■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部1章 6話8
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ふわり、と舞った寝巻きの裾が、半周まわって収まった。
しがみ付いた手の平に、硬い生地がひんやりと冷たい。いつも着ている無骨な上着。頬にあたる項の髪先。
背中に、受け止める腕の感触。
「おかえりなさいっ! ケネルっ!」
とっさにかがんだ黒髪の項に、両手で強くしがみついた。
日焼けした頬にすりすりする。気が済むまで。思う存分。よく乾いたお日様の匂い。待ちに待ったケネルのぬくもり──
ふと、気づいて顔をあげた。
なぜだろう、ケネルが動かないのは。
それに、ずっと無言のままだが……?
見れば、ケネルは目を閉じて、軽く眉をしかめている。何をそんなに黙りこくっているのか。ちなみにふるふる、拳が震えているのはなぜだ? 不思議に思い、横から覗く。「どったの? ケネ──」
「なんて格好をしてるんだっ!」
ぎょっと長衣の人影が、少し離れた場所で飛びあがった。
立ち去りかけた裾をさばいて、そそくさ逃げるように離れていく。
(……はあ? な〜によ、これっくらいで)
とっさにすくめた首を戻して、エレーンはやれやれと耳をほじった。
(修行が足んないわよ、修行が)
ケネルが怒るのは毎度のことだ。むしろ、怒らないならケネルじゃない。こんなカミナリ、もう慣れた。そんなの気にしていたら、きりがないのだ。そんなことより問題なのは、ケネルのこのノリの悪さだ。せっかく迎えにきてやったのに。そういや、格好がどうのと言ってたが──なによぉ、と自分の寝巻きを見た。
「えー……」
ふくれっ面で仰ぎやる。
「これ、そんなにイケてない〜?」
ケネルが無言でうなだれた。
「……そういうことを……言ってるんじゃない……」
やっとのことでそう言って、額をつかんでゆるゆる首振る。
軽い溜息で目をあげた。「まったく、あんたは。そんな下着で出歩いて──」
「はあ? これの、どこが下着よ」
むぅ、とエレーンは見返した。
「これは下着じゃありませんんー! てか、ケネル、朝にも見てるじゃん。むしろ、どうすれば下着に見えるわけえ? こんなにかわいいヤツなのにぃ。てか、これ、けっこう高かったんだからあ」
ケネルが舌打ちで上着を脱いだ。
「羽織ってろ」
ばさり、と頭からおっ被せられ、エレーンはよろめき、ぶかぶかな生地から顔を出す。
胸のあたりを、二指でつまんでつくづく見、
「返す」
ケネルに口を尖らせた。
「いーわよ、返す。寒くないもん」
言っちゃなんだが、埃っぽいし。
もそもそ上着を、肩から滑らす。「大体これ、重たいし。こんなの着てたら、肩こっちゃう──」
「いいから着ていろっ!」
む、とエレーンは手を止めた。
「……もぉおぉー。なんで、すぐに命令するかなあ」
それでも、ぶちぶち羽織り直す。「なあに、そんなに怒ってんのよー。迎えに来てあげたのにぃ〜」
これじゃ、せっかくのフリルが台なしだ。長い裾を振りかえり、おかしくないか我が身を点検。──いや、どう見たっておかしいだろう。ふりふりドレスと無粋な上着じゃ。合わないにも程がある。ケネルってば、センスがないったら──。
ぐい、とケネルが二の腕を取った。
有無を言わさず歩き出す。
「ちょ!?──ちょ、ちょ、ちょっとお!」
とんとん片足でたたらを踏んで、エレーンはわたわた手を振った。再会してから約一分、早くも強制連行とは。
蹴っつまずいて転びそうだが、強引で横暴で今なんか怒ってるケネルは、こっちのことなんか見向きもしない。
「たく。そんな格好で出てくるなんて、なぜ、そんなことを思いつくんだ。ほら。早く、ゲルに戻──」
