【ディール急襲】 第2部4章 interval 〜 たからもの 〜

■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部4章
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 垣根をぶらつく彼らの向こうで、あの・・目的の大木が、青い梢をそよがせていた。
 取って返した天幕群の入り口では、あの立ち番の三人が、やはり暇そうにあくびをしている。うなじで長髪をくくった男、額の左で長い前髪をわけた男、シャツの前を大きくあけた、ゆるく波打った黒髪の男。まだ早朝であるせいか、あの派手な舞台衣装ではなく、よくある吊るしの平服姿だ。
 走りづめの息をととのえ、サビーネは爪先立ってうかがった。やきもきと手を握り、意を決して三人に近づく。
「恐れいります! お通し下さいませっ!」
 雑談をしていた三人が、ふと気づいて振り向いた。
「──誰かと思えば、あんたはさっきの」
 怪訝そうに目配せし、上背のある背をかがめる。
 じろじろ三方から顔をよせられ、びくり、とサビーネは首をすくめた。
 長身の上背に取り囲まれて、足が知らずに後ずさる。ただでさえ人見知りで、ひどい引っ込み思案というのに、まして彼ら遊民は、みなカレリア人より大柄だ。
「今度はなに。用は済んだんじゃなかったの?」
 ぶっきらぼうな口調で質し、右端の長髪がじっと見た。面長の顔の両側で、垂らした髪がわずかに揺れる。
 他の二人は長髪に目配せ、ぶらぶら木陰へ歩いていく。相手は非力な女一人。警戒するに及ばず、と判断したらしい。
「……あのねえ、お嬢さん」
 長い足の膝に手を置き、長髪は窮屈そうに背をかがめた。
「ホイホイよそ者を通したら、見張ってる意味なくなっちゃうの。わっかる〜?」
 目線を合わせて目の前でおどけ、「さあ、帰った、帰った」と片手を振る。
 痺れをきらして、サビーネは踏みこむ。「──おどきになってっ!」
「どけねえな」
 すばやく長髪が立ちふさがった。
 焦れてサビーネは拳を握る。「お願い! 急いでおりますのっ!」
「まあまあ、そう怖い顔すんなよ〜」
 長髪がなれなれしく肩を抱いた。
「そりゃあ、カワイ子ちゃんの頼みなら? 俺っちだって聞きたいけどさ、けどやっぱ、こればっかはな〜。だってまだ、ウチの連中、夢ん中にどっぷり浸かって、おネンネしてる最中よ?」
 そうする間にも、サビーネはやきもき、脇をすり抜けようと密かに奮闘。それを片手間に押し留め、長髪は木陰の二人を「なあ、そんなことよりさ〜」と盗み見た。
「今度、俺っちとデートしない? もちろん旦那には内緒でさ」
 あわてたサビーネを遮って、にんまり長髪は笑みを作る。
「あー大丈夫! 退屈なんかさせないって! 俺っち、こう見えても話題は豊富よ? そーそー、こないだなんかもさあ──」
 サビーネはおろおろ赤面した。元より奥手で、異性の相手などもっての外だ。しかも、不慣れな上に、こうも相手が饒舌では──。
 だが、今日のサビーネは一味違う。強気で、その手を振り払った。
「ごめんあそばせっ!」
 ついでに足も踏んづける。
 ……ん? と長髪が瞬いた。そして、
「あーっ!」
 両手を振りあげ、バンザイ三唱。なんといっても緊急事。手加減さじ加減一切なし。
 注意がそれたその隙に、サビーネはせかせか通り抜けた。
「──お、おい、あんた! だめだって!」
 踏まれた足をさすりつつ、長髪があわてて顔をあげる。
 雑談していた木陰の二人が、何事かと振り向いた。敷地の奥へと駆けながら、その肩越しにサビーネは叫ぶ。
