CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章42
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 ひっそり寝静まった客室には、寝台が二つ、右手は空。
 ひらいた腰窓に軽くもたれて、階下の街路をながめている。白々とほの青い、月あかりを肩に浴び──。
 横顔がおもむろに振り向いた。
「遅かったじゃないの」
 口にしたのは普段の軽口。
 淡々とした声音には、なんの昂ぶりも含んでいない。
 わずかばかりいていた、廊下の扉を引きあけると、灯りのない月下の窓辺に、案の定、その姿があった。窓の手すりに手をついた、黒い綿のランニング。長い手足、高い背丈。黒い眼鏡に、あの禿頭。
 夜闇に呑まれた廊下に続く、戸口でザイは仲間をながめる。
「申し開きはあるか。セレスタン」
「──いや」とセレスタンが片頬で苦笑わらった。
 難なく侵入した部屋に、ゆっくり視線をめぐらせる。「現場を押さえられちゃ、是非もないって」
「抵抗する気は?」
「お前とっても勝てねえよ。前にも俺、言わなかった?」
 飄然と返すその顔から、ザイは視線を離さずに、禿頭の肩先を顎でさす。「後ろの窓が全開だぜ」
「追いかけっこでかなうと思う?」
 とぼけた言い草に嘆息した。「手間がなくて結構なこったが、随分やる気がねえじゃねえかよ」
「どうせ、お前のことだから」
 セレスタンは気負いなく肩をすくめて、ちら、と確認するように顔を見る。「集合済みだろ? 班員あいつらも」
獲物・・がぶっちぎりで手強いからな」
「──ほらな。土台無理だって」
 いささか投げやりにそうごちて、退路を断ち切るように目を向けた。
「もう、どこへも逃げられない・・・・・・
 夜闇はゆるく凪いでいる。だが、大気に含まれた通底音には、かすかに緊張が紛れている。
 包囲は、すっかり済んでいた。
 それは「破滅」を意味している。
 灯のともる街路のどこかで、夏虫がリーリー鳴いていた。
 昼の名残りのぬるい風が、時おり夜のカーテンを揺らす。軽く腰窓にもたれたままで、セレスタンは動かない。
 夜風に吹かれて、月を見ている。もうすっかり観念したのか、従順を装う顔の裏、今も算段を巡らせているのか──。
 のんきにしているようには見えても、この男の手並みは秀逸だ。技もあれば、頭も回る。秀でた戦闘能力に加え、センスも勘の良さもある。知らぬ間に形勢が逆転し、苦汁を嘗めた哀れな敗者を、これまでどれだけ見たか知れない。
 半日前には仲間であろうが、この稼業は「今」が全てだ。隙あらば、たちまち出し抜かれる──
お袋・・は元気?」
 ザイは面食らい、すがめ見た。
 これから処刑という段で、それはいささか唐突な話題だ。
 常なら口の端にものぼらぬ些細な話題を、今の今切り出した、その意図を計りかねる。せめて表情をうかがうが、眼鏡の黒に阻まれる。
 真意を探って頭を密かに働かせ続け、ザイは目をそらさずに唇をなめる。「──さあな、思い出したくもねえ。生きてんだか、くたばったんだか」
 だが、己の言葉に触発されて、古い記憶が脳裏をかすめる。美しくも淫らな細い背と、白くしなやかな母親の手──。
 セレスタンが小首をかしげて苦笑いした。
「しがらみのないお前が羨ましいよ」
 見極めるように目をすがめ、ザイは慎重に釘をさす。「"最後に一目" ってのは聞けねえぞ」
「わかってる」
「お前は二度目だ」
「わかってる」
「言っておくが、手加減はしねえぞ」
「わかってる」
