■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部1章 interval 04
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緑かがやく草原に面した、大樹海の端は賑わっていた。
木陰にいるのは、六十名を越す傭兵部隊だ。馬を休ませ、休憩に入った大所帯は、中ほどで二つに分かれている。
その少し離れた群れの狭間で、ひとり梢の木幹にもたれ、煙草をふかす男がいる。
年の頃は三十前後、鍛錬をかさねた痩身だ。さらりと長めの薄茶の頭髪。前髪から覗く片目は鋭い。
無言のその目は、目の前のひらけた草原にいる、部隊で預かる彼女の姿を捉えている。
ひとり見据えるその肩に、どさり、と男の腕がかかった。
「お前は頭一筋かと思ってた」
「気色の悪りィこと、ぬかすんじゃねえ」
男の親しげな揶揄笑いを、茶髪は一蹴、けんもほろろ。その冷めた瞳には、わずかな揺らぎも見られない。
「気に食わないんじゃないの? あの娘が隊長にじゃれるのが」
「その言葉、そっくり返すぜ、セレスタン」
セレスタンと呼ばれた黒いめがねの禿頭が、くわえ煙草で肩をすくめた。茶髪の態度はそっけないが、意に介したふうでもない。
件の彼女が隊長におぶわれ、樹海から出てきたところだった。
小柄な体格、背までの黒髪。領家の正妻、エレーン=クレスト。この男所帯の紅一点だ。かしましく華やかな異質さが、近ごろ注目の的でもある。
セレスタンは賑わいをながめやり、黒めがねの頬で苦笑いする。「今度は足でも挫いたかな?」
馬酔い、発熱、行程取り止め、毎日のように何かある。疾走中の首長の馬から、いきなり下りようとしたことも。
「まったく、隊長ももう少し、優しく扱ってやりゃいいものを。堅気の女の子なんだからさ」
ぎゃあ! と女の雄叫びがあがった。
怪訝に、セレスタンは目を戻す。
ぎゃんぎゃん彼女がなじっていた。隊長ケネルにおぶわれた背中で。
のけぞり、引きつり顔で指さしている。ピンと突きたてた指の先は、全力でつっぱった自分の足首──いや、彼女の茶色いブーツだろうか。
その下には、全力でつっぱる彼女の両手で、ぐいぐい頭を押しやられ、のけぞりかえった隊長ケネル。
「……。押されてんな、隊長」
あぜん、とセレスタンは口をあけ、くわえ煙草で苦笑いした。
「さしもの戦神も形なしだな。見ろよ、連中のあのツラを」
木陰で休む一同が、あんぐり絶句でながめていた。
それも無理からぬ話ではある。"戦神"と恐れられる総大将が、女の尻に敷かれたあげく、頭を叩かれているというのだから。ちなみに、頬の引っ掻き傷は、今しがたまで確かになかった。
「──傑作」
拳の手を口に押しあて、セレスタンはくすくす笑い出す。「見ろよ、そうは拝めないぜ、あんな無様な隊長は」
「いいかげんに離れろ。鬱陶しい」
茶髪がすげなく肩を揺すった。
腕を乱暴に振り落とされ、だが、セレスタンに気にした様子はない。見越したようにあっさり引きあげ、空に向けて紫煙を吐いた。
「ああ、お仕事の最中だっけ?」
事もなげに返しつつ、辺りに視線をめぐらせる。「相変わらず、愛想がないねえ」
茶髪は嘆息、しらけ顔。「てめえは頭か」
「頭にも言われた? 同じこと」
「節まで真似て当てこするんじゃねえ」
野戦服の見慣れた部隊が、樹海の木陰で休んでいた。
梢の下で飯を食う者。仲間とバカ話に興じる者。ひとり雑誌を読みふける者──
「毎日これじゃ、体がなまるな。まあ、平和でいいけどさ」
昼の和やかな光景を、苦笑いでセレスタンは見渡す。
ふと、そこで目を止めた。群れの西端、その先だ。
野戦服のざわめきの向こうに、あの見慣れた背があった。
めずらしく一人きりで、ぶらぶら群れの外を歩いている。自隊の上役、首長バパ。付近の木陰はひっそりと無人で、その先に行ったところで「西の風道」があるきりだが──いや、
