〜 ディール急襲 第2部2章 〜

 
 
 青い空、白い雲、
 道の果てまで犇く露店の前には、赤茶色した剥き出しの大地。
 ジンワリと汗ばむ夏の午後の昼下がり、時折吹き行く湿った風は、もう、すっかり夏の匂い。
 
 ジリジリジリ……と蝉が鳴いている。
 サンサンと照りつける真夏の日差しが、人影疎らな大通りへと降り注ぎ、雑に水打ちした煉瓦の道から、蒸発した湯気がうっすらと立ち昇る。遠目に映るあれは、暇を持て余した観光客だろうか。この暑さをものともしない物好きな二人連れが、道端の露店をのんびりと歩きながら冷やかしている。
 こんなに人が疎らであるのは、きっと、今が真昼間でクソ暑いからであって、夕方少しでも涼しくなれば、人はもっと出て来るだろう。だから、店の売れ行きなんかは、全然心配しなくてもいい。
 
 ……暑い。
 
 まったく暑い。
 
 責任者を吊るし上げたくなるような最悪の暑さだ!
 
 そう、夏ってヤツは湿気があって、空気が妙にジメジメしているもんだから、こうなると、ただでさえ手に負えない癖っ毛が、もう際限なくグッチャグチャに──
 
 いや、そうじゃなくって。
 
「──おい、ラル。これはいったい、どういうことだ」
 ブラブラと歩いていた足を止め、ダドリー=クレストは、堪りかねたように振り向いた。
 何処にでもいそうな青年である。取り立てて背が高いでもなく、見目麗しいという訳でもない。対象をじっと見つめる醒めた瞳には、何やら企むような光が宿ることもあるが、まあ、ごくごく一般的なカレリア人の顔立ちだと言っていい。茶色の癖っ毛、同色の瞳。そして、不貞腐った顔。そう、彼こそ、今や押しも押されもせぬ、若きノースカレリアのご領主様である。
「何がだ?」
 一方、声を掛けられた黒髪の青年は、涼しい顔で、これに応える。
 こちらは誰あろう、この度、商都カレリアの上席徴税官を拝命したラルッカ=ロワイエその人である。一部で密かに"マダム・キラー"との異名を取るこの御仁は、商都きっての名門ロワイエ家の次男坊であり、彼ダドリー=クレストのかつての学友であり、何かと連れ添う悪友であり、そして、無二の親友でもある。長身痩躯、品の良い優しげなマスクの中々の美青年だ。
 
