つぎはぎの服を着た、白髪の絵師がおりました。
小さくて、やせていて、すっかり年老いていましたが、好きな絵ばかりを描(か)いてきたので、世話をしてくれる身よりはいません。奥さんも子供もいないので、一人ぼっちの身の上です。その上、根っからの正直者で、絵を買ってくれる人がいると、もうそれだけで喜んで、お客さんの言い値でどんどん売ってしまうので、金もうけもさっぱりで、だから、いつも貧乏でした。
絵師がもっている荷物といえば、古い絵筆が一本と、水を飲むためのアルミのカップ、そして、昔、パンの景品でついてきた、パレット代わりの丸皿が一枚。
それでも、絵師は幸せでした。
好きな絵だけを好きなだけ描くことができたなら、それだけで満足だったのです。
ひろった棒っきれで杖をつき、絵師はよたよた歩いていました。
「一度でいいから、海ってやつを見たいなあ」
それが、長いあいだ、見つづけてきた夢でした。
青い空と青い海、ことなる青がまじわる境、横に一本まっすぐ引かれた水平線、そこから朝日がのぼったら、どんなにすてきなながめでしょう。
絵師はすっかり年老いて、人生の最期がせまっているのを感じていました。だから、さいごにひと目、見たかったのです。
青くかがやく大海原を。
海にむかって、絵師は何日も歩きました。そして、大きな森にさしかかった時でした。
黒い雲がもくもくわいたと思ったら、横なぐりの雨が降りだしました。頭の上からたたきつけてくるような、どしゃ降りの豪雨です。雨つぶが激しく地面をたたき、ぬかるみが茶色くわきたっています。
「──おお。こりゃ、たまらんわ!」
風雨でもみくちゃにされながら、絵師は両手で頭をおおって、森の中にかけこみました。
「すまんが、ちょっと、おじゃまするよ。雨宿りをさせておくれ」
森の中はたいそう静かで、うっすら霧がかかっていました。外は嵐のはずでしたが、雨風はまったく入ってきません。別世界のように森は静かで、ほのかに明るくたたずんでいます。白い霧がゆっくり動いて、ゆらり、ゆらり、とたゆたっています。
ツタがからまる立派な木々が、こずえをたくましく張りだしていました。ごうごう、絶え間なく音が聞こえてきますから、大きな川があるのでしょう。うねうね地をはう太い木の根、青くこけむした大きな岩、宝石のようにかがやく緑葉、まっすぐのびた黒い幹が、森の遠く奥のほうまで、影のように続いています。
目をみはって森を見まわし、絵師は老いた瞳をかがやかせました。
「おお、なんと豊かな森じゃ。こんなに美しい森は見たことがない」
棒っきれの杖をつきながら、魅せられたように歩いていきます。
坂になった上のほうから、川がしぶきをあげて流れていました。みずみずしい緑にはえて、きらきら白く光っています。かがやく緑に魅いられて、絵師はどんどん歩きます。
「……ああ、この森の絵が描きたいなあ」
絵師は感じいって、つぶやきました。
一度そう思ったら、うずうずして、そわそわして、もう、いてもたってもいられません。目の前にある森の姿を、今すぐ、ありのまま描きたい。自分の絵筆で写しとりたい!
