CROSS ROAD ディール急襲 第2部 2章 1話2
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 閑散とした商都の街を、久し振りの再会を果たした友と二人、ブラブラと歩く。額の汗を腕で拭って、ダドリーは晴れ渡った青空を恨めしそうに仰ぎ見た。
「──それにしても暑いな。汗だくだぜ」
 青と白の際立ったコントラスト。真夏の空だ。
「まったくだな。しかし、夏だからな。こればかりは文句を言っても仕方がないさ」
 一応同意は示したものの、しかし、きちんとスーツを着用し、背筋を伸ばしたラルッカの、長めの前髪を右で分けた白皙の顔は、まるで涼しの佇まい。相変わらず、その額には、汗一つない。
「……あれから二年、か」
 ふと歩行の足を止め、ダドリーは改めて空を見上げた。その目がそっと細まったのは、太陽が眩しいせいぱかりでもないだろう。
「色々あったが、又、夏が来たか」
 放り投げるように溜息をつく。その声音には、何処かやるせない響きがある。商都の街並みの上に広がる空は、何処までも続く晴れ渡った青と、厚く立体的な真っ白い雲。
「ああ、夏、だな」
 連れと同じように、それをしばし眺めやり、ラルッカもそっと目を細めた。
「……時は、巡るものなんだな」
 妙に乾いたその声は、何処か遠くから聞こえてくる。呟いたその目は、遥か遠くを見つめている。
 静かに思いを馳せている友の白皙の横顔を、ダドリーはじっと見ていたが、
「ラル、お前、もう大丈夫か」
 静かに、そして、何処か遠慮がちに言葉をかけた。ふと、ラルッカが振り向いた。
「何がだ」
「決まってるだろ。アディーのことだよ」
 特別なその名に、ラルッカの頬がピクリと強張った。じっと見守るダドリーの前で、柳眉をひそめて立ち尽くしている。何事かに耐えているようなその顔は、何処か酷く苦しげだ。
「……思い出に、浸る暇もない」
 やがて、強張った力をゆっくりと抜くと、ラルッカは左右に首を振り、静かにそっと微笑んだ。
「今は、エルノアがいるからな」
 ダドリーはフイと目を背けた。その顕著な反応に、未だ癒えることない深い傷の存在を知る。
 自身と同様、優しい思い出に引き摺られ、今も、あの無垢な笑顔に切り裂かれ、欲して尚、与えられない虚無の海を彷徨っている。人一人が忽然と消え、ぽっかりと穴が空いてしまった虚ろさは、仲間達の誰もが持つ避け難い痛みではあるのだが、しかし恐らく、それを真正面から受け止めた、このラルッカの絶望の度合いは、あの頃、別に支えを持つことが出来た他の者達の比ではないだろう。
 痛ましい相手に知れぬよう、密かに小さく溜息をつく。
「──ああ、ラル。レーヌって言やあさ」
 重苦しい空気を切り替えるかのように、殊更にサバサバと振り向いた。
「一昨年の夏、俺達、あそこで散々な目に遭っただろ? ほら、あの森の中で」
 さりげなく水を向け、好ましからぬ話題からの転換を強引に図る。
「ああ、例の化け物のことか、《 影切の森 》の」
 隣を歩きながら、そつなく相槌を打つラルッカ。「実は俺、あれからずっと考えていたんだが──」と言い置いて、ダドリーはどうにも腑に落ちない顔をした。
「あの時のガキの顔、どうも何処かで見たような気がしてならないんだよなあ……。なんだか、しょっちゅう見ているような、いやに馴染み深い顔のような気がしてよ」
 そう、あの頃は、それどころではなかったので、すっかり忘れていたのだが。
「ほう、お前もそう思っていたのか。実は俺も、あれを思い出す度に、随分考えていたんだが」
 建物の影を選んで歩き継ぎながら、しばし二人して、腑に落ちない顔で考え込む。喉に刺さった小骨のように、こうしたことは、一度気になりだすと、とかくスッキリしないものなのだ。
「妙な、白い服を着ていたっけな」
「うんうん」
「森の中で、ふわふわ浮いてて」
「そうそう」
「真っ黒い髪を肩で靡かせ、何処までも何処までも、俺達の後をついて来て」
「そうそう」
「何故だか、どうしても忘れられないんだよな。一度は忘れても、ひょんなことで思い出すというのか、常に身近にある気がするというのか」
「そうそ……待てよ?──まさか!?」
 顎に手を置き、考え込んでいたダドリーが、ふと弾かれたように顔を上げ、アタフタ財布を取り出した。紙幣を数枚、中から抜き出す。種類の異なる数種の紙幣をじっと見比べ吟味して、一番上に置き広げたのは、ここカレリアで流通する一トラスト紙幣。右側に人物が描かれた薄青の札である。因みに、現在、カレリアで流通する通貨は "トラスト" と "カレント"。一トラストは一万カレントと等価であり、その貨幣価値は、貴族ら特権階級を除く国民の平均月収が約三十トラスト、そして、店頭販売の弁当一つが五百カレントといった具合である。"トラスト"は紙幣、"カレント"には硬貨と紙幣の二種があるが、これらは何処の国でも通用する安定した良貨である。
 懐が急に心許なくなったのかと思いきや、しかし、そういう話ではないらしい。ダドリーが食い入るように見めているのは、紙幣のゼロの数ではない。釘付けになった視線の先は、札の右側、薄青で描かれた少年の、端整で凛々しい左四十五度の顔。怪訝な顔で、ラルッカもそれを覗き込む。
「「 サディアス国王!? 」」
 二人同時に発声し、そのまま石像にでもなったかの如くに固まった。釘付けになった目線の先は、手の上にある札の人物。しばし、あんぐりと口を開けたまま、微動だにしない。
 やがて、彼らは、のろのろと互いの顔を見た。どちらも愕然とした面持ちだ。彼らの記憶にあるそれが、この紙幣の少年の顔に、何故かピタリと重なったのだ。
 このお粗末な結末に、二人して複雑な思いを巡らせる。道理で見覚えがある筈だ。選りにも選って、常日頃見ている札の端に描かれていたとは。なのに、丸二年もの間、全くこれに気付かなかったとは──
 それにしても、ここまでそっくり瓜二つの者が、この世に二人といるものだろうか。とても他人の空似とは思えない。これは、どう見たって本人だろう。しかし、それでは国王が……?
「──いや、そんな馬鹿げた話があるものか」
 ふと我に返って、ラルッカは眉をひそめて首を振る。
「国王は、とうに二十歳を越えておられるのだし、王位継承式の折に拝謁した数年前でも、この札の絵よりは遥かにご成長されていて、ご立派になっておられたし」
 そう、この紙幣はそれ程新しい物ではないのだ。この一トラスト紙幣が発行されてから、既に十年以上も経っている。仮に今、この紙幣そのままの姿で、そこらを歩いているのだとすれば、それはつまり──
 
