふざけていただけで」
「遊びで人を呼びつけたってか」
「い、いえ、そんな! 滅相もない!」
あわてて五人は否定の手を振る。
下手をうった男の脇を、隣の一人が舌打ちで突ついた。媚びた笑いをファレスに向ける。「い、いえね、副長とはぐれたって、この客が言うもんだから、捜しに行こうとしていたところで──」
「誰の部下だ」
釈明半ばで、ファレスは冷ややかに問い質す。
五人が目をみはって乗り出した。
「──ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
困惑顔で互いを見やり、もそもそ口々に言い募る。
「大ごとにするような事じゃないでしょう」「そうすよ。ちょっと、からかっただけっすよ」「ですから、その、頭の方には──」
「いい度胸してるじゃねえかよ」
じろり、とファレスが鋭い三白眼で睨めつけた。
「てめえら、俺をおちょくるつもりか? 他人の縄張り荒らしておいて、てめえはシカトきめこもうってか」
「な、なにも俺らは、副長の顔をつぶす気は──」
「客はこっちの管轄だ。知らねえはずがねえだろが」
ぴしゃりと逃げ道をふさがれて、とっさに五人が言葉につまった。
決まり悪げに目をそらし、ぎこちなく笑って振りかえる。
「か、勘弁してくださいよ〜……」
平身低頭、ごまかし笑いで頭を掻いた。
「だから、ほんの遊びっすよ」
「そ、そうすよ。副長をおちょくろうだなんて、誰もそんな、たいそれたことは──」
昼休みに入った草原が、低いざわめきで満ちていた。
弁当を手にした傭兵たちが、ざわざわ遠巻きにして行きすぎる。この険悪なやりとりに気づかぬはずはないのだが、足を止める者はない。誰もがこちらを見て見ぬ振りだ。
必死でとりなす五人の顔を、じろり、とファレスが見渡した。
「俺に喧嘩を売っておいて、ただと済むとは思ってねえよな」
「──そ、それはもう」
追従笑いで身をよじり、一人が尻の隠しから そそくさ何かを取り出した。
握っていたのは煙草の紙箱。軽くゆすって一本つき出す。「一先ず、どうすか、副長も」
「おう、悪りィな。気ィ使わせてよ」
ファレスが仏頂面で手を伸ばした。
むんずと箱ごと、そして、ザックを引ったくる。
あ……の顔で男は固まり、ザックの肩掛けをとっさにつかんだ。
「なんだ」
「──い、いえ」
男は渋々引き下がり、ザックに追いすがった手を放す。
ファレスは無造作にザックを漁り、中から札入れを取り出した。
そこから紙幣を二枚抜き、札入れをザックに突っ込んで、持ち主の男へほうって寄越す。
「休みが終わるぞ」
紙幣と煙草を上着の隠しに突っ込んで、ファレスはぞんざいに手を振った。
「さっさと飯を食いにいけ」
五人がもの言いたげに目配せした。
だが、不満をぶつけることはせず、肩をすくめて踵を返した。
興醒めしたような五人の背中が、不承不承離れて行く。足を向けたその先は、仲間が広がる樹海の木陰。休憩時間のざわめきに、姿がみるみる紛れていく──
はた、とエレーンは我に返った。
「ちょ、ちょっとちょっとお! 女男」
目をみはってファレスを仰ぎ、あたふた樹海に指をさす。
「なんで逃がしちゃうのよ簡単にぃ。もっとビシッと言ってやってよ。てか、やっつけちゃってよ、あんな奴ぅ! あたしがどれだけ怖い目にあったと──」
じろり、とファレスが整った顔で睨めつけた。
「うろちょろするな」
エレーンは目を丸くして、己の顔を指でさす。「はああ? あたしィ? なによ、あたしが悪いっていうのー?」
「あんたが悪い」
間髪容れずに、ファレスは断じた。
しなやかな長髪をひるがえし、にこりともせずに歩き出す。
「はあ!? なんでよ! 向こうでしょうが悪いのは! あたしは何にもしてないもん。ただちょっと、ぶつかって──」
「ぶつかった?」
その言葉を聞き咎め、ファレスが木陰に向かう足を止めた。
立ち止まった肩越しに、いぶかしげに顔を見る。
