☆ お正月 お遊び企画 ☆
〜 とある副長のお正月 〜
「──しかし、アレだな、ケネル」
むにょん……と伸びた雑煮の餅を食いちぎり、ファレスはもぐもぐ横を見た。「そろそろ、あっちに戻んねえとな」
ずずっと雑煮をそっくり返って啜ったケネルは、とん、と椀をコタツに置く。「いーんじゃないか? 焦ったところで、どうしょうもないし」
「そういう訳にもいかねえだろうが。第一、部隊の方はどうすんだよ」
「まあ、いなけりゃいないで、誰かがどうにかするんじゃないか? 首長も代理もいるんだし」
ごろりとコタツで横になり、あふ、とケネルは大あくび。隊長はもうダレダレである。
ファレスは眉をひそめて舌打ちした。「──そりゃ、そーだけどよ」
「まあ、年寄り一人で残して行くわけにもいかないしな」
暮れに三丁目児童公園でクリスマスをしていたケネル、ファレス、エレーンの三人は、寒くてにっちもさっちもいかなくなり、あの後、町外れにある「ばーちゃん」の家を訪ねていた。町で「持病の癪」が出、ケネルが送り届けたばーちゃんだ。
玄関で呼ぶも返事がないので、夜更けの引き戸をあけてみると、廊下でうずくまっていたばーちゃんを発見。驚いた三人はばーちゃんに駆け寄り、ふとんを敷いて看病した。ばーちゃんが言うには「風邪らしい」とのことだったが、未だにケホケホ伏せったまま。そうして三人はずるずると、ばーちゃんの家で年を越してしまった次第。
ファレスはコタツのみかんをとる。「でもよ。ここで世話になるったって、タダで飲み食いする訳にはいかねえしよ」
ファレスは妙に律儀なので、初日に入った「かるがもラーメン」でバイトして、三人分の食い扶持をまかなっている。
ケネルも日雇い仕事に出ようとはしたが、ケネルを頼るばーちゃんが心許なそうな顔をするので、外に出るのは断念した。そんなわけで隊長は目下、家事全般を担当している。なので毎日隊長は、ばーちゃんに味付けを教わって、飯の支度に精を出し、爪先で脛を掻きながら、とんとん菜っ葉を刻んでいる。もっとも、包丁を始めとする刃物さばきは、元より職人の域である。
ちなみに、紅一点のエレーンが何をしているか、といったらば、ばーちゃんの枕元にぴったり侍り、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、うふふ、きゃはは、とお喋りしている。ばーちゃんが疲れて就寝するまで。そして、ばーちゃんを喋り倒して退屈すると、いそいそ町へと出かけていく。服やら靴やら小物やら、るんるん見てまわるためである。
同じくばーちゃんが就寝すると、ケネルも家を出、探検にいく。まずは家の周囲をぐるぐる見まわり、足を伸ばして、町へ、裏山へと分け入っていく。隊長は、一日一度、周囲の状況を確認しないと、どうにも落ち着かないものらしい。
ちなみに家にいる時は、テレビの時代劇がお気に入り。だが、エレーンが居間に戻ってくると、たちまち韓流ドラマに変えられてしまうので要注意である。
すり寄ってきた猫の頭を、ケネルは軽くなでてやる。「だが、ここを出て、よそへ行こうにも、まだ具合が悪そうだし、年寄り一人じゃ心細いだろうし」
「てめえはいっそ、ばーちゃん家の子になっちまえ」
むう、とファレスはひがみ混じりでケネルを見る。こう見えて実はファレス、ばーちゃんのことが大好きである。
それというのも、ばーちゃんは、真夏の格好でやってきたファレスに、ぬくぬく温かい孫のセーターを貸してくれた。バイト先のハードな荒い物で手がふやけ、へとへとになって帰還した時にも、軟膏を出してきて塗ってくれた。これが実によく利いて、痒みがぴたりと収まった時には、瞠目して感動し、例によって例のごとくに、ばーちゃんの周囲をうろうろうろうろ、皆が寝静まった夜中にも、ばーちゃんの具合が気になって、それとなく様子を見に行ったりしていたのだが、世の中まったくうまくいかない。当のばーちゃんの方はといえば、暮れに町で助けてくれた、ケネルが大のお気に入り。
ばーちゃんは、町外れの家で一人暮らしだ。息子夫婦が事故で他界し、孫の太郎と暮らしていたが、その孫も十年前に都会へ出、それきり音信不通になってしまった。
