■ CROSS ROAD ディール急襲 第1部 2章3話4
( 前頁 / TOP / 次頁 )
領邸三階の人けない廊下を、ケネルは苛立ちに任せて駆けていた。
部屋を出たまま戻らない。
彼女に謀られたと気がついて、すぐに廊下へ飛び出した。だが、公邸館内は殊のほか広く、居並ぶ扉を前にして、彼女の居所を特定できない。
甲高い悲鳴が、どこかで聞こえた。
続いて、半狂乱のわめき声──。
階段を駆けおり、開いたままの扉に飛びこむ。
「──無事か!」
夜目にも白く、カーテンの裾がゆれていた。
テラスが開け放たれている。
夜の闇に沈んでいたのは、二階の広間の一室だった。
壁の暗がりに、高価な絵画。右手に、怯えた男児の顔。クレスト公の愛妾が、必死で何かに取りついている。
へたりこんだ膝の先、血だまりの中に、何かある。あれは──
ケネルは目をみはり、地を蹴った。
泣きじゃくるばかりの妾を押しのけ、蒼白な顔を抱きおこす。
「──あんた、なんて馬鹿な真似を!」
捜していた当人だった。
ぐったり仰向いたその顔は、クレスト公の正夫人。まさしく監視対象、当人だ。
舌打ち、視線をめぐらせる。
賊の姿は、既にない。邸の護衛の姿もない。布地が血液をふんだんに吸いこみ、絨毯が黒く変色している。
それに遅れること数分後、あわただしい足音が聞こえてきた。
大人数が走る音。警戒をまとう怒鳴り声──
「お、奥方さまっ!」
開け放った扉から、どやどや一団が雪崩れこみ、だが、踏み込んだ足を押し止めた。
「こ、これは、一体……」
領邸の護衛の一団だ。戸口で溜まり、愕然と室内を見まわしている。
驚くのも無理はなかった。見るも無残な惨状だ。壁際でうずくまった妾と子供が、怯えきって泣いている。絨毯には大きな血だまり。そこに横たわる女主──。
一団の先頭に突っ立った護衛が、いぶかしげに目を向けた。
彼女をかかえてしゃがみこむ、男に不審を抱いたらしい。
「奥方の怪我は、俺がみる。あんたらは母子の保護を頼む。それと、医者を呼んでくれ」
ケネルは振り向いた肩越しに、扉の向こうを目で示す。
護衛の一団は動かない。未だ呆然と突っ立っている。
「何をしている! 早くしろ!」
一喝されて、我に返った。
泣きじゃくる母子にわらわら駆けより、幾重にも周囲をとり囲む。先頭の上役がようやく指示し、一人が手近な扉に走る。
にわかに広間は騒然とした。
夜の館内に怒号が飛び交う。扉という扉は開け放たれ、警戒態勢が即時敷かれた。大勢の入り乱れた足音が、血塗られた部屋に交錯する。虫の息の彼女をかかえ、医師の到着をケネルは待つ。
「……ケネ、ル?」
じっと扉に据えた目を、ケネルは膝の彼女に戻した。
彼女がうっすら目を開けていた。ぼんやりとした蒼白な顔に、安心させるべく、うなずいてやる。
「大丈夫だ。死にはしない」
気休めだった。
それ以外の何者でもない。
戦慣れしたケネルには、わかった。この多量の出血では──これではもう、夜は越せまい。
彼女がじれったそうに首を振った。「あ、あの娘、たちは……」
「あの子たち?」
彼女は胸を上下させ、荒く息をついている。それでもぎこちなく首を動かし、もどかしげに視線をめぐらせている。誰かを捜しているらしい。伸びあがって首を伸ばし、血の気が失せた頬を震わせた。「……サビーネ……クリー……」
「無事だ。護衛が保護している」
ほっと、彼女が息をついた。
腕にぐったり、重みがかかる。
「……そ……よかった、無事で……サビーネ、よかった……」
「喋るな、傷に障る」
うわ言のように、彼女が名を呼ぶ。
手が伸び、シャツを弱々しく引っ張る。「ケネル……ね、ケネル……」
「すぐに医者がくる。もう少しだけ辛抱しろ」
その姿が現れるであろう、扉の向こうを苛立って見やる。
腕に、彼女がすがりついた。
目を据え、必死で見あげている。蒼白な唇をわななかせ。
「あの娘たちはダドリーの──ダドリーの大事な家族なの。だからケネル、サビーネには、──」
ケネルは面くらって口をつぐんだ。
起きあがろうとする頭をなだめ、封じ込めるように力をこめる。
「わかった。二度と手出しはしない」
その確約を取りつけると、彼女は微笑み、目を閉じた。
オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》