 縮んでる?
 
「「 …… 」」
 
 あまりにも突拍子もない連想に、一瞬、魂が抜けかかる。
 
「──まさか、な」
 しばらくして、ラルッカが口端を引き攣らせながら、国王同人説を否定した。
「そ、そうだよな。──いや、ありえねえ! ありえねえ!」
 馬鹿な考えを慌てて打ち消し、無駄に慌しく笑い合う。しばし密かに首を傾げつつも、気を取り直して、街を行く。
 
 行き過ぎる店舗の大抵は二階建ての造りだが、どの建物にも、最上階の外壁に、頑丈な滑車が取り付けられている。これは、仕入れた商品を上の階へと吊り上げる為の工夫だ。
 客商売というものは、まずは客足を止めることが肝要。つまり、通りに面した一階店舗での商いが俄然有利だということだ。その為、売り買いの盛んなここ商都カレリアでは、商品を陳列し、接客・売買するいわゆる店舗が一階部分、そして、二階以上最上階までにある空間は、在庫置き場となっているのが常だ。そして、街中の店のこうした造りは、過去、港湾業で富み栄えた、かの地ノースカレリアのそれにしても同様である。
「──おっと、何処へ行く」
 ふと、それに気が付いて、ラルッカは、ブラブラ横を行くダドリーの腕を、強く引き戻した。
「そこから先は "スポット" だぞ」
「……"スポット"? また数が増えたんじゃないか」
「何を言っている。前からそうだ。こっちを離れて忘れたか。うっかり足を踏み込めば、柄の悪い《 遊民 》どもに、たちまち周囲を取り囲まれる」
「"ブラック・マーケット" か」
 ズボンのループに両指を引っ掛け、ダドリーは何処か荒んだ風情のその一角をグルリと見回す。
「なあ、ラル。常々不思議に思っていたんだが、なんで、あんな物騒なもんを放置しておくんだラトキエは」
 街の裏通りに点在するそうした彼らの溜まり場の中には、治安を守る警邏さえ配置されていない。
 しかし、ラルッカからの返事はない。ダドリーはチラと目を向けた。
「案外、上納金でもせしめてたり、、、、、、、、、、、してな」
 変わらぬ足取りで歩きつつ、鎌を掛けられたラルッカは、少し俯いて苦笑い。
「それについては、お前の想像に任せるよ。だが、《 遊民 》どもと仲良くしているのは、お前の所だって一緒だろう」
「ウチには、豊穣祭って一大イベントがあるからな。はっきり言って、あの祭の主役はあいつらだし、観光収入の目玉行事だ。アレで食ってる側面も否定出来ない。つまり、あいつらを祭に呼ぶのは、領民達の希望でもある」
「領民の希望というなら、それは商都も同じことだ」
「へえ、どんな風に? 商都で豊穣祭を催したなんて話は、ついぞ聞いたことがないがな。そもそも、ろくな農地もないくせに」
「用があるのは商品さ」
「商品?」
「手先が器用だからな、連中は。鍋や釜は言うに及ばず、鋏や包丁、鎌、のこぎりに至るまで──特に、刃物全般の性能の良さは、他の追随を許さない。需要があれば、供給・流通の必要が生まれる。つまり、領民の希望あったればこそ、だ」
「それに、武器、だろ」
 ダドリーが素っ気なく、物騒な商品名を付け足した。
太刀たちやりつるぎ、 小刀こがたな、短剣、弓矢、薙刀なぎなた──それに、火薬に手投げ弾」
 ぶっきらぼうに列挙され、しかし、敢えて伏せておいたらしいそれらを指摘されたラルッカの方は、悪びれた様子もなく澄ましたものだ。
「客筋の大半は胡散臭い連中だがな。だが、それでも客は客だ。我が財政を潤してくれる、ありがたい存在であることに何ら変わりはないさ。──商都には、至る所から様々な生業の者が集まって来る。そして、《 遊民 》どもの商品が他では入手出来ない品だとなれば、それらの需要は尚のこと高まり、人も集まる。他に品質の高みを望もうにも、内海が荒れて港という港が壊滅して以来、匠の国ザメールとは交易が途絶えて久しいからな」