「おいでにならないでっ!」
 追いすがりかけた三人が、ぎょっと前のめりで固まった。あんなに楚々とした相手から、まさか一喝されるとは思わない。
「ただちに戻って参ります! それまでそちらで、お待ちあそばせっ!」
「「「 お、おまち、あそばせ……? 」」」
 呆気にとられて立ち尽くし、三人は顔を見合わせた。そんな言葉は、辞書にはむろん載ってない。
 追っ手の意気を意図せずくじいて、サビーネは全力で逃げ去った。

 朝のうらららかな陽を浴びて、三人は呆然と取り残された。
「……お〜い」
 一応は呼んでみた。だって一応当番だから。
 だが、とっとと走る彼女の背中は、もう、こちらを見向きもしない。
「……どうする?」
「いや、どうするったってよ〜」
 さわさわ梢が、朝風にそよいだ。
 天幕はどこも寝静まっている。誰かが出てくる気配はない。ためらう間にも、彼女はどんどん離れていく。
「──まあ、いっか」
 ゆるく波打った黒髪の男が、お手あげの顔で肩をすくめた。「さっきも傭兵ロムが、あの女通せって言ってたし」
「なら、まさか平気だろ? さっきは良くて今度がダメって道理もないし」
 左で前髪を分けた男も、投げやりな調子で黒髪に同意。
「お嬢さま一人に何ができるとも思えんし」
「"ただちに戻る"って言ったしな」
かわいい顔もしていたし」
 要は、こっちが本音である。
 誰からともなく目配せし、元の配置にあくびで戻る。
 そもそも、あの調子では、軽く肩を小突いただけでも、すっ転ばせて怪我させそうだ。華奢な両手を振りあげて、おでこから地面に突っこんでいく(見ようによっては面白い)様は、なぜか容易に予想がついた。
 外敵威嚇用の棍棒で、所在なく肩を叩きつつ、三人は遠ざかる背をながめた。

 夜露に濡れた草の根を、サビーネは素手で掻きわける。
 確かにここだと思うのに、それはどこにも見つからない。手でぬぐった白い額に、またうっすらと汗が浮かぶ。肩から髪がすべり落ちては、捜索の視界をふさいでしまう。唇は不安を噛みしめたまま──
「……あっ」
 小さく歓喜の声をあげ、そっとそれを拾いあげた。
 伏せた地面から肩を起こし、ほっと安堵の息をつく。それは錆びかけた指輪だった。お洒落に目覚めた少女でさえも、きっと見向きもしないだろう、祭の屋台の安物だ。けれど、大事な宝もの。癖っ毛の優しいかの人に、初めてもらった物だから。
 一息ついた視界の片隅、草の中で何かが光った。首飾りの、切れたチェーン──。
 びくり、と顔をこわばらせ、サビーネは後ずさるようにして立ちあがった。
 長いスカートの膝を払って、そそくさ逃げるように踵を返す。無我夢中でもがいたあの時、弾みで千切れてしまったらしい。ファレスを突き飛ばして逃がれた時に。
 ふと、足を止め、振り向いた。そういえば、あの差し入れがない。
 戸惑いながらも、形跡を探す。ファレスに差し入れたサンドイッチを、あの時落としたはずだった。この木で場所は合っている。指輪があったから、それは確かだ。ならば、どうしてないのだろう。あのサンドイッチの残骸が──
 めぐらせた目が、それを捉えた。「く」の字に曲がった二本の吸殻。
「……ファレス?」
 戸惑い、サビーネはつぶやいた。見間違えるはずはない。あれは彼の嗜好品だ。いつも庭を訪れては、この銘柄をふかしていた。何より、癖のある折り曲げ方。つまり──
 地面に落ちた吸殻を見つめ、くすり、とサビーネは微笑んだ。
 ふふっ、と笑って、スカートの裾をひるがえす。「あんなに嫌がっていたくせに」
 あたたかくなった気持ちを抱いて、足取りも軽く出口に向かう。
