■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部1章 interval 05
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投げ出した手の先に、い草の床が程よく温い。
木賃宿の南向きの窓から、午後の日ざしが射している。胸の郷愁を掻き立てる、素朴で優しいい草の香り──。
この生活は悪くない。
何より床に、直に寝られる気楽さがいい。気どった宿の寝台などより、よほど雑魚寝の方が性に合う。部隊から一人外された時には、正直なところ腐ったが。
この役目に推したのは、確か、あの隊長と聞いた。 『鈍い奴では務まらない』 そんな取ってつけたような理由も。むろん、幹部からの指示では否も応もない。
肩を並べた仲間から、憐娘れまれているのも知っている。
陰口を叩かれているのも知っている。連絡員という役回りは、最新の情報を扱いはしても、判断するでも意見を求められるでもない。情報をただ受け渡すだけの、子供でもできる使い走り。「傭兵としては戦力外」と烙印を押されたも同然だ。
だが、もう割り切った。
下手に戦地をうろついて、叩っきられるより、よほどいい。がんじがらめの部隊にいるより、万事よほど融通が利く。誰に気兼ねするでもない。上役の機嫌を取ることも。
ただ、任務を全うするだけだ。
より速く。確実に。可能なかぎり迅速に。「鈍くはない」のが取り柄なら、そのささやかな価値まで損なわないのが、せめてもの矜持というものだろう。華やかな武勲は立てられなくても。
誰にも評価されなくても。
ぱらぱら雑誌の頁がめくれた。
開け放った腰窓から、ぬるい風が吹きこんでくる。西日に黄ばんだ漆喰の壁、敷きっぱなしの薄い寝具、放りだした鞄と着古したシャツ、酒の瓶と弁当の残骸──部屋は散らかり放題だ。片付けたとて、客などないのだ。寝転がった目を閉じた。この生活も悪くない。自由で、気楽で、干渉されない、そして、誰からも期待されない──
そうだ。そんなに、悪くはないさ……。
階段を上がる音が聞こえた。
とん、とん、とん──とせっかちな足音。あの小柄な連れではない。他の部屋の客だろう。雑誌をとって、あくび混じりで頁をめくる。
ガラリ──と不躾に戸があいた。
「クロウはいるか」
寝転がった肩越しに、怪訝に廊下側の戸口を見る。「クロウ」というのは、あの連れの──この町の鳥師の名前だが。
「──た、隊長っ!?」
ぎょっと床から躍りあがり、ワタリは直ちに跳ね起きた。
interval 街道にて
壁に雑誌を蹴り飛ばし、吸殻の山をさりげなく押しやる。
「……こ、これはこれは。何か急ぎのご用でも?」
滑り込んで居住まいを正し、腹までめくれた下着の裾を、あたふた直ちに引き下げる。
壁でひしゃげた下卑た雑誌に内心密かに舌打ちしながら、ワタリは客を盗み見た。
こちらより少し年かさの、三十歳には届かぬ年格好、だが、年齢には不相応な落ち着いた双眸。無造作に踏みこむその足に、遠慮や躊躇は欠片もなく、視線を走らせる横顔には、愛想笑い一つない。髪と同色の黒い瞳、引き締まった頬の線──本隊を率いる総大将ケネル。
「……すいませんね、そろそろ戻るとは思うんですが」
所在なく頭を掻き、ワタリはそわそわ引き戸を見る。「クロウの奴、どこで油を売ってるんだか。あ、いや、大概ここにいるんですがね。手持ちの薬草でも切れたかな」
鳥師にしては珍しく、クロウは薬も扱える。むしろ、下手な医者より腕はいい。
この鳥師というのは、青鳥を使役する「獣使い」、巡回興行の旅芸人「バード」の一派だ。街道各所で待機して、巷の情報を集めている。それらすべてを取りまとめ、任地の本隊に受け渡すのが、連絡員たるこちらの務めだ。
「なんならこの間に、息抜きして来ちゃどうですか。こんなシケた町ですが、娼家は良いのが揃ってますし。クロウが戻り次第、お呼びしますし──」
「いや、あまり時間がないんでな」
「──あ、そうすか」
口調が幾分ぶっきらぼうになっていたかも知れない──ワタリは密かに自重する。もの静かな青年には見えても、ここにいるのは "戦神ケネル"──殺到するあまたの猛者を、一振りで仕留める腕を持つ男だ。
