CROSS ROAD ディール急襲 第2部 3章 interval 〜 渡来人 〜
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 道路から放たれた夏の熱気が、空気をじりじり焼いていた。道の向こうで陽炎が揺れる。タイヤの行き交うアスファルト、その上に引かれた横断歩道の白線が、正午過ぎの強い日差しを弾いている。
 日比谷の交差点に立っていた。八車線の自動車道路を車が何台も行き過ぎる。タクシー、トラック、乗用車──。
 赤信号の横断歩道。うだるような炎天下、歩道を歩く人影も疎らだ。こんな真夏の炎天下に、何故こんな所にいるのかといえば、遠野に呼び出されたからだった。夏休みも残すところあと数日となった今、つまるところ俺達は、提出課題を片付けるべく都内の図書館に出向いたのだ。この腐れ縁の友人遠野は面倒見が良く、成績も良い。道場の倅のこちらとは性格も成績も正反対だが、なんとはなしに気が合った。だが、暑い最中に渋々出向いてみたものの、目当ての図書館は休館していた。というより昨年からずっと改修工事中、開館予定は来年春──。とんだ徒労だ。
 抜け目ない遠野にしては珍しいポカに、しばし二人して呆然とする。だが、このくそ暑い中、別の図書館を調べてまで移動しようという気には到底なれない。それなら映画でも見に行くか、と話はすぐにまとまった。だが、有楽町方面に出ようとしたところで、遠野が知り合いに出くわした。なら、お開きにするか、ということで引き上げることになったのだ。
 公園の木陰を探して歩き、照り返しのきつい舗道に出る。木陰から炎天下に踏み出した途端、ひどい眩暈に襲われた。思わず太陽を振り仰ぎ、目が眩んで目を逸らす。目を焼かれて視界が奪われ、目頭を押さえた。信号待ちをしているのは自分だけ、他には誰の姿もない。続く不運に辟易しながら、向かいの信号に目をやった。
 誰もいない横断歩道に、いつの間にか猫がいた。普通の大きさの白い猫。いや、白じゃない、銀色だ。滑らかに動く猫の毛並みが日差しを浴びて輝いている。車の流れは信号待ちで途切れていた。銀の猫は悠然と向こうの舗道へ歩いて行く。華奢な前脚をおもむろに止め、毛並みの肩越しに振り向いた。
 猫はじっと凝視した。誘うような赤褐色の獣の瞳。何かを訴えかけるように。車が来ないからいいようなものの、道路の真ん中で停まっていたら、いつ轢かれるかと気が気じゃない。特別猫好きではないのだが、目の前で車に轢かれたりしたら、それはさすがに後味が悪い。右手交差点の左折車線では、車が数台停まっていた。信号が変われば、すぐにもやって来るだろう。車の途切れた道路の左右を見回して内心はらはらしていると、銀の猫は、ふい、と素気なく向こうを向いた。銀の尻尾をぴんと立て、再び悠然と歩き出す。暑さなどものともしない至極しなやかな足取りで。焼けるように熱いアスファルトの路面を、猫はどこへ行くのだろう──。
 額の汗を腕で拭い、晴れ渡った空を恨みがましく仰ぐ。何とはなしに見返して、その光景に目を瞠った。
 視界左から、波が穏やかに打ち寄せていた。どこかの浜辺の風景だ。無人の浜辺には日差しが照りつけ、水を含んだ柔らかな砂には足跡が点々とついている。猫は砂浜を、、、歩いていた。だが、交差点の風景も依然としてそこにある。世界が二重写しに、、、、、なっている──。
 目を擦って見直した。猫と砂浜は消えていた。何の変哲もない昼の交差点の風景が、目の前に気怠く広がっている。信号待ちの右手の車が交差点を左折して、何事もなく通り過ぎた。それに続いて何台も何台も。異変に気付いた。行き過ぎる輪郭がぶれている。走り去る残像が少し遅れて実体に追いつく。時間が微かにずれている、、、、、──?
 蝉声が耳に飛び込んだ。道の雑踏が耳に戻って、ふっと唐突に引き戻された。信号が青に変わっている。慌てて踏み出し、ためらった。何もない空間から暴走トラックが突如現れ、轟音を上げて通過するのではないか。今正に別世界を疾駆するそれ、、に撥ね飛ばされてしまうのではないか──。
 首を振って、奇妙な幻想を振り払った。途方もない妄想だ。そんな馬鹿げたことがある筈もない。息を吐いて歩道に踏み出す。足元の砂が微かに動いた。何故、アスファルトの上に砂がある? 一瞬違和感が掠めたが、特別気にも留めなかった。今にして思えば、それは警告だったかも知れない。五感が異変を察知して、必死で引き戻そうとした。ソッチニ、イッテハ、
 ──イケナイ。
 何かに激しくぶつかった。いや、まともに弾き飛ばされた。見えない壁があったのだ。
 轢かれた、と思った。暴走するトラックに。
 
