■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 3話12
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「──どうだった」
「ええ。馴染み深い物ですよ。バードが持ち歩く物より、純度が高い。《 リゲルズ・ドリーム 》──商売物の方ですね」
「"リゲル"──やはりそうか。こんな物を動かせる奴は、そうはいないな」
「しかし、御大自らお出ましとはね。どなたか一服盛られましたか。ご執心じゃないですか。それほど大事な方だとか?」
「気になるといえば、気になるな。なにせ大事な──」
「金蔓だ」
天窓から降る夜が、ひっそり土間を照らしていた。
戸口向かいの西の壁には、お定まりの小さな聖画。格子の壁に据えられた鉄鉤に、古い革袋が引っかけられている。壁には他にも、丸めたロープや使いこんだタオル。棚やら缶やら食器やら、生活感あふれる雑貨の類いと、簡素で小型の家財道具が、床に大雑把に寄せてある。
すでに使っていた遊牧民のゲルに、後から割りこみ、借りあげたのだろう。無理に住人を追い出したようで、暮らしの名残りが至るところに見てとれる。南西の方角の壁際には、客用らしき寝具が一組──。
怪訝に、ケネルは眉をひそめた。
"それ"から目をそらさずに、肩から布袋を、ゆっくり下ろす。
星あかりのない暗がりに、闇が濃く、うずくまっていた。中央の土間と、寝床との間。
利き手が、腰の刀柄を探る。北の寝床の枕側。空きっ腹をかかえた荒野の獣が、血の匂いを嗅ぎつけたか──。
闇に、ふと、目を凝らす。
「……ファレス?」
闇に紛れた寝床の横で、長い髪の傭兵が、ひっそりあぐらをかいている。
「どうした、火も熾さないで。寒くないのか」
すぐに動き出せる立て膝でなく、珍しくあぐらの体勢だ。顔に落ちかかる長い髪で、表情こそは定かでないが、押し黙った腕組みで、険悪な気を放っている。
「どこをほっつき歩いていやがった」
そして、開口一番、不機嫌な舌打ち。
背をかがめ、ケネルは靴紐に手をかける。「悪い。ちょっと野暮用がな。もう出ていいぞ。俺が代わる」
「どこへシケこもうが勝手だが、さっさと済ませて戻ってこいよ! 女に引き止められでもしたのかよ!」
「静かにしろ、起きるだろ」
ケネルは寝床の客を視線でさす。
ファレスは尚も何事か言いかけ、だが、苦りきった顔で口をつぐんだ。冷えた絨毯をケネルは踏みしめ、部屋中央の土間へと向かう。
鉄鍋に張られた水量を確かめ、かたわらのバケツを取りあげる。黒く盛られた燃料を、備え付けの火箸で拾い、窯の下へと放りこむ。
「ケネル。出ろ。話がある」
「──勘弁してくれ。今戻ったばかりだぞ。話があるなら、ここで聞く」
窯の炎を手早く熾して、ケネルは靴脱ぎ場に立ち戻り、腕を伸ばしてザックを拾った。寝具の積まれた南の隅へ、それを無造作に放り投げる。
土間の南に立ち戻り、膝に手を置き、あぐらをかいた。上着の懐に、嗜好品を探る。「で、何だ」
ファレスが膝を崩して立ちあがった。中腰のまま、怪訝そうに目を戻す。
「……いつの間に」
軽く舌打ち、やんわり、慎重に、上着を引っぱる。「おい──こら。放せ」
上着の端を、白い拳が握っていた。寝床の毛布から引き出された手が。引けば引くほど、体を曲げてしがみ付き、ますます上着を奪われまいとする。
ぷい、と彼女が寝返りを打った。
「──しょうがねえな」
上着は彼女の下敷きだ。不自由な前のめりで、ファレスは上着から肩を抜く。
上着を脱ぎ捨て、ランニングの腕をさすって、土間の向こうへ足を向けた。
赤々燃える窯の炉に、ケネルは薪をくべている。近場に大きな森があるから、焚き木の在庫には事欠かない。
ケネルは煙草をくわえて点火した。
「で、こんな夜更けになんの用だ。動きでもあったか」
顔をしかめて、ファレスはあぐらで腰を降ろす。「どうにかしろよ、あの客を。しょっちゅう消えやがるし、辛気臭くてしょうがねえ」
「どうにもならない、と言ったはずだ」
「──だが」
「だから、お前に預けたんだろう。お前くらいのものだからな。有象無象のちょっかいをきっちり排除できるのも。客の無軌道な行動に、確実についていけるのも」
「だが──」
「ここは静観が正解だ」
一服ケネルは紫煙を吐き、後ろ手をついて、天窓を仰いだ。
「カレリアの情勢は、大きく動き出している。近年稀に見る大変動だ。ディールに仕掛けられてラトキエが起ち、それがクレストにまで飛び火して、今や、三領家を巻き込んで泥沼の様相を呈している。この国の役者の総入れ替えが、まさに行われようとしているんだ。言うなれば俺たちは、歴史的瞬間に立ち会っている、というわけだ。──お前も重々承知だろうが、この件に、俺たちは介入しない」
