■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章openning
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「や。ご苦労さん」
守衛からの敬礼をねぎらい、ダドリーは笑って通りすぎる。
そのまま廊下の角を曲がり、はあ、と肩を落として嘆息した。
夜も更けたクレスト領邸。
すでに灯かりも落とされた、ひっそりひと気ない廊下を、ダドリーは歩く。顔をしかめ、癖っ毛を掻いて。気鬱の原因は他でもない、あの昼の一件だ。
ようやく自室に辿りつき、ズボンのループに指を引っかけ、しん、と静まった扉をながめた。
「やっぱり、ちょっと、なだめておくか」
金のドアノブを握って、まわす。
「……んん?」
両手で取り付き、ガチャガチャまわした。だが、扉はあかない。施錠済み。
廊下に視線を走らせて人目がないのをきょろきょろ確認。扉に張りつき、声を落とした。
「エレーン……エレーン……開けてくれ。まだ起きているんだろ? な?」
こんな情けない姿など、他人に見せられたものではない。ああ、まったく、人もうらやむ新婚というのに。
ガチャリ──と開錠した音がした。
ガチャガチャとノブがまわり、重厚な扉がわずかに開く。隙間の足元にフリルの裾。
「や、やあ。悪いな。もう寝てた?」
ぎくしゃくダドリーは笑みをつくる。
扉の隙間に無言でのぞくは、予想通りの仏頂面。白い寝巻にすでに着替えて、彼女はおそろしく不機嫌な様子。
ぎこちない笑みを保ったままで、そそくさダドリーは滑りこむ。「悪い。遅くなっちゃって──」
「入ってこないで」
低い声音で、ぴしゃりと一喝。彼女がまなじり吊りあげた。
「見損なったわ! 冷血漢!」
バン──! と目の前で扉が閉まった。
すかさず、ガチャリ、と施錠音。
「あっ──お、おいっ!」
だが、あわてて取り付くも、すでに遅し。力任せにまわしても、ノブはもう、びくともしない。
閉じた扉に額をつけて、ダドリーは溜息でうなだれた。
「──又かよ。たく、なんの因果でこの俺が」
そう、自室からの締め出しは、今に始まったことではない。ゆうべも執務室で夜を明かした。長椅子で毛布にくるまって。
やむなく向かいの壁まで歩き、溜息まじりに肩でもたれた。まったく、まだ新婚というのに。
窓から射しこむ月光が、床に影を落としていた。
しん、と廊下は静まっている。この階は領主の住居で、執事を除けば、使用人は立ち入れない。月明かりを浴びた自室の扉は、以来ぴくりとも動かない。
「大嫌い、か」
ダドリーは嘆息して頭を掻いた。どうやら本気のようだった。本気で自分を怒っている。
「──でも、俺は」
硬く閉ざされた月明かりの扉を、遠いまなざしでダドリーはながめた。
「でも、俺は、領主なんだよ」
ふわり、と夜風にカーテンがゆらいだ。
夏虫の音が、テラスから聞こえる。
夜に沈む寝台で、彼女がうつ伏せで眠っていた。両手でしっかり枕をかかえて。
そのかたわらにダドリーは立ち、彼女の寝顔に手を伸ばした。目尻にたまった涙をぬぐう。どうやら泣き寝入りしたらしい。
顔をしかめて天井を見あげ、ダドリーは浅く息をついた。むろん、不満はわかっている。何を望んでいるのかも。ラトキエからの要請に応え、これを助け、敵を叩く──。
だが、彼女はわかっていない。それが何を意味するのか。
戦は無邪気な飯事ではない。ラトキエにつくと表明したが最後、幾千の戦馬に蹴散らされ、"敵"として叩き潰される。義憤で片付く問題ではない。
クレストの領土は北の僻地だ。
青年はこぞって上京し、領土に残された領民は、その親の世代と子と老人。貿易港が廃れた現在、蓄えに余裕などあるはずもなく、戦に必要な武器でさえ、ろくに整わないのが実情だ。まして、戦に加担するなど、逆立ちしたって無理な話だ。けれど──
夜の暗がりにひとり佇み、ダドリーは泣き寝入りの寝顔を見つめた。
自分の顎をのろのろつかみ、視線を虚空にさまよわせる。
眉をしかめ、振り払うように首を振った。いや、それは世迷言。無理なものは無理なのだ。自分は領主だ。断じてできない。
民の暮らしを預かる者が、何を置いても成すべきは、自領の安寧を保つこと。そして、暮らしを守ること。危うい商都を切り捨てた、この判断に狂いはない。ここクレストは弱小で、盤石な領家とは内情が違う。身の程知らずに関与して、リスクを引き受けるべきではない。この先何が起ころうが、静観を貫くべきなのだ。
夜に閉ざされた暗がりで、カーテンが白く夜風になびいた。
夏虫が静かに鳴いている。
「──わかって、いるさ」
どこか上ずった自分の声が、いやに空々しく耳に響いた。
喉が渇く。なにか無性に。
「ああ、わかっている、そんなことは……」
左右の肩に圧しかかる期待が、人々の笑顔が、今日は重い。
真夏の月が明るかった。
ゆるい夜風がカーテンをゆらす。泣き寝入りした黒髪に、なだめるように手を伸ばす。
ためらい、ダドリーは手を止めた。
まだ、はっきり耳にある。あの昼の執務室、叩きつけられた扉の音が。
まだ、くっきりと覚えている。執務室を飛び出した彼女の背中を。
動くことが、できなかった。望みを満たすどんな答えも、今の自分は持っていない。
誰より大事なその人が、この目の前で眠っている。
手の届かない寝顔を見つめ、手のひらを強く握りこんだ。そんなことはわかっている。
──馬鹿げた真似であることは。
「行ってくる」
軽く黒髪に手を置いて、寝顔を見つめ、身を起こす。
部屋へと入ったテラスへ歩き、扉に手をかけ、足を止めた。
しばし、肩越しに寝台を見つめ、夜闇に身をひるがえした。
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