 命乞いをするでも怯むでもなく、セレスタンは殊更に淡々と返す。この先待ち受ける己の試練を、厳粛に受け止めるというように。あるいは、今更な手順の確認を、丁寧に排除・・していくように──
 意識がわずかに逸れた刹那、セレスタンが左を見た。
 夜目にも白い寝台で、ひっそり夜具にくるまっている。この刺客もそうであったろう、見守り続けた客の肩が。
 深い夜の冴えた月が、ひらいた窓辺に注いでいた。
 夏虫のが、暗がりを包む。月あかりの届かない、壁に寄せた寝台を、セレスタンは静かにながめている。これで見納めというように。
 その手が、窓辺に何かを置いた。
「さて。そろそろ行きますか」 
 セレスタンが肩を引き起こす。微笑み、足を踏み出した。
「世話かけて悪いね、班長」



 日暮れ前の居酒屋に、客の姿は、まだまばらだ。
 皿の並ぶ向かいには、むっつり黙りこんだ不機嫌なクリス。腰かけた椅子の足元には、鶏肉にがっつく黒い仔猫。
 店の片隅の円卓を囲んで、ケネルは黙々と晩飯をとる。元より早食いである上に、この気づまりな雰囲気では、むしろ「食う」以外の選択肢がない。
 早々に皿を平らげて、そそくさ席を立ちあがった。
 不審者の有無を確認しがてら、席を立ったついでに用足しを済ませ、ほの暗い夕刻の店内を、片隅にある帳場へ歩く。
 クリスが残る卓を見やって店主が告げた勘定の通りに、今夜の飯代の払いを済ませた。
(……いやに高いな?)と怪訝に首を傾げかけ、だが、すぐにケネルは思い直す。
 今はそんな些事よりも優先すべきことがある。町の情報収集だ。
 近ごろ起きた事件事故から、日々の出来事、近況など──だが、これといった収穫はない。尋ね人の目撃情報についても、芳しい成果はない。
 客に呼ばれて離れた店主に、ケネルは軽く礼を言い、元いた卓を盗み見た。もそもそ一人で食べているクリスの様子に変化はない。
 そっと密かに嘆息した。
 悪気はなかった、とケネルは思う。クリスに迫られて後ずさったあの時 (もしや、踏んだか!?) と、とっさにかがんでしまったのだ。
 足元で、猫の声がしたから。
 案の定、か細い鳴き声で見あげていたのは、ひどく痩せこけた黒い仔猫。いや、猫に罪があるわけではない。
 だが、致命的に間が悪かった。
 猫を拾って振り向くと、クリスが壁に激突していた。
 涙目で頬をさするクリスとの間に、微妙な気まずさが醸される中、黙りがちに宿へと戻った。晩飯にするにはいく分早いが、失態の気まずさは如何ともしがたく、仔猫はずっとついてくるし、くれてやるような餌もなし──。
 以来、クリスは不機嫌だ。
 事ここに至った失態を、ケネルは思い返しつつ、使いこんだ革の財布を、溜息まじりに懐にねじこむ。
 しばし、手持ち無沙汰に店内をながめ、なんとはなしに屈伸運動、意味なく腕をぐるぐる回すなどしていたが、さすがに時間稼ぎをするにも限度がある。
 はあ……と滅入った気分で嘆息し 観念して席に向かった。いつまでも店の片隅に、怪しく突っ立っているわけにもいかない。そもそも、この件の責任の一端は、どう考えても自分にある。決して悪気はなかったが。
 こんな時、あの客あいつだったら楽だよな〜……とケネルはつくづく思い知る。
 うるさい。めげない。へこたれない。
 だんまりを決め込むどころか、たとえどんなに無視しても、返事をするまで呼びまくる。時にはうじうじジメジメするが、すぐに我慢できなくなって、自分の気分がすっきりするまで容赦なく不満をぶちまける。ぐるぐる鬱陶しいほどついて回るが、大抵けろりと元に戻る。へらへら能天気に動きまわるあの不気味な生命体の中で一体何が起きているのか、未だに皆目不明だが、ともあれ勝手に元には戻る。