 物話は、ディール領家によるノースカレリア侵攻以前にまで遡る。
 新妻エレーンに尻を叩かれ、カレリア北方ノースカレリアからレグルス大陸を遥々南下し、ここ商都カレリアへとやって来たクレスト領家の現当主ダドリー=クレストは、意外にも平穏無事な商都の街並みを、不機嫌な顔で見回していたのだった。
「ったあく、やってらんねえよな〜。なーんで、俺がこんな目に……」
 新婚なのに。
 不貞腐った態度で、足を投げ出すようにして歩き、片手で癖っ毛の頭をボリボリと掻く。
 ダドリー=クレスト、不満タラタラの顔である。そう、なんだって、こんな踏んだり蹴ったりの目に遭わねばならんのだ?
 冷たいようだが、これはラトキエ領家の不手際が引き起こした不始末なのであって、当方とは全く一切完璧に無関係な他家同士の諍いなのである。つまり、ラトキエには、ディールに付け込まれるような隙があったということだ。
 だいたい援助をしようにも、コチトラまだまだ駆け出しのしがない身。我が頭上の蝿を追うだけでイッパイイッパイという有様なのである。未だ足元も覚束ず、ヘコヘコまごまごしている修行中の分際で、誰かを手助けしようなどとは、それこそ笑止千万、噴飯物。
 そうだ。そもそも、領主に就任してまだ日の浅い自分でさえもが即刻一蹴したような、こんな馬鹿馬鹿しい事案について、あの強硬な議会の了承が、そう容易く取り付けられる筈もないのだ。昨晩ラルッカに言われたように、確かに自分は広大な土地を領有し、絶大なる権力を有する三大公家の一、北カレリアの領主に就任した。──確かに就任はしたのだが、しかし……
 そう、こんな大領家を助けてやろうなどとは身の程知らずもいいところだ。日々薄氷を踏むようなこの危なかしい状況を鑑みれば、仮に "ラトキエに援軍を差し向ける" なんて無謀極まりない議題を貴族会議の俎上に上らせてみたところで──つまり、"ディールの目を逸らす囮を買って出てやろう" などという愚かしい提案をぶち上げてみたところで、まともな論戦に発展する筈もなく、それどころか「いやいや、何を奇妙なお戯れを……」などと見下げ果てた態度で慇懃にいなされ、軽くスルーされるのがオチである。
 そう、己の権益にしか興味を示さないあの頑固な石頭どもに、人道だとか義侠だとかの実入りのない高邁な精神論をぶつけてみたところで暖簾に腕押し、時間の無駄ってもんである。そして例え、強権を発して君命を下してみたところで、常に前方に(鬱陶しく)立ち塞がり、頑として動かぬあの巨大な壁どもが「はい、それでは、そうしましょう」とスンナリ納得、快諾などする筈がないのだ。
 これは何れの領家であるにせよ、概ね変わりのないことだが、この貴族を名乗る輩の正体とは即ち、領家の血縁縁者のことである。よって、伯父貴連中を始めとする貴族議会の顔触れは、ほんのハイハイ歩きの幼少のみぎりより、よくよく見知った身内ばっかりなのである。つまり、なまじ身内ばかりで固められているだけに、弱冠二十三歳、就任ほやほやの新米領主などには、大した発言権はないんである。無論、彼らの意向を無視して話を進めるなどは、言語道断、以ての外だ。そんな愚かしい真似をしようものなら、以降、冷たくそっぽを向かれて、一切の協力が得られなくなる。そう、自らの首を締めるようなものだ。しかし、それでは領内の運営は立ちゆかない。
 こちとら理想もあれば、野望もある。ならば、女房の我がままなど、この際突き放してしまえば良さそうなものだが、そこはそれ、新婚の弱みってヤツである。寝所からの締め出しは、たいそう身に堪える。しかし、そうかといって、この最悪のタイミングで、妾の元になど逃げ込もうものなら、それこそ、もう一生口もきいてもらえなくなること請け合い……