「待ってってば! ちょっと待ってケネル! 痛いってば足っ!」
「──足?」
半袖の背が立ち止まった。
ようやく怪訝そうに振りかえる。覗きこむように肩をかがめ、寝巻きの裾を、ぴら、とつまむ。
「……裸足かよ」
へたり込みそうになりながら、ケネルが捨て鉢に背をかがめた。「ほら。つかまれ」
「うんっ!」
飛びついた膝裏を左腕でかかえ、ゲルに向けて再出発。
「まったく何を考えているんだ。足の裏を切るだろう」
「だって急いでいたんだもん。──あっ。ねーねーケネル、どうせ運んでくれるなら〜」
「なんだ」
「ほらあ、あるでしょー? アレとかさあ〜」
「なんだ、アレって」
「だから〜」
片手で首にしがみつき、ぴん、とエレーンは指を立てる。
「お姫さまだっこっ!」
「いい加減にしろよ?」
間髪容れずにケネルは一蹴。検討の余地はないらしい。
「だあって、これじゃあ、なんか子供みたいじゃん」
「文句を言うな。足が無事なら、いいだろう」
「だからー。そーゆーことじゃないのよねー。もー。なんで、だめなのよ、お姫さまだっ──」
「手がふさがる」
むう、とエレーンはぶんむくれた。
「手なんか、どうでもいーじゃないよ別に」
どうして、こいつはこうなのか。常に実務一点張りで、ときめきもへったくれも、あったもんじゃない。
「あのねー。あたし、ずーっと待ってたんだからね。なのに、全然戻ってこないし」
「戻ったろう、陽のある内に」
「そんなの全然遅いもんっ! なによ、世間話なんかしちゃってさあ! こっちはいつ帰ってくるのか、ずうっとずうっとずうっとずうっと首を長くして待ってんのに」
言いつけを守って、外にも出ずに。
「やっと戻ってきたかと思えば、いつまでも油売っててさあ。せっかく迎えにきてあげたのに。なのにケネルってば、ぶつぶつぶつぶつ小言ばあぁっか!」
「だが、だからといって、その格好は──」
「なによっ!」
「……」
ケネルがひるんで口をつぐんだ。
口を半開きにして言葉を探し、ゆるゆる首振り、歩き出す。色々文句はあったらしいが、結局断念したらしい。
編み上げ靴で草を切り、足早に原野を歩いていく。
歩く度、景色が上下する。投げ出された裸足の先が、踏み出す度に、ぶらぶら揺れる。ケネルは意外と力持ち。腕一本でかかえているのに、まるで事もなげな平ちゃらの顔。その淡々とした横顔は、もう、別のことを考えている。
青い草葉の面をなでて、さわり、と風が行きすぎた。
晴れた空、おい茂る緑。ぽっかり浮かぶ白い雲。青く澄んだ大きな空が、どこまでもどこまでも広がっている。
単調な足音が、伸びた青草を切っていく。ケネルの肩に顎をのせた視界で、景色が後ろ向きに遠ざかる。
空との境の蒼い稜線。降り注ぐ午後の日ざし。緑に遠く点在する、ごま粒大の家畜の群れが、ゆっくりゆっくり動いている。近頃見慣れたこの景色も、ケネルにはこんな風に見えていたのか──。
ぶらぶら揺れる爪先を感じて、青草の匂いを吸いこんだ。
ぎゅっと首にしがみ付いたら、ケネルの頬は、乾いて、冷たい。まだ少しぬくもりの残る、ずっしり重たいケネルの上着──。
ケネルは無言だ。相変わらず喋らない。よほどのことがなければ、ほうっておかれる。そういうのにも、もう慣れた。でも、もっと、お喋りしたい。
「もお、どこまで行ってたのよー。もう、すぐに夕方じゃないよ。お昼もとっくに食べ終わって──んねー! ケネル聞いてるぅー? 中々帰ってこないから、あの意地悪な女男と、二人っきりで食べたんだからね。すぐ戻るって言ったくせにぃ」
「俺は、そんなことは言ってない」
突如ケネルが、ぼそっと訂正。
むっとエレーンは振り向いた。「えーうそうそ!? 言ったわよぉ!?」
「言ってない」
「言ったっ!」
「言ってない」
「ぜったい言ったっ!」