ぎゅっ、とこぶしを強くにぎって、絵師はじりじりしながら見まわしました。絵師の目には、この森の姿が手にとるように見えるのです。
けれど、貧乏な絵師には、絵筆が一本とアルミのカップ、そして、パレット代わりの丸皿が一枚あるきりです。これだけでは絵を描くことはできません。それを描くために必要な紙が、一枚も残っていないのです。
あきらめるしか、ありませんでした。
もどかしくて、くやしくて、せつなくて、絵師は深く息をつき、しょんぼり肩を落としました。
「せめて、絵の具があればのう」
その時でした。
森のこずえがさらさら鳴って、ざわり、と空気がうごめきました。
《 色なら、そこら中にあるじゃないか 》
絵師はきょろきょろ見まわしました。今、奇妙な声がしたのです。
けれど、ここは人里はなれた森ふかく、人など、いるはずがありません。そして、何度目をこすっても、やっぱり、人など、どこにもいません。
「……そら耳じゃろうか」
絵師はポリポリひげをかき、不思議そうに首をひねりました。このところ、ずっと歩きづめでしたから、疲れているのかもしれません。
絵師はやれやれと首を振り、こつん、こつん、と杖をつき、森の入口にもどろうとしました。すると、
《 葉っぱは緑色をしているし、木の実は赤いし、地面は黒だよ 》
「うひゃっ!」
絵師は叫んで飛びあがりました。
震えあがって我が身をいだき、あたふた辺りを見まわします。すみっこの、すみっこの、すみっこの方まで、目を皿のようにして、声のあるじを探しました。
けれど、やっぱり、誰もいません。
絵師は足をガクガクさせて、口をあわあわさせました。いったい、誰の声なのでしょう。びくびく森を見まわしますが、森はやはり変わることなく、おだやかに静まっているばかりです。
ふと、絵師は「声」の言葉を思い出しました。
「……葉っぱは緑で、木の実は赤で、地べたは黒か」
ぶつぶつとなえて、ふーむ、と白いひげをなでます。確かに、それは、そのとおり。
古びたコートのポケットから、絵師は筆をとりだしました。ならば、ひとつ、ためしてやろうと思ったのです。
おっかなびっくり近くの大木に近よって、そおっと葉っぱをなでてみます。
すると、どうでしょう。
そっとぬぐった絵筆の先が、木々の緑そっくりの、あざやかな緑色に染まったではありませんか。
「これはすごいぞ!」
絵師はびっくりぎょうてんし、絵筆の色を、わなわな興奮して見つめました。
すっかりうれしくなってしまい、色々な場所に歩いていっては、絵筆の先でなでてみます。すると、やっぱり、幹をなぞれば、木の幹そっくりの黒っぽい灰色に、しゃがんで足元の地面をなぞれば、ぬかるんだ赤茶色がすくいとれるではありませんか。
「すごい! すごいぞ!」
けれど、はしゃいでいたのもつかの間で、絵師はのろのろ首をふり、またため息をつきました。
「じゃが、色はあっても、かんじんの紙がなくてはのう」
それでは、絵は描けません。あるのは絵筆が一本と、アルミのカップに、パンの景品の丸皿が一枚、それきりです。
「せめて、紙があればのう」
あきらめきれずに、絵師はふかぶかとうなだれます。
森のこずえがさらさら鳴って、ざわり、と空気がうごめきました。
《 描くものなら、あるじゃないか 》
さわり、と何かが絵師の手をなでました。
見れば、まっすぐおいしげった草の葉でした。それが絵師の手をなでています。そう、偶然さわったというのではなく、何かをさすようにして、なでているのです。絵師は驚いてそちらを見ました。すると、パレット代わりの丸皿が、ズボンのおなかにはさまっています。
「もしや、これに描け、と言うのかの?」
絵師はおなかから丸皿をとりだし、ためつすがめつ、ながめてみました。たしかに元は白かったので、描こうと思えば、描けないことはないかもしれません。けれど──
絵師は顔をくもらせて、力なく首を振りました。
「絵の具がこびりついていて、これに描くなど、とうてい無理じゃ。こうなっては、ちょっとやそっとじゃ、とれやせん」
この皿は、若い頃から使いつづけているのです。その長い年月で、絵の具は色とりどりに層をなし、ボコボコ岩のようにもりあがっています。
《 川で洗えば、いいじゃないか 》
両手で皿をもったまま、絵師はきょとんとまたたきました。長年、使いつづけた皿なのです。絵の具はガチガチに固まって、今ではけずりとることさえ、ままならないのです。それが、ちょっと川で洗ったくらいで、とれるわけがありません。
けれど、絵師は(まてよ?)と思い直しました。さっきも、ためしにさわってみたら、絵筆で色がすくいとれたではありませんか。あの「声」が言ったとおりに。
絵師は川にとんでいき、皿を川の流れにひたしてみました。
すると、どうでしょう。
ぶ厚くこびりついた絵の具の山が、するりするりと、とけだしていくではありませんか。
「とれた! とれたぞ!」
絵師は流れに手をつっこんで、お皿をぶんぶん振りました。
じゃぶじゃぶ、じゃぶじゃぶ──!