 天幕群は寝静まり、先と変わらず、ひと気はない。こんなに朝早くから、掃除に精を出す殊勝な者もいないだろう。そして、残骸がなく、吸殻があった、ということは、つまり、ファレスが受け取ってくれたらしいのだ。地面に落ちた差し入れを。
 出口に戻る足を止め、ふと、顔を曇らせた。彼は約束もなく訪れては、外の風を送ってくれた。自由で気紛れな野良猫が、庭に入り込んでくるように。けれど……
 暗然と立ち尽くし、手のひらを強く握りこむ。けれど、ファレスは行ってしまったのだ。あの彼のように無遠慮に、自分を訪ねてくれる人は、この先きっと、
 ──現れない・・・・
 唇を噛んで、顔をあげ、サビーネは道を駆け戻った。
 天幕群の入り口で、彼らは先と同じように、暇そうな仕草で雑談している。一心に見つめて、サビーネは駆けた。待っても、何も起こらない。待っても誰も、やっては来ない。けれど、誰かと過ごした安堵を、味わってしまった今となっては、もう、とても耐えられそうになかった。以前のような独りぼっちには。
 息をあえがせて足を止め、ごくり、とサビーネは唾を呑んだ。拳をかたく握りしめ、雑談している彼らに近づく。
「あああああああの……っ!」
 蚊の鳴くような震え声に、ふと、三人が振り向いた。
「ああ、あんたか」
 視線が一気に集中し、サビーネはひるみ、後ずさる。
「──あ、あのっ! あの、あのっ!」
 彼らは片足に重心を預けて、話の続きを待っている。怪訝そうな顔つきだ。それですっかりあがってしまい、サビーネはぱくぱく口を開閉。空気を求める金魚よろしく。
「用は済んだの?」
 左で前髪を分けた男が、待ちくたびれて促した。
 会話の糸口を与えてもらい、サビーネは顔を輝かせる。
「そ、その節はご無礼致しました! お手数をおかけ致しまして、まことに申し訳ございませんっ!」
 深々と頭をさげる。膝に額がくっつくほどに。
「ありがとう存じましたっ!」
「「「……。いいええ〜。どう致しまして」」」
 つられて三人も、ぎくしゃくお辞儀じぎ
 はっ、と気づいたサビーネが、恐縮して深々とお辞儀。それを見た彼らの方も、頭を掻きつつペコペコペコペコ──。
「つ、つきましては、その──」
 一しきり恐縮しまくったその挙句、ちらとサビーネは目をあげた。胸の高鳴りに手を握り、おそるおそる上目づかい。「お、お尋ねしても、よろしいかしら」
「「「 俺らに? なに? 」」」
 サビーネはひるんで絶句した。なぜ、一斉に返事をするのだ?
「あ、あの──」
「「「 なに? 」」」
 上背のある背をかがめ、ぐっと三人は顎を出す。
「……あ、……い、いえ、あの……」
 サビーネは真っ赤になってうつむいた。どうしよう、と盗み見た目が、向かいで見ていた長髪とかち合う。
( お願い! お気づきになって! )
 じぃっ、と穴があくほど、その顔を凝視。
 ぱちくり長髪が瞬いた。
「……えっ、と?」
 小首をかしげ、ぽりぽり頬を掻いている。なぜに自分が熱い視線を送られているのか、さっぱり見当がつかない様子。そして、向かいの三人は、きょとん、とまなこを瞬くばかり。
 念力作戦が失敗し、サビーネはおろおろ右往左往。世間の常識と隔絶された、沈黙を最良とする修道院で、厳しい規律に従ってきたから、勝手がまるで分からない。
「なに? 俺らに用があるんじゃないの?」
 ゆるく波打った黒髪の男が、不思議そうに覗き込んだ。はだけた胸元に、金のチェーン。それが間近に迫っただけで、サビーネは引きつり、ひるんでしまう。「あ、あの……その……その……」