「ま、茶でも淹れますんで、どうぞ、お楽になさって下さい。むさ苦しい所ですいませんが」
座布団を引っ張り出して客に勧め、そそくさ隅の炊事場に引っこむ。
客に背を向け、茶を淹れながら、ワタリはそっと嘆息した。
(……居座る気かよ。まいったね)
偉いさんの相手は苦手だ。こうも寡黙では尚のこと。これが部隊の連中ならば、一級幹部のご機嫌取りに躍起にもなる場面だろうが、生憎こっちは出世とは無縁なはぐれ鳥、白けた気分が数段勝る。媚びたところで、査定に響くわけでなし。
開け放った窓辺にたたずみ、客は背を向けている。路地を眺める静かな横顔。
あの喚声が蘇った。
砂煙の前線に響きわたる、凛とした指示の声。敵を見据える冴えた横顔──。
ワタリは落ちつきなく目をそらした。そうだ。思い出しただけで身がすくむ。戦場に立った隊長の、あの近寄り難いほどの威圧感を。にじり寄る大軍を端からゆっくり睥睨する、静かな、それでいて闘志を秘めたあの黒瞳。
「どうだ、ワタリ。そっちの調子は」
ぎくり、とワタリは目をそらした。「──あの、前に報告して以来、とりたてて動きはないようですが」
なぜ、使いっぱしりの名前なんかを?
この隊長は日頃から、十把一絡げにして部下を呼ぶ。まして、相手はこんな雑魚。馬や馬具や、水や森や日ざしと同じ、部隊の誰もが気にも留めない"背景"だ。
「そうじゃない。お前のことだよ」
「──わたしの、ですか?」
急な名指しに面くらい、ワタリはしどもど目を戻す。
客は上着の懐を探り、灰皿を拾って、開いた出窓に腰をかける。「苦労をかけて、すまないな。だだっ広い草原で、部隊を捜すのは大変だろう」
「い、いえ。それが仕事ですし……」
確かに、部隊は常時移動し、居場所の特定が難しい。狼煙の位置をその都度確かめ、点在する水場から駐留場所を割り出して、付近を捜しまわる羽目になる。
「原野にいると、街の動静が入ってこない」
煙草をくわえ、客はしかめっ面で点火する。
「市街で何が起きようが、原野にいては知りようがない。それで対処しろと言われても、目隠しで戦え、と言われるようなものだ」
「……そ、そうすよね」
とっさに惰性でおもねって、ふと、ワタリはまたたいた。ならば、もし虚報を流せば、身動き取れなくなるのでは──いや、情報操作さえ可能では──
「お前の情報が仮に虚報なら」
ぎくり、と顔を振りあげた。
「たちまち部隊は立ち往生だ。まさに、お前が命綱というわけだな」
ワタリは戸惑い、奥歯を噛む。今の失言に気がつかないのか。いや、相手は卑しくも総大将、ただ気まぐれを起こしただけの、ご機嫌とりだったとしても、迂闊というにも程がある。だが、あえて示した、というのなら──
じっとり、手のひらが汗ばんだ。
それをこすりつけるようにして、ズボンの布地を握りしめる。見当外れなうぬぼれだろうか。そんなふうに思うのは。客は膝で紫煙をくゆらせ、静かな瞳を向けている。
「ここだけの話だが」
床に置いた灰皿に、軽くかがんで灰を落とし、こそっと打ちあけるような上目使い。
「断頭台送りは、なるべく避けたい」
「……。は?」
客が苦笑いして顎をしゃくった。「服くらい着ておけよ。急な時にも出られるように」
「え?──ああ! すんませんっ!」
はた、とだらけた身形に気づいて、ワタリはあわててシャツをとる。連絡の遅延は命取り。
「この役に、お前ほどの適任はいないよ」
穏やかな声に顔をあげると、窓辺の真顔と目が合った。
「お前の馬あしらいは一級だ。その足に勝る者はない」
ワタリは面食らって返事を呑んだ。
挑むような心が折れた。まっすぐに伝わってきたからだ。率直、なお且つ落ち着いた語気には、どんな紛い物も含まれてはいないことが。
そう、誰にも言いはしなかったが、密かに信じてきたのではなかったか? それが正当な評価だと。
昔は、かっぱらいの常習だった。
処分を待っていた詰め所から、予期せず身柄を請け出されるまで。
身を粉にして働いた。下等役人に袖の下を使い、請け出してくれた首長のために。
だが、一人群れから切り離され、この任に移された。
──いや、はたして、本当にそうだったろうか?