 思い巡らせ、進退窮まり、ダドリー=クレストは気鬱の溜息をついた。
 基本的に、女房殿には滅法弱い男である。
 
 
 
【 カレリアの徴税官 】
 
 
 
 大通りの赤煉瓦を、数羽の雀がチュンチュン突付いて穿(ほじく)り返している。ここは通常であれば、人で溢れ返るメインストリートだが、今は人けがないものだから、鳥どもは人間様の足に蹴り飛ばされる心配もなく、我が物顔の振る舞いだ。お日様ぽかぽか長閑極まりない商都の光景へと、ダドリーは不機嫌そうに顎をしゃくった。
「にしたって、なんで、こんなに普通なんだよ。戦の最中じゃなかったのかよ」
 彼が不貞腐るのも無理はない。こんな筈じゃあ、なかったのだ。状況はもっとずっと切迫していて、深刻この上ない事態に見舞われているものとばかり思っていたのだ。
 そう、人々は戦火の中を逃げ惑い、家を焼かれて茫然自失。更には飢えさらばえて干し上がり、抗議の拳を手に手に振り上げ、領家ラトキエの門前に殺到し──
 そうだ。
 そういう悲惨な事態を想定したからこそ、新婚の妻を領土に残し、遥か彼方の商都くんだりまで、こうして遥々飛んできたのではないか!
 けれど、抗議を受けたラルッカは、友の切ない訴えなど何処吹く風。
「ああ。如何にも戦の真最中だ。お前だって、ここへ来る時、街を包囲したディールの軍隊を見ただろう」
「……そっりゃあ、見たけどさ〜」
 涼しい顔で返すラルッカに、足元の小石を蹴り飛ばすダドリーは、どうにも割り切れない膨れっ面だ。不穏な軍に取り囲まれたこの状況では、さすがに活気はないものの、一見した商都の街は、のんびりまったり平和そのもの。人けがないことさえ除けば、破壊や略奪行為等で痛んでいるような痛々しい様子は何処にもない。
「あーあー、だったら来るんじゃなかったぜ。こんなクソ暑い中をワザワザよぉ。せっかく馬飛ばして駆けつけたってのに、何処も何ともねえじゃねーかよ。そもそも俺は新婚なんだぞ。なのに、なんで俺がこんな目に──」
 更に、ブツブツと口を尖らせる。
 そりゃあ、愚痴りたくもなるだろう。なんたって、アツアツの新婚なのだ。
「──悪かったな、ダド。お前達の婚礼に出席出来なくて」
 ふと、それを思い出したらしく、ラルッカが欠席の非礼を詫びた。
「仕方がないさ。選りにも選って、お前の就任式と重なっちまっちゃな。そっちだって、主役がいなけりゃ始まらねーじゃん」
 ダドリーはサバサバと応えて振り向いた。
「良かったな、ラル。夢が叶って。これでお前も、晴れて上席徴税官の仲間入りだ。──しかし、まったく大した奴だな。入った早々、奴らの頂点に立っちまうってんだからよ。任官してから、まだ二年と経っちゃいないだろうに。そんなにとんとん拍子に出世して、周りの奴らに妬まれないよう気をつけろよ」
「苛めで潰されるほど、柔じゃないさ。俺を誰だと思っている」
 爽やかな笑みで、ラルッカはサラリと返す。余裕綽々、悠然たる態度だ。
 この"徴収官"という役職は、売り買い算盤の権化のような金に目敏く勘定高い商都カレリアに生きる市民にとっては、大切な上がりの中から一定の税をキッチリかっきり巻き上げていく、日常的に媚びへつらうべき、大いなる天敵とでも言うべき存在であり、はたまた一方、これを取り立てる領家の側にしてみれば、治世、並びに体制維持の為の活動資金の徴収・確保という最優先の使命を帯びたこの上ない要職である。そして因みに、この肩書きの頭に更に"上席"と付く者は、そうした彼らを指揮・監理する政府高官の任にある。
 
