CROSS ROAD ディール急襲 第1部 3章3話1 〜 宴の後 〜
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 さらさらした黒髪が、夕暮れの風になびいていた。
 夕陽が照らす細い背は、放心したように動かない。彼女は櫓(やぐら)の縁に座りこみ、足を子供のようにぶらつかせている。さすがに疲れてしまったか、それとも気が抜けてしまったか。
「──終ったな」
 その背中をしばらく眺め、デジデリオは微笑んで近づいた。
「さ、戻ろうか、奥方様」
 黒髪が身じろいで、ふと、肩越しに振り向いた。領家の正妻、エレーン=クレスト。
「あ、いえ。あたしは、もう少しここで。みんなにお礼も言いたいし」
「そう? じゃあ、僕はお先にね」
 お疲れさま、と手をあげて、はしごを伝って地面に降りる。
 暮れゆく街をそぞろ歩き、デジデリオは天を仰いで、口笛を吹いた。
「──勝っちまったよ」
 あの新米の奥方が、結局、街を守ってしまった。反目しあう宿敵を鼓舞して。
 たそがれ始めた通りには、片付けを始めた男らが、くたびれた様子で行き交っていた。この街の商店主、派手な衣装の辻芸人、縄を打たれた軍服の捕虜──一堂に会したこれらの役者を舞台に引きずり出したのは、櫓にいる奥方だ。そう、あの細腕で、見事それをやりおおせた。これまで、どんな領主にも成し得なかったことを。
 目の前に広がる光景は、この、、街にしておよそ信じがたいものだった。
 住民とバードが一つ輪の中でたむろして、バードが捕虜を連行している。あの無精なバードが率先して。この街の住民のために。
 彼女は"ケネル"を動かした。そして、ケネル率いる精鋭隊を。しかも、割に合わない戦なんぞに。
 どれほど札束を積んだとて、ガーディアンは動かない。彼らと契約を望む者は、隣国の同盟幹部たちは、提示された条件を満たすべく、躍起になって奔走するのが常だ。それを彼女は、いとも容易く動員した。策を弄すでも札びらを切るでもなく、場違いな駄々をこねただけで。やはり、正妻にまで登りつめる者は器が違うということか。いや、あれは決して鮮やかな首尾ではなかった。もっと不様で、でたらめだ。
 あの日、司令棟に乗りこんできた彼女の独壇場を思い出す。
 デジデリオはくつくつ笑った。
「──家族、か」
 相手の事情など知らないくせに、まさに、そこを衝いてくるとは。
 デジデリオは苦笑いして、瞼を閉じる。
 ──遊民は、人として、、、、認められることに、、、、、、、、飢えている、、、、、
 歩く足を、ふと止めた。
 しくじった、という顔で、人さし指で頬を掻く。
「さて、とっとと戻るとするか。いいかげんセヴィを解放しないと。今度はまじで、ぶん殴られるな」
 夕陽に染まった戦後の街路を、デジデリオは北へと急いだ。
 
 
 商店ひしめく煉瓦の街路が、橙色に染まっていた。
 夕日が看板に反射して、疲れた目にいやにまぶしい。
 高い櫓の縁に座って、エレーンは風に吹かれていた。捕虜は壁沿いに集められ、遊民の監視下に置かれている。縄で手首を拘束された軍服たちが、その中から引き出され、街路を引っ立てられていく。
 店の花壇の煉瓦囲いに、人が座りこんでいた。街角の陰にも、膝を抱えてうずくまった者。壁にもたれて足を投げ出し、力尽きたようにうなだれた者。
 皆、髪はぼさぼさだ。疲労の色が隠しようもない。衣装を切られて半裸の者、片足を引いて歩く者、服に血を浴びた者、荷車で横たわった住人は、診療所へと運ばれるのだろうか。怪我人が方々にいるようだった。けれど、これで、やっと
「終わった……」
 エレーンは長く息をついた。
 額を流れる汗に気づいて、腕を持ちあげ、ゆっくりぬぐう。握り続けた指先が、まだ小さく震えていた。ずっと炎天下にいたせいか、足はもうガクガクだ。
 勝算のない戦だった。だが、蓋をあければ勝っていた。今にして思えば、あっけない。それもこれも、皆の協力があったればこそだ。
 舞台衣装の茶髪の男が、街角で住民とたむろしていた。初老の男が煙草を勧め、舞台衣装が紫煙を吐いて笑っている。寄るとさわると喧嘩をしていた、あの住民と遊民が。これまでの険悪さからは、およそ考えられない穏やかさだ。
 通りには、何かを伝えに走る者。兵から取りあげた軍刀を、両手で抱えて運ぶ者。日暮れの穏やかなざわめきの中、粛々と後始末が進んでいる。
 エレーンは膝をかかえて、うつ伏せた。
「……やっぱ、もう帰ろうかな。みんなには後で、お礼を言いに行けば、いいよね」
 視界がくらくら揺れていた。
 貧血を起こしているらしい。斬られた背中が、今になって痛んだ。緊張の糸が切れたのか、体が重く、いやに気だるい。強烈な眠気が襲ってくる──。
 ふらつく頭を膝にすりつけ、眼下の街路に目を戻す。
 怪訝に、それを見返した。
 一団が十字路を曲がってくる。くたびれ果てた他とは異なる、いやに目を引く一団だ。フロックコートを着用し、トップハットに蝶ネクタイ、白手袋の手にはステッキ。
 この地方の貴族たちだ。全員、しっかりと正装している。あの、先頭にいる細面は──
「お義兄さま?」
 ぽかん、とエレーンは口をあけた。
 そこにいたのは、いかにもあの義兄、チェスター候グレッグではないか。使者の来訪に困りはて、教えに乞いに行った際、門前払いを食らわせた──。
 背中で手を組んだ警邏が三人、一団の後につき従っていた。立派な口ひげをたくわえた警邏と、若い警邏が二人、貴族に命じられた護衛だろう。ともあれ、貴族街からめったに出ない貴族たちが、なぜ、下々の街になど出てきたのか。
 取り巻きを連れたチェスター侯は、すれ違う遊民の姿を怪訝そうに見まわしながら、通りの中央に向かっている。
 あっ、と理由を合点して、エレーンは呆気にとられて呟いた。
「……そうか。みんなの労をねぎらいに」
 脱力して、突っ伏した。
 なんて調子のいい奴なのだ。助けを乞いに行った時には、屋敷の奥に逃げこんで、ちゃっかり出てもこなかったくせに。
 だが、まあ、一席ぶったら帰るだろう。そういう領民への労いなんかも、たぶん仕事の内なのだ。好きなようにさせればいい。
 そもそも文句を言おうにも、今はへとへと、泥のように疲れはて、体はだるいし、目もまわる。それに、何はともあれ、やっと戦争が終ったのだ。
 貴族の一団が街角に立ち、人々が遠巻きにして集まった。いずれも、いぶかるような面持ちだ。
「皆の者、よくやった」
 チェスター侯は一同をねぎらい、おもむろに視線をめぐらせる。
「それでは、遊民どもから、武器の一切を取りあげよ」
 
 
 

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