からり、と障子の戸があいて、エレーンがひょっこり顔を出した。
「おばーちゃん、寝ちゃったー」
「じゃ、この間に行ってくるか」
三人はコタツから腰をあげた。
ガラリ、と玄関の引き戸を開けて、冬日うららかな道に出る。
裏山の長い石段をあがり、ひっそりと木々に包まれた、小さなお社の前に出た。
「ここだな」
ばーちゃんによれば、霊験あらたかなお社なのだそうな。
三人それぞれ小銭を入れて、賽銭箱の前で横並びになり、ばーちゃんに教わったとおり二礼二拍一礼し、各々つつがなく初詣を済ませる。
つらつら家に引きあげる道中、ケネルは裏山を振り向いた。「妙な風習だな。一体なんの意味があるんだ?」
「でも、おばーちゃんがやっとけって」
むに、と口を尖らせて、エレーンはケネルを振りかえる。「お願いしとくと良いことあるよって、おばーちゃん、あたしに言ったもん」
家へと続く一本道を、三人はぶらぶら、そぞろ歩く。高くて青い正月の空。
「いい天気だな」
うーん、とケネルが伸びをした。
てくてく真ん中を歩きつつ、くるり、とエレーンはファレスを見る。「ねーねー。これからどーするー?」
「──どーするったって、おめえよ」
ファレスは溜息まじりに舌打ちした。こっちが訊きたいくらいである。
ばーちゃんの家に帰りつき、ただいまあっ、とエレーンが玄関を入った。
腕の猫が「にゃあ」と鳴き、ケネルは猫の頭をなでてやる。「お前は、どんな願い事をしたんだ? ミケ」
三毛猫だから、名前は「ミケ」。毎度毎度のことながら、実にアバウトなネーミング。ミケはケネルが大好きで、片時もそばを離れない。
けっ、とファレスはそっぽを向いた。「猫に願掛けもクソもねえだろ。そもそも猫は喋れねえじゃねえかよ」
むっ、とミケが抗議するようにファレスを見た。そのかたわら、ん? とケネルが庭を見た。
見知らぬ男が、窓から家の中をうかがっている。かの調達屋を彷彿とさせる、いかにも怪しげなあの物腰──
「てめえっ! そこで何やってんだっ!」
ばっとファレスが、素晴らしい反射神経で踊りかかった。
「……たろう?」
紹介してくれたばーちゃんを、ぽかん、とファレスは振り向いた。
怪しい男を捕まえてみれば、孫の太郎とのことだった。家を飛び出し幾星霜。故郷に錦を飾れずに、帰るに帰れずにいたのだが、そこは正月でもあることなので、勇気を出して帰省した──とかような次第であるらしい。
一部始終を見物していた隊長ケネルが「ほう」と目を丸くした。
「まさか、本当に叶うとはな」
なんだよ、とファレスはいぶかしげに見、ああ、と思い出した顔で手を打った。「さっき行ったアレのことか。裏の山を登った社の。で、どんな願い事をしたんだよ」
だから、とケネルは、ばーちゃんと太郎に指をさす。
「孫が早く戻るようにって」
ちっ、とファレスは顔をしかめて舌打ちした。
「そんなつまんねえことを、わざわざ願掛けする奴がいるかよ。孫だってんなら、いつかは戻るに決まってんじゃねえかよ。──なら、あんぽんたん。お前はなんて願掛けした?」
「……あたしぃ?」とエレーンが振り向いた。
「決まってんでしょー? ずうぅっと、ずうぅっと、きれいな服が着られますように、ってよ」
「ふく、だァ?」
あんぐりファレスは絶句した。
ひくひく頬をひきつらせ、ふるふる拳を震わせる。
「たく! 揃いも揃っててめえらはっ! なんでそう、ろくでもねえことばっか頼むんだよ! あのど派手なジジイの時にも、そうだったじゃねえかよっ! もっとこう、せっぱ詰まってんだろ! こういう場合、早く戻れますように、ってのが基本だろ!」
なによぉー、とエレーンがむくれて見た。
「だったら、あんたはなんなのよー」
むぅ、とファレスは口をつぐんだ。ぷい、とそそくさ目をそらす。
「……い―じゃねえかよ、俺のは別に」
実は、この二人の願掛けが、てっきり「帰還」だろうと踏んでいたので、こっそり別の願い事をしていたんである。だって、同じ願い事が三つも出揃っても仕方がないから。だから、ファレスはこう願った。
── 一生、食いっぱぐれることのねえようにっ! ぱんぱんっ!
