■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部1章 6話7
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ぬるい風が、頬をなでた。
身をかたくして目をつぶり、エレーンは耳をそば立てる。物音は聞こえないか。近づいてくる──
足音が。
ガラン……と、畜鈴の遠い音。
どこかで梢がそよぐ音──。怪訝に思い、目をあけた。
あの彼の姿がない。土間の向こうにいたはずなのに。消えた?──いや、土間の
左だ。
あの高い背が、戸口にあった。
いつの間に移動したのか、靴脱ぎ場の仕切りの前。あの短剣は握ったままだ。もう片方のあいた手が、戸口の仕切りを払いのける。
ぎゃっ、と人影が飛びのいた。
「……え」
立ちはだかった背中の向こうに、すくんだような男の輪郭。
──人が、いる?
抵抗しないとの意思表示か、両手をあげているようだ。きらり、と刃が夏日を弾く。その切っ先は
男の腹。
はっと息を飲み、目をみはった。
「だ、だめっ……やめて、ノッポ君っ……」
制止はしたが、声が震えた。縮こまって声が出ない。けれど、彼には届いたはずだ。
かすかだけれど、手応えがあった。背をそむけたシャツの肩が、ピクリと反応したような──。
ぬるい風が吹きこんだ。
戸口の野草が、微風にそよぐ。仕切りをあげた靴脱ぎ場が、午後の日ざしを浴びている。戸口の二人は動かない。
「無理ー」
間延びした声がした。
気負いのないウォードの声。だが、短剣の切っ先は突きつけたまま。
ぎくしゃく人影が身じろいだ。自分の腹あたり、刃に目を落としたらしい。
「──あァ?」と、いぶかしげな男の声。
「もう無理ー」
二人の間に、沈黙がおりた。
やりとりが何かちぐはぐな上に、空気が強ばっているような──?
「なっ、なァ〜んで、てめえがここにいるっ!?」
たじろいだような声があがった。
甲高く裏返った男の声音。どうも、どこかで聞いた気が……?
戸口をふさいで立っていたウォードが、ようやく、のそりと身じろいだ。向かいの顔が露わになる。
「……え?」
思わず、エレーンは顔をしかめた。バンザイで顔を引きつらせていたのは、羽根がついた大きな帽子。
ツバの下の黒い縮れ毛。首にはジャラジャラ宝飾品。大昔の貴族のようなごてごて仰々しいあの衣装。あれって確か
「……。調達屋?」
昼食時を取り仕切る、あの珍妙なちょびヒゲではないか。名前は確か──そう、ジャック。てか、なんでいつも、大仰な帽子を被っているのだハゲでもあるのか?
「もう無理ー。新しいのと替えてくれるー?」
「──たァくっ! またかよ、てめえはっ!」
自棄を起こしたような剣幕で、調達屋が刀柄を引ったくった。
ウォードの顔をねめつけながら、ゲルの仕切りを憮然と払い、ずかずか靴脱ぎ場に踏みこんでくる。
細っこい貧相な足を片方ずつ膝にあげ、ぶつぶつ言いつつ靴を脱ぐ。「玄関あけたらいきなりウォードたァ、どんな悪い冗談だ。──たく! 脅かすんじゃねえよ。こちとらこれから、仕事にかからにゃなんねえのに、よ……?」
忌々しげに戻したその目を「……んん?」と二度見ですがめ見る。
ぴょん──っ! とバネ仕掛けのごとく飛びのいた。
ぼとん、ぼとん、と背後の床に、ぶん投げた靴が落ちゆく中、半開きの口をわななかせる。
「なァ〜んで、お前が起きている!?」
びしっ、と指を突きつけられて、エレーンは口を尖らせた。
「……や。なんでって言われてもぉー」
そっちの方こそ意味不明だ。むしろ、いきなり、なんたる言い草。てか、さっきウォードを制止したのに、聞いてなかったのかこのチョビひげ。
何が不思議か調達屋は、あんぐり驚愕の顔で固まっている。
と、すばやく視線を走らせた。
今度はなんだ。何事だ。なんぞ探しものでもしてるのか?
ぴた、と壁に両手両足で貼りつくと、そそそ……とすばやく上がりこんだ。
格子のはまった壁際を、ウサギがカリカリ引っかいていた。
天窓のあいた中央の土間には、夏陽がうららかに射している。ちなみに、あの後ウサギの奴は、ゆるんだ空気をちゃっかり読んで、とっとと膝から出て行った。
手持ち無沙汰な体育座りで、エレーンは頬をひくつかせる。
(……みんな、そんな暇なわけ?)