ケネルがたじろぎ、口をつぐんだ。
「……言ってない」
だが、あくまで無実を主張。
「あ、ねえっ! だったら、お昼は? ご飯食べたの? それともまだ?」
「飯は向こうで食ってきた」
「……。ふーん、食べたんだー……ケネル、一人で食べちゃったんだー……あっ! ちょっとぉ! 向こうってどこよ! どこ行ってたの!?」
「……」
ケネルはだんまりを決め込んでいる。それには答えたくないらしい。
「もぉおー。なによ自分ばっかり! あたしだって息抜きしたいもん。遊びに行くなら誘ってくれても」
「……あんたな」
げんなりケネルが嘆息した。「なんのために、休みにしたと思っているんだ」
「いーじゃないよ、一日くらい」
「このままあんたに寝つかれてみろ。いつまでも先へ進めな(い──)」
「あっ! そうそう! 今日のお昼の献立はねー」
「──聞けよ話を!」
「それがさー。もー聞いてよケネル(←聞いてない) なんか今日もお皿がすんごいいっぱいで〜あたしあんなに食べられないっていつも女男に言ってんのになのにあいつ食べろ食べろってうるさくってさそれでねケネルだからあたしは──」
「……」
「あ、キャンプの人が持ってきてくれたから、なんにもしなくても大丈夫だった。それで今日のおかずはねー、ご飯とゆで卵と野菜の煮たのとそれからチーズとお豆の柔らかく煮たのと、あ、あと桃とかもあっておいしかった。たくさんもらって、それからねー……(以下、発言者の嗜好と希望を織り交ぜつつも、品目の披露と評価が延々続く)……」
つかまった耳元でぺちゃくちゃ続く「お留守番報告」には口を挟まず、ケネルは黙って聞いている。口をはさむ余地がないともいうが。
言葉を切らずに話を続け、エレーンはもそもそケネルの首筋にもぐりこむ。頬はひんやりしてたのに、首筋は案外あたたかい。今、ここにいるネルの体温──。
ケネルが、いる。
ほっとする。
そう、なぜだろう、ほっとする。
ケネルがいると、そばにいるだけで、ほっとする。無条件に。手放しに。この気配に慣れているから? こうして彼と一緒にいる時間)が、他の誰より長いから?
きゅっ、と胸が締めつけられた。
思わぬ反応にエレーンは戸惑い、唇を軽くかみしめる。ケネルのうなじの髪先を、くるくる指に巻きつける。「……ねー。ケネルぅ」
「なんだ」
いかにもなおざりで、ぶっきらぼうな返事。荷物みたいに運んでいる。まったく愛想のかけらもない。返事をするだけ、前よりましにはなったけど。
「ねー」
「だから、なんだ」
「……ねー、ケネルー」
こっち見てよ。
まっすぐ前に向けられた目。いつでも前を見ている瞳。その目はゲルしか──いつでも目的地しか見ていない。
不公平だ。
こっちは、すぐに、はらはらして。ちょっとしたことでも、どきどきして。なのに、こんなに体を密着しても、ケネルには照れるということがない。馬での移動も、ゲルの中でも、二人っきりでも、いつも、いつも、いつも、いつも──
「……おい。耳をかじるな」
む。
なによ。そんな青筋たてて怒んなくても。
「こら、蹴るな」
「んもおぉー! ケネルずるいっ! ずるいずるいずるいっ!」
そんなの不公平だ。そうだ。断然不公平だ。
「な、なんだ、いきなり!? つねるな! 暴れるな! 髪の毛をそんなに引っ張るなっ!」
「ふ〜んだ! もっと、つねっちゃうも〜んっ!」
「──なにを考えてんだ! あんたはっ!」
頭をぐちゃぐちゃにされながら、ケネルはゲルへと、ずんずん進む。
「頭をかじるな猛獣か! まったく、あんたは理解しかねる!」
鬱陶しげに振り払い、まなじり吊りあげ、ケネルはがなる。
ふと、向かいを振り向いた。
「急用か」
ゲルの布壁で人影が、ヤモリのごとく動きを止めた。
両手を広げて張り付いた、どこかで見たような羽根つき帽子──?