「それなら案外、あの"匠の民"の血を引く者が、連中の中に少なからず混じっていたりするのかもな」
「ザメール人とも混血している、というのか」
「あり得るだろ、そういうケースも。現に、俺が借り受けた連中だって、その辺でたむろしてるピラピラした格好の派手な兄ちゃん達とは、体格も顔立ちも明らかに違うぜ。カレリアの血を引く《 遊民 》だけが、商都にいるとは限らないさ」
「……違いない」
 苦笑しながら短く同意し、ラルッカは話題に上った"ブラック・マーケット"の方向──西の方角にある通りの向かいを、眩しそうに眺めやった。
「あいつらが売り捌く商品は、どれも、まるで質が違う。他の商人が持ち込んで来る品など、それには遠く及ばない。人間て奴は正直だからな。同じ金を払うなら、少しでも性能や見てくれの良い方を選ぶ。作り手が誰であろうが、そんなことは問題じゃない」
「そして、そうとなれば、無駄な物を作る奴はいなくなる。つまり、競合相手は須らく脱落した、という訳か」
「お陰で今じゃ、利器・金属の売買は、《 遊民 》どもの独占市場だ」
 あまり良い傾向じゃないんだがな、と付け足して、ラルッカはやれやれと溜息をついた。
 
 あちらこちらの街角で、数人一塊で寄り集まり、何事かヒソヒソと話し込んでいる集団を見かける。あのさばけた身形から察するに、近隣の買い物客や物見遊山の観光客の類いではないだろう。この辺りの商店主達だろうか。この現状を憂いているのか、今後の身の振り方を模索しているのか、何れにしても、腕を組んだどの顔も、何処か酷く苦々しい。
 少し不穏な気配がする。通り過ぎる街の様子を──次第次第に強くなる何処か荒んだ殺伐とした空気を、目の端で抜かりなく観察しながら、ダドリーは足を投げ出すようにして道を行く。
「……しかし不思議だよな、ディールの奴らも」
 人影の疎らな商都の街を、歩く目の端に眺めながら、腑に落ちなさそうに呟いた。
「どうして、さっさと攻め入って来ない。唯一まともな国境軍を取り上げちまえば、ラトキエには碌な兵力は残っていない。あれだけの大軍を持ってすれば、制圧するなど容易いだろうに、何故、今になって侵攻を躊躇う。息掛かりが壁の中にいるからか? それで二の足を踏んでいるのか?」
 あらゆる商家が集中する商都には、ディール家流の商館も数多い。
「だが、そんなことは初めから分かっていた筈なんだがな……」
 左隣を歩くラルッカが、ひっそりと静かな商都の街に目をやった。
「カレリアは食糧の需給ギャップがあり過ぎる。供給基盤が弱く、自給率が恐ろしく低い。これは農産物の豊凶や人口増加以前の問題だ」
 淡々と紡ぐ相手の話を、ダドリーは黙って聞いている。
「現在、カレリアは隣国シャンバールからの輸入によって農産物市場の安定化を図っている。そして、窓口は国境の街トラビアだ。──まったく。打つ手が遅かった。そこに気付かずにいたとはな。ラトキエは食糧の供給、流通、そして備蓄等に至る総合的な危機管理体制を、予め検討しておく必要があったんだ。今となっては、実に詮ない話だが」
 軽く溜息を足元に落として、ラルッカはおもむろに振り向いた。
「人間、どれだけの間、何も食わずにいられると思う」
「──兵糧攻めか」
 ふと眉をひそめたダドリーに、ラルッカは静かに頷いた。
 
 
 
 
 

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