強く奥歯をかみしめて、ワタリは客へと歩み寄る。
盆からとって、湯飲みをさし出す。「──どうぞ、隊長」
「わずらわせて、すまないな。ところで、お前、この町の店に詳しいか?」
「まあ、一通りでしたら」
「なら、教えてくれないか。菓子の旨い店が、近くにないかな」
「……。菓子、ですか?」
酒じゃなくて?
ワタリは目を泳がせた。よもや、菓子屋を所望とは。だが、今、この目の前にいるのは、殺到するあまたの猛者を、一振りで仕留める腕を持つ男──
……のはずだよな?
「悪い。さすがに知らないよな」
「──ああ、いえっ! 知ってます知ってます! 菓子でもなんでもお任せを! 近隣調査も俺の仕事の内なんで」
あわてて手を振り、軒下に広がる町並みをながめる。
「評判が良いのは、流花亭あたりですかね。甘芋の焼き菓子なんかが有名で、よく長い行列が」
「そうか。助かる。店の評判なんかには、俺はとんと疎いから」
客は紫煙をくゆらせ、苦笑いしている。「それで、場所は」
「町の西寄りってとこですかね。大通りの、乾物屋の角を曲がって三軒目で、目を引く時計台がありますし、繁盛しているから、すぐに分かりますが──」
言いつつ、ワタリはうかがった。もしや、自分で買いに行く気か?──しかし、仮にも"戦神ケネル" 女子供の姦しい行列に、本気で混じるつもりなのか?
女子供にくすくす笑われ、頭一つひょっこり突き出た、いかにも場違いな隊長の図……
「──あの〜。よければ手配しますが」
たまりかねて申し出た。
ふと、客が振りかえる。「だが、お前の仕事じゃないだろう?」
「いえ! 帳場の者にでも頼みますって!」
勢いこんで、ワタリはうなずく。
「町のことなら、お任せください!」
頬が上気し、血が沸き立つ。
どくどく胸が脈打っていた。どんな些細なことでもいい。
──俺は、この人の、役に立ちたい。
「結構イケますよ、流花亭のは。観光土産の定番ですし、わざわざ隣町から買いに来る奴までいるほどで。話の種にと味見をしてみたんすが、これがまったく評判通りで。甘味が薄くて食いやすいってんで、クロウなんか五つ六つ平気で腹に入れて。もっとも、わたしは酒の方が好みですがね」
煙草の灰を灰皿に落として、くすり、と客が頬をゆるめた。「──さすが事情通。詳しいな」
息をつめ、ワタリは固まる。隊長が、笑った──!?
……照れる。
いや、待て。
なんで、俺が照れるんだ?