「あんたから触りに行ったってのか」
エレーンは驚いて目をみはった。
「──べ、別に、触りに行ったわけじゃ! ちょっとよそ見をしていたら、あの人たちにぶつかって──」
「なに考えてんだ!」
ファレスが吐き捨てるように一喝した。
辟易としたように、柳眉をしかめて歩き出し、苦々しげな舌打ちでごちる。
「てめえを何だと思っていやがる」
エレーンは面食らって言葉につまった。
なんのことやら訳が分からず、あっけにとられて思わずつぶやく。「"なに"って、何それ。どういう意味よ」
「さっさと来い」
「でも! あたしは何も悪くな──」
振り向きざま、ファレスが鋭く睨めつけた。
ぎくり、とエレーンは立ちすくむ。
ファレスはわずらわしげに顔をしかめ、ついてくるよう顎の先で促した。
そっけなく長髪をひるがえし、休憩の人ごみを歩いていく。
ぐぬぬ、とエレーンは歯噛みした。苛ついた視線にあてられて、思わずひるんでしまったが、ずいぶん理不尽な言い草だ。咎があるのは向こうの方で、断じて断じて自分ではない。それなのに──
一方的に責められて、むかついた気分が収まらない。
せめて悪態をついて踏み出した。
「な、なによ横暴っ! 偉そうに」
今のは奴にも聞こえたろうに、ファレスはこちらを振り向きもしない。いや、奴には神経などないのだろう。なにせ、あの女男は、こちらが用足しに行く時まで、平気でついてくるような無神経な輩だ。
今の事にしたってそうだ。自分の災難にかこつけて、カツアゲするなど神経を疑う。美形のくせに性格は最悪。態度なんか極めて粗暴だ。いや、それについては、あの五人もいい勝負か──今の出来事を思い出し、改めて腹を立てながら、エレーンはぶちぶち不平を鳴らす。
「なあによ、あいつら。急にぺこぺこしちゃってさあー」
あのファレスを見た途端。
五人はいずれも、あのファレスより年上だ。なのに、あんなに媚びるから、ファレスがますます付けあがるのだ。でも、いつも、あんなふうに、傲岸不遜にふるまっていたら、その内、誰も寄りつかなくなって──
ふと、エレーンは顔をあげた。
誰も寄りつかなく──?
そういえば、と思い出す。
ファレスはいつも、一人きりだ。誰かと談笑しているのを見たことがない。きさくに話す者もなければ、無駄口をきく者もない。むろんファレス本人は、内気なわけでも無口でもない。ケネルと話しているのを見ても、日常の受け答えに支障はない。なのに、どうして──
今まで何気なく見逃していたが、改めて考えれば、奇異に思える。だって、ならばファレスには、ただの一人も親しい者がいないというのか? そんなことがありえるだろうか。六、七十人からの仲間が集まる、こんな大集団に属しているのに。
皆より「副長」が上位だから、周囲が気後れするのだろうか。だが、それならケネルも「隊長」だが、そんなふうには全く見えない。
そういえば、この傭兵団で、ファレスは異彩を放っている。ひとりファレスだけが雰囲気が違う。あの稀有な長髪とも相まって、その存在が一際目立つ。ファレスだけが浮いている。そして、誰も近寄らない。
だが、嫌われている、というのとは違う。あの特殊な雰囲気を、どう言ったらいいのだろう。
緊張を伴う「強ばり」のようなものが、ファレスの周りには常にある。ファレスが誰かに目を向けた途端、たちまち相手が萎縮する。ファレスが誰かに話しかけると、相手は途端におどおどし、いつもこそこそファレスを遠巻きにしている気がする。けれど、それって、もしかして──
前を歩く長髪の背を、困惑してエレーンは見た。
確かにファレスは、自ら他人を寄せ付けない、そんな雰囲気を醸している。あの冷淡そうな仏頂面も、声をかけにくい一因だろう。けれど、それ以前にファレスはもしや、
皆に恐れられている?
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