 緊張で喉が張りついて、声が上手く出てこない。だが、なんとか自力で乗り切らねば。これまではファレスが訪ねてくれて、お喋りの相手になってもくれた。けれど、親切なあの彼も、しばらくこちらに戻らない。そうしたら、また一人きり。緑おい茂るあの庭に、やはり、ずっと一人きり。
 今日もまた、日が暮れる。
 訪ねる人は誰もない。朝起きて、水をまき、一人きりで食事をし、一人きりでお茶を飲み──。毎日毎日、同じことのくり返し。いつもと変わらぬゆるい風。いつもと変わらぬ青い空──
「あのっ!」
 気づけば、顔を振りあげていた。
「は、はなはだ不躾ではございますが、あの、お仕事がお済みになったらで構わないのですが、その──」
 がちんがちんに顔は強ばり、声はだんだん小さくなる。胸で掻き合わせた指先は、ブラウスのフリルをもてあそぶ。
 なけなしの勇気を振り絞った。
「お、お、お茶を、ご一緒して頂けませんこと?」
 ぽかん、と三人は口をあけた。
「「「 オチャ? あんたが俺と? 」」」
 なぜか、それぞれ己をさす。
「あ、あの、わたくしの屋敷まで、ご足労頂けませんこと?」
 サビーネ、がんばる。顔から湯気をあげながら。
 三人は呆気にとられて突っ立っている。華奢な拳を握りしめ、必死で口をぱくつかせる様は、冗談を言っているようには到底見えない。だが、そうなると要するに──
((( 三人まとめてナンパかよ…… )))
 思わぬ強者もいたものだ。
「……も、申し訳ございません」
 あたふた、サビーネはうつむいた。「このことはどうか、お忘れ下さいませ」
 反応のなさに消沈し、悄然とうつむき、ベソかく寸前。
「あの、お気になさらないで。わたくしなどがお誘いするのは、やはり、ご迷惑、というものですもの……」
「「「 まさか! 」」」
 三人がハモって振り向いた。ちなみに何かとハモるのは、気が合うからというよりは、皆が皆、我先に、と企む結果であるようだ。
「迷惑だなんてとんでもない! もちろん行くさ、決まってんだろ」
 足を踏まれた長髪が、口を開きかけた他を制した。
 顔横の髪を、いそいそと揺する。「あんたの誘いを、断るわけがないだろう。ここ、十時に次がくるからさ」
「……え」
「そうしたら行くよ。何がいい? みやげ」
 はっ──とサビーネは息をのんだ。
 瞠目したまま、ぴたりと停止。
 ぎょっ、と三人が後ずさった。
「……お、おいおい、あんた?」
 おそるおそる近づいて、様子をうかがい、覗きこむ。
「だ、大丈夫かな、これ……」
 ぷらぷら、その前で手を振りながら、一同、顔を見合わせる。相手はどこぞの銅像のごとく、カチンコチンに固まっている。
 ただならぬ様に青くなり、そろりと逃げ腰になった頃、
「……さようで、ございますか」
 はあ、と息を吹き返した。
 胸に手をおき、息を吐き、サビーネはみるみる笑みを広げる。
 一転、たおやかに腰を折った。
「では、お待ち申し上げておりますわ! おいしいお菓子がありますの!」
「「「 ……そ、そう 」」」
 三人は小首をかしげて、たじろぎ笑う。
「それでは皆様、ごきげんよう!」
 にっこり、サビーネは駆け出した。
 ぽかん、と突っ立った三人を後に、いそいそ街外れの自邸へ向かう。
(──ファレス!)
 どきどき高鳴る鼓動を聞いて、腕を振って駆けていた。
(やりましたわ! わたくし、やりましたわっ!)
 会心の拳を、胸で握る。
 苦笑いで見送った三人は知らない。
 彼女の小さな目論みが、ようやく功を奏したことを。
 やっと振り絞ったなけなしの勇気が、初めて実を結んだことを。
 
 
 
 
 

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