げんなりファレスは頭をかかえた。「たく。願掛けしときゃ、今ごろ戻ってたかも知んねえのによ」
なにせ、霊験あらたかなお社である。
お社のある裏山を、今更ながら、そわそわ見やる。「……もういっぺん行って、やり直してくっかな」
「えー? やっぱ、こういうのは、やり直しとかって無理じゃない? あの赤い服のおじいちゃんも、なんか、そんなこと言ってたしー」
エレーンが至極真っ当な指摘をし「これから、どーする?」とケネルを見た。
うーん、とケネルは首をかしげる。
「もう、ここには、いられないな。こうして身内も戻ったことだし」
苦々しげに、ファレスは舌打ち。「だったら、どこに行くってんだよ。あてもねえのに、このクソ寒みぃ最中によ」
三人は途方に暮れて立ち尽くす。
クリスマスが去り、正月が去り、帰還できる望みのあった全ての機会をフイにして──にゃあ、と猫がケネルを見あげ、注意を引くように引っかいた。
「どうした? ミケ」
見おろしたケネルの腕を抜け、すとん、と猫は降り立った。
しばらく、じっ、と顔を見あげて、くるりと反転、駆けていく。
あっという間に、道の先に消えた。
「じゃあ、俺たちはこれで」
笑顔で孫に伴われた、どてら姿のばーちゃんに、ケネルは玄関先で挨拶した。
エレーンもにんまり笑いかける。「おばーちゃん、元気でね〜。また遊びにくるからね〜」
既に、遊びにくる気満々である。
一番先に外に出たファレスも、ちろ、と肩越しに一瞥した。「──おう。色々と世話になったな」
セーターと上着が借り物だったことを思い出し、内心密かに警戒したが、返却を迫られることはついぞなく、ほっと胸をなで下ろす。(これで、この服は俺のもの……)と内心しめしめと踏み出して──
「ああ、ちょっと、お待ち。ふぁれす」
ばーちゃんがよたよた歩み出た。
ぎくりと肩を引いたファレスの手を、にっこり笑って両手でとる。
「さ、これを持っておいき」
渡されたのは小さなお守り。白地に金文字で「健康長寿」と書いてある。
「ご苦労さん。あんたは、よう頑張ったもんねえ」
「……ばっ、ばっ、ばーちゃん……」
うる、とファレスは、涙目になって、ばーちゃんを見た。
たとえ風邪で寝込んではいても、見るべきところは、きちんと見ていたものらしい。
しわくちゃな手をしっかと握り、ファレスはぶんぶん振りまわす。「ばーちゃんっ! ばーちゃんっ! 達者で暮らせよっ?」
名残りは尽きぬが「それじゃあ、これで」と踵を返した。
町へと続く青空の下の一本道を、三人はおもむろに歩き出す。だが、それから五歩も行かない内に、ファレスがぴたりと足を止めた。
玄関で見送るばーちゃんを、ぐるりと涙目で振りかえる。
「ばーちゃんっ! 今、思ったんだけどよっ!」
転げそうになりながら、ばーちゃんの元に駆け戻る。
「おれっ、おれっ、ばーちゃん家の子になってやっても──っ!」
どろん、と煙が、三人を包んで立ちこめた。
(さて。これからどうしよう。困ったな……)と空を見上げる隊長ケネルと、道端のスズメにしゃがみ込んだエレーン、そして、ばーちゃんににじり寄る涙目ファレスが、一瞬の内に掻き消える。
白煙に包まれた三人は知らない。
ケネルの腕から飛び出したミケが、裏山の石段を駆け上がっていったことを。
そして、お稲荷さんのお社を見あげ、にゃあ、と一声鳴いたことを。
そう、それは、三毛猫ミケの今年の願掛け。
── 隊長のお願い、叶えてあげて。
玄関を閉める音が、ガラガラとした。
孫と語らう楽しげな声が、霧の彼方へ遠ざかる。
広くひらけた畑を縫って、一本道が伸びている。三人が消えた道の上には、雲ひとつない正月の空が、どこまでも青く広がっていた。
おしまい。
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