CROSS ROAD ディール急襲 第1部 3章3話3
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 大人の足の間をぬって、それらは、ひょっこり顔を出した。
「お兄ちゃんたち、おひっこし、してくるの? いつ?」
 子供の甲高い無邪気な声。
 柔らかそうな癖っ毛が、ローイを見あげて衣装の裾を引いていた。五歳くらいの男の子だ。その仲間もいく人か、いつの間にかまぎれている。
 数日にわたった避難生活が解除され、飛び出してきた子供らだった。この街の小さな住人は、渋い顔の面々に、いかにも不思議そうな顔つきだ。
「ねえ、父ちゃん! どうして、こわいお顔なの?」
 父親の手を、子供の一人が無邪気に引っぱる。
「みんなも、ここにすむんでしょう? だったら、お祝いしないとさ」
「──い、いや、坊主。まだ、そうと決まったわけじゃ」
 父親は困った顔で言葉を濁した。子供は事情がのみこめず、ぽかんと顔を見あげている。
 一同、漠然と聞き耳を立て、苦々しい沈黙に包まれた。だが、子供の追求は容赦ない。ローイの隣の癖っ毛の子供が、怒鳴るようにして、わめきたてた。
「なんでー? なんでいけないのー? そしたら、ずうっとおまつりだよ? そのほうが、いいじゃない。お客さんがいっぱいくるし! そしたら、ぼく、お兄ちゃんに、馬ののりかた、おしえてもらう! それから、いっぱい、あそんでもらう! それから、お兄ちゃんのおうちにもあそびにいく! あとね」
「──も、もう、いいよ坊主」
 ローイがたまりかねて割りこんだ。
「俺らは、ここにはいられない」
 長身の背をかがめ、癖っ毛の頭に手の平を置く。にっか、と破顔し、笑いかけた。
「ありがとな坊主。嬉しいよ。だがな、俺らは、ここには住めないんだ」
 幼い顔は、きょとんと見あげた。
「なんでー?」
「そりゃあ、俺らみんなで居ついちまったら、お前らの食いもんがなくなっちまうからさ。そんなことしたら、坊主の晩飯まで、み〜んな俺らが食っちまうぞぉ?」
 おどけた調子で、子供を脅す。
「……そっか」
 今気づいたというように、子供は大きく目をみはった。考えこむように首をかしげ、ローイに顔を振りあげる。
「それなら、ぼくのぶん、わけてあげるよ。おなかがへっても、がまんする。だから、馬ののりかた、おしえてよ。それだったら、いいでしょう?」
 交換条件を突きつけて、子供は得意げに笑っている。ローイの顔が強ばった。
「……坊主の飯だけじゃ足りねえよ。大体、そんなことをしたら、あんたらに迷惑がかかる。だって俺らは……」
 ようやく声を押し出して、苦々しげに目をそむける。
 戦後の街路が、水を打ったように静まりかえった。誰もが彼らから目をそらし、言葉の先を引きとる者は現れない。誰もが知る、その先を。
 ローイは子供に笑いかけ、小さな頭に手を置いた。
「じゃあな、坊主」
「──でも、お兄ちゃん!」
「もう、じきに日が暮れる。お前らも早く、うちに帰れ。そろそろ寒くなっからよ」
 話を打ち切り、かがめた長身を引き起こす。舞台衣装の遊民たちも、それにならって踵を返した。軍服の捕虜を促がして、人垣から次々離れていく。群れは、北に向かって歩き始めた。
 子供は納得いかない顔つきだ。立ち去る遊民をあわてて見まわし、かたわらの父親をじれったそうに引っぱった。
「ねえ! いいの? いっちゃうよ?」
 街を守っていたのは遊民だ。子供らは避難しながらも、ちゃあんと、それを知っていた。そして、毎年行われる豊穣祭でも、華やかにしなやかに舞い踊る彼らは、いつでも子供らのヒーローだ。つまり、彼ら子供にとって、ローイたち遊民が悪い敵をやっつけるのは、しごく当たり前のことなのであって、手柄を称えて感謝しこそすれ、疎む対象では決してない。
「ねー、なんでー? なんで、すんじゃいけないのー? みんないっしょのほうが、たのしいよ? そしたら、まいにち、とっても、たのしいまちになるのに」
 子供らはわめきたて、執拗に大人を問い詰める。彼らは自分たちを守ってくれた。なのに、どうして仲良くしてはだめなのか。優しくしてはだめなのか。
 容赦のないまっすぐな問いは、重苦しい夕暮れの街に、いやによく響きわたった。だが、答えられる者はない。
 橙色の夕陽を浴びて、街中が引き揚げ始めていた。
 後味の悪い思いを味わって、どの顔も苦虫噛み潰したように陰鬱だ。戦の勝利の余韻など、とうの昔に色あせている。
 薄絹の衣装が風にはためき、夕陽に虚しくさらされていた。
 遊民たちは居たたまれない様子で、天幕群へと引き揚げていく。立ち去るその背を壇上で眺めて、エレーンは成す術もなく立ちつくしていた。彼らに掛けられる言葉など、もう、どこにも残っていない。
 無力感にさいなまれ、唇を強く噛みしめる。しょせん自分は留守番で、領主に成り代われはしないのだ。彼らに報いるなんの術も、なんの権限もないのだから。義兄が今しがた言った通りに。自分が何をどう言おうが、彼らは決して、
 ──信じない。
「やっぱ、だめ、かあ……」
 厳しい現実に打ちのめされて、エレーンは深く嘆息した。
 世の中は、そんなに甘くはない。己の希望ばかりが都合よく罷り通るはずもなかった。むしろ、自分の無謀な試みが、遊民という不当な身分を、住民、遊民双方に再認識させてしまった。
 遊民たちの肩を落とした落胆振りが、目に焼きついて離れなかった。これと同じ提案がダドリーの口からなされたならば、それが領主の言葉であれば、彼らも喜んで受け入れたろうに。
「……もう、疲れた」
 積もりに積もった数日の疲労が、津波となって押し寄せた。この時を狙い澄ましていたかのように。
 かくり、と膝から力が抜けた。
 あわてて体のバランスをとるが、よろけた足が支えきれない。
(しまった──!)
 足が、舞台の縁を踏みはずす。ぐらり、と視界が大きく揺れる。二階建てを優に越えるこの舞台は、熟達した踊り子のみが、舞うことの許される栄えある場。手すりなどという艶消しは一切ない。
 視界に割りこむ木床の縁。はるか眼下の通行人の頭──。
 異変に気づいた周囲から、驚愕のどよめきが湧き起こった。
 
 
 

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