CROSS ROAD ディール急襲 第2部 1章 4話7
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「──だあってえ〜」
 なめらかな振動に揺られて、エレーンはふくれっつらで寄りかかった。「だあってアドに悪くない? すんごく腕が痛いのに」
「わかった」
「それでも絶対、嫌とか言わないと思うのよ? だってほら。アドってああいう人じゃない? なのに、あたしが寄っかかったらアドの腕がまた痛く──」
「わかった、もういい」
「あっ! あとねー。それとそれとぉー」
「なんだ」
「えとねー、あとねー、それからねー」
「なんだ」
「……もしかして怒ってるぅ?」
「だから、なんだっ!」
 もたれた肩にのけぞって、エレーンはケネルを振り仰ぐ。
「まだ速くない? みんな走るの」
 怒気や憤懣、諦めやらを、ぐぐぐ──と諸々押し殺し、ケネルが大きく嘆息した。
 伴走している長髪の連れに、顔をしかめて片手を振る。
 ファレスは端正な顔を辟易とゆがめ、「又かよ」と舌打ちで手綱をさばいた。
 疾走する馬群を縫って、先頭のいる前へと出ていく。
 やがて、馬群は減速し、ゆるやかに風を切る程度に落ち着いた。
 エレーンはにんまり会心の笑みで、仏頂面のケネルにもたれる。これでよし。
 
 あの後、馬は前脚立ち、空を掻いて暴れたが、落馬は危うく免れた。馬の手綱を操る間にも、首長がしっかり抱えてくれていたからだ。
 急停止したにもかかわらず、周囲を走る数多あまたの馬は、首長の馬を辛くもかわし、追突することもなく、左右に避けて通り過ぎていった。
 それから程なく、大分先で停止した群れから、ケネルが単騎で駆けつけた。
 首長の馬にしがみつき、エレーンはわしわし自力で降りると、あっけにとられた首長を仰いだ。そして、
「ごめんねアド。やっぱ戻るね?」
 絶句で固まったケネルを指さし「あっちに戻る」ときっぱり宣言、「ねー。早く乗っけてよー」と当然のごとくケネルに催促。「ねー。みんな待ってるよー?」
 馬上のケネルは額をつかんで、しぱし、わなわなと打ち震えていたが、
 はー……と諦めたような溜息をついて「ほら、こい」と腕を伸ばした。
 そして、元の配置に戻った次第。
 
「──勝手に降りようとしなくても」
 馬群の中央を疾走しつつ、ケネルが呆れ顔で嘆息した。
「戻るなら戻ると、一言いえば済むことだろう。事故にならなかったから良かったものの、騎手が首長でなかったら、あんた落馬していたぞ」
「だあって、しょうがないでしょー? こっちに帰りたくなっちゃったんだもん」
「まったく、何を子供じみたことを。悪ふざけにも限度がある。なぜ、そんな無茶をするんだ」
 むっ、とエレーンは言葉に詰まった。
 もどかしい思いで、唇をかむ。「……。だから、無茶とかじゃ」
 むう、と口を尖らせて、手綱をとるケネルの胴に、むぎゅう、と力いっぱいしがみついた。
 ケネルが驚いて見返したが、ぷい、とそっぽを向いてやる。
 言い分ならば、ないではない。でも、それをケネルに言っても、きっと彼には分からない。それが分かるから、これ以上は言えない。
 不快な感じに、心が荒んだ。心がカリカリ、引っかかれているような心地。ケネルは「なぜ」と説教するが、むしろ、なぜ分からない。こんなにも当たり前の・・・・・ことなのに。
 額におろした髪がなびいて、ふわり、と向かい風に包まれる。
 目を閉じれば、馬と、ケネルと、一体になる。
 なぜだろう、風が優しい。ケネルといると、こんなにも。
 風に分け入り、なめらかに進む。果てなく続く緑の大地を。
 やはり、ここは心地いい。ケネルの馬は居心地がいい。静かに走るし、話もできる。それに──
「……うぷ」
 とっさにこらえて顔をゆがめ、ケネルの肩にうつ伏せた。
 進行方向を見ていたケネルが、……ん? と気づいて懐を覗く。
「おい、どうした。今度はなんだ」
 怪訝そうな視線から逃れて、エレーンは更に潜りこむ。こんな時になんて無謀な。がくがく肩を揺するとは。
 だが、避けられれば気になるのが人情というもの、異変の原因を確かめようと、ケネルはますます覗きこむ。
「──ま、まて!」
 ぎくり、とその顔が強ばった。
「まて! まだだ! 持ちこたえろっ!」
 
