■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部1章 7話2
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遠巻きにした傭兵たちが、困惑顔で盗み見て、そそくさ通り過ぎていく。
太くて毛深いその腕が、後ろ手をついて喫煙していた。
シートについた無骨な手。蓬髪の下の眼光は、周囲を威嚇するかのように鋭い。
馬から降りた昼休み。エレーンは首長アドルファスのシートにいた。
報せを聞いて飛んできた首長は、一目で何事か察したようで、すぐにファレスを遠ざけた。そして、何も聞かずに付き添ってくれた。
集合場所へは、彼の馬で首長と向かい、待機していた部隊と合流した。だが、アドルファスは他の者を近づけなかった。その間わずかに接触したのは、声をかけてきた短髪の首長くらいのもので、それさえ何事か耳打ちしただけだった。短髪の首長はうなずきながら、ちらとこちらを見やったが、特に声をかけるでもなく、連れとともに離れて行った。だから、今日は朝から未だに、ケネルと顔を合わせていない。
ほとんど手付かずの弁当を、エレーンはうつろにながめやる。
あの後ケネルは、まだ何か言っていたようだが、うまく意味を汲みとれなかった。のしかかった人影が恐ろしく、ただただ硬く目を閉じて、相手に合わせてうなずいていた。ケネルの不興を買わないように。何も考えず。何度も、何度も。
一体どれくらい、そんなことをしていたろう。取り乱されて興醒めしたのか、やがてケネルは身を起こし、暗がりの寝床へ戻っていった。
その後は寝つかれず、浅い眠りをさまよった。ようやくまどろみが訪れて、長い一夜が明けた頃には、ケネルの姿はもうなかった。
隣でシートに足を投げた蓬髪の首長には気づかれぬよう、エレーンはそっと溜息をつく。
落胆が寒々と胸を覆った。まさかケネルが、あんなことをするなんて。いや、初めから見誤っていたのかも知れない。あの彼の本性を──。
はっと気づいて、頬をぬぐった。
「……あ、あの、アド」
心もち声を落として、ぎこちなく隣に笑いかける。「その──ちょっと、行ってくるね」
目線で、森の風道をさす。
「おう」とアドルファスは短く応え、顔をしかめて紫煙を吐いた。
蓬髪に隠れた横顔は、昼の原野をながめている。用足しに行くことは伝わったはずだが、蓬髪の首長に動きはない。
エレーンはためらいがちに腰をあげ、彼のシートをおずおず離れた。こんな所で泣き出せば、また首長を心配させてしまう。
休憩に入る前に教えられた、西側の風道へと足を向けた。無神経なファレスのように、首長はずかずかついて来はしない。そして、やはり詮索しない。
森の風道の入り口に立ち、のどかな樹海を、エレーンはながめる。
ぬかるんだ広い土道が、森の奥へと伸びていた。真上に昇った陽を浴びて、昼の森は凪いでいる。
休憩で立ち入れる領域は、用足しの際に支障があるため、男女でおおまかに分けられている。風道の東が男性の領域。緩衝地帯を中央に挟んで、その西側が女性の領域。それに配慮してアドルファスは、今日は西に寄せてシートを敷いた。風道付近を陣取って。
この風道の西側には、誰もいないはずだった。彼らの立ち入りは禁じられている。ここなら、しばらく一人になれる。
昼休憩のざわめきに背を向け、エレーンは足を踏み入れた。
「しばらく先導を頼めるか」
樹海の木陰に寝そべったバパは、面食らって声を仰いだ。
木幹の脇にもたれたのは、二十代後半の黒い頭髪、そして、静かに見据える落ち着いた双眸。いやしくも一隊を率いる首長に、こうも率直にものを言える若手は、部隊広しといえども限られる。
