CROSS ROAD ディール急襲 第2部 1章 2話2
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 膝でのけぞった体勢のまま、動くことができなかった。
 間近に迫った白シャツの顔を、あぜんとエレーンは振り仰ぐ。
 それは不思議な瞳だった。見たこともない色合いの、ほらを思わせる虚ろな瞳。ぽっかり木肌に開いた奥は、どこへ続いているでもない。ただそこに漂いありならされている。いだ沼を思わせるおもては、何者をも映さない。そこには、なんの意思もない。しゃが一枚かかったような、彼方に隔絶した瞳──。
 横たわった全身に、やんわり上から圧がかかった。動きが徐々に封じられていく。見おろす瞳が淡い光を放ち始める。指の先が動かない。意識が絡めとられ、捉われる。砂丘が風にさらわれるように、端から意識が吸い込まれ──
 ぐっ、と腕を強く引かれた。
 不意をつかれて体が振られ、右の額が何かにぶつかる。もぎ取られるようにつかまれたのは、白シャツがつかんだ左とは逆の、右肩に近い上腕だ。
「これでチャラだ。わかるだろうが」
 ざらりとれた重い声。
 天井を背景に割りこんだのは、柄のついたシャツの生地。頬に当たる蓬髪の先、無精ひげの生えたあご──。
 左の腕を白シャツに、右の肩先を蓬髪に、それぞれ強くつかまれていた。 二人は顔をつき合わせ、いきなり険悪な雰囲気だ。
 腕をつかんだまま白シャツは、目は向けるも応えない。
 今の蓬髪の押し殺した声には、脅しつけるような響きがあった。はっきりと威嚇を含んでいる。だが、黙って見ている白シャツは、敵意を向けるでも戸惑うでもない。心ここに在らずの顔つきだ。
 そのあまりの反応のなさに、蓬髪が焦れて舌打ちした。「あの晩、背中を斬ったろうが!」
「あー。斬ったね、コイツのこと」
 いやにのんびり、白シャツは返した。
 聞いていなかったわけではなさそうだ。「でも」と白シャツはおもむろに返す。「オレはなんにもしてないけどなー。コイツ斬ったの、あんたじゃん」
「お前も加担したろうが。今さら他人事ってのは論外だろ」
 視界の片隅で、ケネルが動く。右肩を突き出し、腰を浮かせ、
「ウォード」
 どこかで声が、白シャツを呼んだ。
 言い合いを貫く、張りのある声──。
 火影ゆらめく薄暗い戸口で、短髪の首長が目を向けていた。こざっぱりと精悍な、妙にさばけたあの首長だ。落ち着いた瞳を白シャツに向け、噛んで含めるように言葉を続ける。
「いいか、ウォード。その子は " 卵 " だ」
 白シャツがひるんだように首長を見た。
 首長の短い一言は、顕著な変化をもたらした。
 ウォードと呼ばれた白シャツが、面食らった顔で、まじまじ見ている。
「な、なに?」
 エレーンはたじろぎ、後ずさる。
「痛かったー?」
「……はっ……え?……え? あたし?」
 気を呑まれて口ごもった。「う、うん。だって、そりゃ……」
「悪かったねー」
 目にかかる髪を揺らして、白いシャツがのんびり詫びた。
 妙に間延びした物言いと、他人を無視する独特の間で。
 硬直していた空気がほどける。
 ゆるんだ手から腕を抜き、エレーンはあわてて身を引いた。
 ケネルの背中に飛んで帰り、どぎまぎ白シャツを盗み見る。白シャツは気だるそうに、あくびしている。あたかも何事もなかったように。
(……な、なんなの? この人〜!?)
 さっぱり、わけが分からない。今のは一体なんなのだ? いきなり白シャツに引っぱりこまれ、蓬髪が即座に引き戻し、短髪の首長が自分を「卵」と呼ばわった途端、白シャツが顕著な反応を示し──あんなに、ぼーっとしてたのに。てか、うら若き乙女を形容するに"卵"ってのはどうなのだ? そんな丸っこく見えるってことか? それって一体どのあたり──まさか、顔か!? それとも
 全 体 ……!?
「しかし、ウォードが加担するとはな」
 声に気づいて目をやれば、あの短髪の首長だった。
 戸口の暗がりであぐらを崩し、片頬ゆがめて苦笑いしている。「お前ってんなら不思議はないが。なあ、ジャック」
 後の言葉で親しげに呼びかけ、羽根つき帽子を振り向いた。
「よう、久しぶり。あの時以来か? ほら、北カレリアの一件の──。それにしても、どこにいたんだ。この子のことは、お前に任せたはずだよな」
「なんだよ、見てたぞ。コイツのことなら」
 な? と帽子が振り向いた。
 話を振られてエレーンは瞬き、まじまじ帽子の顔を見る。旅芸人に知り合いはいないが──
 ジャックと呼ばれた羽根つき帽子が、指輪の手をもちあげて、くい、と帽子のつばを上げた。
 大きなつばに隠れていたのは、情けないチョビひげの間の抜けた顔。昔の騎士ばりの衣装にフリル。よく見りゃ、黒い縮れ毛の先に、見覚えのあるビーズがキラキラ。
「──あっ!?」
 エレーンは肩で後ずさり、顔を引きつらせて指さした。
「あんた、まさか、あの時のっ!」
 この変てこりんな仮装男は、忘れもしないあの時の──!
 先の戦火で街の櫓(やぐら)に登った時に「注目を集めるならクラッカー」などと適当この上なくほざいた上に、姿をくらませやがった無責任男、一言で言えば 変 な 男 だ!
 ゲンコをにぎって、エレーンはなじる。
「あんた、どーしてくれるわけっ? 言う通りにしたら、怒られたじゃないのよっ!」
 そう、あの後ケネルに大目玉くらった……。
 ちなみに、なぜにこいつが大物面して座っているのか。仮装男の分際で。
 帽子についた羽根先をゆらし、きょとんとジャックが小首をかしげた。
「けど、静かにはなったろ? 一発で」
「──う゛っ──くうぅ〜っ!」
 紛れもない事実であるので、言い返せないのが、実にくやしい。ちなみに、街門外(そと)のケネルにまで、ガン見で注目されまくり。
 当の帽子は悪びれるでもなく、短髪の首長に目を戻す。
「レッドピアス、あんたの依頼は果たしたぜ。だから・・・見てみろ。怪我の一つもなかったろうが」
 一同、ふと、目をあげた。何かを合点した顔で。
「だっから見ろよ。ピンピンしてんだろうが、この通り。あんなに目立つお立ち台に、ぼさっと突っ立ってたってのにぃ〜」
 大きなつばの羽根つき帽子が、ウハウハがははっとそっくり返り、ぺらぺら得意げに喋りたてる。
 エレーンは片頬ひくつかせ、ふるふる密かにゲンコを握る。
(ちょっとなによ! コイツってえ!?)
 なんて厚かましい奴なのだ。もういっぺん成敗したろか──!
 帽子がまき散らすざわめきの中、一同が身じろぎ、膝を立てた。
 これで、お開きということらしい。
 
