■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章openningA 〜 森の中の少女 〜
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幹にくず折れた男の胸に、ケネルは革の札入れと、財布の中から抜き取った厚紙のカードを放り投げる。カレリア国の登録証。
「──賞金稼ぎか」
鑑札の発行元は、国の治安維持を担当するラトキエ領家。証票の上部には、所持者を特定する番号がある。この記号交じりの数の羅列は、役所が帳簿と照合し、雇用の目安にすると同時に、同業者の間では武勲の証しとしても機能する。つまり、登録証を持つことすなわち、手配犯を引き渡した実績のある、いわゆる"腕利き"だということだ。
ぬかるんだ風道の方々に、男が三人転がっていた。
静かな周囲に人けはない。力なく垂れた右手には、ゆるく握った抜き身の短刀。くず折れた男から少し離れて、男が二人倒れている。一人は短く刈った黒い髪、もう一人は背でくくった長い髪。得物を握ったいずれの腕も、本来曲がるはずのない角度でねじ曲がっている。
道に落ちた鋭い刃を、木漏れ日が静かに照らしていた。
樹海の風に、梢がなびく。
「どうした。出てこい」
ケネルはおもむろに声をかけた。
天を衝くような緑梢に、さえずりが鋭く響きわたる。
「出てこないなら、俺から行くが」
がさり、と茂みで音がした。
ややあって藪が鳴る。ケネルは人影に目を向けて、だが、拍子抜けして口をつぐんだ。
高い梢を透過して、ちらちら木漏れ日が射しこんだ。
緑したたる深い森。強ばった顔で我が身をいだき、おずおずこちらに歩いてきたのは、まだ華奢な体つきの娘だった。長い髪を左右で編みこみ、つぎのあたった服を着ている。
「何をしている」
「わ、わたし、聖泉に水を汲みに。そうしたら悲鳴が聞こえて……だから……」
娘は助けを乞うように、おどおど目を泳がせている。着古した綿の上着、スカートの裾には乾いた泥土。この粗末な服装は、付近の遊牧民ということか。
故意ではないことを訴えながら娘が盗み見たその先には、道に倒れた三人の男。
「こいつらに襲われてな。一応、身元を調べていた」
相手の不審を払拭すべく、ケネルは事情を説明する。男の財布を持っていたのだ。強盗を働いたようにも見える。
「こ、この人達は、まさか、あの──」
「死んではいない。気絶しているだけだ」
ほっと娘は小さく安堵し、道の三人を恐々見やった。「物盗り、ですか?」
「それにしては、得物が良すぎるな」
上目使いで目を戻した娘が、はっとしたように顔をあげた。
「あ、あの、もしかして──"戦神ケネル"?」
ケネルは面食らって口をつぐんだ。
娘は瞬きするのも忘れた様子で、口元に手を当て見入っている。畏怖と好奇心がない交ぜになった瞳。
「──まいったな」
ケネルは居心地悪く苦笑いした。「以前あんたと、どこかで会ったか?」
「い、いえ、違うんです。すみません! でも、わたし、わかります! だって、ロムの部隊が野原にいるし、隊長さんは他の人とは、なんていうか雰囲気が違うし、だから、その──」
ケネルは目を見ひらいて顎を出した。
「俺は、そんなに偉そうか?」
「あっ──いえ! すみません! わたし」
娘はあわてふためいて首を振った。「そ、そういう意味で、言ったんじゃ!」
「冗談だ」
ケネルは笑って歩き出し、道の三人を目で示す。「驚かせて、すまなかったな」
「──あ、あの! 隊長さん!」
足を止め、振り向くと、ひた、と娘が見つめていた。
緊張したような面持ちだ。そのくせ目がかち合うと、視線を泳がせ、うつむいてしまう。
「なにか用か?」
娘は顔を真っ赤にして、かたくなに黙りこくっている。
不都合でもあったかと、ケネルは道を引き返した。娘は何事かためらうように、小柄な肩を固くして、両手でスカートをつかんでいる。
「──あ、あのっ!──あのっ!」
目をみはり、じりじり身を引き、後ずさる。
ああ、とケネルは気がついた。地面で三人が失神していることに。