見舞いが二人になっていた。
お花を持ってきてくれたノッポ君、というならまだしも、見舞われる覚えなど一切ない、あの変てこりんな調達屋までもが、なぜだか、だらだら居座っているのだ。時折ちらちら見ているようだが、なんぞ、こっちに用でもあるのか?
長い手足を床に投げ、ウォードは寝転び、昼寝の体勢。瞼を閉じたその肌は、意外にもつるんと、きめが細かい。
薄い茶色の前髪のかかる彼の顔を盗み見て、エレーンは膝に突っ伏した。
「……なんだ」
ぜんぜん平気じゃん。
この青年ウォードについて、ケネルは散々脅していったが。
確かにウォードは、腕利きの戦士なのだろう。今の身のこなしで十分わかった。建物の外の気配を読みとり、音もなく距離を詰め、戸口の仕切りを払った時には、相手に切っ先を突きつけていた。
だが、ここは戦地ではない。それに、たぶん気に入られている。わざわざ見舞いに来てくれるほどに。
かかえた膝にあごにのせ、むう、と口を尖らせる。
「……心配して損した」
あくびをしているウォードの顔には、害意なんか、かけらもない。ケネルは意外と心配性だ。
「──あーあー。刃先がつぶれていやがる」
しゃがれたような甲高い声は、中央の土間のかたわらで、あぐらをかいた調達屋だ。ウォードが渡した短剣を、ためつすがめつ検めている。
「やたらと何でも刻むからだぞ。──たく。ついこないだ、やったばっかの奴じゃねえかよ。まったくお前は毎度毎度……ぶつぶつ……」
「あたしも欲しいな、そういうの」
もそもそエレーンは這い寄った。
「──あァ? 何に使うんだ、短刀なんざ」
「だから〜。あたしも護身用っていうか?」
「必要ねえだろ、お前には」
なあにが不足だ、あんな化けもん従えやがって……と、なぜかぶつぶつ聞こえたが?
振り向きもしない縮れ毛の肩を、エレーンは笑って、パン──と叩く。「だって、恐いじゃないのよ色々と。だって、いるでしょー? 泥棒だとか悪い奴とかー。ほらあ、か弱い乙女としてはさあ〜」
「……」
こら、チョビひげ。なぜ、そこで返事をしない。
顔をしかめた調達屋は、すがめ見ながら顔をあげた。
じろじろ不躾に眺めまわしている。品定めでもするように。
ぷい、とすげなくそっぽを向いた。
「だめだな」
むっ、とエレーンは拳をにぎる。「えええーっ! なんでよー!」
「なんでもだ」
「みんなには、あげてるじゃん。いーでしょ、一個くらい増えてもさー。そんなケチケチしなくてもぉー」
「 だめったら、だめだってんだっ! ──たく。んなもん、うっかり渡してみろや。ケネルに何言われるか」
「あげるー」
え? とエレーンは、右手の声を振りかえる。
ウォードが床に寝転んだまま、ひょろ長い腕を伸ばしていた。その手にあるのは、検分中の件の短刀。つまり、これをプレゼントしてくれると?
「え、……あ、でもぉ〜……」
お古?
「どうぞー」
だけど、刃がガタガタなんじゃ……?
廃品みたいで躊躇するが、とはいえ彼のせっかくの好意だ。
「……あ、ありがとお」
むげにしても角が立つ。
受け取るだけ受け取ろうと、ぎこちない笑顔で手を伸ばす。
忽然と、短刀が消え失せた。
「だめだと言ったろ。今さっきだ」
かすめとったのは調達屋だ。舌打ちで顔をしかめている。
「むっ。ちょっと。どおしてよ」
「扱えやしねえよ、女子供じゃ。どうせ、すっ転んで、てめえの腹でも、ぶっ刺すのがオチだ」
「……むぅ。そんなに鈍くないもん」
たぶん。
刀柄がウォードに向くように、くるりと短刀を持ち替えて、パシン、とその手に叩き返す。
「手配はするが、すぐには無理だ。しばらく、こいつで我慢しな。──たく。バパは何してやがるんだ」
こんな猛獣、野放しにしてよ〜……などと妙な悪口が混じっているが?