その先の木陰に、意外な顔。
こちらも、めずらしく一人きり。蓬髪の首長アドルファスだ。
互いに相手を捉えたはずだが、どちらも声をかけるでもない。そうする間にも、二人の距離がいよいよ近づく。
無言のまま、通りすぎた。
「──なぁに企んでんだか、部下に内緒で」
くすり、とセレスタンは小さく笑う。
すれ違いざま目配せした、二人の首長の顔つきは、思惑通りといったもの。
「仲がいいよな、なんだかんだ言っても」
同格ということで、常に張りあう二隊であるが、その首長アドルファスとバパに、よくある腹の探りあいはない。片や剛健、片や知謀と、肌合いは異なる二人だが、どうやら馬が合うらしい。
バパが通りすぎたその後も、木陰のアドルファスに動きはない。
今しがたと変わることなく、件の客をながめている。蓬髪の眉間には深い皺。いつものいかめしい風貌だ。
だが、セレスタンは見逃さなかった。おもむろに木陰を出、自隊の群れへと歩く頬が、つかのま苦笑いにほころんだのを。今をさかのぼること半刻前、シートを訪れた隊長ケネルに、不意にアドルファスが殴りかかった場面を。
首長が隊長を殴るなど、騒動になりかねない珍事中の珍事だ。他に目撃者がなかったことが幸いだったといえるだろう。もっとも、ケネルは拳を避けたし、みな昼休みで散っていた。人払いをしている首長の元に、のこのこ近寄る命知らずもいない。
「──いくら、樹海の中ったってさ」
セレスタンは一服、草原の客に目を戻す。
「場所くらい選べばいいのにな。あんなに姫さん泥だらけじゃ、よろしくやってきたのがバレバレじゃないの」
「──たく。気が知れねえ、あの女」
茶髪がたまりかねたように嘆息した。「歴とした亭主がいるだろ」
「いいじゃないの、旅先なんだし。少しくらい羽を伸ばしたって。つか、どうしちゃったの? お前そんなに堅かったっけ」
苦々しげな舌打ちを、セレスタンはやんわり、やりすごす。
くわえ煙草で、一瞥をくれた。「大丈夫なの? そんなんで」
「何が」
「ザイ。お前、わかってる? 自分が今、どんな顔をしているか」
「あいにく鏡の持ち合わせがなくてな」
「食い殺す気かよ。預かりものだぜ」
一転、荒く一蹴し、「──なにかあった?」と口調を戻した。
「お前、あの娘と面識ないよな。領主に同行してトラビアに行ったし、片がついて戻った頃には、北カレリア戦はとうに終わっていたし」
指で紫煙をくゆらせて、探るような一瞥で問う。
「隊長が連れてきたあの姫さん、なんで、そんなに嫌ってんの」
「別に」
ぶっきらぼうにザイは言い、面倒そうに顔をしかめた。
「ああいう尻軽は、いけ好かねえだけだ」
ガア……と梢で鳥が鳴き、黒い翼が羽ばたいた。
樹海を見渡す風道の枝で、ファレスは何気なくそれを見あげる。梢を蹴って鳥は飛び立ち、翼を広げて滑空している。黒い軌道が、空の彼方へ飛んでいく──
顔を水流に突っ込みでもしたように、その光景がぐんにゃり歪んだ。
一陣の風が吹くがごとく、別の像が滑りこむ。
飛沫があがった。血しぶきだ。薄いベールが舞い降りたように二重写しになったのは、視界一面の鮮やかな赤。
どくどく血液があふれていた。
服の布地が濡れていく。女物の服と肩。背中を切り裂く真新しい傷。虫の息の青い顔。瞼を閉じたあの客の──
「──又かよ」
ファレスは柳眉をしかめて舌打ちした。
止めていた息を吐き出して、こわばった肩の力を抜く。喉に、ひどい渇きを覚える。
「先予見」と呼ばれる力だった。
先々の出来事を予見する、異能と呼ばれる稀な能力だ。周囲に他人を寄せ付けないのは、排除を怖れてひた隠しにしてきた、これを知られぬ為でもある。
唐突に現れる幻像は、自分の未来の記憶であったり、他人が目にするそれであったり、無人の荒野の出来事だった。輪郭のあいまいな陽炎もあれば、鮮烈で具体的な場面もある。予知夢の形をとることもある。そのいずれにも言えるのは、十中八九実現する、ということだ。
