てめえ! 咬むぞ! 引っ掻くぞ!?
オレは唸って牽制する。
だって、全然知らない奴だ。
空気がキィンと凍てついて、しんしん雪が舞う中で、そいつはしわくちゃな手を伸ばし、オレの頭をなでやがった。
「外は寒いだろう。こっちへおいで」
しわくちゃな乾いた手。
でも、案外気持ちいい。
冴えない白髪のじいさんと、オレは暮らすことにした。
家族は誰もいないようだし、腰の曲がった弱っちい奴なら、オレを虐めはしないだろう?
嫌なら、すぐに逃げればいいし、何より飯にありつける。
じいさんの家はボロくって、隙間風が入ってくる。
でも、桜の木のある小さな庭と、日当たりのいい縁側がある。
「さあ、タマ。ご飯だよー」
まったく。このじいさんも、勝手な名前で呼びやがる。人間って奴は、みんなそうだ。
オレの名前はタマじゃない。
そんな間の抜けた名前じゃない。オレの母ちゃんがつけてくれた由緒正しき名前があるんだ。
オレに声が聞こえていないと勘違いすると困るから、返事は一応するけどさ。
日の当たる縁側に、いつも、じいさんが置いていくのは、茶碗に入った汁かけご飯。
オレはじいさんに手を出さないし、じいさんもオレに手を出さない。
寒い夜は一緒に眠る。
布団の中はあったかい。
青い生垣をいくつもくぐり、ブロック塀の上を征く。
オレは尻尾をピンと立て、石階段で日光浴する白猫ミイの元へと向かう。
ミイの周りをうろうろしてる雄猫どもを追い越して。
誰もがオレには道を譲る。
誰もオレには敵わない。この界隈のボスだから。
しばらくすると、じいさんが、角を曲がってやってきた。
見回りに出て、しばらくすると、そわそわ探しにやってくるのだ。
そして、オレを見つけると、しわくちゃな顔をほころばせ、曲がった腰を 「よいしょ」 と折って、オレの体を抱きあげる。
「そこにいたのか、タマさんや。さ、家に帰ろうな」
──だから!
オレはタマなんて名前じゃない。
縄張りなんだよ!
邪魔すんなよ!
男のメンツがあるんだよっ!
家に帰れば、汁かけご飯。
コタツにもぐりこんだじいさんは、湯呑みをすすって時代劇。やれやれ。
オレも文明の利器・コタツにもぐる。
適当な名でひとを呼ぶ自分勝手な連中だが、こんな良い物を作るんだから、人間もたまには良いことするな。
コタツを消したら、布団にもぐって、じいさんの隣で一緒にぬくぬく。
春になったら、縁側で、のびのび伸びて、日向ぼっこ。
飯はじいさんがくれるから、狩りになんか行かなくていい。ゴミ箱あさりもしなくていい。
時おり、別のじいさんが、家の縁側にやってきて、じいさん同士で碁を打っている。
オレの頭をなでながら、どっちのじいさんも「タマ」と呼ぶ。
まったく。タマなんて名前じゃないのに。
庭の桜はひらひら舞い、日溜まりに二つの分厚い湯呑み。丸い器に盛られた煎餅。
スズメが枝で食い散らかして、桜が花ごとくるくる落ちる。
夏はバテバテ。
じいさんと一緒に扇風機。
台所にある板の間で、ひんやり冷たい仏間の畳で、塀の下の濃い影で、ひたすら陽を避け、ひたすら伸びる。
土産を獲って戻ってくると、困ったように、じいさんは笑った。
これでも食って元気出せ。精がつくぞ? 嫌いか? ヤモリ。
秋は、やっぱりサンマだな。
じいさんと一緒に、はふはふ食う。
庭の桜が色づいて、赤い葉っぱが落ちてくる。
ひらひら、ひらひら。
ひらひら、ひらひら。
夕焼けに染まった近所の道を、迎えにきたじいさんと帰る。
「孫はもう、高校生だよ」
じいさんは夜の縁側で、月を見ながら酒を飲む。
倅は街で就職し、家を出たきり戻らない。娘も遠くに嫁に行き、家を出たきり戻らない。もう随分、昔の話だ。
泣くなよ、じいさん。
オレがいるから、いいじゃんか。
また、土産を獲ってきてやるよ。
オレはあんたの傍にいるよ。
だって、オレたち、相棒だろう?
