■ CROSS ROAD ディール急襲 第1部 3章2話1 〜 戦場の奇跡 〜
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街から戻った伝令が、肩越しに視線を走らせた。
「南を突破されました。街に侵入した模様です」
指示を仰がれ、ケネルは苦虫噛みしめる。「──バクーの仕掛けを見破ったか」
伝令がもたらした報告は、「バクーの仕掛け」を看破され、街の南壁、対獣用の防壁が突破されたことを意味している。
この街は「南」と「東」が「外」と境を接するため、「街の南側」と「街道の東西の森」に、この猛獣バクーを配して、敵の侵入を阻んでいた。
また、「街道の東西」をふさぐことで、敵の進入路を街道一本に絞り込むことができ、「街道の道幅」が「前線で対峙する兵の数の上限」となる。数十倍もの大軍と、渡り合うための苦肉の策だ。
だが、この「仕掛け」が機能せねば、勢力差をまともに被り、危地に立たされること必定だ。自軍は高々数十の小勢──。
戦況は思わしくない。
「──満更、間抜けぞろいでもなさそうだな」
ケネルは苦々しく伝令に尋ねる。「街道沿いは」
街の東の側面には、対獣用の防壁さえない。
伝令は汗をぬぐって、東を見やった。「東に敵は見当たりません」
「──どういうことだ」
ケネルは怪訝に見返した。
「南の仕掛けを見破ったなら、何故、東の森には侵入しない」
南も東も仕掛けは同じ。むしろ、突破された「南壁」は、侵入可能な範囲が狭く、一度に多数の越境はできない。ならば、「東の樹海」を突っきって、防壁のない「東側」から攻め込む方が、敵としてはよほど有利だ。
部下が街道を行き来する中、たくましい蓬髪の男アドルファスが、得物で肩を叩きつつ、ぶらぶらと歩み寄った。
前線のある街道の先を、無精ひげの顎でさす。「どうする。こっちは手一杯だぜ」
「援護をやる余裕はない。自力でなんとか乗り越えさせろ」
控えた伝令にケネルは言い、一同に視線を巡らせる。
「ここは手早く決着をつけるぞ。将の首を狙え」
「だあが!」
アドルファスのだみ声が遮った。
ちろ、と横目で一瞥をくれる。
「殺っちまったら、あの娘(こ)が泣くぜ?」
「……生け捕りにしろ」
げんなり、ケネルは額をつかんだ。
そうする間にも、別の部下が駆け寄る。
「隊長! 副長の姿が見えません!」
「──又か」
ケネルは大きく息をついた。「たく。こんな時に、一体どこへ」
「どうせ、女の所だろ」
かか、とアドルファスは豪快に笑う。
(たく! どいつもこいつも!)と首を振る、内憂外患のケネルを見やった。
「そうカリカリしなさんなって。大丈夫だよ。こっちに間に合うようには戻ってくるさ」
【 侵 攻 】
ファレスは憮然と闊歩していた。
片手でつかんで引っ立てているのは、今にも泣き出しそうな、あのサビーネ。
又も避難した領邸を抜け出し、街の中をふらついていたのだ。もう、開戦も近いというのに。
時折、引きずられるサビーネが、消え入りそうな小さな声で、苦情や問いを訴えるが、ファレスは無視して取り合わない。この世間知らずの令閨(れいけい)は、前にも勝手に別宅に戻り、草木に水をやっていた。あの時も、どれだけ捜しまわったことか。
薄茶にくすんだ古びた街角に人影はなかった。避難はあらかた完了し、居残る者がいるとすれば、怪我人の搬送に備えて医師が詰めているくらいのものだろう。
歩幅の狭いサビーネがともすれば転びそうになっていたが、ファレスは一切構わなかった。無下に腕を引っ張られ、サビーネがおどおど顔をあげる。「でも、ファレス。わたくしはまだ──」
「おい、門番! 出歩いていたぞ!」
雑談をしていた公邸北門の門衛たちに、ファレスはサビーネを投げつけた。慌ててそれを受け止めて唖然と見返す門衛に、有無を言わせず、ぞんざいに命じる。
「抜け出さねえよう、しっかり見張れよ!」
何事か言いたげにサビーネが見ていたようだったが、ファレスは無視して踵を返した。
その頃、貴族街正門前では、侵入部隊の指揮官が逃げ戻った部下を叱咤していた。
「何をぐずぐずしてるんだ!」
攻めあぐねた部下の一人が、困った顔で報告した。
「貴族街に入れません。旅装の遊民が門前にいて、そいつの強さが半端じゃなくて──」
「遊民だァ?」
軍服の太鼓腹を反らして、指揮官は憮然と鼻を鳴らす。「そんなものは、さっさと蹴散らせ。早くせんと、雑魚どもが集まる。応援が要るなら幾らでもやる。言ってみろ。一体何人に手こずっているんだ!」
「そ、それが……」
ちら、と兵らは目配せした。肘を突かれたその内の一人が、上目遣いで頭を掻く。「ひ、一人です」
「……ひとり?」
「はい。ことごとく返り討ちにあってしまい、どうにも突破できません。今ではみんな怯んじまってる有り様で──」
わっ、と喚声が沸き起こった。
街壁から降り立った兵たちが、左の大通りを警戒している。
住民が押し寄せてきたらしい。身構えた兵の様子を見やって、指揮官は忌々しげに舌打ちした。
「何をしている、応戦しろ! 貴族街は後回しだ!」
「──はっ!」
伝令が機敏に踵を返した。上官の命令を伝えるべく、貴族街にすぐさま走る。
貴族街の攻略に躍起になっていた先行部隊が、手を止め、慌しく引き返した。指揮官の前をバラバラ通過し、後続の援護に駆けていく。
更にその頃、街に居残った住民と、強制参加の遊民は、得物を振りあげ、敵兵の侵入した南壁を目がけて殺到していた。
鮮やかな舞台衣装の一団と、まなじり決した商店主とが入り混じり、怒号を張りあげ、押しあいへし合い、だが、足の速い遊民たちが、すぐに店主たちに先んじた。衣装の薄絹をひるがえし、南壁を背にした軍服の前で急停止、得物を構えて並び立つ。
「俺らを敵に回すとはいい度胸だなァ! ええ? おい! ディールの腰抜け!」
大声で罵られ、青軍服の一団は面食らった顔で見返した。その方々から失笑が漏れる。
「──なんだい、ありゃ。やる気あんのかよ」
「ちんどん屋みたいな成りしやがって」
まなじり吊りあげた遊民たちは「……む?」といぶかしげに停止した。眉根を寄せて、我と我が身を思わず点検。向かいの苦笑に浮かんでいるのは、揶揄というより哀れみか?