「今、寝てるー」
「……。昼寝かよ」
律儀に応じたウォードの応えに、調達屋はげんなり脱力した。
「たく。どいつもこいつも、たるんでいやがる。いくらカレリアがぬるいからって。アドはアドであの通りのザマだしなァ……」
「ねー、どうやってんの? 調達って」
横から、エレーンは縮れ毛を覗く。
「ずっと不思議だな〜って思ってたのよね〜。鞄とか薬とか、すぐに届くし。こんな原っぱじゃ、お店なんかないのに。お弁当だってけっこう豪華で。それも毎日! 毎日よ?」
あァん? と調達屋が面倒そうに舌打ちした。
ちろ、と品定めの一瞥をくれる。そして、
「企業秘密だ」
つーん、とつれなくそっぽを向いた。
むっ? とエレーンは拳を握る。
ふくれっ面で口をとがらせ、はたと気づいて膝を打つ。
お祈りするように手を組んで、にんまり顔を振りあげた。
「でも、さすがに無理よねえ? かわいいランチボックスとかは〜」
「──あ? なんだ。そんなことかよ」
小馬鹿にしたように鼻を鳴らして、ふん、と調達屋は腕を組む。「なんだ、弁当の一つや二つ。俺にかかれば、朝飯前だぜ」
「すんごいっ! まじで?」
んん? と調達屋がチラ見した。
両手を腰に、そっくり返って、がはがは笑う。「なんでも言えや、この俺にっ! "依頼の品がこの世に在るなら、なんであろうが調達する"ってのが、この俺様のモットーだからな!」
「えー? なんでもぉ〜?」
語尾は疑わしげな疑問符で。
「たりめえだろ。俺を誰だと思っている。シャンバール屈指の"調達屋"といや、誰あろう、俺様のことだ。いいか? こちとら プロ なんだよ プロっ!」
「ぃよっ! さっすが なんでも 調達屋っ!」
片手を頬に、すかさず合いの手。
……んん? と調達屋が動きを止めた。若干何かが引っかかるようだ。
「あっ。んじゃねえ!──はい! はい! は〜いっ!」
首をひねるその肩を、ぱしぱし叩いて注意を引き、エレーンはがぜん、張り切って挙手。
「明日のご飯のことなんだけどお〜、"特製さざなみ弁当"ね! あ、もちろん《 かりん亭 》特製の、十食限定プレミアムボックスよん?」
ぎょっ、と調達屋が向き直った。
「てっ、てっ、てめえっ! その店どこにあるか知ってんのか! 《 かりん亭 》っていや、商都にある老舗じゃねえかよ! 部隊が今どこにいると──」
「なんでも言え って言わなかったぁー?」
「──ぅっ──ぐぅっ!?」
ふるふる打ち震える調達屋を、含み笑いで、ちろ、と一瞥。
「できる、わよね?」
「──できるっ──に、決まってんだろっ!!!」
調達屋はゲンコを握り、前のめりで、ぎりぎり歯ぎしり。
卒倒しそうな勢いで。
手足を伸ばして寝転がっていたウォードが、我関せずであくびした。
意地悪な調達屋をやっつけて、エレーンは清々ご満悦。
はっ、と鋭く息を飲んだ。
──この、感じ。
どくん、どくん、と鼓動が息づく。
ぴん、と引っぱられるような、この感じ──。
覚えがある。かすかだけれど、確かにそこにある、この感覚。
もろくも細いこの糸を、断ち切らぬようたぐり寄せ、見失わないよう息を殺して、じっと一点に意識を凝らす。
(……これって)
切なさで胸が詰まった。
そわそわ膝を立て、立ちあがる。
あわてて戸口に駆け寄った。仕切りをつかんで払いのけ、息せき切って外に出る。
真夏の日ざしに目がくらんだ。
さわり、と風が腕をなでる。
おろした前髪がさらさら、なびく。
「──どこ?」
見渡すかぎりの真夏の緑。
歯噛みして視線を走らせる。「……どこにいるのっ!」
いや、居場所は知っているはずだ。
草海の面を波立たせ、ざわり、と夏風が吹きぬける。
目が、一点に吸い寄せられる。
なだらかに続く緑のかなた、長衣の遊牧民と談笑しながら、馬を引いて歩いてくる。
熱い固まりが喉に込みあげ、矢も盾もたまらず駆け出した。
十分すぎるほど分かっている。
こちらに向かっていることは。
ここで到着を待っていたって、もう、どれほどもかからない。でも、待ちすぎるほど待ったのだ。半日近くも離れていたのだ。
もう一刻も待ちたくない!
はだしの足裏が、夏草を蹴る。
腕を振って走るにつれ、ぐんぐん人影が大きくなる。のんびり歩くあの姿が。
あの革ジャンと黒髪が。
「──ケネルっ!」
連れとの談笑を取り止めて、ふと、黒髪が振りかえる。
目をみはったその顔めがけ、両手を広げて地を蹴った。
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