■ CROSS ROAD ディール急襲 第1部 3章1話6
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つかみ合い寸前の騒乱が、ぴくり、と波打ち、動きを止めた。
いやに張りのある男の声。
出所を捜して、一同、視線を巡らせる。
怪訝そうなざわめきの中、硬い靴音がコツコツ響いた。板張りの床を歩く音。──櫓の上だと気がついて、エレーンはあわてて振りかえる。
しゃがみこんだ板床に、影が長く伸びていた。それは無造作な足どりで、舞台の端まで歩みより、日ざしを遮り、横に立つ。
ぽかん、とエレーンは相手を仰いだ。
「……ローイ?」
天幕群で先日会った、族長代理その人ではないか。
相も変わらず、原色のふざけた恰好だ。すばやいウインクで肩を叩いて、ローイは群集に目を向ける。
ドン──と厚い靴底を鳴らして、演台の端に踏みこんだ。
「お前ら、よく聞けえ!」
凛とした美声が響きわたった。絹シャツの腕を膝に置き、ずいと肩を乗り出している。
「──族長代理?」
一目でわかる異様を認めて 遊民の側がざわめいた。
ローイは細い柳眉を吊りあげ、ひしめく面々を睥睨する。
「何をごちゃごちゃ揉めてんだ! この街の皆さん方には、日頃からお世話になってんだ。仲よくしなけりゃ駄目だろうが!」
「だがよ、代理。こいつらが先に──」
「いいから! ほら、散った! 散った!」
パンパン手を打ち、有無を言わさず散会を促す。
「さっさと行って、持ち場につけよ。──ああ、お前ら、見回りはどうした。兵隊が紛れこんだら、どうすんだ!」
壇上のローイを、彼らは憮然と睨んでいる。憤懣やるかたない顔つきだ。左手の住民を睨みつけ、憎々しげに唾を吐き捨く。
不承不承、踵をかえした。
かったるそうに肩を揺すって、ぞろぞろ持ち場に引き揚げていく。
住民の側の緊張も解けた。
人波が徐々に身じろいで、こちらもやれやれと引き揚げていく。
すがめた目で収拾を見届け、ローイが肩をすくめて踵をかえした。
「た、助かったわ、ローイ!」
エレーンはわたわた駆けよった。笑顔でローイを振り仰ぐ。
「あたし、もー、どうしていいか──あ、でも、たった一言で収めるなんて、もーさっすが族長ねっ!」
ぎこちない笑みで、ローイは片頬引きつらせた。
「……代理だけどな」
息巻いていた群衆が、渋々散会し始めていた。これ以上、事を荒立てるつもりはないようだ。
「んじゃ。おつかれー」
ぽん、と軽く肩を叩いて、ローイがはしごに踵を返した。こきこき首を振りながら、かったるそうに戻っていく。一時はどうなることかと危ぶんだが、ともあれ、これで一件落着。ほっ、とエレーンも力を抜く。
「たく。誰が養ってると思っているんだ」
引き始めた人波に、ぽつり、と声が取り残された。
ほんの小さなぼやきだった。
だが、その何気ないあてつけは、埋(うず)み火をくすぶらせた一同の間に、思わぬほどによく響いた。
衣装の足が、ピクリと止まった。
だらだら引き返しかけていた一団が、胡乱に市民を振りかえる。
「なんか言ったかあ? あーこらァ!」
「今言った奴、出てこいや! 陰口たたいていねえでよ」
たちまち、声を張りあげる。ローイがあわてて振り向いた。「お、おい! 待てよ、お前ら──」
「誰が養ってくれてるって? あァ?」
「妙な言いがかりは、よして欲しいもんだな!」
「よせって! 相手になるな!──おい!」
立ち去りかけた演壇の縁まで、ローイはあわてて駆け戻る。だが、彼らはもう見ていない。その視線はことごとく、普段着の一団をねめつけている。
収まりかけた諍いの火種が、一気に大きくぶり返した。
遊民勢と住民勢、双方真っ向から睨みあう。
恨みと鬱憤が渦を巻き、罵りあいが過熱する。押し合いへし合いの騒動のただ中、声が喧騒を貫いた。
「こんなに良くしてやっているのに、なぜ、お前らにはわからない!」
住民の放った一声だった。
遊民たちが、ひるんだように口をつぐむ。住民勢の援護が続く。