 
 潮の香りが微かにした。生臭い匂いも混じっている。
 目を開けると、見知らぬ天井が視界に入った。田舎のじいちゃんの家にあるような木造の古そうな天井だ。どうやら自分は横になり、天井を見上げているようだ。
 寝たまま視線を巡らせると、薄暗く狭い小屋だった。静かだ。誰もいない。風雨に曝された汚れた硝子が斜光を鈍く弾いている。絶え間なく聞こえる波の音。湿気を帯びた海辺の空気。畳敷きの閑散とした部屋──。混乱した。一体ここはどこなのだ。何故こんな所にいる。今の今まで日比谷の交差点にいた筈だ。
「……猫」
 ひょい、と猫が戸口から顔を覗かせた。長い尻尾をピンと立て、じっと顔を見つめつつ、そろりそろりと壁伝いに入ってくる。ふと、交差点で見た銀の猫を思い出した。もしやと思い凝視したが、同じ猫かどうかは分からない。猫の毛皮は銀色には見えなかった。白い猫だ。それは窓の下で丸くなった。
 のろのろ体を引き起こし、唖然と部屋を見回した。八畳ほどの和室だった。色褪せた土壁に木枠の時計がかけてある。生活感はあるものの、殺風景なほどに物がない。テレビさえ見当たらない。古そうな箪笥と使い込んだちゃぶ台、全体的に一昔前の古民家のような感じだ。上がり框の向こうは土間で、薄暗い中、祭の時に履くような薄い草履が端に寄せて置いてある。ふと気付いて確認すると、携帯の表示は圏外だった。
 窓辺の猫が顔を上げた。それからすぐに足音がして、男が日に焼けた顔を覗かせる。顎ひげのある中年の男だ。短い髪でどことなく厳しい顔つき。やはり祭の時期なのか、筋肉質な痩せた体に青っぽい着物を羽織っている。どうやら、ここの住人らしく、どれどれ、というような無造作な足取りで、畳の室内に上がりこんでくる。
 見知らぬ男は布団の横まで歩いてくると、着物の裾を無造作に割って、畳の上にあぐらをかいた。猫がおもむろに立ち上がり、男の元へと寄っていく。猫に顔をすり寄せられて、男はあぐらの膝に抱き上げた。猫の頭をぞんざいに撫でてやり、その目を返して気遣わしげに覗き込む。
「おう。気分はどうだ、兄ちゃん」
 混乱しつつも、事情を一通り説明した。日比谷の交差点に立っていたこと。自分は都内の高校生で、今日は図書館に行こうとしたが、改修工事で館内に入れず、やむなくJRの駅に向かったこと──。男は猫の頭を撫でながら、口を挟まず聞いている。
 奇妙に思った。地名がまるで通じない。"JR"も通じない。"高校生"さえ何のことやら判らないらしい。説明すればするほどに焦燥と混乱は深まった。一体何がどうなっている。何故、彼は知らないのだ。サッカーW杯では、日本はオランダに負けた筈だ。
 ふと、違和感を覚えた。自分と同様、髪も目も黒いが、目の前の男はどこかが決定的に日本人ではない。日本人と、似た外見のアジア人とでは、何かが明らかに異なるように。それは内面から滲み出るものだった。"質"だとか"雰囲気"だとか、そういった類いの。
 "異国"の二文字が脳裏を過ぎった。だが、言葉は確かに通じていた。男が話したのは日本語だ。文字も判かる。少なくとも壁の時計は不自由なく読めていた。文字盤に刻まれた12までの算用数字──。
 懐手にして、じっと話を聞いていた男が、溜息混じりに身じろいだ。そいつは困ったな、などとどこか飄然と頭を掻く。思案するように眺めているが、やはり理解はできないようで半信半疑といった顔。だが、長く考えるでもなく、膝を叩いて立ち上がった。
「わかった。しばらく面倒みてやる」
 