バパは横目で彼を見る。「いいのか? こっちばかりが先頭で。向こうさんにもメンツがあるだろ。後方ばかりやらされちゃ、若い者だって腐るしよ」
「先導隊は、部隊の命運を担っている」
ケネルは言下に切り捨てて、休憩中の部隊をながめた。「急場に判断を誤れば、その累は総隊に及ぶ。小手先の情で危険にさらすわけにはいかない」
「ま、俺の方は構わねえが。──ああ。そうそう、こっちにきてたぜ」
脱いだ上着を無造作に引き寄せ、バパはその懐を探った。
「招待状だ」
差し出したのは、何かの書類だ。数枚重ねて畳まれた、三つ折りにした白い紙束。
「ま、確かにこのところ、ふさぎこんではいるようだしな」
半袖の腕を軽く掻き、バパは木陰で休む人だかりをながめる。「どうしちまったんだか、アドの奴。放胆なあの男が、引きこもってるってんだから驚きだぜ」
「今に始まった話でもない」
そっけなくケネルは応え、受けとった書類に目を通す。「アドルファスの様子が変なのは、客を斬った翌日からだ」
バパは面食らって、ケネルを仰いだ。「──恐れ入ったぜ。よく見ているな。ずっと、あの子にかかりきりで、野営地には見向きもしなかったのによ」
ケネルは軽く書類を畳み、バパの胸元へほうって返す。「時期尚早、却下だな」
「了解、俺の方で返事はしておく」
バパは寝そべったまま身をよじり、拾ったそれを上着に戻す。「どのみち今は動けないしな。もうしばらく、かかりきりだろ」
樹海の木陰は、昼のざわめきに満ちている。
木陰に沿って広がった、休憩中の見慣れた部隊。平素と異なるところといえば、一面を覆う暗色に、ぽつんと明るい色彩が入り交じっていることか。
「あんた、副長の要請を蹴ったらしいじゃないか」
頭の後ろで手を組んだまま、ちら、とバパは目だけを向ける。「──耳が早いな」
ケネルが苦笑いして懐をさぐった。「意外だな。あんたでも気に食わないか、若造に指図されるのは」
「そんなみみっちいことは言わねえよ。だが、俺にも立場ってもんがあるからな」
「立場ね。しかし、随分と度胸がある。あの"ウェルギリウス"の要請を、まさか蹴る奴がいたとはな」
火を点け、ケネルは一服する。
のどかに凪いだ昼の草原、木の根で木漏れ日がゆれている。
その短髪の耳元で、ピアスの赤がきらめいた。
「支障はねえだろ、突っぱねたところで。どうせ、ファレスがかぱうんだからよ」
苦笑ってケネルは紫煙を吐き、挑むような一瞥をくれた。
「あんた、知ってて煽ったな?」
あの冷淡な副長には、意外にも律儀な一面がある。
孤立無援の脱落兵を、拾いに行くのもこの男。一人で焦れてカリカリし、あげく単身乗りこんで、首根っこつかんで引きずり出してくる──行動を共にする彼らには、すでに馴染みの光景だ。まして、その目に止まった相手が、頼りないなら尚のこと。
バパも煙草に点火して、煙たそうな顔で、火を振り消す。「えらい剣幕で帰って行ったよ」
「だろうな。あいつは客のこととなると、見境がなくなる」
指で紫煙をくゆらせながら、くすり、とケネルは小さく笑う。あてつけがましく横目で見やった。「で、あんたは"協力しない"と」
「だったら俺に、こう言えってのか?」
バパはおどけた仕草で手を広げる。
「"さあ、皆さん。お行儀よくして。お姫さんにちょっかい出しちゃいけませんよ"ってよ。──ばかばかしくて言えるかよ。俺は、ガキどもを引率しているわけじゃない。そんなことより、油を売ってていいのかよ」
ケネルが怪訝そうな顔をした。
「だから、見に行かなくていいのかよ、姫さんの様子をさ」
「──ああ。今日は放免だ。アドルファスの所がいいんだそうだ」
ほうり投げる口調でケネルは返し、やれやれと頭を掻く。「何を考えているんだか。あのわがままにも困ったものだ。まったく、俺にはさっぱりだ」