色とりどり絵の具の筋が、川を染めて流れていきます。
やがて、固いかたまりが、ぽろりととれて、皿はまっ白くかがやきました。
川のほとりに腰をおろして、絵師は絵筆を走らせました。
きれいになった丸皿のふちに、さらさら、すいすい、思い描く線をたどっていきます。
絵筆に迷いはありません。描きたくて描きたくてたまらなかった「森」の絵です。食べるのも忘れ、眠るのも忘れ、休むのも忘れて、絵師は筆を動かします。
次の日の朝、絵師が描く丸皿に、見事なりんかくが現れました。
うろこにおおわれた長い胴、鋭い爪の四本足、がっしりした四角いあごと、ぎょろりと丸い二つの目、そして、鼻の横からヒョロリとはえた長いひげ──
それは立派な龍でした。
鋭い爪は空(くう)をつかみ、腹をりゅうりゅうとうねらせて、丸皿の縁をぐるりと一周しています。これが絵師に見えていた「森」の姿だったのです。
絵師はすっかり楽しくなって、わき目もふらずに描きつづけました。鋭い爪の一本一本、うろこの一枚一枚にいたるまで、心をこめて、ていねいに。
やがて、絵師は下書きをすべて描きあげました。次はいよいよ、龍に色をつける番です。
絵師は筆をとりあげて、近くのこずえにすべらせました。
森にただよう透明な精気が、絵筆の先にすいよせられて、みるみる緑に染まっていきます。
きらきらかがやく「龍の緑」を、絵師は慎重にすくいとり、龍の背中をなぞっていきます。ペタペタペタペタ──
《 くすぐったいよ、おじいさん! 》
いつかの、あの声がしました。
見れば、皿の縁に描かれた龍が、身をよじって笑っています。背中を絵筆でさわられて、くすぐったかったようなのです。
大口をあけた龍の笑顔に、絵師は顔をほころばせました。
「すまんすまん。すこーし、しんぼうしておくれ」
川のせせらぎを聞きながら、絵師は龍のあまたのうろこを、一枚一枚心をこめて、きれいに、たんねんにぬっていきます。
頭から首までぬりおえて、絵師は休けいすることにしました。
草の上に皿をおき、絵の具を風でかわかします。こった肩をとんとんたたいて、よっこいしょ、と腰をおろし、笑って川をながめました。
「一度でいいから、見たいなあ。青くて広い大海原を」
川の流れは海に続いているはずですから、この川をたどっていけば、きっと海に出られるでしょう。
草の上でひなたぼっこしながら、龍はごきげんで言いました。
《 だったら、ボクがつれていってあげるよ。この皿から出たあとに 》
数日がたち、龍の皿は、いよいよ完成に近づきました。
ぎょろりと丸い二つの目、ゆったりなびく長いひげ、空(くう)をつかむ鋭い爪、そして、ゆらゆらかがやく緑の胴体。
それは、ほれぼれするような出来でした。
なんといっても、この龍は、皿にいながら動くのです。うねうね動いて、しゃべるのです。みごと完成したあかつきには、きゅうくつな皿から抜けだして、自由にとびまわることでしょう。
後はいよいよ、仕上げがのこっているばかり。瞳を入れれば完成です。
《 ねえ、早くやっておくれよ! 》
龍がじれったそうに言いました。外に出たくて仕方がないのです。
暴れはじめた龍をなだめて、絵師は筆をとりあげます。ゆっくり目をとじ、ひとつ深く呼吸しました。
心をしずめ、絵筆を空にかかげます。
ひゅるるん、ひゅるるん! と音がしました。
ありとあらゆるこの世の色が、絵筆の先に飛びこんできます。赤、青、黄色、黒に純白──それはぐりぐりまじり合い、しゅっ、と一点に凝縮しました。
「……おお! なんと不思議な色合いじゃ」
絵師は筆を慎重におろして、ほう、とため息をつきました。虹色をひめてかがやく漆黒、とでもいうのでしょうか。見たこともない色でした。絵筆の先が深い黒にかがやいて、ぬらぬらあやしくうごめいています。