 男の小屋は町外れの、浜辺から少し入った林の中に建っていた。ここは漁港であるようだ。他国の荷も着くようで、町外れの桟橋には大型船舶も泊まっている。そして、町を貫く大通りを中心に、のどかな田舎町が広がっていた。ビルやマンションのような巨大建造物は一つもなく、大通りを中心として戸建ての民家が連なっている。バイクも車もコンビニもない。テレビも電話もレンジもない。
 電柱のない町の通りはアスファルトではなく石畳で、連なる家々の白壁が日差しを明るく弾いている。なにか外国の観光地のような風景だった。こぢんまりとはしているが、それなりに栄えているようで、小綺麗に整った街並みだ。白壁が連なる建物群と青い海とのコントラストがエーゲ海辺りの島の風景を彷彿とさせる。
 町の大通りには商店が連なり、看板があり、路地があり、酒場がある。人々の服装にも変わったところは取り立ててない。シャツにズボン、革靴、サンダル、日傘に帽子。
 無我夢中で日々を過ごした。帰郷を渇望していたが、帰る術は見つからなかった。そうして一年が過ぎ、二年が過ぎ、三年が経ったところで諦めた。
 男の職業は漁師だった。年の頃は三十過ぎで、妻子はいないようだった。自船を持ち、酒を呑み、いつも誰かしらが訪ねてくる。仕事が引ければ、賭場に出向いて博打を打つ。何も持たない居候に、男は生きる術として漁の技術を叩き込んだ。
 
 毎日のように船を出し、陽に焼かれ、潮風に吹かれて釣り糸を垂らした。町に出て釣果を売り、食料を買い、酒を買った。新しい着物を買い、賭博をし、女を買った。この異国の通貨にも、いつの間にか慣れていた。
 飯屋の窓向こうの大通りでは、薄灰色の石畳が日差しを眩しく弾いている。普段と変わらぬ昼下がり。あの日とよく似た夏の午後。通りを行き交う雑踏に、自分とよく似た背が歩いて行くのを見た気がする。
「……遠野?」
 息を呑んで後を追いかけ、だが、すぐに足を止めた。そんな事がある筈もない。
 あれから十年が経っていた。あの頃の姿のまま、遠野が高校生の姿形をしている筈がそもそもなかった。もっとも、現に自分が居る以上、自分と同じ渡来人がどこかにいたとしても不思議はない。帰郷の手がかりを探すべく商都カレリアへ出向いた折りに、奇妙なものを見つけていた。子供向きの絵本 『 ヘンゼルとグレーテル 』 著者は不明、、
 文化が明らかに流入していた。この自分とは又別の渡来人の存在を、それは明確に示唆していた。誰もが知る著名な童話をこちらに伝えた者がいる、、、、、、、、、、、
 一部地方での畳や着物の定着は、そうした文化を持つ者がかつて渡来した事を示していた。日本語の使用については、かなり早い段階で何者かが紛れ込んだ事を示している。もっとも、どこかにいるであろう同胞を、夥しい人間の海から見出す事は不可能に近い。箪笥にしまい込んだままの携帯は、不思議なことに切れなかった。充電せぬまま長い歳月が過ぎたというのに。
 助けられた際に名を訊かれ、有野恭平と名乗ったが、万事につけ大雑把な男の耳は、動揺でもつれた発音を「アルノ」と聞きとったようだった。男は名をオーサーといった。
 
 
 

*2010.08.08 第2部3章 了



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