CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章openning 〜 手紙 〜
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 戸口のフェルトをわずかにずらして、そおっとファレスは覗き見た。
 まだ陽も高い昼の内から、なぜにこんなヤバそうな真似をしているかといえば、いるだけで問題を引き起こす例のアレがいるからだ。あの・・クレスト領家からの預かりものが。
 もっとも室内なかにはケネルがいるから、日課の巡回は省いたところで、別段支障はないのだが。
 しかし、これも用心深さゆえの厄介なるさが
「たく。しょーもねーな、あのオタンコナスは。まあたケネルにかぶり付いていやがる……」
 ケネルは大抵、ゲルの南側・戸口寄りに居場所を定める。今はこっちを向いた、あぐらの体勢。
 やれやれ、とファレスはフェルトを戻し、草原あんぜんちたいに踏み出した。さっさと退散するに限る。ここにいるのがバレた日には、又どんなとばっちりが飛んでこないとも限らないではないか。そうだ、ケネルは迷惑なほどに勘が鋭い──
 ふと、足を止め、首をかしげた。
 そそくさゲルに取って返して、もう一度、隙間を覗きこむ。
「……。本当にかじってんじゃねえだろうな、あれ」
 目をみはり、フェルトを払って飛びこんだ。
「何してんだてめえはっ!」
 あわてて割りこみ、引っぺがす。
「ケネルは食いもんじゃねえぞコラ! 節操なく食いつくんじゃねえ!」
 奥方様、ご乱心。あぐらのケネルに乗りかかり、ガシガシ肩に噛みついている。
「こら! 暴れるなっ! やたらポカスカ殴るんじゃねえ!──ああ、頭はよせってオタンコナス、ケネルが馬鹿になったらどうすんだっ!」
 だが、止めに入るも被害は甚大。ただ今、大変アグレッシブ。
 ようやく羽交い絞めで引き離し、だが "オタンコナス" ことエレーンは、フーフー逆毛を立てながら、つかまれた腕を振り払い、ぷい、とそっぽを向く始末。
 ファレスはのけぞって、毛先をかわした。間一髪あわやのところ。女の髪は時として凶器。目に当たりでもしたら大変だ。そして、自覚がないだけに、なお質が悪い。
 ファレスは呆れて腕をくんだ。
「おい。いくらなんでも度が過ぎるぞ。腹でも減ったか。それとも生え変わった歯でもかゆいのか」
 この副長、たまに正義の味方になることも、ある。
 むっ、とエレーンが振り向いた。
 
「うっさいわね! このまん中分けっ!」
 
「あァっ!? んだとテメエっ! まん中分けってその言い草、は……」
 
 とっさに、ファレスは反論につまった。
 突っ込み所がないんである。言い返そうにも、それはきっちり事実である。
 まごつく間にも、ぷい、とエレーンが背を向けた。
 ゲルの北側、自分の寝床に、足音荒く引きあげて、上掛けをつかんで引っかぶる。
 完璧な不貞寝である。そして、はたの迷惑、完全無視って態度である。
 よいしょ、とケネルは、もそもそあぐらをかき直し、ぐしゃぐしゃにされた頭と服を、あちこちいじって修復している。いいようにかじられていたが、特に気にしてない様子。
「アレに何したんだ、お前」
 ファレスは不貞寝の寝床を、あごでさす。
 ん? とケネルは仰ぎやり、さあな、というように首をかしげた。
「歯でも、かゆかったんじゃないのか?」
「……。もう、いい」
 ファレスは額をつかんでうなだれた。
 