絵師は筆を皿に近づけ、龍の右目を入れました。まん丸く、黒々と、ていねいに目をぬりつぶします。
右の瞳を描きおえると、絵師は、へたり、と座りこんでしまいました。首をうなだれ、はあ……と大きく息をつきます。
目を入れただけのことで、すっかり疲れてしまったのでした。龍の瞳を入れるのは、どの部分を描くよりも神経をつかうものでした。
《 あのぅ、大丈夫? 》
心配そうな龍の声がしました。絵師は息をはずませて、よわよわしく笑います。
「……ああ、大丈夫、大丈夫。今、出してやるからの」
つぎのあたったズボンのひざに、しわくちゃになった手をおいて、絵師はよろよろ立ちあがりました。両目がきちんと入ったら、龍は皿から出られるでしょう。
ぬらぬら漆黒にうごめく絵筆を、龍の皿に近づけて、最後の左の目玉を入れます。
ふーふー息をつきながら、絵師はぐりぐりぬりました。全ての力をそそぎこみ、それでも優しく、ていねいに。
「……さあ、できたぞ。完成じゃ」
二つの目玉を入れおわり、絵師が顔をほころばせた、その時でした。
ぐらり、と絵師の体がかたむきました。ズボンのひざをガクリとついて、へなへな地面にくずおれます。
ガチャン──と皿が落ちました。
絵師はうつ伏せに倒れたままで、それきり、ピクリとも動きません。
びゅん! と突風が吹きました。風は絵師をごろごろころがし、坂の下へとはこんでいきます。そうして、ぼちゃん、と、川に落としてしまいました。
《 おじいさん! おじいさん! おじいさん! 》
まん丸の涙をぽろぽろこぼして、龍は声をかぎりに叫びました。
けれど、絵師は満足そうに笑ったままで、川のゆるやかな流れにのって、どんどん下流に流れていきます。遠い空のむこうへと、ついに旅だってしまったのです。
《 待って! 待って! 待ってくれよう! 》
体を皿から引きはがそうと、龍はじたばた、あばれました。絵師と毎日話すうち、龍はいつしか絵師のことが大好きになっていたのです。
前足の爪でふんばって、ぐぐぐぅ──と歯を食いしばり、いかつい顔をまっ赤にし、長い首をぶんぶん振ります。頭も、前足も動きます。両目もきちんと入っています。もう、皿から出られるはずなのです。けれど、どんなに力を振りしぼっても、皿がカタカタ鳴るばかりで、龍は皿から出られません。
皿が地面にぶつかったひょうしに、割れてしまっていたのでした。皿の縁に描かれた龍も、長い胴のまん中で、ちょん切れてしまっていたのです。
皿はまっ二つに割れていて、半月の形になってしまいました。それで、体の半分がなくなって、皿に閉じ込められてしまったのです。
龍はまっ黒な瞳をうるませて、うぉんうぉん、うぉんうぉん泣きました。その叫ぶような吠え声は、深い森中にひびきわたりました。
それから、どれくらいたったでしょう。
深い森のしめった土が、急にもくもくもりあがりました。
「どうしたの?」
ずぼっ、と何かが、土から顔を出しました。
シャベルのように大きな手、顔からにょっきりつきでた鼻、ずんぐりしたネズミのような、もう少し大きい生き物です。
それはモグラでした。時おりこうして顔を出しては、様子をながめていたのですが、泣き声があんまりやまないので、やっと、こわごわ、あらわれたのです。
龍は皿から、いかつい顔をつきだして、かくかくしかじか、涙ながらに訴えました。すぐにも絵師を追いかけたいのに、皿から出ることができないのです。
「ふーん。それは、おきのどくに」
ことのあらましを聞きおえると、モグラは小さな目をしばたかせました。もらい泣きをしたようです。なんとかして出してやりたい、モグラはそう思いました。
「よおし! まかせて!」