 昼食をとりがてら、彼らは街の様子を見に行くことにしたのだった。豪壮な邸宅と堅牢な高級商館の連なる白い石畳の北の区画を歩み出て、段差の薄い、白く輝く大理石の階段を三段下りる。北と南をあからさまに二分するこの階段は、この街商都カレリアを分断する実質的な境界線だ。
 開放された視界いっぱいに広がる商都の見慣れた光景を、ダドリーは足を止め、しばし改めて眺めやった。
 商都カレリアの《 露店街 》。ラトキエ領家治める商都カレリアの中心部だ。街の南に位置するここでは、ありとあらゆる物品が売り買いされ、各種多様な商取引が行われる。黒服の慇懃な店員達に塵一つ残さず念入りに磨き上げられた白亜の商館を見慣れた目には、いささか野卑な感じに映らぬでもないが、街の数多の通りは整然と区画割りされ、多くの道は煉瓦できちんと舗装されている。街の随所に配された軽武装した警邏達が、不審者の混入に日々目を光らせ、裏通りにある特殊な界隈に足を踏み込みさえしなければ、若い娘が一人で歩いていても、何の気兼ねも要らない治安の良さだ。雑貨店もあれば、服地屋もあり、飲食店もあれば、歓楽街もある。もっとも今は、門扉を硬く閉ざした北の高級商館の対応と同様、さすがにその大半が店を閉めてしまっているのだが。
 そう、開いている店はさすがに疎らだ。いや、こんな状態であるのに、それでも商売をしようという店があるのだから、ここは、カレリア人の商人根性は見上げたものだ、と褒めるべきか。
「それにしても、聞き捨てならんな」
 きちんと着込んだスーツの腕をおもむろに組み、ラルッカは苦々しげに頷いた。
「なんだよ、いきなり」
「お前らがここへ入り込んだ方法だ。後で、その"抜け道"とやらに案内しろよ」
 そして、キリッと能吏の顔を作る。
「まったく! そんな物があるから、取り締まっても取り締まっても、不正を働く不届きな輩が後を断たんのだ! すぐにも人をやって、徹底的に塞いでやる!」
 ただ今、使命感に燃えているらしい。
 気色ばんだラルッカを、ダドリーは横目で見ていたが、
「教・え・な・いっ!」
 ベッと憎たらしく舌を出す。
「──む!」
「ラル、お前なあ……」
 ダドリーはやれやれと後ろ頭を掻いた。
「俺は奴らに、ここまで送ってもらって来たんだぞ。なのに、そんなもん勝手にバラしてみろよ。恩を仇で返すことになっちまうじゃねーかよ」
 しかし、ラルッカは渋い顔で首を振る。
「──まったく、お前という奴は! いつまでも、いつまでも、何処ぞの悪ガキみたいに! そういうところは幾つになっても変わらんな。お前だって、晴れてクレストの領主になったんだろうに。少しは自分の立場ってものを自覚したらどうだ」
「分かってるさ〜。だっから、一人で来たんだろ」
あほう! その前に殺されちまったら、どうにもならんだろうが!」
 コホンと一つ咳払いで、とっさに激してしまった気まずさを拭い、ラルッカは気を取り直して話を続ける。
「しかし、選りにも選って《 遊民 》とはな。それでは、お前は、見ている方が恥ずかしくなるような、あの派手な衣装の連中と──年中ヘラヘラと馬鹿騒ぎばかりしている、あの浮ついた虚(うつ)けと一緒に、ここまでやって来たという訳か。連中に担ぎ上げられて、派手な山車(だし)の上にでも乗せられて来たか。まったく、クレストの領主ともあろう者が」
 いったい何を想像しているのか、白皙の額に手を当てて、ゆるゆると嘆かわしげに首を振る。
「落ちたもんだな、ダドリー=クレスト。お前には三大公家の主としての誇りはないのか。野蛮な賤民どもに入り混じって馬を駆るなど情けない。それが当代当主のすることか。まったく、何処から入って来たんだか知らないが、コソコソとこそ泥のような真似をして──」
「なに言ってんだ。正々堂々となんか入れるもんかよ。街壁の周りには、びっしりディールが張り付いてんだぞ。そんなことしてみろ。あっという間に見つかって、たちまち串刺しになっちまわあ。──それに、ラル、」
 頭の後ろで両手を組んで歩きながら、隣を行くラルッカにチラと目を向ける。
「あいつらは決して、お前の言うような虚(うつ)けなんかじゃないぜ。──聞いてなかったのかよ。俺はちゃあんと "傭兵隊を連れて来た" と言ったろう」
「ああ。まったく物騒な話だな。しかし、よもや、《 遊民 》どもが隣国の傭兵まで雇っていたとは」
「──いや、そうじゃなくって! あいつら自身が傭兵なんだってば」
 物分かりの悪い相手を、ダドリーはやれやれと訂正する。しかし、まあ、そう思うのも無理はない。《 遊民 》と言われれば、普通は、ピラピラ衣装の派手な連中の方を指す。