「──なっ、なっ、何していやがんだ、クロウの奴は!」
あたふた動揺を誤魔化して、無為に壁を見まわした。
「ああもう! 隊長がわざわざお見えだってのに!──あ、あの、何か召し上がります? 俺、店までひとっ走りしましょうかっ?」
うっかり気を抜いたりすれば、手が勝手に隊長をかかえて、頭をなでくり回してしまいそうだ。
「──いや、いいよ。腹はまだ減ってないから」
「なら、軽くつまむものでも。そうだ! 試しに食ってみちゃどうです? ほら、ご所望の菓子ですよ。どうせ買うなら、味見はしないと。やっぱ、店までひとっ走り──」
ばたばた引き戸へ、部屋を突っ切る。損得などは、どうでもいい。直属でなかろうが関係ない。
自分を買ってくれている。
視野に入れてくれている。その他大勢と区別して。
そうだ。隊長は甘くない。ご機嫌とりなどありえない。千の敵に囲まれようとも。
『一分一秒を争う任務だ。鈍い奴では務まらない』
この役回りを振られたのは、"戦力外だから"じゃない。だって、確かに隊長は、
──俺の名前を知っていた。
カラリ、と目の前で戸があいた。
「──あっ、てめえ、この野郎!」
戸を開けようとしていた手を引っ込め、ワタリはたたらを踏んで立ち止まる。
「どこをほっつき歩いていやがったっ!」
「……なんです? いきなり。なにをそんなに興奮して──おや」
敷居をまたぎかけた足を止め、彼は眼を瞬いた。
「隊長さん?」
客の姿を窓辺に認め、一瞥で説明を乞うてくる。確かに意外な相手だろう。下っ端風情とは縁のない、部隊を仕切る総大将、隊長ケネルがそこにいる、というのだから。
彼は返事を待つでもなく、笑いを含んだ目を窓辺に向けた。
「これはこれは。総大将ともあろうお方が、何をなさっておいでです? こんなうらぶれた町宿なんぞで」
まだ少年のように細い肩。
さらりとした直毛の、涼やかな瞳の美青年。客が待ちかねた、鳥師クロウ。
「ああ、あなたですか、ワタリさん。さては何か、やらかしましたね」
「俺じゃねえよ、用向きの相手は」
くすり、とクロウが出し抜けに微笑った。「つまり、わたし、というわけですか」
「こ、こら! クロウ!」
「──ああ、いえ、失礼。まるで思いもしなかったもので。まさか、あなたが訪ねてくるとは」
はらはらワタリはうかがった。つけつけ言うクロウの言葉に、客は困ったように苦笑いしている。
「何をさしあげましょうか、隊長さん。あなたには、どんな薬も必要ないかと思いましたが」
「……ひどい言われようだな。これでも生身なんだがな」
手に汗握り、やりとりを見守る。クロウは確かに日頃から、人を食ったところがあるが、今日はいやにつっかかる。普段より更に挑発的だ。"戦神"の異名をとる隊長を前に、臆すでもなければ畏まるでもない。むしろ、これ以上ないというほど、ふてぶてしい態度だ。
「──お、おい、クロウ。口を慎め。隊長はずっと、お前を待っておられたんだぞ」
「あなた、ずっと 居 座 っ て いたんですか?」
クロウはやれやれと窓辺を見、皮肉をこめて言い直す。
「まったく呆れた人ですね。上官たるもの、少しはわきまえるものですよ。あなたがいたら、この人だって休めやしないでしょうに。部隊までの往復で、さぞや疲れているのでしょうに」
客がまたたき、振り向いた。
「……そうなのか? すまなかった」
「ああ! いえっ! そんなっ隊長ぉっ!」
ぶんぶんワタリはあわてて手を振る。
「そ、そんなことないっす! 俺は全然平気っす! 隊長と話せて、すっげえ俺も楽しかったしっ!」
──つか、てめえクロウっ!
きさま! なんてナメた態度だ!
俺 の 大事な隊長に向かって!
ギッと不届き者を睨めつけるも、当のクロウは構うことなく、涼しい顔で窓辺へ向かう。「いいんですか? 隊長さん。あなたが部隊をあけてしまって」
「支障はないさ。そのための首長と副長だ。用が済み次第、戻るしな」
「町まで来て、遊びもせずに?」
クロウは揶揄するように肩をすくめる。「もったいない。わざわざ出向いてきたのでしょうに」
「あいにくそれほど暇じゃない」
「それほど急ぎってことですか」
ふと、表情を引き締めた。
真顔で客に一瞥をくれる。
「ご用件を伺いましょうか」
「話を聞く気になったようだな」
客は苦笑いして灰を落とし、改めてクロウに目を向けた。
「お前に頼みたいことがある」
interval 街道にて 〜黒髪の客人〜
* 改稿 2015.10.3
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