シャベルのような手をのばし、龍の背中のりんかくを、ギーギー、爪で引っかきます。
《 痛い! 痛いよ! やれてくれよお! 》
龍は悲鳴をあげて、身をよじりました。とっさに頭が飛び出したので、割れた皿がカタカタ鳴ります。
けれど、ちょん切れた胴のほうは皿の割れ目にくっついたまま、龍は皿から出てきません。皿に引っかき傷がついただけです。
シャベルのような手をあげて、モグラは頭をかきました。
「だめかあ」
ほじくり出す作戦は失敗のようです。
モグラは大きな手で腕をくみ、皿のまわりを歩きまわりました。うろうろ、うろうろ、うろうろ、うろうろ──。
やがて、肩を落として首をふり、元いた穴へ、もそもそ、おしりから潜りこみます。長い鼻をひくひく動かし、皿の龍に言いました。
「ちょっと、ここで、まっててよ。だれか応援を呼んでくる」
ひょい、とモグラの頭がひっこみました。
しーん、と静まった草むらに、半月形の丸皿がひとつ、ぽつんと、とり残されました。
しばらくすると、まん丸いものがごろごろと、坂をころがってやってきました。
イガイガをもった栗のような、ぷぅっ、とふくれたハリセンボンのような、まん丸の物体です。それは皿の前でぴたりと止まり、もぞもぞ動きだしました。にゅうっ、と顔がつき出ます。
全身トゲトゲでおおわれた一匹の茶色いハリネズミでした。
土がもくもくもりあがり、さっきのモグラが顔を出します。ひょい、とハリネズミを振りむきました。
「このお皿なんだけどさ、どうにかできないものかなあ」
大きな手で皿をさされて、ハリネズミは、うーん、と首をひねりました。
「ね、だったら、こうしたら、どう?」
ピンク色した小さな手を、龍のわきに伸ばします。そして、
「こちょこちょこちょ!」
《 わわ! くすぐったいよ! くすぐったいよお! 》
龍はのけぞって笑いました。
あんまりあばれるものだから、皿がぴょんぴょん、とびはねます。
けれど、ちょん切れた胴のほうは皿の割れ目にくっついたまま、龍は皿から出てきません。龍がひーひー笑いころげただけでした。
「ごめんね。やっぱり、だめだったみたい」
ハリネズミはモグラをふりかえり、トゲトゲの頭をかきました。
くすぐる作戦も失敗のようです。
それでも、モグラとハリネズミはがんばりました。
木の実のごちそうをつみあげて龍を外に誘い出す作戦、龍の鼻をくすぐって、くしゃみしたはずみで飛び出させる作戦──どったん、ばったん大ふんとう。けれど、やっぱり、どれも、うまくいきません。
「なにしてるのー?」
さわぎをききつけ、森に住む動物たちが、わらわら川辺にあつまってきました。うさぎにキツネ、たぬきにネズミ、スズメに、ゾウに、クマに、トラまで。
モグラとハリネズミは一生けんめい、身ぶり手ぶりで説明します。かわいそうなこの龍を、なんとか出してやりたいのです。
ことのあらましを聞きおえて、みんなは顔を見あわせました。皿から龍を出すなんて、聞いたこともありません。いったい全体どうしたら、皿から出てくるというのでしょう。
うーん、うーんと、みんなが知恵をしぼっていると、「おおお?」とどこかで、野太い声があがりました。
「それだったら、こうしたら、どーお?」
ぶっとい足で、のっそりのっそり進み出たのは、目もさめるような黄色と黒の、あざやかなしま柄のトラでした。
あんぐ、とトラは口をあけ、ひょいと皿をくわえます。そして、
「そーれ!」
ぶんぶん、皿を振りまわしました。
《 わ! わ! やめてえ! 目がまわるぅ! 》
目玉にぐるぐるうずまきを作って、龍は悲鳴をあげました。赤い舌を、ぺろんと出して、ふらふらになってしまっています。