「一口に《 遊民 》と言っても、色んな奴がいるらしくてな。そこらで見かけるチャラチャラした連中とは別に、腰に物騒なもんをぶら下げた強面の連中ってのも、中にはいてよ。国が変わると、案外、質も変わったりするのかもな。何せシャンバールは年がら年中、戦争している国だから、あんな道化仕事だけじゃ、連中も食い扶持が稼げやしないだろうし」
「……そういや、隣国の傭兵の一部に、何やら毛色の変わった連中がいる、と聞いたことがあるな」
 ラルッカがフムと雑学の海から記憶を拾う。
「なんでも群れを率いるリーダーというのが、目的遂行の為には手段を選ばぬ、とんでもない冷血漢だとか。なんと言ったか、隣国全土にご大層な名を轟かせる残忍冷酷な悪党で、逆上すると何をしでかすか分からない。普段と何ら変わらぬ涼しい顔で、懇願する相手を嬲り殺し、敗将の首を敵陣に送りつけたりもするらしい」
「なにそれ。恐っええ!」
「それだけじゃない。自分を慕う配下の腕を斬り落としてみたり、仲間内でも、裏切り者には容赦なく制裁を下して、処刑したりもするらしい」
「……自分の仲間を? マジかよ。──まるで、血に飢えた鬼神だな」
「連中が現れると、瞬く間に戦場が荒れる。そいつとその取り巻き連中というのが圧倒的に強いらしくてな。並みの兵士じゃ歯が立たない。それで甚大な被害に頭を痛めたシャンバール政府は、そいつの首に破格の懸賞金をかけてまで、何とか狩り取ろうと躍起になっているらしい」
「へえ、お尋ね者の懸賞首かよ。道理でな。──しかし、大した悪党だな」
「どうも、カッとなると見境がなくなる質らしくてな。一旦そうなると、女子供も関係なく手当たり次第に斬り殺すらしい。周囲の者がそれに気付いて、慌てて止めに入った時にはもう、辺り一面、血の海だった──なんて物騒な話もザラにあるらしいぞ」
「恐いねえ。俺、シャンバールに生まれなくて、ホント良かったぜ。そういう野蛮な化け物とは、生涯出くわしたくはねえもんだな」
 ふと、足を止め、ラルッカが隣の男の顔を見る。
「お前は、そういう奴らと、ここまで一緒に来たんじゃないのか?」
「……ん?」
 ダドリーはパチクリと目を瞬いた。ぎこちなく笑って、慌てて手を振る。
「あー──い、いや! でも、あいつらはそーゆーのとは違うから」
「同じだろ」
「……」
「……」
 友の無謀に浅く溜息をついたラルッカが、街の東へと顎をしゃくる。
「それより、こっちだ。ついて来い」
「……なにラル。何処行く気だよ。メシ食いに行くんじゃねーの?」
 怪訝に、ダドリーは目を向けた。大通りでさえ閑散とした有様だ。この上、裏路地になど入ってしまったら、開いている店などあるのだろうか。
「食事は後だ。先に見せておきたいものがある」
 こっちだ、と、目配せするラルッカに、ダドリーは肩をすくめて従った。
 降り注ぐ真夏の日差しが目に眩しい。冷涼な気候のノースカレリアなどとは異なり、大分南に位置するこの辺りは、夏ともなれば、まともな暑さだ。道の煉瓦が強い陽を照り返して、少し歩いただけでも、汗が全身から噴き出してくる。
 ディールに取り囲まれたこの不穏な状況下では、街中を出歩く女子供の姿は、さすがに皆無だ。しかし、一人で歩く男の姿はポツリポツリと見受けられた。手持ち無沙汰そうに街をぶらつき、店先を覗くそうした者は、真夏の陽射しが照りつける煉瓦道の中央付近は避け、建物の影を選んで、閑散とした周囲の様子を見回しながら、ブラブラと足を運んでいる。
 通り過ぎた街角の店では、近隣から買い物に来て足止めを食ったらしいラフな身形の中年男が、何がしかの情報を得る為か、賄い姿の飲食店の主と立ち話をしている。閑散とした街の様子を溜息混じりにグルリと見回す店主の顔は「これじゃあ、商売上がったりだ」と言わんばかりの苦々しげな面持ちだ。
 ラルッカが肩をすくめて、隣に訊いた。
「しかし解せんな。なんだって、わざわざ、こんな時に戻って来たんだ。日頃、計算高いお前が」
「……なにそれ。失敬だな。それじゃあ俺、まるっきり悪い奴みたいじゃん。そういう酷いこと言うかよ普通。ようやく再会を果たした朋友に」
 ラルッカは軽く溜息をついた。
「ならば、言い直そう。昨日も言ったが、お前はそんなヘマをするような奴じゃなかったろう。いったい、どういう風の吹き回しだ」
「──だってよ〜」
「ん?」
「だって、あいつ、俺になんつったと思う?」
「……ん?」
 相手の声の何処となく奇妙な変調に、ラルッカが一拍置いて、怪訝な顔で振り返る。
 ダドリーがニンマリと振り向いた。このニヤけた顔から察するに、今の"あいつ"というのは、このほど娶った新妻のことらしいが。
「"あんたになら出来るでしょお?"って♪」
 にんまり笑って、人差し指をピンと突き立てる。
「とくりゃ、ここは一番、
