■ CROSS ROAD ディール急襲 第1部 3章3話2
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エレーンは耳を疑った。全身の血が引いていく。
名指しされたローイらは、いや、住民も含めた誰もが戸惑い、互いに顔を見交わしている。
それは立派な口ひげをたくわえた警邏でさえも同様だ。あわてた様子で割って入った。「しかし、チェスター侯、彼らは今回の殊勲者で──」
「何をしている。さっさとしたまえ」
顎でさし、チェスター侯は促す。
だが、誰も動こうとしない。チェスター侯は不思議そうに警邏を見た。「戦はとうに終っている。武器などなくとも問題はなかろう」
「た、確かに、それはそうですが、捕虜の収容が完了しておりませんし、それに──」
「なんてこと言うの!」
憮然と、エレーンは立ちあがった。
櫓の上から、チェスター侯をねめつける。
「恩知らず! 無事でいられるのは誰のお陰よ! みんなが守ってくれたからじゃないの! それを」
「──誰かと思えば」
怪訝そうに視線をめぐらせ、チェスター侯が櫓を仰いだ。
不愉快そうに鼻を鳴らして、整ったひげをわずかにゆがめる。
「領家の奥方ともあろう者が、そんな所で何をしている。即刻そこから降りてきたまえ。それとも、私を見下ろすのが楽しいのかね」
「その高慢ちきな態度はなによ! みんながどれほど、がんばってくれたと──」
チェスター侯はかたわらの警邏に振り向いた。「何をぐずぐずしているのだ。早く武器を取りあげたまえ」
「ふざけんじゃないわよっ!」
エレーンは気色ばんで乗り出した。
立派な口ひげをたくわえた件の警邏をねめつける。
「さっさと、ここから引き揚げなさい! 自分の持ち場はどうしたの! みんなに手なんか出してみなさい、後でただじゃおかないわよ!」
口ひげの警邏は困惑し、二人の警邏と見交わした。
頭上を乱れ飛ぶ真逆の指示を──櫓上と侯爵を交互に見やって、おろおろと決めかねたように右往左往している。
チェスター侯が業を煮やして舌打ちした。「私の指示が聞こえないのかね。これらの武器を、さっさとこの連中から──」
「あーそーかい! わーったよ!」
気色ばんだ大声があがった。
人垣の肩を掻きわけて、すらりとした遊民が現れた。
派手な衣装の若い男、遊民の長、あのローイだ。
ローイはチェスター侯の前で足を止め、いぶかしげに見返す彼を、腕をくんで、ねめつけた。
人垣に混じった舞台衣装の面々も、腹にすえかねた面持ちだ。エレーンはおろおろ彼らを見る。「ロ、ローイ、違うの、これは──」
「そんなに心配しなくても、あんたらにみんな、くれてやるよ!」
チェスター侯は平然と、フロックコートの腕をくむ。「そうしてくれると助かるな」
「お義兄さまっ!」
あわててエレーンはたしなめた。
だが、時すでに遅かった。
「あーあー、やめだやめだ! くだらねえ!」
やりとりを見ていた遊民たちが、たまりかねたように騒ぎ出した。
軍兵からとりあげた得物を、地面に乱暴に叩きつける。
「冗談じゃねえよ、胸くそ悪い。さんざん利用しといてこのザマかよ。終った途端にお払い箱たァ、ありがたくて泣けてくるねえ。姑息なあんたらの考えそうなこったぜ!」
「どうせ、お偉いさんのすることだ。そんなこったろうとは思ってたけどよ」
「これだから、あんたらは信用できねえってんだよ!」
忌々しげに唾を吐き捨て、次々街路に踵を返す。
目をすがめた胡乱な態度で、肩で風切って歩いていく。思わぬ展開に、エレーンはあわてた。「ま、待ってみんな! どこへ行くの! ね、ローイ!」
「決まってんだろ、帰るのさ。俺たちのねぐらにね」
「待ってよ! まだ終ってないわ!」
「終わったろ。なに言ってんだ」
「まだ後始末が済んでないでしょ!」
「──後始末だァ?」
立ち去りかけた足を止め、ローイが呆れたように振り向いた。
「おいおい、勘弁してくれよ。俺らは十分働いてやったろ。あんたの言うとおり戦ってやった。敵襲から守ってやった。青軍服を叩き潰して、けちょんけちょんに伸してやった。これでもう満足だろ」
隣にいた彼の仲間も、憮然としてそっぽを向く。「片付けは市民さまにやらせろよ。どうぞ勝手に、ご自由に」
「違うわっ! この街を立て直す、という後始末よ!」
「……あァ?」
舞台衣装の一団が、怪訝そうに足を止めた。
各々不貞腐った体勢で、一斉に櫓を振りあおぐ。
いくつもの胡乱な視線──エレーンは思わずたじろいだ。だが、ここで引いては台なしだ。
萎えそうな足を叱咤して、彼らの顔を真摯に見つめた。
「ここが故郷だって言ってたでしょ。だから、一緒にやるのよ、あんた達も! この街の一員として!」