けれど、ちょん切れた胴のほうは皿の割れ目にくっついたまま、龍は皿から出てきません。皿がトラのよだれだらけになって、龍が目をまわしただけでした。
「……ごめんよお」
トラはしょんぼり頭をさげて、めんぼくなさそうに言いました。
ぶんまわし作戦も失敗のようです。
「そんなこと、やってちゃ、ぜんぜん、だめさ」
くすくす笑いが、どこかでしました。
みんながけげんに振りむくと、ちょっと離れた木の下で、誰かがよっかかって見ています。
ぴん、ととんがった二つの耳、きゅっ、とつりあがった金の瞳。ふっくらした黄金の毛皮。
それはキツネでした。小ばかにした言いかたに、トラがむくれて言いました。
「だったら、きみにはできるのかい?」
「かんたんさ」
キツネはすぐさま言いかえし、ふふん、と鼻で笑いました。
「まあ、見てなよ。でも、この手じゃ、うまくつかめないなあ」
自分の体を見おろして、キツネは、ぴょん、と飛びあがりました。そして、
──どろりんぱっ!
ぽんっ、と軽い音がして、小さな光がはじけました。
すると、どうでしょう。キツネのかわりに、人間の男の子が立っているではありませんか。
それはキツネが得意とする「変身」という技でした。けれど、小さなキツネが化けているので、体はやっぱり小さいままで、おしりには、しっぽもはえています。
キツネの男の子は、ふさふさのしっぽをふりながら、きょろきょろ辺りを見まわしました。
「アレがあるはずなんだけどな」
前かがみで草をかきわけ、もぞもぞ何かを探しています。ぴん、と草むらから突きでたしっぽが、ふさふさゆれて、動いてゆきます。
「あったあった!」
ひょい、と顔をあげました。五本の指のついた人間の手で、男の子は何かもっています。
それは割れた皿の、もう一方でした。龍のしっぽが描かれたほうです。
キツネの男の子は、がさがさ草むらから出てくると、きょとんと見ていた龍の皿をひろいました。そして、声も高らかに宣言しました。
「割れたお皿どうしを、くっつければ、いいのさ! そうしたら、しっぽがもどるだろう?」
おおっ! とみんながどよめきました。
「すごいぞ! キツネくん!」
みんなは目を丸くして、感心のまなざしをむけました。
そうです。龍はもともと、一枚のお皿に描かれていたのですから、頭が描かれた半分と、しっぽが描かれた半分の、割れ目どうしをくっつければ、ちょん切れた体が元どおりになるではありませんか。そうしたら、しっぽのほうも動きだし、皿から出られるにちがいありません。
鼻の下を指でこすって、キツネの男の子は得意です。
「それじゃあ、いくよ?」
もったいつけて、ふふん、と笑うと、割れたお皿を近づけました。
ちょん切れたおなかどうしを、そうっとそうっと合わせます。
ところがです。
「……あ、あれあれ? おかしいなあ?」
キツネの男の子はあせって首をひねりました。
両手の皿をガチャガチャこすり合わせます。けれど、どうやっても、なんどやっても、割れ目がぴったり合わないのです。
ギザギサの割れ目を見てみると、すき間が大きくあいていました。皿のカケラがたりません。
キツネはあわててさがしました。けれど、カケラは見つかりません。どうやら、皿が落ちたひょうしに、こなごなになってしまったらしいのです。
「……いい考えだと思ったんだけどなあ」
男の子は、しゅるしゅる、しぼんで、キツネの頭をかきました。
動物たちは、ほとほとこまってしまいました。
そのあとも、思いつくかぎり、ためしてみました。二枚の皿の角度をかえ、割れた皿を裏がえし、龍のひげをひっぱって──。
けれど、やれどもやれども、龍は一向に出てきません。どうしていいものやら、もう誰にもわかりません。龍はめそめそ泣いています。
「おお、そうじゃそうじゃ!」