ある日、見回りから戻ってくると、じいさんが部屋で倒れていた。
オレは何度もじいさんを呼んだ。
じいさん、起きろよ。オレの飯はどうすんだ?
じいさん、起きろよ。風邪ひくぞ?
あんた近ごろ、あちこち痛いって言ってたじゃないか。
西日が畳に射しこんで、空に星が瞬いても、じいさんは起きようとしなかった。
回覧板を持ってきた、隣の気のいいおばさんが、じいさんを発見、騒がしくなった。
白い服の数人に、じいさんが外に運び出されてから、
夏が何度もやってきて、
冬が何度もやってきた。
桜の花がひらひら舞い、伸び放題の庭草に、赤い葉っぱがひらひら落ちた。
じいさんは、まだ戻らない。
ある寒い冬の日に、トラックが一台やってきた。
どやどや大勢が降りてきて、ボロ家をどんどん壊しやがる。
オレはもちろん抗議した。
だって、じいさんが戻った時に、なくなってたら困るだろう? こんなボロっちい平屋でも。
だが、そいつらは耳を貸さず、どんどん家を壊しやがる。
どんどん、どんどん。
どんどん、どんどん──。
三度目の夕日を見る頃には、家はすっかりなくなって、がらんと更地になっていた。
オレは隅の庭草に座った。
ここはじいさんの縄張りだし、じいさんが戻ってきた時に、オレがいないと、マズいだろう?
オレは、じいさんに伝えないと。
家はなくなっちまったが、オレはきちんと抗議したんだ。
月のない真っ暗な空だ。
葉っぱの落ちた桜の枝が、黒い骨のように天を突き、ちらちら雪が降ってくる。
じいさんは、まだ帰らない。
帰ってこいよ、と鳴いてみるが、声は夜に吸い込まれる。
オレは傷む足を引きずり、冬の突風で飛ばされてきた、段ボールの下にもぐりこむ。
この機に乗じてカラスの野郎が、目ざとく仕返しにくるかもしれない。前に引っ掻いてやったから。
腹が減ったが、おばさんがくれるカリカリは、オレには少し硬すぎる。
狩りをしに行こうにも、体がどうにも動かない。
近頃は足も遅くなったし、ネズミたちにも逃げられる。
段ボールは雪を防いでくれるが、布団の中の方があったかいよな。
じいさん、オレもあちこち痛いよ。また、背中をなでてくれよ……
頭の上に、ふわり、と手。
しわくちゃな、乾いた手のひら。
『やあ、タマ。待たせたね』
声に、手を見上げると、見おろしていたのは、あのじいさん。
「おう、じいさん。待ちくたびれたぜ」
なんだか、無性に文句が言いたい。
「それからオレは、タマなんて名前じゃない。何度言ったら、わかるんだ」
ふんわり、じいさんは笑いかける。
『そうかい。それなら、なんと呼ぼうか』
「きまってんだろ、オレの名前は、」
ちょっと、オレは考える。
「だから、オレの名前はさ、」
暗い空から、ちらちら雪が舞い落ちる。
「……タマだよ」
だって、あんたがそう呼んだから。
『それなら、そろそろ行こうか、タマや』
「いいけど、そこ、飯はある? いつも食ってた汁かけご飯」
最近、固いものはダメなんだ。
『そういう飯は、ないかもしれんな』
「そう。なら、コタツはある?」
じいさんは笑って応えない。
「なんだ。何にもないんだな。でも、」
なぜだか妙に軽くなった足で、ふんわり、オレは立ちあがる。
「あんたがいれば、それでいいよ」
だって、オレたち、相棒だから。
【了】
~ 『 相 棒 』 猫のオレとじいさんの物語 ~
☆ 拍手する ☆
クリックで作者に拍手が届きます(*^^*)
おもしろかったら、ぜひぜひ♡
( 童話館【ぐるぐるの森】 TOP )
短編小説サイト 《 セカイのカタチ 》 / 童話館 《 ぐるぐるの森 》