興行用の装束は、確かに場違いもはなはだしかった。華々しい舞台では見栄えもしようが、こうしたシリアスな用途には向かない。むしろ絹シャツのぴらぴらは、今この場では道化のそれ。ちなみに、商店主たちの普段着も地味かつ実用一点張りで、住民・遊民混成軍は即席の感が否めない。
そろいの軍服の兵士たちは、手に手に武器をもてあそび、見るからにやる気満々な様子。なにせ此度の北カレリア出征は、戦のないカレリア国では、年功序列の打破が可能な、稀少な昇進の機会なのだ。
青軍服の国軍が、自負と矜持、忠義心を携え、泰然と立ちはだかっていた。
住民・遊民混成軍の前方を占める遊民勢も、臆すでもなければ怯むでもなく、向かいをねめつけ、一歩も引かない。だが、家族を案じる店主たちは、とげとげしく睨みあう対面の対決など、どうでもよかった。
後れをとった店主たちがようやく遊民に追いついて、その背後に殺到した。躍起になった初老の男が、前の人壁を押しのけようと、真っ赤な髪をした遊民の、衣装の肩に手をかける。
たたらを踏んで転がった。
「──出てくんじゃねえよ」
肩をゆすった赤髪が、眉をひそめて舌打ちした。ひょろりと背の高い、若い男だ。
尻餅ついた初老の男は、顔をしかめて肘をさすり、憮然と赤髪をねめつける。赤髪は振り向けかけた肩越しに、初老の男を一瞥した。
「引っ込んでろよ、おっさん」
「──な、何を!」
赤髪の遊民の無体な仕打ちに、店主たちは気色ばんだ。まなじり吊りあげ、赤髪に詰め寄る。
制すように、赤髪が続けた。
「危ねえから」
店主たちは文句を飲んだ。当惑顔で、赤髪を見る。
「しょうがねえなあ、守ってやるよ」
得物で肩を叩きつつ、赤髪は不貞腐ったように横を向いた。だが、声には隠しようもない照れた色。今のやり取りは、前衛の耳にも入ったろうに、仲間のどこからも異論はない。
店主たちは困惑し、呆然と顔を見合わせた。尻餅ついた初老の男が、のろのろ地面から立ちあがる。「だ、だが、向こうにいるのは、うちの家内と息子たちで──」
「あんたら、邪魔だから、どっか行け。そんなへっぴり腰じゃあ怪我するぜ。心配すんな。あんたの家族は俺っちが守ってやっからよ」
そっぽを向いて請け負いながら、赤髪はひらひら気楽に手を振る。隣の遊民が舌打ちで振り向き、手近の街角を顎でさした。
「ほら、あそこの路地にでも入っときな。運がよけりゃ逃げられら」
「だ、だが、家族がまだ貴族街に──」
「たく! ほんと、しょうがねえじじいどもだな。だったら、後ろにどいてろや。あんたらの盾になってやる」
「し、しかし──しかし、それでは君たちが──」
店主たちはおろおろ顔を見合わせた。危険な現場に彼らを置いて、自分たちだけ立ち去りがたい。
「だ〜い丈夫だって! 心配ねえよ」
一際張りのある大声が、戸惑いの喧騒を貫いた。
「あんなもんにやられるほど、俺らは柔な腰抜けじゃねえぞ」
それは派手な舞台衣装の男だった。
遊民たちの人垣を、ぞんざいに掻き分け、やってくる。長い茶髪を一つにくくった、ひょろりと背の高い整った顔立ち、全身原色のど派手な身形。遊民勢の殿(しんがり)を抜け、開けた地面に踏み出して、男はやれやれと手をはたく。
店主たちは呆気にとられて男を見た。つい今しがたまで敵対していた座長ではないか。
衣装の薄絹の肩をゆらして、ローイは店主たちを振り向いた。
「あんたらも知ってんだろ、この俺らの実力は。こちとら素人衆とは鍛え方が違うんだ。大丈夫。あんたらの家族には指一本触らせねえよ」
住民一同に不敵にウインク、振りかぶって軍服に呼ばわる。
「おい! ディールの腰抜け野郎! 俺らを誰だと思っていやがる! いいか、ゆめ見くびんなよ。てめえらに負けるような間抜けじゃないぜ!」
群れ広がった遊民勢が、得物を突き上げ、気勢をあげた。
「さあて、こっからがショータイムだ」
並みいる軍服を値踏みするように見渡して、ローイは得物で肩を叩いた。
「さあ、どっからでも、かかってこいや。俺らを敵に回したことを、一生後悔させてやるぜ!」
真夏の太陽が照りつけていた。
塀を越えくる軍兵は、徐々に数を増している。街の南端、外壁前で、両者は真っ向からぶつかった。
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