高い枝から声がしました。
ばさばさ翼をはばたかせ、足ぶみしていたのはフクロウでした。フクロウはものしりで知られています。
ぎょろりとした目をくるりと動かし、ものしりフクロウは言いました。
「仕方がないのう。すこ〜し、ここでまっておれ」
そして、りっぱな翼をはばたかせ、バタバタ飛んでいってしまいました。
龍とみんながとりのこされて、どれくらいたったことでしょう。
やがて、森のむこうから、ものしりフクロウがもどってきました。うしろを、だれかが歩いてきます。
「まおくん、じゃ」
みんなが集合した川のほとりまでもどってくると、ものしりフクロウは胸の羽毛をふくらませ、得意そうに紹介しました。
森の近所に住んでいる、小学生の男の子でした。くりっとした目で野球帽をかぶっています。半袖シャツと半ズボン。
こほん、とフクロウがせきばらいしました。
「この子は学校で勉強しておるから、ワシたちよりも、ずぅっと、かしこいはずなのじゃ。だから、きっと、なんとかなるじゃろ。こういうのを、てきざいてきしょ、というのじゃよ」
へえ〜、と感心しているみんなの前で、えっへん、とフクロウはいばります。ものしりフクロウは、難しいこともよく知っています。けれど、まおくんは、ほめられてしまって、責任じゅうだい。
「みんな、よろしくね」
ちょっと、こまってしまいましたが、みんなに、きちんとあいさつしました。そして、龍の皿の前までいって、ひざをかかえて、しゃがみました。
「こんにちは、龍さん。あのねえ、きみは、どうしたいの?」
黄色い爪で顔をこすって、龍はうぉんうぉん泣きました。
《 早く外に出たいんだ! 》
「ふうん。どうして出られないの? 出てこられないのは、なんでなの?」
《 おなかがまんなかでちょん切れちゃって、しっぽがなくなってしまったからさ! 》
みんなも、うんうん、うなずきます。体が半分にちょん切れちゃって、しっぽの方がなくなっちゃったんだ!
まおくんは、くりっとした目をまたたきました。
「ねえ? なら、しっぽがあったら、出られるってこと?」
《 そりゃあ、しっぽがあったら出られるさ 》
でも、龍の皿は半分に割れて、龍の体は長い胴体のところで、ぶつ切れています。
ふうん、とまおくんはそれを聞き、木の枝をひろって振りむきました。
「だったら、ぼくが、地面につづきをかいてあげるよ。しっぽがあれば、いいんでしょ?」
龍は両目をみひらいて、ぶんぶん首を振って、あとずさりしました。
「やめてやめて! へたくそなしっぽなんか、くっついたら、ボクの体、ぐちゃぐちゃになっちゃう!」
頭のほうは、絵師が描いたりっぱな龍です。なのに、しっぽのほうは、子供が描いたぐにぐにの線? たしかに、いやかもしれません。
「そっか。それもそうだね」
まおくんは、すなおにみとめました。まおくんだって、じぶんだったら、ぜったい、いやです。
けれど、それなら、どうしたら、いい?
龍のしっぽが描かれた皿は、まん中のほうが飛びちって、もう、ぴったりくっつかないのです。もしも、つづきを描くのであれば、頭のほうとおんなじように、上手でなければいけません。けれど、龍を描いた絵師はいません。
「ぼくたちも、いろいろやったんだよ。でも、どれも、だめだったんだ」
みんなの意見を代表し、キツネがこまった顔で「お手あげさ」と手を広げました。
ほじくっても、だめ。
くすぐっても、だめ。
ぶんまわしても、だめ。
割れたお皿どうしを合わせても、お皿のあいだのカケラがたりない。
これは、むずかしい問題でした。
ついでに言うと、ひっぱってみても、だめでした。みんなも、おおいに首をひねって、頭を肩にくっつけます。
うーん、
うーん、
うううーんっ!