 本日の行程は、取り止めだ。
 やーっと出発したかと思ったら、根性なしのオタンコナスが、又もぐちぐち言い出したからだ。理由はなんだと訊いたらば、腹が痛いだの虫歯が疼くだのなんとかかんとかetc. 
 要するに、今日も一日、半端に暇を持てあまし、行程消化も遅々として進まず、足踏み状態、継続中である。
 そして、その元凶は、すでに早くも寝入った模様。今の大暴れが作用して、鎮静剤くすりの回りが早まったらしい。
「たく。やってらんねえよな。我がまま女がっ!」
 引っかき傷をさすりつつ、不貞寝の背中に、ファレスは毒づく。まったく近ごろ散々だ。
 ケネルは修復作業を完了し、首やら肩やらこきこき回して、身体機能に不都合はないか、動作確認の真っ最中。
 それにしても、とケネルを見た。
「お前の辛抱強さには、マジでほとほと呆れるぜ。あんなに好き放題にされて、よく我慢して付き合ってやるな。ガツンと言ってやりゃいいのによ」
 ケネルは薄く笑って聞いている。澄ました顔で湯呑をとった。「弱い犬ほど、よく吠えるものだ」
「負け惜しみかよ」
 どうひいき目に見ても、踏ん付けられていたようにしか見えないが。
 ケネルは渋茶をすすって泰然自若。
「こういうのには慣れている。たかってくるガキどもにも、たまに食いつく奴もいるからな。もっとも、女に食いつかれたのは初めてだが」
「たりめーだろ。あんないねえよ、普通はどこにも」
「今の状態は普通・・じゃない。服の上なら、噛まれたところで支障もない」
「なら、顔や手足に直接きたら、どうすんだよ」
 ぱちくり、ケネルが瞬いた。
 小首をかしげ、しばし考え、ファレスを仰ぐ。
「勘付かれないよう努力する」
 げんなり、ファレスは脱力した。「──ああ、そうかよ」 
 なにやら妙に理不尽だ。止めに入って被害甚大。ぶんぶん振りまわす彼女の爪に、手やら顔やら引っ掻かれ、踏んだり蹴ったりの惨状である。
 それに比べてケネルの方は、どこぞの石像の如くに、じぃっとしていたくせに無傷。いつも何気に運がいい。
 そう、前回といい ( サンドイッチで腹を壊して散々な目に遭うも、引っ張りこんだケネルは無傷 )、今回といい ( あわてて止めに入って被災するも、当のケネルはやっぱり無傷 )、いつも周到に気を回すわりに、何気に薄幸なのがこの男。半端に顔を出す男気が、人生の敗因なのかも知れない。
 ちなみに、女の爪も凶器である。薄くて尖ってたりすると、よりいっそう効果的。
「あいつさ、なぜ、ああも喋るんだと思う?」
「……あァ? 知らねえよ、んなことは。つか、女なんざ、たいがいそうだろ。まあ、アレはちょっと度が過ぎるが」
「さっさと運んでしまいたかったんだがな」
 ケネルは苦笑いで寝顔をながめ、手にした湯飲みを傾ける。「予定通りにはいかないものだな」
「まったくだぜ畜生。本当なら今頃は、商都に乗りこんでた頃なのによ。アレがつべこべ抜かしやがるお陰で、未だにこんな何もない僻地で──」
 ふと、口をつぐんで、ケネルを見た。
「なんだよ、そいつは」
 懐から取り出した紙をながめて、ケネルが目を細めている。一度は丸めたものらしく、その紙は皺だらけだ。
 こうした姿を最近よく見かけるが、手紙の類を後生大事に持ち歩くとは、この男にして珍しい。戦場に赴く者の大抵は、命を預ける自分の戦馬に、大切な者の名を付ける等して、心の支えにしたりするが、そうした生還の願掛けにさえ、ケネルは興味を示さない。
「その紙、近頃よく見てるよな。──ああ、あれか。熱烈な恋文とか」
「似たようなものだ」
 ケネルが苦笑いして、ほうって寄越した。
 ファレスは面食らってケネルを見る。「──いいのかよ。俺が見ちまっても」
 膝元に飛んできたのは、色付きの便箋。その女性好みの体裁からして、個人的な信書のようだが──怪訝に取りあげ、一読する。
「──まだ持っていたのか、こんなもの」
 ファレスは辟易と顔をしかめた。
「にしても、つくづくヒステリックだな、女ってのは。" 死ぬ"だの " 生きる"だの平気で書いて寄こす奴の気が知れねえよ」
 ふと、そのことに気づいて、見返した。「でも、捨てなかったか? あの時、お前」
「いつの間にか、ポケットに突っこんであった」
「──油断も隙もあったもんじゃねえな」
 ファレスは溜息まじりに腰をあげた。
 北の寝床に立ち寄って、不貞寝の様子を確認し、西側に土間をまわって、ケネルの前に立ち戻る。
 ケネルの肩に、便箋を押しつけるようにして突っ返した。
「相変わらず、モテるじゃねえかよ」
「──お前ほどじゃないさ、ウェルギリウス・・・・・・・
 出口に向かった長髪に、含みを持たせて言い返し、ケネルは折り畳んで、懐に収める。
「降りるなら、降りてもいいぞ」
 足を止め、ファレスは肩越しに振り向いた。
 ケネルは絨毯に手をついて、不貞寝の細い背をながめている。
「こいつのお守りの話かよ」
 寝床を一瞥、ファレスは探るように目を戻す。「へえ。今回はぱかにお優しいじゃねえかよ。どういう風の吹き回しだ」
「この先、まだまだ、ひどくなる」
「……あ?」
 気だるそうにケネルは身じろぎ、天井をながめて呟いた。
「張りつめた緊張の糸が、そろそろ切れる頃合だ」
 
 

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