CROSS ROAD ディール急襲 第2部1章 6話3
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 ふっ、と足元に影がさした。
 地面をよぎる黒い影。ファレスは夏日に手をかざす。
「なんだ、あの鳥。いやにでかいな」
 青い夏空に、白い鳥。
 ぴん、と白い翼を広げ、悠然と高みを旋回している。何かを探しているように──ぶるり、と小さく身震いし、ファレスは眉をしかめて首を振った。
「……少し、寝ておくか」
 靴先で草を蹴り、手近な木陰へ足を向ける。この悪寒は疲れのせいか。あの手強い散々な不調の。
 緑陰ゆれる木陰に立ち、何気なく樹幹に手をついた。
 しっとり硬い木肌の感触。青々とゆれる涼しげな梢、大人三人が手を伸ばし、ようやく抱えられるほどの立派な樹だ。腰を下ろそうと身をかがめ、ふと気づいて動きを止めた。
 怪訝に、巨木をすがめ見る。
「何か、いるな」
 ぱらぱら葉っぱが降ってきた。
 がさり、と梢が大きく揺れる。ファレスは軽く身構えた。枝に大きな獣でもいるのか? いや、生き物の気配はなかったが──
 ぎょっ、と硬直、身を引いた。
 仰いだ額に、嫌な感触。
 べしっ、と不躾に何かを押し付けられたような。次いで目の前に、にょっきり
 足?
 つるん、ときれいな白いかかとだ。
「──ガキ?」
 太い樹幹を両手でかかえて、白い服がへばりついていた。肩で切りそろえた黒い髪、深く澄んだ黒い瞳。きれいな面ざしの女の子──いや、あれは男の子供か?
 あぜん、とファレスは子供を仰いだ。
「お前、今、どこから来た」
 くい、となめらかな顎をあげ、男児は樹上を振り仰ぐ。上からだ、と言いたいらしい。
「いや。それは分かっている。そういうことじゃなくってよ、お前そこまでどうやって・・・・・
「出迎え、ご苦労」
 凛と、男児が目を向けた。
翅鳥しちょうの末裔、遊鳥の子か。いや、迦楼羅かるらの末裔か。わざわざ出向くとは中々殊勝。いや、感心感心」
「……あ?」
 ファレスは呆然と絶句した。
 淀みなく流暢な口上だが、一から十まで意味不明だ。しかも、相手は初対面。偉そうに労われる覚えもない。
 それは奇妙な子供だった。年の頃は七、八歳。あまり見かけない成りをしている。ゆったりとした純白の装束。祭祀の神官がまとうような。
「なにしてんだ坊主。こんな所で」
 男児は利発そうな頬を向ける。「月読を捜しておる」
「ツクヨミ? なんだ、そいつは」
「何と言われてもな。月読は月読じゃ」
 ぐっ、とファレスは返事につまった。
「しかし、そうよの」
 頑丈そうな枝を選んで、男児は頓着なく腰をかけた。
 黒絹をゆらして小首をかしげ、草履ぞうりの足をぶらつかせる。「出迎えにきた殊勝さに免じて、特別に教えてやらぬでもない。月読をあえて喩えれば──そうさの "竹の花"とでも言うておこうか」
 ここが大事、というように人差し指を突き立てた。
六十年に一度・・・・・・花が咲く・・・・
 ファレスは固まり、瞬いて、額をつかんで、うなだれた。「……それでいたのか、ツクヨミとやらは」
「まあ、おらんな。木の上には」
 人を食った口振りだ。
「おう。ガキ。茶化していねえで質問に答えろ。てめえ一体、どこから来た」
 そう、この子供を見た時に、まず引っかかったことだった。
 遊び盛りの年頃というのに、顔も手足も着ている服も、どこも少しも薄汚れていない。白い衣服はあくまで白く、素足に履いた草履の裏にも、土くれ一つ付いていない。だが、ここは原野のただ中。湿った土を一度も踏まずに辿りつくなど無理がある。
 又か、というように顔をしかめて、男児はうんざりと嘆息した。
「それにはすでに答えたろうに。それより、赤の遊鳥の居所を知らんか」
「赤の、ユウチョウ?」
 面食らい、ファレスは怪訝に訊きかえす。「なんだ。そのユウチョウってのは」
「何度同じことを言わせるつもりじゃ。遊鳥は遊鳥と言うておろうに」
 それに、と続けて嘆息し、男児はあてつけがましく一瞥をくれた。「言うたところで、わかりはせぬ」
「──あァ? ぁんだと!」
 ぐっとファレスは拳を握った。「大人に向かって、なんて生意気な言い草だ。いつまでもナメた口ききやがると──」
「やれやれ。まったく、やかましい。ならば、近くに竹林はないか?」
「──っ! あ?」
「竹林くらいは知っておろう?」
 とっさにファレスは返事に窮する。矢継ぎ早の質問に、頭の回転が追いつかない。つまり、それは「竹の密集した林」のことか? 
 せめて、おもむろに腕を組み、胡散臭げに男児を見やった。
「お前みたいなハナタレが、竹林くんだりに何の用だ」
 涼やかな気持ちにでもなりに行くのか? この若輩にして侘び寂か?
「こうして場所を尋ねたからには、これから赴くに決まっておる」
「──だから! お前そうじゃねえだろ! てめえみてえなクソガキ風情が、そんな所に何の用が──」
「我の好物での」
 いかにも嬉しげに、男児は笑った。「いや、茎や葉の方ではなくて」
 そこが肝心という顔で、きっちり真顔で但し書きを入れた。
「実の方じゃ」
 ファレスは「……あ?」と固まった。なんと返していいものか。
 胸のもやもやを、もてあます。どこから突っ込んでいいやら分からない。むしろ、食う気か、竹の実を?
 釈然としないながらも問い質そうと口をあけ、
「副長」
 ふと、ファレスは振り向いた。
 おい茂った原野の中で、街着の男がこちらを見ている。
 腕組みをといて話を中断、ファレスは男に歩み寄る。「ご苦労、ワタリ。進展は」
「──ええ、それが」
 ワタリと呼ばれた街着の男も、視線を走らせ、足早に近づく。短髪の先をピンと立たせた、町の若者のような軽装だ。だが、目つきは鋭く、隙はない。
 街道に配した連絡員だった。毎日定刻に報告をたずさえ、こちらの居場所にやってくる。
 手早く状況を報告すると、ワタリは一礼して歩み去った。隣のゲルに向かっている。あの椀を伏せたような建物の向こうに、馬をつないでいるのだろう。
 それを見届け、視線をめぐらせ、ファレスはふと見咎めた。
「おい、そこの! 何をしている!」
 こそこそ忍び寄っていた数人が、樹海沿いで飛びあがった。
 たちまち互いに押し合いへし合い、ほうほうの体で逃げていく。
 ファレスは向かいかけた足を止め、顔をしかめて舌打ちした。
「たく。逃げ足の速い連中だぜ」
 肩越しに睨んで牽制し、先の木陰へ引き返す。五人ほどもいたろうか。野営地を抜け出してきたらしい。目当てはむろん、あの客だ。ふと、先の枝を見た。
 原野に視線をめぐらせる。
「どこ行きやがった」
 枝に座っていた男児がいない。まだ大して経っていないが──。ならば、付近に幌馬車はないか。
「昔語りの衣装」というなら、あの奇妙な成りも腑に落ちる。子供のくせに弁が立つのも、芝居の台詞で慣れているなら、一座の者が置き去りにしたなら、あの不思議なほどに汚れのない、おろしたてのような草履にも、なんとか一応の説明はつく。
 ゲルの脇や荷馬車の向こう、遠くの木立までくまなく見たが、芸妓団の幌馬車は見当たらない。
 枝を大きく張り渡し、大木は梢を揺らしている。
 のんびり凪いだ昼の原野に、目をすがめてファレスはつぶやく。
「……妙なガキもいたもんだな」
 なまいき盛りのあの年にして、物怖じするでも、斜に構えるでもない。無闇に威嚇するでもない。むしろ、ゆるりと鷹揚な物言い。
 泰然とした佇まい、古風で硬い、奇妙で独特な言い回し。老成している、そんな言葉がしっくりくる──。
 気づいて、ゆるりと首を振った。
「どうでもいいか、ガキなんざ」
 懐に煙草を探りつつ、隆起した木根に腰を下ろした。
 煙草をくわえて点火する。どこか引っかかる子供だが、何かどこかが腑に落ちないが、子供の後を追うわけにはいかない。今ここを離れるわけには──。
 気を取り直して視線を戻せば、ゲルは穏やかに静まっていた。ふくれっ面を無理に押しこめ、ようやく出てきた時と同じ、様子に取り立てて変化はない。それを確かめて一服し、あいた片手で腹をさする。
 思わず微笑い、惰性になっていた手を止めた。
「──あんがい効くのかも知れねえな、"手当て"ってのも」
 腹の痛みがきれいさっぱり消えていた。胸の不快なむかつきも。
 大木にもたれて、紫煙を吐いた。ぼんやり投げた視線の先で、雲がゆっくり流れていく。分厚く白い、夏の雲──。
 ファレスは顔をしかめて目を閉じる。気分がなにか、落ち着かなかった。苛々と、そわそわと、嫌な具合にざわめいている。
 無視しても、それ・・が注意を引いた。手出しできない胸の奥を、カリカリ絶えず引っかいて。あの無神経な客のせいだ。ままごと遊びの真似などするから。無闇に腹などさするから。子供を気づかう母親きどり・・・・・で。
 心底、忌々しく舌打ちした。
 キリキリ、じくじく、腐って、乾いて、干乾びた傷痕。遠くに降り積もった白灰のような、ただそれだけの空虚な存在。うつろで漠とした、だが、それでも確かに、そこにある記憶。
 あれ・・を、やたらと思い出す。
 灰色にかすむあの頃のことを。ただ一人の背中を追いかけ、懸命に駆けていたあの日のことを。たった一人で取り残された、真っ暗に閉ざされた世界のことを。
 いつも、いつも、飢えていた。
 食える物など、どこにもなかった。見知らぬ他人の持ち物を、かすめ取って生きてきた。そうしなければ食えなかった。生き延びることが、できなかったから。