勘が鋭い、と周囲は評した。
可能であれば、危機を回避し、利をもたらしてきたからだ。むろん客にも事あるごとに、帰郷するよう忠告した。だが、よせと言っても、彼女は聞かない。その理由は無論わかる。明日をも知れぬ自分の亭主が、敵陣トラビアに捕らわれているというのだ。
とはいえ、確実に言えることは、このまま西に進むなら、無事では済まない、ということだ。
日々、輪郭が鮮明になる。
あの様子を見るかぎり、刀剣で斬られた傷だった。まさしく彼女は軍刀で斬られて負傷している。負傷の場所も「背中」で一致。ならぱ、あの幻影は、傷がひらく先触れか。
だが、そうであるのなら、切り口の真新しさが腑に落ちない。クレスト領の公邸で、アドルファスが彼女を薙ぎ斬ったのは、北カレリア戦の最中だ。
齟齬が生じた理由は不明だ。そして、それに至る経緯も。先予見とは、だしぬけに視界を遮るもので、特定の知りたい事項について予知できるというわけではない。
見えた像は一場面のみ。そこで命を落とすのか、後のことは定かではないが、あの多量の出血では、もって半日が限度だろう。
とはいえ、何らかの手を打てば、回避は可能であるかもしれない。
胸でもやつく、いわゆる予感も、まるで憑き物が落ちたように、ふっと立ち消えることがある。しばしば、それを実感していた。何かの拍子に流れが変わった──時の進路が変わった、と。
回避可能な事柄がある──これまで見聞きした事例から、その感触をつかんでいる。
排除すべき原因には、およその見当がついている。むろん他でもない、この部隊の連中だ。世間が眉をひそめるその手のことでも、歯牙にもかけずにやってのける。まして、知らない。あの客の負傷を。そんな輩が、怪我人を手荒に転がせば──。
腰をかけた高枝から、ファレスは頓着なく飛び降りた。
野戦に慣れた傭兵でさえ、怖気づくような高さだが、踏み切る足にためらいはない。
ひっそり静かな樹海を歩き、集合場所に戻るべく、風道の出口へ足を向ける。
当の彼女は今しがた、あのケネルに負ぶわれて、眼下の風道を戻ってきた。
追尾して入った樹海の中で、不審者に襲われ、目を放したが、ケネルが保護して連れ戻したらしい。
その間、森には、すでに特務が展開していた。
不審者排除の指示でもあったか、射手に発破師、毒薬使いの顔まであった。人を食ったあの首長の、飄然とした顔が思い浮かぶ。
手慣れた配備に舌を巻いた。やはり卒なく、抜かりがない。もっとも、特務だけでなく、ケネルまでもが居合わせた、理由と経緯は不明だが。
確かに、妙な輩がうろついている。だが、あれは原因にはなり得ないだろう。客には目を光らせているし、接触しても、排除は容易い。ならば、やはり注意すべきは、素行の悪い連中で決まりか──
「よう」
怪訝にファレスは振り向いた。
道端からかかった親しげな声、その相手を確認する。
風道の出口付近、左の木陰に姿があった。一人で煙草をふかしている。こざっぱりとした短い髪に、片耳だけの赤いピアス。思考の速さを思わせる、その茶色の瞳には、今日も企むような色がある。
「詫びでも入れにきたのかよ」
足は止めずに、一瞥をくれた。
「悪さを働いた覚えはないがな」
短髪は笑い 何食わぬ顔。木幹にもたれて眺めている。
脳裏をよぎった当人だった。要請を蹴った首長バパ。そこにいるのは、むろん、偶然などではあるまい。
上着の懐に嗜好品を探り、ファレスは苦虫かみつぶして足を向ける。「だったら、なんだ。用件は」
「いいのかよ」
「何が」
「だから、そっちはいいのかよ。あんなにケネルに引っついてるぜ?」
お前の大事な姫さんが、と親指でさしたその先は、樹海の木陰で寛ぐ群れ、そのざわめきの西寄りだ。声を張りあげるから、すぐに分かる。いや、甲高い声が異質だからか。