 ばさり、と戸口の厚布が降りる。
 皆を送り出して戻ってくると、ケネルが目の前であぐらをかいた。
 床のクッションを抱きしめて、ぐんなり伸びていたエレーンは、げんなりうつろな目を向ける。
(今度はなに。明日にしてよ……)
 一連の騒動で、どっと疲れた。今日は一日じろじろ見られて、ずっと気を張っていたところへ、襲撃犯と対面させられ、妙な白シャツに捕まって、あまつさえ変なチョビひげにまで、なんか偉そうにデカイ面された。まったく、返す返すも散々な日だ……。しがみついたクッションに、顔をしかめて潜りこむ。
 はた、とその顔を振りあげた。
(──やばい)
 わたわた這いつくばって探しだし、ささっと滑りこんだ正座の姿勢で、そそくさ口元にもっていく。間違っても飲んだりしないが。
「──あ、まってまって! 怒んないで?」
 ぱたぱた牽制の片手を振って、愛想笑いをケネルに向ける。
「こ、これね? これよね? 今から飲もうと思ってたとこでっ!」
 そう、すっかり忘れていたが、ケネルがくれた薬草茶。ちなみに、ケネルはすぐ怒る。
いておきたいことがある」
 ケネルがおもむろに顔を見据えた。
「戻るか、ここで」
「……え?」
 ぽかん、とエレーンは口をあけた。
「移動の初日から、その調子じゃ、命の保証はできかねる」
「え、でも──」
「まだ、大して来ていない。半日も飛ばせば、十分だ」
 湯呑みを持つ手に、力が入った。暗い壁に視線が惑う。試しているのかといぶかるが、ケネルの顔はことのほか厳しい。
 どうやら本気であるようだ。
 胸のざわめきを感じつつ、火影ほかげの踊る絨毯を見た。
 "この移動を打ち切って、ノースカレリアに引き返す"
 それは不意打ちの誘惑だった。
 確かに、嫌気がさしていた。冷やかしの視線を向けられて。
 ここで旅を打ち切れば、傭兵たちから解放される。嫌な思いをすることも、値踏みされることもない。下卑た口笛を吹かれることも──
「行く」
 未消化のままの、決意がこぼれた。
 口をついたその言葉に、自分でも密かに戸惑いながら、旅装の膝をエレーンは見つめる。
「行く。あたしの、せいだもん」
「──あんたの?」
 ケネルが怪訝そうに見返した。
 そう、はっきりと自覚した。断じて、断念できないと。
 そんなことは断じてできない。だって、まだ、あの彼に、伝えねば・・・・ならない・・・・ことがある。
 壁で、火影が揺らめいた。
 土間のかまで燃えさかる炉火が、絨毯の床を照りかえす。
「早く飲め」
 ケネルが膝を崩して立ちあがった。
 寝具の積まれた隅へと歩き、それらを無造作に投げ広げていく。枕を、毛布を、上掛けを、敷布を。
「横になって睡眠をとれ。痛みは体力を奪うからな」
 ぽかんとエレーンはケネルを仰いだ。てっきり訊かれるかと覚悟したが、どうやら、こっちの事情になど、一切興味がないらしい。
 暗がりで見つけた掛け時計を、とっさに見やって口を開く。「──あの、でも、寝るにはまだ、」
「まだ、なんだ」
「だって、まだ八時半で……」
「夜は、睡眠をとって、体を休めるためにある。それに、あんたは熱もある」
 正論に一瞬呆けるが、我に返って、追従笑い。
「あっ、そっ、そーよねっ! うん、そうだ。そうだったっ!」
 へらへら直(ただ)ちに引き下がる。ケネルの機嫌を損ねてはならない。そんなことで盾ついて、また「戻るか」などと言いだされては事だ。精々ケネルとは仲良くしないと──。
 そそくさ視線をめぐらせる。
「へ、へえ、用意いい〜。もう一組あるんだ、ふとん」
 ふとんなんぞに興味はないが、思わずうっかり逆らった、粗相から目をそらさねば。
 ケネルが事もなげに振り向いた。
「俺の分だ。ここで寝る」
 は? と笑顔が凍てついた。
 右から左へやり過ごしかけた、言葉の尻尾を引っつかまえる。
「え──えええーっ!?」
 愕然と戦慄、ケネルを見た。なんだと? 俺も、
 ここで・・・寝るぅ・・・!?
 
 

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