 砕け散った窓の破片が、鈍く日ざしを弾いていた。
 終わってしまった静かな世界に、光が淡く射していた。あれは遅い午後のことだったろう。季節は、もう覚えていない。喜び勇んで駆けつけて、ようやく見つけた場所だった。
 誰のものともわからない、うつ伏せた亡骸なきがらが転がっていた。
 自慢だった栗色の髪は、見るも無残に焼け焦げて、あでやかな舞いで魅了した、しなやかな肢体は黒く煤けて、細い丸太か棒切れのようで──。
 幼くても知っていた。「これ」が何であるのかは。見る影もない「これ」こそが、あの母の末路だと。 
 幕を引くにはあまりに短い、生にしがみ付くばかりの生涯だった。
 二十歳を少し、越えたばかりだったろう。軽く曲げた手の内に、つかみ損ねた夢の欠片。「あちら」側に渡りたくて、どんな男にも声をかけた。市民の身分さえ持っていれば、誰彼かまわず媚を売った。
 街での暮らしを夢見た女。「普通の」生活に焦がれた女。若く美しいばかりが取り得の、自由で奔放で尻軽な踊り子。それでも気まぐれに抱きあげては、あやしてくれた歌声が、頬ずりしてくれた微笑みが、世界のすべてだったのだ。暗く荒んだあの世界で、それが唯一持っていたもの。