 
 とん、と水筒がかたわらに置かれた。
「気が済むまで吐いたら、口をすすげ。──ああ、痛み止めも飲み直せよ」
 少し離れた木幹にもたれ、ファレスは立ちのぼる紫煙をながめている。
 高い梢の切れ目から、青い空が覗いていた。
 純白にかがやく夏雲が、ゆっくり北へ移動している。
 ツイ──と鳥が翼を広げ、緑梢の間を横切った。うずくまっていた大木の根から、エレーンはようやく立ちあがる。
「もう戻れ」
 ファレスが苦々しげに紫煙を吐いた。
 手の煙草を足元に落とし、分厚い靴裏で踏みにじる。「無理だろ土台、その調子ザマじゃ。北方ここらはまだ涼しいが、南下につれて暑さも増す」
「──でも、あたし、行かないと」
「誰もあんたを責めやしねえよ、今ここで引き返したところで」
 見越したように言葉をほうられ、エレーンはしどもど目を伏せる。「──そ、そういうことじゃ、ないんだけど」
「開戦中だぞ、トラビアあっちは今」
 返事に構わずファレスは続け、腕を組んで木陰にもたれた。
「まさに戦の真っ最中だ。こっちの陣営にいるならまだしも、向こうにいる捕虜になんぞ、そう易々と会えるもんかよ」
「だけど、せめて」
「あんたみたいな素人が、見物に行く場所じゃねえ」
 ファレスは事あるごとに「帰れ」と促す。この旅の初めから、トラビア行きに反対だ。
 確かに彼の立場なら、世話の焼ける女など、足手まとい以外の何者でもないだろうが。
「用があるなら、代理を立てろ。やりようなんざ、幾らでもあるだろ」
「──でも、代理っていうのは、なんか、ちょっと違う感じで」
「なぜ、そうも頑迷に言い張る」
 幹で腕を組んだまま、ファレスが辟易とした顔で嘆息した。
「なんぞ訳でもあるのかよ、てめえで行かなきゃならねえ理由が」
 呆れ果てた視線から、エレーンはしどもど目をそらす。「──べ、別に、そんなものは」
 ファレスは納得いかないらしく、柳眉をひそめて探るように見ている。
 勘の鋭さに困惑しながら、エレーンはそそくさ目をそらす。「で、でも、あたしは行くから、トラビアに。誰がなんと言おうとも」
「そうかよ」
 言っても無駄と悟ったか、ファレスがぞんざいに吐き捨てた。
「領主もさぞや、本望だろうぜ」
 
 大地を蹴立てる轟音を残して、荒くれた馬の一団が、原野の彼方へ駆け去った。
 群れに先行して馬を駆り、ファレスもひとり、起伏の向こうに消え入った。
 樹海の木陰を渡り歩いて、ケネルは適当な場所でシートを広げた。
 腰を下ろして足を投げ、誰もいなくなった野っ原を、後ろ手をついて眺めている。
 しばしエレーンはためらって、おずおず隣に腰を降ろし、小さくなって膝をかかえた。「……ごめんなさい」
「何がだ」
 原野をながめた横顔が応えた。
「行程を中止したことか。それとも首長を、落馬させそうになったことか」
 エレーンはおろおろ顔をゆがめ、唇の端を軽く噛んだ。「──ごめん。服、汚しちゃって」
「あんたが謝ることはない」
 ケネルがおもむろに振り向いた。
「体調不良は今朝からか」
「──え?……あ、ううん。──朝はなんとも、ないと思う、たぶん」
「不都合があれば、すぐに言え。どれほど具合が悪くても、俺には不調など知る由もない。いいな」
「……う、うん」
 問答無用で押し切られ、エレーンはたじろぎ、うなずいた。それにしても、
(もー。なんで、すぐに命令するかな〜……)
 ここは威張りんぼが多くて困る。主にケネルとファレスのことだが。
 そう、ケネルについては言うに及ばず、さっきも森で、あのファレスとやり合って──今日一日のやりとりを、思い出すだけでうんざりした。迷子になっただけで叱られて、隣と遊んでいただけで乱暴にシートに転ばされ、今もたちまち言い合いになり──しかも、奴には関係ないくせに。こちらがそんなに気に食わないなら、初めから、こっちに来なきゃいいのに。どっと疲れて、膝にくったりうつ伏せて──
 すっ、と手の平が、前髪の下に滑りこんだ。
 とっさにエレーンは息を詰め、緊張に肩を強ばらせる。
(な、な、なに? この手はなにっ!?)
 誰もいない、こんな所で。
 ケネルが座った体勢で身をよじり、真顔で覗きこんでいる。
 頭に血がのぼって混乱した。
 内心あわあわ動転し、密かに目を泳がせる。
「──熱があるな」
 ケネルの大きな手の平が、額を包みこんでいる。
「あまり、心配かけるなよ」
 え……とエレーンは息を呑んだ。
 間近に迫ったその顔に、どきん、と心臓が跳びはねて、ケネルをどぎまぎ凝視する。どういう意味?
 今のは一体、どういう意味? 
 
 

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