「俺には、お前の方がさっぱりだよ」
面食らったようにケネルは見た。「──ひどい言われようだな」
シートに寝転がったまま、バパは空に紫煙を吐く。「ケネル。俺はな。そういうのは最低だと思っている」
「なんの話だ」
「お姫さんの話をしていたはずだろう?」
ケネルは怪訝そうに思案をめぐらせ、思い当たったらしく顔をしかめた。「昨夜の話か。別に大したことでもないだろ」
「……お前は時々、驚くほど鈍感になるな」
バパは溜息まじりに脱力する。「うちのザイでも、お前ほど鈍くはなかろうによ。まったく、あの子もかわいそうにな」
首長の嫌味に、ケネルは観念したように息を吐いた。「何がそんなに問題なんだ」
向き直り、事情をかいつまんで説明する。
言葉を挟まずバパは聞き、やがて「なるほどな」と嘆息した。「けどよ。それじゃ、逃げ出すのも道理だぜ」
ケネルはやれやれと身じろいだ。「それにしても、まさか、あんたに突かれるとはな。相変わらず事情通だな。そんな細かい話まで、一体どうやって仕入れるんだ」
「いいか、ケネル」
バパは左肩を引き起こし、たまりかねた顔で片肘をついた。
「俺に押し倒されたら、お前どうする」
む? とケネルが目を向けた。
「戦う」
「──。だから──そういうことじゃなくってよ」
バパはげんなり額をつかむ。「たく。これだから野郎ってのは。その前にあるだろ、もう一段階」
「あるって何が?」
「だから。何がしかあるだろ、反応が。ほら、例えば"怯える"とかよ」
「俺は、別に怖くない」
「──だから!」
「冗談だ」
くすり、とケネルが苦笑いした。「いや、珍しくムキになるから、あんたのやりとりを真似てみた」
「……冗談?……お前が、冗談……?」
あぜん、とバパは絶句した。これが他の者なら驚きはしない。だが、相手はこのケネルだ。
「──どうかしたのか。今日はばかに上機嫌じゃないか」
このケネルの冗談など、めったなことで聞けるものではない。
何を思い出したのか、ケネルはくすくす笑っている。「いや、ちょっと、面白いものが見られたから。まったく、あの顔ったら、なかったな……」
「……。本当に、雪でも降るんじゃねえのかよ」
ついにバパは、呆気にとられて固まった。ケネルのくすくす笑いなど、めったに拝める代物ではない。
「お前ら一体どうなってんだ? お前といい、ファレスといい……」
あえぐ口調で首をひねる。かの副長も柄にもなく、夜更けの野営地に怒鳴りこんだばかりだ。
バパはまじまじとケネルを見やり、だが、考えても無駄と悟ったか、降参したように首を振り、元いたシートに背を投げた。仰向けで寝転び、足をくむ。
「"俺の方で預かる"ってよ」
声に、ケネルは振りかえる。
誰の言葉かすぐに気づいて、苦々しく顔をしかめた。「──又か」
「あの分だと、本気だな」
少し前にも、悶着があった。蓬髪の首長アドルファスが、意を決してねじ込んできたのだ。あの客を手元に置くと。自分の娘のようなものだから──。
ケネルは軽く一蹴したが、まだ諦めていなかったらしい。
「いいのかよ」
バパは思わせぶりに一瞥をくれる。
「ぶん捕られるぜ?」
かの首長アドルファスの個人的な事情と経緯は、短髪の首長も承知している。
昼の原野がざわめいていた。
木陰に陣取った傭兵の群れ。各々昼飯を広げている。今日は西側に陣取った群れが、首長アドルファスが率いる部隊だ。そして、木陰に広がる大所帯の、どこかに今もいるはずだ。話題にのぼった、あの二人が。
「──"俺の娘" か」
ムキになって言い募ったアドルファスの言葉を反芻し、ケネルは苦々しげにながめやった。
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