 主柱が焼け焦げ、立ち折れていた。
 瓦礫がれきがあちこちで燃えくすぶり、白く煙が立っていた。屋根が焼け落ちた天井のない壁、炎に舐められた黒い柱、床に飛び散った生活用品。つい昨夜まで機能していた、町外れの民家の無残な姿。
 不審火だった。
 放火なのか、失火なのか、それとも男に捨てられて、あの女が火を点けたのか──あの女なら、やりかねなかった。起伏の激しいあの女なら。薬にまどろむあの女なら。

 火災の原因を調べるために、街の大人が駆けつけた。
 言い交わしながら一団が、薄い肩を突き飛ばし、砂利道の端へと追いやった。薄汚れた子供などには、誰も関心を示さなかった。かつて建物だったその場所を、顔をしかめて見てまわり、時には荒い怒声さえ交えて、そこかしこにひしめいて。
 そんな喧騒のただ中で、心は硬く凍てついて、ひっそり静まり返っていた。
 泣くことはおろか、身じろぎ一つできなかった。「それ」を目で追い、浅い呼吸で見つめていた。白い布をかけられて、道へと運び出される「それ」の行方を。
 気ままな母をなだめすかして、共に戻るつもりでいた。聞き分けのない、細いあの手を引っ張って。不貞腐った足どりを、いつものように引きずって。芸妓団の幌馬車に。
 白い煙が立ちのぼる、終わってしまった残骸に、ただ見入ることしかできなかった。
 世界は麻痺して時を止め、奪われ、奇妙に歪んでいた。どれだけ必死でしがみついても、人は急にいなくなる。
 受け入れることのできない現実の中で、真っ白に焼き切れた思考のただ中、ぽつんと残った芯のようなもの、それは白々とした自覚だった。ただひとり愛した人を、一つきりの拠り所を、永久とわに失ってしまったのだと。
 これから自分は、一人で生きていくのだと。

 膝に投げた腕の先で、紫煙が薄くたゆたっていた。
 後ろ頭を木幹にもたせて、ファレスはぼんやり夏空を仰ぐ。
「……とうとう、俺のものには、ならなかったな」  
 結局、あいつはわが子より、自分が惚れた男を選んだ。寄る辺ない子供がどうなるか承知で。体一つで捨てられれば、今日食う物さえ失くなることを知っていて──。
 顔をしかめて、紫煙を吐いた。鈍く走った胸の痛みを、気づかぬ振りでやり過ごす。とうに、そんなことは知っている。
 望むものは、手に入らない。
 望みは常に叶わない。むしろ、欠けがあればこそ望むのだ。がむしゃらに。切実に。不足を補い、あるべき形に整えるために──
 肩が、弾かれたように硬直した。
 すばやく視線を走らせる。つかの間とらえた「人」の輪郭。節くれ立った
 男の手。
「誰だ!」
 警告を投げて射程から逃れ、大きく脇へ飛びのいた。
 
 

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