「何をしている、そんな所で」
咎めるようなケネルの声音に、なははっ、と調達屋はぎこちなく笑う。「──あ、ああ。補充はねえかと思ってよ」
「あんた自ら御用聞きか?」
ケネルの横顔はいぶかしげだ。
「あー。その人、お見舞いだから」
ケネルの首にしがみつき、エレーンは「やっほー」と向かいに手を振る。「ねー。あたしのお見舞いにきてくれたのよねー?」
「──ぅわっ! ばかっ! シィーっ! シィーっ!」
ぎょっと顔を引きつらせ、調達屋は必死の形相で口ぱく。
「なによお。さっきは、そう言って──」
「見舞い?」
ケネルがそれを聞き咎めた。
「あんたがか?」
大きなつばの羽根つき帽子が、しどもど目を泳がせる。「い、今は怪我人、かかえてんだろ? 様子を見るくらいは、しとかねえとよ」
「殊勝だな。珍しく」
「……。じゃ、これでな。俺は戻るぜ」
「調達屋」
そろりと返したその足が、ぎくり、と即座に凍てついた。
……あ? と振り向いた汗だくの顔に、ケネルは眉をひそめて目を据える。
「あんた、俺に言うことはないか?」
調達屋はそわそわと、しきりに足を踏み替えている。「──い、いや、ねえな。そんなもんは特別」
そして、しきりにチラ見している。少し離れた場所にある、隣のゲルが気になるようだ。
「じゃ、俺は行くからよ!」
声を張って殊更に宣言。ついには、そそくさ歩き出した。
同じ側の手足を同時に突き出し、ぎくしゃく足を運んでいく。
その足を、ためらいがちに止めた。
「……一応、報告するけどよ」
肩越しに振りかえり、ちら、と思わせぶりに見た。
「もう一人いるぜ、とんでもねえのが」
さした顎先に、件のゲル。
ケネルが怪訝そうにゲルを見る。
さささ──とその隙に帽子が逃げた。
あっという間に隣に到着、壁の向こうに滑りこむ。あきれるほどの素早さだ。
それをケネルは見やったが、もう引き止めることはせず、再びゲルへと踏み出した。
急に体が大きくゆられ、エレーンはあわててしがみつく。
「……あ、あのね、ケネル。お見舞いのこと、あたしは言おうと思ってたのよ? でも、ケネルがいきなり怒るから、なんか、ちょっと、言いそびれちゃたっていうか──」
つかつかケネルはゲルに近づき、戸口の仕切りを片手で払う。
とん、と左腕のエレーンを降ろして、室内に視線を走らせた。
「出ろ! ウォード!」
ぎょっと、エレーンは振り向いた。いくらなんでも、いきなりそれは、あんまりではないか。
うららかな陽のさす土間の向こうで、ひょろ長い手足を持て余すように、ウォードはあぐらをかいている。
のそりと顔だけ振り向いたウォードに、ケネルは視線を据えている。
「ちょ、ちょっとケネル。そんな言い方……」
戸惑いしきりで、エレーンはやきもきたしなめる。「そんな言い方しなくても。せっかく来てくれたのに。あ、それよりケネル、靴は脱いだ方がいいんじゃない(の?)──」
「外へ出ろ」
「休んでるー」
悪びれるでもなく、ウォードは主張。
「いいから出ろ」
ケネルが踏みこみ、問答無用で腕をとった。
「見舞いは終わりだ。野営地へ戻れ」
強引に腕を引っ立てられ、ウォードは中腰でケネルを見あげる。
「……仕方がないなー」
ひょろ長い足を立て、膝の上に手を置いて、渋々といった様子で腰をあげた。
エレーンはおろおろ二人を見やる。その目の前をぶらぶら通過し、ウォードは戸口の靴脱ぎ場で、自分の布靴を突っかける。あんがい素直だ。さすがに不服そうではあるものの、ケネルに対してごねるでもない。さっき彼と話した時は、まるで聞く耳持たなかったのに。
夏日射しこむゲルの戸口を、頭をかがめて白シャツが出て行く。かける言葉もなく背中を見送り、エレーンはげんなりと振り向いた。
「もう! ケネル! なによ急にぃー」
同じ退去を促すにせよ、あれでは立つ瀬がないではないか。
「俺の留守中、誰もあげるな、と言わなかったか?」
「──うっ。だ、だって、それはー。──だって、勝手に入ってきちゃうし。あ、止めたのよ? 一応は。でも、聞いてくんないし──あ、どこ行くの!?」
「外の荷物を取ってくる」
ケネルは戸口に向かっている。そういえば彼の荷物が、いくつかあのまま置きっぱなしだ。頭をかがめて、敷居をまたぎ、ケネルはまぶしそうに陽を仰ぐ。
背をむけた向こうから、何気ないつぶやきが聞こえた。
「──少し、自覚がなさすぎるな」
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