シートに寝そべったケネルの横で、弁当を広げて食っている。相変わらずのふくれっ面。だが、ケネルの真横に座った片手は、ケネルのシャツを握り締めて放さない。
その様を視界に収めて、ファレスは隣の木幹にもたれた。
煙草を抜き出し、口にくわえる。「何を勘違いしてんだか。客が誰と乳繰り合おうが、そんなことはどうでもいい」
へえ? とバパが大仰な仕草で肩をすくめた。「あの子に近寄る連中を、ことごとく排除けてたくせしてよ」
「だから、あれは」
ファレスは辟易と舌打ちする。「そんなんじゃねえって言ってんだろ。俺はただ──」
「ただ?」
間髪容れずに促され、とっさにファレスは口ごもった。
憮然と煙草に点火して、つかの間ためらい、柳眉をしかめて吐き捨てる。
「俺はただ、やり返せねえ弱い奴なら、寄ってたかって生贄にしようって、さもしい性根が気に食わねえだけだ」
バパが拍子抜けしたように口をつぐんだ。
悪戯っぽい笑みを引っこめ、煙草の手で、短髪を掻く。「案外まともなことも言うんだな。悪態でもつかれるかと思ったが。──ま、お前がいいなら、いいけどよ。だが、それでもまだ問題はあるが」
くだけた態度から一転し、ちら、と真顔で目配せした。
「まずくねえか。さすがにあいつは」
「警告はしたぜ。奴には決して惚れるなと」
マッチの燃えさしを振り消して、ファレスはぶっきらぼうに紫煙を吐く。「もっとも、あのトリ頭だ。言って聞かせるのは至難の業だが」
「似てるな、あの子に」
ちら、とバパが視線を送った。
思わせぶりなその含みに、ファレスは苦虫かみつぶす。「──そうでも、ねえだろ」
「しかし、参ったよな、あの時には」
構うことなくバパは続ける。「開戦さなかの戦場に、乗りこんで来るってんだから。しかも、でかい腹をかかえてよ」
薄く紫煙がたゆたった。
樹海の木陰に広がる部隊。辺りをつつむ昼のざわめき。
「……しばらくは、奴と暮らしていたっけな」
ゆるく立ちのぼる紫煙の先に、ファレスは当時の記憶を辿る。「──たく。危なっかしいったら、ありゃしねえ。あん時ゃ、まじで驚いたぜ」
戦場をうろつく彼女を見つけ、摘み出したのは、このファレスだ。
ちら、とバパが横目で見た。「なんてったっけな、あの子の名前。やたらと元気で、威勢がよくて」
「──元気どころの話じゃねえだろ。やかましくてお節介で意地っ張りではねっかえりで」
「似てるな、あのお姫さんに」
憮然とファレスは口をつぐんだ。
木陰の客に目を戻し、その横顔で静かに言う。
「つまり、あんたは、喧嘩を売りにきたってか」
彼女が迎えたむごたらしい最期は、首長も知っているはずだ。
「まさか。そいつは考えすぎだ」
バパは首をまわして伸びをした。
「客はお前の領分だ。簡単に出し抜かれるとは思っちゃいない。──さてと。そろそろ退散するかな。ぶち切れた副長に、ミノ虫にして吊られる前に」
軽い嫌みで目配せし、木陰のざわめきへ歩き出す。多くの部下や腹心が待つ、自分の群れに戻るのだろう。
「──何しに来たんだ、あのジジイ」
ファレスは背中に毒づいた。いや、主旨は明白か──。低いざわめきを甲高くつんざく、あの嬌声に目を戻す。
ケネルには悪い噂がある。
そして、あの短髪の首長は、当時を知る証人の一人だ。
そこだけひときわ華やかな、群れの中ほどをすがめ見た。
警告をどう捉えたか、彼女は今日も嬉々として、ケネルにまとわりついている。いつにも増して無邪気な笑顔で。寝転がったその肩に、乗りかかって揺すっている。その目はケネルしか見ていない。誰が何を言ったとて、ケネルの声しか聞こえない。猪突猛進というのとも違う。常にケネルにしがみつくその手は、もっと、せっぱ詰まっている。
「──奴を、そんなに買いかぶるな」
吐き出す紫煙に紛らせて、ファレスは苦々しくつぶやいた。
「あいつは何も厚意だけで、あんたを助けたわけじゃない」
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