この俺が どーにかしなけりゃなんねーじゃねーかよっ!──んなっ?」
 得意げである。
「……お前、嫁をもらって変わったな」
 以前は、間違っても、こんな腑抜けたことを言う奴ではなかった……と、同意を求められたラルッカは、額に手を当て、力なくゆるゆると首を振る。処置なしである。
 今にも蕩けそうに鼻の下伸ばしたダドリーは、「いやあ♪ 参った参った♪」と一人ニヘラニヘラと癖っ毛の頭を掻いている。そして、突如、使命感に火が付いたらしく、「やるぞー♪」と俄然気勢を上げて、やる気満々の態である。そう、ただ今、熱々の新婚さんなのである。そして、愛しの女房殿にそんなこと言われた日には、何をおいても全力で取り組んでしまうのが男って生き物なんである。
 もっとも、そう言って焚き付けた彼女の方は、とんと覚えちゃいないだろうが。
「──そういや、お前らとは、このところ、随分と疎遠だったな。以来、細君は息災か」
 その様子に彼女の顔を思い出したか、頬を綻ばせたラルッカも懐かしそうだ。彼女の方とも懇意である。
 だがしかし、途端にピクリと片眉上げたダドリーは、
「あー! 息災だよっ! お前は気にすんなっ!」
「……。( 何をそんなに怒っているんだ? )」
 思わぬ剣幕に、ラルッカは解せない顔で首を傾げた。無論、彼らの間で夫婦喧嘩が勃発する度、ここぞとばかりに引き合いに出されて、最悪の形で登場していたことなど、この若き徴税官が知るべくもないが。
 訳が分からぬながらも理不尽な怒りの矛先を逸らすべく、ラルッカはぎこちなく笑みを作った。
「ああ、だが、婚礼の儀にはエルノアが出席したろ。なんだか妙に張り切っていたようだが──」
「あー、アレね」
 しかし、ぶっきらぼうに相槌を打ったダドリーは、更にムスッと口先を尖らせる。
「一人で
百人分 騒いでいった。新手の嫌がらせかと思ったぜ」
「……す、すまなかった」
 フォローの仕方を間違えたようだ。思わず引き攣り笑いで、ラルッカは謝る。彼の婚約者は、やはり何かやらかして来たらしい。空恐ろしくて、何があったか知りたくもなかろうが。
「──悪い、ダド。こっちに戻って来たら、よく言って聞かせるから」
「なんだよ、まだ帰っていないのか。あれから随分経ってるぞ」
「レーヌに寄ると、連絡を寄越した」
「……レーヌ? まさか、例の連中の所かよ」
 ここ商都カレリアから南下した海岸に、このレーヌの町はあるのだが、そこには大層有名な賞金稼ぎの一団がいて、大きなアジトを構えている。理由あって、彼らはそこの荒くれ者達と面識があったりするのだが、まあ、大抵の者は恐がって近付かない──そういう場所だ。
 しかし、ラルッカは何事もなく平然とした顔だ。
「最近じゃあ、あいつの別荘か何かのようになってしまっていてな、何かと言っちゃあ入り浸ってる。あれ以来、向こうの連中と意気投合して、すっかり仲良くなってしまったようで──」
「"顎でこき使ってる"の間違いだろ」
 とっさにケッとそっぽを向いて、経験者ダドリー、ボソリと合いの手。彼は過去、不本意にも、彼女の鞄持ちの称号を得た経験がある。
「ま、お前の所で何をしたんだか知らないが、大方、説教されるのが嫌なものだから、こっちに戻って来ないんだろ」
「──お、おい、呑気だな。大丈夫なのかよ、アレを一人でやったりして」
「心配ないさ。エルノアはあの通りの性格だし、あの連中も相も変わらず物騒だが、ああ見えて、あそこの大将は中々の人徳者だ。面倒見の良い男だから、きっと何かと配慮して──」
「そうじゃない」
「ん?」
「"奴らの方が" って話だよ」
「……多分、な」
 しばし、無言で街を歩く。両手を腰に当てた彼女の高笑いが、何処からか聞こえてきたような気がする。
「──別荘ね」
 ダドリーは溜息混じりに話を継いだ。
「まったく不憫な奴らだぜ。それじゃあ、向こうは今頃、大変だ」
 彼は、つい先日も、同様の被害に遭ったばかりなのである。彼女にいいように引っ掻き回される、あのアジトの面々を頭の片隅で思い描いて、「気の毒に……」と肩をすくめる。
「何れにせよ、こっちにいなくて良かったよ。なんと言っても、商都は今、この有様だからな」
「で、お前ら、いつになったら身を固めるんだよ」
 ほれほれ、見てみろよぉ〜♪と、ダドリーは左の薬指にはまった彼女とお揃いの指輪を、嬉しそうに見せびらかす。豪華クレスト領家の紋章入り。この世に二つしかない由緒あるお値打ち品である。しかし、それを見るでもなくラルッカは、
「簡単に言うな。アレを娶るのは勇気が要るんだ……」
 額に手を当て、深々と溜息をついたのだった。
 
 
 
 
 

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