■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部1章 7話4
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踏みしだかれた枯葉の層が、靴裏で、さくさく音を立てた。
とりとめもなく思いをめぐらせ、空っぽの心をかかえて歩く。
木立を透かして、木漏れ日がゆれた。
向かいの空には、神々しいほどの白い日ざし。濃淡あざやかな夏の森。
「……落ちつく」
エレーンは足を止め、深呼吸した。
胸をふさぐ燻りが、少しだけ吐き出せた気がする。しっとり冷ややかな森の息吹。
道幅いっぱいの水たまりを、迂回するだけのつもりでいた。だが、一たび脇道へそれてみると、森の中はあまりに静かで、いつしか戻るのを忘れていた。枯葉で覆われた獣道は、泥土が続く風道より、思いがけず歩きやすい。
ひんやりとした静けさの中、淡い緑の梢がゆれる。くるくる巻いた青い蔓。下向きで咲く白い花。枝できらめく小さな赤い実。
エレーンは木漏れ日に手をかざす。
ひっそりとして、森はのどかだ。かがやくような緑のただ中、黒い樹幹が林立している。風雨で折れでもしたのだろうか、時おり傾いでもたれた幹も。
ブーツの先で小石を蹴って、再び、ゆっくり歩き出す。
踏みしめる靴裏で、かさり、かさり、と枯葉が鳴る。ケネルのことは忘れようと思った。
けれど、気づけば、考えている。これまで起きた出来事を、いつの間にか反芻している。
現実の急な到来に、心がまだ追いつかない。ケネルに寄せた信頼は、だが、いとも容易く打ち砕かれた。頭を冷やして考えなければ。これから自分のなすべきことを──
ふと、あたりを見まわした。
「……なんだろう」
水の香り?
かすかに、水の流れる音がする。
どこかに川でもあるのだろうか。森のなだらかな起伏に沿って、ゆるい傾斜を流れ流れて、いずれは海へとそそぐのだろうか。そういえば、木立の向こうに、背丈を越すほどの段差がある。色調の異なる茶色が織りなす、流れるような横じまの地層。この辺りは梢の層が厚いのか、景色は翳りがちで幽寂だ。なにか、いやに薄暗い。陸地の創生期を思わせる、ごつごつと険しい大きな岩が、そこかしこに転がっている──。
ざわり、と心が波立った。
エレーンはおずおず振りかえる。
「……ここ、どこ?」
夢から覚めた気分だった。
なだらかだった枯葉の道が、いつのまにか平坦ではなくなっている。周囲の景色のそこここに、山や谷底を思わせる傾斜。
「も、戻らないと──」
焦燥に駆られ、踵を返す。
いつからだろう。森の景色が様変わったのは。この先に一人で進むのは、さすがに危険だと本能が知らせた。大きく木根の隆起した歪な地面に難儀しながら、足早に道を引き返す。
気づけば、シダが茂っている。張り出した枝には蔦がからまり、どの幹も苔むして、柔らかく輝く緑の苔が地面の起伏を覆っている。苔で包まれた大岩に、ぽっかりあいた黒い洞。人の営みから隔絶された、目印一つない大自然──。
胸が騒ぎ、足が速まる。
進行方向を、倒木がふさぐ。乗り越えることができないほどの横倒しの木。やむなく端まで回りこめば、だしぬけに現れる苔むした巨木。
「……こんなの、見てない」
エレーンは顔をしかめて後ずさった。
「どうしよう。どっちに行ったら……」
おろおろ森に視線をめぐらせ、途方に暮れて立ち尽くす。
空を覆うどこかの木立で、威嚇するように鳥が鳴いた。黒い翼の、大きな羽ばたき。
おぼろげな記憶をたどり、右往左往しながら歩いた。物思いに耽っていたから、どこをどう歩いてきたのか覚えていない。
森は、静まり返っている。ぶ厚い樹葉の傘の下、樹齢何百年かという苔むした巨木が、光を浴びて佇んでいる。鬱蒼とした野草の茂み。いっそ狂暴といえるほどの精力で、縦横無尽に絡まる蔓。
森が、深まっている。
「遭難」の語が頭をかすめた。
膝が震え、座りこんでしまいそうになる。額の汗を手の甲でぬぐい、木立に視線をめぐらせる。
はっ、とそこで目を止めた。
鬱蒼とした景色の中、そこだけが他より明るい。藪の切れ目。
──風道に出た?
光明をたぐり、生い茂った藪を掻き分ける。
少し進むと、景色がひらけた。案の定、草木が払われ、草原のようになっている。だが、道はどこへも伸びていない。期待した風道ではない。だが、落胆する暇もなく、"それ"に目が釘付けになる。
思わぬものをそこに見て、エレーンはとっさに面食らった。
人だ。
人がいる。小太りの中年の男。ふくれたザックに腰かけて、手持ち無沙汰そうに喫煙している。
(この人、なんで、こんな樹海に?)
身形からして、傭兵部隊の者ではない。どことなく薄汚れた衣服は、どこでも見かけるいわゆる街着。ならば、土地の猟師か何かか。ここまでの道中、長衣の遊牧民しか見なかったが、近隣に住民もいたらしい。
「──あの、すみません」
見知らぬ相手にためらいながら、意を決して声をかけた。
「草原の方に戻りたいんですけど、どう行けば──」
空を仰いでいた小太りの男が、怪訝そうに視線を投げた。
目をすがめ、ふくれたザックから腰をあげる。
「あの、風道に出たいんですけど」
男は無言で視線を走らせ、煙草を捨てて踏み出した。
慎重な足どりで近づいてくる。警戒するように辺りを見まわし、耳を澄ましているような。
「──あ、あの?」
「囮ってわけじゃなさそうだな」
エレーンは面食らって言葉を呑んだ。「オトリ」という耳慣れぬ響き。一体なんの話をしている?
戸惑う間にも、男はつかつか近づいてくる。
エレーンはたじろぎ、後ずさる。「あ、あの? あたしはただ、道を教えてほしいだけで──」
男が一息に距離をつめ、だしぬけに手首を引っつかんだ。
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