炉火のゆらぎに照らされたファレスの顔に目を向けた。
「事の相手は一国だ」
黒鉄の鍋底を這うように、ちらちら赤く、炉火が揺らめく。
壁に、床に、黒い火影が、意志あるようにうごめき、踊る。煙った薪を見てとって、ケネルは火箸を取りあげた。軽く突いて、薪の向きを変える。
再び炎が燃えあがり、鍋から湯気が立ちのぼった。干し草を焼くような甘い匂い。火中で燃える牛糞の匂い。
蛙が、小さく鳴いていた。時間が重く滞る。膝で立ちのぼる紫煙だけが、ゲルの天上で拡散し、薄墨の静寂に溶けていく。
ガサリ──と薪が、燃え尽きて崩れる。
「──助けてくれ、としか、言わねえんだよ」
怪訝に、ケネルは目を向けた。苛立ちを微かに含む声。
客が寝入った北の寝床に、ファレスは柳眉をひそめている。
「帰りの馬上で泣き出して、がむしゃらにしがみ付いていやがった。馬から下ろして歩かせた時にも、ここの長に顔出した時にも、助けてくれ、しか言わねえんだよ。でたらめで、闇雲で、しつこくて──客を寝床に押しこむのに、どれだけ苦労したことか。ちょっと、そばを離れただけで、ピーピー泣いてわめくしよ。この世の終わりかってくらいに盛大に。──うわ言みてえに言うんだよ。領主を助けてくれ、ってよ」
呆気にとられて、ケネルは見返す。「──お前の前で泣いたってのか?」
「周りに誰もいなくなると、いつまでもいつまでも泣きやがってよ」
ファレスが柳眉をしかめて嘆息した。
「客には何も見えちゃいない。客には何も聞こえちゃいない。何がてめえに降りかかろうが、みんな目の前素通りで、頭は"領主"でいっぱいだ。何も入る余地がねえ」
「ファレス、ここは静観だ」
ケネルは先の言葉を重ね、天井に向けて紫煙を吐いた。
「この件に、俺たちは介入しない。あの一件は緊急措置だ。泡くった客を放置すれば、何を仕出かすか知れたものではなかったからな。そもそも、この仕事には依頼人がいない」
「十分承知だ。そんなこことはわかっている。だが──!」
「だが、何だ」
ファレスが堪りかねたように振り向いた。
「よく平気だな。毎日毎晩、あんな修羅場を見せられて。てめえに神経はねえのかよ!」
ケネルは苦笑いした。「──最近よく言われるな」
「たまんねえよ! ああいう惨めったらしいのは! マジでうぜえよ! 胸糞悪りィ!──どうにかしてやれよ! どうにかよ!」
「それで、俺にどうしろと?」
「あるだろ、適当な方法が」
煙草の腕を立て膝に置き、ファレスが嘲るように目を向けた。
「舐めてやりゃいいじゃねえかよ、客の傷」
沸騰した窯の下、ゆらり、と炎がゆらめいた。
壁に、床に、影絵が踊る。新たな煙草を、ケネルはくわえる。「俺に、客の服を引っぺがせって?」
「少しは収まるだろ、暴走も」
わずかに乗り出し、ファレスはケネルに目を据える。「余計な事情に立ち入らず、面倒事を引っ張り出さず、小うるさい口をふさぐには、そいつが一番てっとり早い」
ちら、と思わせぶりに一瞥をくれた。
「相手がお前なら、尚更だ」
どこか苦々しくケネルは笑った。「実は俺も、そう思わないでもなかったが──」
灰を軽く土間で落として、ぬっとファレスに顎を出す。
「拒否られた」
「……あ?」
「ぎくしゃくしてたろ、少し前に」
ファレスは無言の上目使いで、記憶をさらっているようだ。
ちら、と目を向け、顔をしかめて一瞥をくれた。
「最低の男だな。ケダモノ」
「──食えと言ったのは、お前だろう」
白けた顔で、ケネルは返す。
「にしても、お前を袖にするたァな」
持て余した顔でファレスは舌打ち、寝静まった客の寝床を見やる。「つくづく分かんねえな、女ってのは。普段はあんなに無闇やたらと引っついてんのに」
「俺じゃ務まらないらしいな、領主の代わりは。だが──」
炉火へ吸殻を投げ捨てて、ケネルはやれやれと腰をあげた。「もう必要ないようだ。大した副長だよ、お前はまったく」
「……あ?」とファレスが振り向いたまま固まった。
訝しげに腕を組み、顔をゆがめて考える。自分が褒められたその理由を。
さて、寝るか、と歩きだしたケネルを「──て、おい待て」と呼び止めた。
「結局どうすんだ。ほったらかす気か? 客は、まともとはほど遠いぞ。捨て置きゃ、ますます暴走して、その内、崖から落っこちるか、最悪、神経が壊れるか──」
「心配ない」
投げ広げた寝床の上へ、ケネルは枕を放り投げる。「手は、もう打ってある」
「──なんだよ、"手"ってのは」
あくびまじりに寝具にもぐり、上掛けを引っかぶって背を向けた。
「今にわかる。明日にもな」
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