「そうだ! お前らみたいな根無し草を、誰が面倒みてると思っているんだ!」
「お前らを養うために、どれだけ苦労しているか。なのに、当のお前らときたら、いけしゃあしゃあと遊び暮らして。俺たちのありがたい親心を、まったくてんで分かっちゃいない──」
「おい、今、なんつった」
押し殺した冷ややかな声が、市民の非難をさえぎった。
鋭くエレーンは息を飲む。今の声は、隣の
ローイだ。
先と同じ体勢で、ローイが眼下を見下ろしていた。
絹シャツの腕を膝に置き、ずいと肩を乗り出して──だが、柳眉をひそめた横顔は、先の顔つきとは明らかに違う。唾を吐き捨て、細いまなじり吊りあげた。
「なにが親心だ。ふざけんじゃねえ!」
「──ちょ、ちょっとローイ」
エレーンはあわてた。今まで何を言われても、ローイは平然となだめていたのに、何が忌諱に触れたというのか。なんとかなだめるべく、腕に取りつく。
だが、時すでに遅かった。
「おい! そこの奴!」
ローイが手を振り払った。先の市民を真顔で睨む。
「澄ました顔で忘れた振りなんかしてんじゃねえぞ。黙って聞いてりゃ、言いたい放題言いやがって。話を都合よくすり替えるな。そっちがアレを忘れても、俺らは忘れやしねえからな」
「……な、なんの話だ」
「あんたらが街から追い出したんだろうが!──よう、そこのおっさんよう。だったら訊くが、俺らが街からおん出された、そもそもの原因はなんだってんだよ」
「──そ、それは」
視線で指された住民が、うろたえた顔で口ごもった。
こそこそ隣と目配せする。気まずそうな顔つきだ。ローイは憎々しげに睨み据える。
「あんたらが起こした暴挙のお陰で、仲間が何人死んだと思う。追い出された旅先で、どれだけ女子供が死んだと思う! なあ、教えてくれよ、おっさんよォ。真冬の寒風に耐え、灼熱の夏を往き、降り出した雨に走り、物盗りを恐れ、森の獣に怯え、それでも一つ所に落ち着くことさえ許されない! こんな惨めな暮らしを強いられてんのは、一体誰のせいだってんだよ」
しん、と街路が静まり返った。
名指しされた普段着の男も、ローイの仲間の遊民たちも、誰も口を開かない。今や、この場にいる全員が、完全に気を呑まれている。
朗々と響くローイの声が、重苦しい沈黙に染み入った。
「どこにも居場所はなかったよ。どこへ行っても余所者で、どれだけたっても厄介者だ。根無し草だァ? 笑わせるな。誰が好き好んで漂流暮らしなんかするもんか。──なあ、おっさん、教えてくれよ。あんたら真っ当な市民さまは、遊び暮らすと俺らに言うが、土地を持たない俺たちに、歌う以外に道はあったか? 踊る以外に術はあったか? 見た目がちょっとばかり違うってだけで、雨露をしのぐ家もなく、身を寄せる土地もなく──ああ、そうさ。だから、日々食うに困りゃあ、旅人だって襲ったさ。食いもんなしじゃ、人は生きちゃいけねえんだよ」
住民たちがばつ悪そうに目をそらした。ローイは静かに問いかける。
「俺らを受け入れたことが、今まであったか? あんたらと同じ"人"として、扱ったことが一度としてあったか? そうだ、俺らはいつだって、混血児と蔑まれ、根無し草と笑われた」
決して目を合わせない人々の顔を見わたして、ローイはやるせなく口端で微笑う。
「使っていない荒地の果ての、ほんの片隅で構わなかったんだ。それで、みんな救われた。なぜ、街で暮らすあんたらは、自分の余った持ち物を、ほんのわずかな土地さえも、他人に分け与えてやることができない」
鋭く一同をねめつけた。
「力を貸して欲しいだと? 笑わせるなよ、さんざん邪険にしたくせに!」
語尾が震え、ふつり、と途切れた。無言でかたく拳を握り、ローイは奥歯を噛みしめている。
一転、ぶっきらぼうに顔をあげた。
「あーやめだやめだ! こんなくだらねえ猿芝居!」
唾を吐き捨て、踵をかえし、櫓のはしごを降りていく。
ふっ、と呪縛が掻き消えた。
はっとエレーンは我に返り、櫓のはしごを振りかえる。「ロ、ローイ、どうしたの、どこ行くの──」