やりとりを見ていたチェスター侯が、驚いた顔で目をむいた。
「──な、なんと」
ステッキの先を、櫓上のエレーンに突きつける。
「な、何を勝手なことを! 何を言ったか、わかっているのか!」
「ええ、もちろん、わかっているわ」
「遊民に居住を許可するつもりか!」
「そうよっ!」
「──許さん! 勝手な真似は許さんぞっ!」
チェスター侯が手にしたステッキを振りまわした。真っ赤な顔で、わめき散らしている。背後に控えた取り巻きも、唖然とした顔つきだ。
遊民たちは呆然としていた。
住民たちも隣と見交わし、予期せぬ事態にざわめいている。
前代未聞の事態だった。
威厳大事の領家の者が、公衆の面前で罵り合うなど、未だかつてなかった珍事。いや、それ以前に、今は内容が問題だった。
「一体、何を考えておるのだ」
チェスター侯は嘆かわしげに眉をひそめ、白手袋の指を額に当てる。
「我がノースカレリアの居住権を、野犬にくれてやるというのか。まったく、理解しかねる。一体、何様のつもりなのだ」
エレーンは無視して、ローイの驚いた顔に目を戻した。
「心から、あなた方を歓迎するわ。もしも、みんなが望むなら、どこに住んでも構わない。街に帰ってきてくれるなら──」
「勝手なことを言うんじゃない!」
チェスター侯がたまりかねたように一喝した。
「なんという厚かましさだ。高々使用人あがりの分際で。少しは分をわきまえたらどうだね。そもそも、なんの権限があって──」
くるり、とエレーンは振り向いた。
「うっさいわねっ! あんた、ちょっと黙っててよっ!」
あんぐりと口を開け、チェスター侯は絶句した。「……あ、んた?」
エレーンは構わず目を戻す。
「あなた達は古い仲間よ。古い傷を乗り越えて、あたし達と共に戦ってくれた。街と市民を守ってくれた。だから、この街に住む資格があるわ。──いい? みんながここに住む事を、このあたしが許可します。これは領主代行としての決定よ。誰にも文句は言わせないわ。これからは、みんなでこの街を盛りあげ──」
「へえ、ありがたいねえ」
冷ややかな嘲笑がさえぎった。
ローイがうつむき、くつくつ、おかしそうに笑っている。荒んだ目を振り向けた。
「それはつまり、こういうことか? "居住区"って名前の体のいい檻を、進呈して下さるって寸法かよ」
遊民の間に、嘲笑が広がる。
ローイは腕組みをおもむろに解いて、刺すように鋭い目を向けた。「悪いが、辞退させてもらうぜ。俺らは家畜じゃねえからなァ」
「あんた、なにを聞いてたの。"どこでもいい" って言ったはずよ」
ローイが胡乱に目をあげる。
エレーンも挑むように睨み返す。
夕暮れの街に、西風が吹いた。
ぬるい夏の夕風が、二人の髪をなびかせる。どちらも目をそらさない。
ローイの顔に目を据えて、エレーンは下腹に力をこめた。
「いつまで、いがみ合っているつもり? 同郷どうしで反目するなんて、これほど馬鹿げた話はないわ。さっさとみんなと和解して、ここで楽しく暮らすのよ。手を携えて盛りたてるのよ。いつかじゃなくて、今すぐに! もう、どこにも行く必要はないわ」
「──いや、あんたは簡単に言うけどよ」
戸惑ったような声がした。
ローイではない、遊民の一人だ。エレーンは怪訝に目を向ける。
「こんなに土地があるんだもの。ここにいれば、いいじゃない。ここで暮らせば、いじゃない。旅になんか出なくても、みんなと田畑を耕せばいい。街で商売したっていい。だって、みんなの故郷でしょう? だったら、何をためらうことがあるの。大手を振って、ただいまって帰ってくれば、それでいいのよ」
普段着姿の住民たちも、無言で話を聞いている。エレーンは視線をめぐらせた。
「一緒に街を創りましょう。あたし達と暮らしましょう。ね、お願い。戻ってきて!」
遊民たちは目をそらして沈黙した。
いずれの顔にも、困惑と躊躇が張りついている。それは住民たちも動揺だった。反対もしないが、賛同もしない。
ローイが力なくうつむいた。その首をゆるゆると振る。
応えは「否」
「──ど、どうして!? みんな!?」
エレーンはおろおろ見まわした。
「か、帰ってくればいいじゃない。ここで暮らせばいいじゃない。なんで、それじゃ、いけないの?」
芳しからぬ反応だった。信じられない思いで、拳を握る。「ねえ、なんで!」
「──なんでって、あんたなあ」
遊民の一人が、たまりかねたように舌打ちした。
隣と苦々しげに目配せする。
西風吹きわたる夕刻の街路に、白けた空気が立ちこめた。
重苦しいわだかまりは宙にほうられ、誰もが理由を語らない。その時だった。
鬱々とした人込みの中から、小さな拍手が聞こえてきたのは。
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