CROSS ROAD ディール急襲 第1部 3章2話4
( 前頁 / TOP / 次頁 )


 
 
 エレーンは飛びあがって振りかえる。いや、その前に、すっぽり背後から抱えこまれた。
 顎の下に腕をまわされ、右の肩をつかまれていた。頭上にかぶさる長い髪が、凍りついた鼻先をくすぐる。脇から伸びた節くれ立った手が、握りしめたままの右手をつかむ。
 肩を揺らして振りほどき、エレーンはあわてて振り向いた。
「あ、あなたは……」
 呆気にとられて口を開け、予期せぬ相手をまじまじ見返す。
 つややかなウェーブの背までの髪、端正な顔にしなやかな長身。そして、相も変わらぬ高価そうな服。そう、この美麗な青年は──
「デジデリオさん?」
 いや待て。なんだって統領代理が、突然ここに出没するのだ?
 大勢の護衛に守られて、石壁の建物の奥深く押し隠されていた人が。
 供は連れていなかった、彼一人だ。さっきの妙なチョビひげといい、この場違いな彼といい、今日はなんだか奇妙な日だ。
 統領代理デジデリオは目を細めてエレーンを見下ろし、魅惑的な笑みを浮かべた。
「大した度胸だな、奥方様。こんな場所にのこのこ一人で出てくるなんて」
「──あ、あなただって」
 むっと顔を強ばらせ、エレーンは口を尖らせて言い返す。
 珍しいものでも見るように、デジデリオはまじまじ顔を見た。「わかっているか? 下手したらあんた、流れ矢に当たって、おっ死ぬぜ」
「なに。連れ戻しにきたってわけ? 無駄よ。あたし、絶〜っ対ここから降りないんだから!」
 つん、とエレーンは横を向く。デジデリオは小さく笑った。
「──実は、いいものを持っている」
 どこかなげやりに肩をすくめる。
「なんでも叶う夢の石。その想いが強いほど、発揮される効果は大きい」
 あんぐりエレーンは口を開けた。
 今の惨敗を見ていたくせに、なんて嫌味な男なのだ。口を尖らせ、ねめつけた。
「からかいに来たわけ? 質悪いわね」
「そう言うなよ。あんたの手助けに来たんだからさ」
「──手助け、に?」
 エレーンは面食らって見返した。石を握った右の手を、デジデリオはすくい上げるようにしてとりあげる。
「ほら、もう一度」
 壇の眼下に向けて顎をしゃくった。
「だから、やるんだろ、はったり。一緒に笑い者になってやる」
「……笑い者って、あんたね」
 エレーンは拳固を震わせる。言うに事欠き、なんたる暴言!
 構わず、デジデリオは空をさした。
「ちょっと見てみな。雨雲がそこまできている」
「だからなに」
「どうにかなるかも知れないぜ。あんたの頑張りを神様が認めて、ご褒美を下さるかも知れないし」
「……はあ?」
 エレーンは胡散臭げに男を見た。
 さし示された西の空を見てみると、確かに、立て込んだ街並みの地平の上に、くっきりした輪郭の雲が、純白に輝いて浮いている。巨大で立体的な入道雲だ。上空は風が強いらしく、それは急速に空を移動している。
 入道雲は突風を呼び、時に激しい雷雨を呼ぶ。そう、確かに、これならば、いつ雷が落ちてもおかしくはない状況だ。いや、確かにおかしくはないけれど、彼が勧める本企画には、致命的な欠陥がある。
 ――そんなに都合よくいくものか?
 雲の流れは速かった。それを眺めて、デジデリオは風に吹かれている。目を細めた堀の深い横顔、長くつややかなその髪が、ゆるく風になびいている。ただそれだけのことなのに、何をしても絵になる男だ。そうして静かに眺めていると、あたかもこの彼こそが、雲を呼んだように錯覚してしまいそうになる。
 神々しいほどの美麗な姿が、緑豊かな北カレリアの風景に溶けこんでいた。ほけっと不覚にも見とれていると、彼が空から目を戻し、端整な顔でにっこり笑った。
「さ、一か八かだ。奥方様」
 さては、統領代理ノリノリか?
 エレーンはたじろいで見返した。思わぬものが釣れてしまった……。
 デジデリオが瞳を覗きこんだ。
「"これは、伝説の夢の石だ"」
「……はい?」
 ぽかん、とエレーンは口を開けた。何を言い出すこの男?
 デジデリオは凝視したまま、相手の不審に構わない。
「"これは伝説の夢の石だ。これには人の願いを叶える力がある。その想いが強いほど、発揮される効果は大きい。あんたがこれに願いをかければ、街はたちどころに救われる。これは伝説の……"」
 吸い込まれそうな深い瞳。
 深い、深い、深い声。急かすことなく、穏やかな声で、繰り返し、繰り返し──
 記憶の底から語りかけてくるような。
 瞼が重く、気分がゆったり寛いだ。
 ふわり、と体が浮きあがる。どこか不思議な夢心地。瞼が落ちてしまいそう。そう、このまま眠たく……なる……よう、な……
 かくり、と頭が前に落ちた。
 はっ、とエレーンは我にかえる。
(……今の、なに?) 
 うたた寝か? 
 こんな時に!?──あわててきょろきょろ、周囲を見まわす。立ったまま眠りこけるなんて、そんな馬鹿なことがあるだろうか。いや、それ以前に、とてつもなく奇妙な体験をしたような──?
 デジデリオがにっこり笑いかけた。
「さあ、奥方様。大丈夫、あんたならやれる」
 ぽん、とエレーンの肩を叩く。
 はたと現状を思い出し、エレーンはわたわた振り向いた。そうだ、今は悠長に検討している場合ではない。街に迫りくる侵攻を、なんとか阻止せにゃならんのだ。
 拳を握り、混戦状態の南壁を見据える。ふと、それに気がついた。
 頭の中がすっきりしていた。胸をふさぐ焦燥が、嘘のように晴れている。不安はない。ひとかけらも。
 全身、手足の隅々に至るまで、力と自信がみなぎっていた。今なら、なんでもできそうな気がする。彼の今の言葉の通りに、、、、、、
「ほら、早く」
 背後の声に促され、エレーンは青空を振り仰いだ。手中の石を胸で握る。
 どくんどくんと音をたて、心臓が激しく脈打っていた。全身の血がざわめいている。石がじんわり、熱くなったように思うのは、この暑さのせいなのか。それとも自身の昂ぶりゆえか──。
 夏空目がけ、手中の石を振りあげた。
「風よ、吹けっ!」
 さわり、とスカートの裾がそよいだ。
 天空にわかに掻き曇り、遠い水面で兆したそれが、海を渡り、草原を走り、地表をさらって到達する。
 壁にまたがる敵兵目がけて、だしぬけに突風が巻き起こった。
 
 
 
 

( 前頁 / TOP / 次頁 ) web拍手


オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》