けれど、いつまでそうやっても、もう、なんにもでてきません。どんなに色々考えても、龍のちょん切れた胴を見ると、ぷっつん、とおわってしまうのです。
まおくんも、ほとほとこまってしまい、皿の龍を、もう一度見ました。
「ねえ、もう一回きくけどさ、そうしたら、どうやったら出られるの?」
《 もう! だからっ! 》
じれったそうに首を振り、龍はとうとう、かんしゃくをおこしてしまいました。
《 ちょん切れたしっぽがもう一度できたら、外に出られるにきまってるじゃないか! 》
まぶしい太陽を反射して、川の水面が、きらきら、きらきら、かがやいていました。
まおくんは口をへの字に曲げて、水のきらめきを見ています。「あ!」と口を大きくあけて、飛びあがるようにして立ちあがりました。
「おなかができれば、いいんだね?」
ひょい、と皿をもちあげて、ずんずん川にむかいます。
龍はあわてて言いました。
《 だめだよ! やめてよ! 水で洗ったら、消えちゃうよ! 》
まおくんはにっこり言いました。
「大丈夫、大丈夫! いいこと思いついたんだ!」
みんなは、ごくり、とつばをのみ、まおくんのすることをみまもりました。なにやら自信たっぷりです。いったい、なにをする気でしょう。
まおくんは川のほとりでしゃがみこみ、半月形の割れている部分を、さらさら流れる川の水面(みなも)に、ぴたり、と慎重にくっつけました。
すると、どうでしょう。
皿がくっついた水面の下に、ちょん切れたはずの胴の先が、みるみる現れたではありませんか。川の水が鏡となって、皿の柄を写しだしたのでした。
するり、と龍が水の中へと抜け出しました。
すぐに、どっぱーん! と音がして、なにかが勢いよく飛びあがります。
緑にかがやく龍でした。
龍はぐんぐん上昇し、青くすんだ天空へ、胴をくねらせて昇っていきます。ギラギラまぶしいお日さま目ざして、高く高く、ぐんぐん、ぐんぐん──。
そうする間にも、体はむくむく大きくなって、くっきり、あざやかになっていきます。うろこでびっしりおおわれた銀の腹がひるがえり、光と森の精気をあつめて、若葉の緑にかがやきました。
「やったあ!」
だれかが腰をぬかさんばかりに叫びました。
まおくんと森の動物たちは、わっ、とかんせいをあげました。
顔をくちゃくちゃにして笑いあい「やったあ! やったあ!」と言いあいます。
「やったあ! やったあ! 大成功だあ!」
緑にかがやく巨大な龍は、晴れわたった青空で、くるり、と気持ちよさそうに宙がえりしました。
《 ありがとう、みんな。じゃあ、またね。ボクはちょっと、行くところがあるんだ 》
目もくらむような下方の川に、ざっぽーん! と頭から飛びこみます。
「うっひゃあ!」
みんなはあわてて、あっちこっちに逃げました。龍が川から飛び出た時にも、水しぶきをまきちらされて、びしょぬれになってしまったからです。
けれど、逃げた時にはおそすぎました。
せいだいに飛びちった水しぶきが、みんなの頭に、どばどばどばーっ! と滝のように降りそそぎました。
《 あっ、ごめん、ごめん 》
川の中にもどった龍は、てれくさそうにあやまって、川の透明な流れのなかに、すい、としなやかにまぎれこみました。
気持ちよさそうに、すいすい泳ぎ、長いしっぽをくねくね、ゆるやかに振っています。
そうして、龍は、きらきら光る川の流れを、ゆるゆる、くだっていきました。
おしまい
〜 絵師の皿 〜
☆ 拍手する ☆
このお話は、ネット小説のランキング に参加しています。 .
気に入っていただけましたら、クリックで応援してくださいませ。
( 童話館【ぐるぐるの森】 TOP )
短編小説サイト 《 セカイのカタチ 》 / 童話館 《 ぐるぐるの森 》