「どだい無理だったんだ。こんな奴らと仲良くやろうなんてのはよ」
地上まで数段を残して、ローイは無造作に飛び降りた。
舞台衣装の仲間の元へと、かったるそうに歩いていく。肩越しに、壇上に目を向けた。
「あんたにゃ悪いが、降ろさせてもらう。後は好きにやったらいいさ。軍に抵抗して玉砕するも良し。大人しく降伏して捕虜になるも良し。ああ、ああ、どうぞ、お好きに。どうとでも!」
「ロ、ローイ……」
エレーンは目をみはって身を乗り出す。ローイは冷ややかに目をすがめた。
「あんたも、これでわかったろ。どうせ俺らは遊民なんだよ。あんたが言うから協力しようと思ったが、それでもやっぱりこの様だ。さっきのおっさんの言う通り、俺らはしょせん根無し草だ。いつになっても、どこまでいっても、遊民はしょせん、遊民なんだよ!」
「──それが、なんだって言うの」
ローイが剣呑に目をすがめた。
エレーンはゆっくり息を吐き、真っ向から目を据える。
「だったら、それがなんだって言うの。人の存在に貴賎なんかない」
引き揚げかけた遊民たちに、必死で視線を巡らせた。
「お願い、みんな、力を貸して! みんなの力が必要なの!」
「……ふ、ふん。メイドあがりが」
皮肉な嘲りが、どこかであがった。
群衆の左手──住民の一人だ。口端をゆがめて笑っている。
「偉そうに。元はといえば、全部あんたのせいじゃないか。勝手な真似をしておいて、今度は説教する気かい。まったく、あんたは何様だ。どこまで図々しいんだか──」
「黙っててっ!」
男が飛びあがって、口をつぐんだ。
顔をしかめた住民たちを、エレーンは端から睨めつける。
「遊民がなに? 市民がなに? 家が街にあるだけで、それがそんなに偉いわけ? この人達とどこが違うの? どこも違いはしないでしょう? どうして仲良くできないの。どこがあんたに劣るっていうの。この人達は仲間でしょ。現にこうして駆けつけてくれた!」
「──だが」
住民たちは困惑顔を見合わせる。
「あんた達こそ何様よ。人の存在に貴賎なんかない! あるのは気持ちの持ちようだけよ! その人の価値っていうのは、そんなところにあるんじゃない!」
「──な、何を言っているんだか、小娘風情がわかった風に」
一人が憮然と身じろいだ。「えらそうに御託をたれるんじゃないよ。どうせ、この場限りのきれい事──」
「最後まで話を聞きなさい! どこの子供よ!」
鋭くエレーンは睨めつけた。
「前に、ダドリーが言ってたの。この街に、みんなに戻ってもらうって。一緒に街を創れたら、どんなに素晴らしいことだろうって」
怪訝そうに聞いているローイたちを振りかえる。
「だからお願い、力を貸して! みんなで街を守りましょう。これはダドリーの、ここの領主の意向でもあるのよ!」
「──奥様っ!」
エレーンは息を呑んで、顔をしかめた。
右の肩に、強烈な打撃。突然、誰かに突き飛ばされたらしい。
板床に手をつき、首を振って、身を起こす。
板張りの舞台の床に、小柄な黒服が転がっていた。あれは、世話係の老執事?
うずき出した背中を涙目で押さえて、エレーンは憮然と目を向けた。「……もー。なにすんのよ爺(じい)。これから、まとめに入ろうって時にぃ〜。ひとがせっかくいい感じで──」
はっ、として口をつぐんだ。老執事は言い返しもせず、横向きになって転がったままだ。執事の様子が、何か
おかしい。
「……爺?」
四つんばいでそろそろ近寄り、うつぶせた顔を怪訝に覗く。
禿頭をうつむけたその顔が、固く歯を食いしばっていた。手は腕を握っている。
ぎょっとエレーンは息を呑んだ。
「爺っ! しっかりっ! しっかりしてっ!」
板張りの床に滑りこみ、小柄な執事を抱き起こす。
腕に、矢が突き立っている。
ローイが南を振りかえり、忌々しげに舌打ちした。
「──きやがったな。敵襲か」
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