相手は荒事には縁のない、遊牧民の小娘だ。こんな場面に出くわせば、おびえてしまうのも無理はない。
なるべく怖がらせないよう距離をとり、穏やかな口調で水を向けた。
「遠慮はいらない。用があるなら言ってくれ」
「……買って、くれませんか?」
うつむいた娘の口から、蚊の鳴くような小声が漏れた。
ケネルは怪訝に娘を見た。見たところ、物売りのようには見えないが。なるほど娘の足元には、古びた籠が置いてある。だが、水を汲む容器らしき物が一つ入っているきりで、他に商品らしき物はない。
「どこにあるんだ? 売り物は」
「──ほ、他の人達は恐くって!」
娘が顔を振りあげた。
「でも、あの、隊長さんなら、わたし……」
陸にあがった魚よろしくパクパク口を開閉している。小刻みに震える必死な声。硬くスカートを握った手。真っ赤にほてった真剣な面持ち。
「──ああ。なるほど」
ぎこちなく訴える娘の意図を、ケネルはようやく理解した。
苦笑いして、頭を掻く。つまり、小遣い稼ぎをしたいのだ。小さな声を聞き取るために知らずかがめた背を起こし、穏やかに凪いだ木立を眺めた。「だが、あんたはまだ、子供だろう」
「わ、わたしじゃ、だめですかっ!」
勢いこんで、娘は訊く。
「だめですか? わたしなんかじゃ、だめですか? こんな成りをしてるから?」
唖然と、ケネルは口をつぐんだ。
娘は真摯に顔を見つめ、すがり付くように食い下がる。「あ、あの! わたしは隊長さんに──」
「悪いが、移動の途中なんだ」
びくり、と娘が言葉を呑んだ。
目をみはって凍りついた娘に、ケネルはやんわり言い聞かせる。「そろそろ、俺も戻らないと」
「……そう、ですか」
心ここにあらずの面持ちで、娘は口の中で返事をした。今の気負いが嘘のようにぼんやりと放心している。
「悪いな」
はっと我に返って、足元の籠を引ったくった。
ぺこり、とあわただしく一礼し、娘はそそくさ歩き出す。
「──ああ、ちょっと待て。あんた」
しゃにむに逃げようとするその腕を、ケネルはとっさに捕まえた。
長い三つ編みを振り払い、娘が口を引き結んで振りかえる。涙ぐみ、耳たぶまで赤く染まっている。
つかんだ腕はそのままに、ケネルは上着の懐を探った。「この近辺と西の林には立ち入らないでくれないか。部隊が移動するまででいい」
「……え?」
「気の荒い連中につきまとわれているらしくてな。この手の輩が潜むには、こうした森は格好だ」
紙幣を数枚、札入れから抜き出して、娘の手に握らせた。
「そう皆に伝えてくれ。迷惑をかけて、すまないと」
娘がおずおず掌を見た。
弾かれたように目をあげる。「……こ、こんなに?」
「頼む」
手の紙幣と、伸びた賊とを、娘は呆然と見比べている。「あ、あの──でも、この人達はどうしたら」
「放っておいていい。気づけば、勝手に帰るだろう」
「でも、怪我をしているみたいで、みんなに知らせてきた方が──」
「あんたは近寄らない方がいい」
びくり、と娘が薄い肩を震わせた。
語調のきつさに気がついて、ケネルは口調を和らげる。
「こうした輩は、腹いせに何をするか、わからない。この有り様だから、あんたを襲う気力はないだろうが、万が一ということもある」
娘はそれでも、ぎこちなく賊たちを見比べている。怪我人を捨て置くことに、やはり抵抗があるようだ。
「大丈夫だ。死にはしない。あんたも戻った方がいい」
手の札を握りしめ、娘がようやくうなずいた。
「じゃあ、これでな」
ぼうっと顔を見ていた娘が、はっ、としたように身じろいだ。
ぺこり、とあわてて頭を下げ、長い三つ編みを大きく振って、元いた藪へ逃げるように飛びこむ。退去を促されたということに、ようやく気づいたものらしい。
ガサガサあわただしい藪の音が、次第次第に遠ざかる。
ケネルはそれを見届けて、木漏れ日の道に目を戻した。部隊の待機する草原へ、樹海の風道を歩き出す。
娘を一人歩きさせるには、樹海はいささか危険だが、送り届けてやるまでもあるまい。賊はしばらく伸びているだろうし、原野で暮らす遊牧民は、森の諸事に慣れている。
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