 だが、たぶん、アレは例外だ。むしろ常道などであってたまるか。メンツを潰されれば誰だって、気まずくだんまりが人情というもの。現に、どうにも気づまりで……
 よし。とケネルは腹をくくる。
 こうなったら寝てしまおう。就寝するには大分早いが、日付が変われば気分も変わる。人など案外そういうものだ。というか、自分はそうだ。うん、そうだ。それがいい。
 すっきり清々、解決策を思いつき、ケネルは自分の椅子の背を引く。連れの食事の進行状況を確かめて、
 二度見で顔を見返した。
「あんた、どうした」
 熱でもあるかのような真っ赤な顔。
 とろん、と瞳が潤んでいる。ひぃぃっく! と肩で盛大なしゃっくり。もしや号泣!?──とぎょっとしたが、そういうのとはちょっと違う。
 原因は、すぐに分かった。
 食いかけの皿やグラスに交じって、頼んだ覚えのない酒瓶が三本。
「……飲んだのか」
 いつの間に。
 あんぐりケネルは絶句する。
 ややあって (どうりで勘定が高いと思った……) と白々とした気分でようやく合点。
 まあ、飲酒をつべこべ咎めはしない。
 だが、問題なのは、クリスの様子だ。
 口を尖らせ、ぶつくさ文句を垂れている。すっかり据わったその目の先には、むぎゅうと両手で握った何か──なにか黒い、布切れのような──いや、ひょこり突き出た三角は、もしや、床で食ってた
 ……猫か?
 ケネルは額をつかんで、うなだれた。つまり、
(絡み酒かよ……)
 どんっ、とクリスが、拳を卓に叩きつけた。
「隊長さんっ!」
 酔っぱらいの剣幕に、ケネルはたじろいで首をかしげる。「な、なんだ?」
 抗議に心当たりがあるだけに、そこはかとなく居心地が悪い。衆人環視の店内だし。
 ぎろりと振り向いたその顔は、完全に目が据わっている。「……もう、振られたって言ったじゃない……」
「ん、ああ、そうだ(な──)」
「なのに、なによっ! いつまでも!いつまでも!いつまでもっ! 」
 返答半ばで、天井を仰いで、わめき散らす。
 くたり、と卓に突っ伏した。
 ゆるんだ両手を掻いくぐり、ようやく仔猫が卓に這い出る。
「……もー。なんで、だめなのよぉ」
 クリスが腕に突っ伏して、むずかるように顔をゆがめた。「なんで、まだ追いかけてんのよ。そんな女のことなんか、もう、ほっとけばいいじゃないっ」
 仔猫が赤く小さな舌で、クリスの手を舐めている。
「──そういうわけには、いかないさ」
 ケネルは困って苦笑いした。
 すっかりできあがって目を閉じたクリスは、卓に片頬くっつけて、真っ赤な顔をしかめている。 
「ああ、そこで寝るなよ、店の迷惑になるだろう。寝るなら、上の部屋で寝ろ」
 さ、戻るぞ、と促した矢先、すっく、とクリスが立ちあがった。
 ぎくり、ととっさに肩を引くも、クリスはもそもそ荷物をまとめ、よろよろ階段へ歩いていく。
「……あ?……おい」
 いかにも危うい足取りだ。見かねて手をさし伸べる。
 ぎろりと凄んで、押しのけられた。
 いささか呆然と、ケネルは突っ立つ。足元はかなり怪しいが、意地でも自力で歩くらしい。
 右へ左へ無軌道によろめく、後ろ姿を無為に見送り、……まあ、いいか、と頬を掻いた。座りこんだら、拾えばいい。
 卓の酒瓶に、振りかえる。この酒も勘定の内なら、残して戻ってはもったいない。
 ついでに、これも片づけておくか、と手近な一本をとりあげる。
 ……え? とケネルは見返した。
 ずっしり重たい手応えは、まさか、瓶の重さだけではないだろう。
 目の高さまで持ちあげて、瓶の残りを確認し、残り二本の瓶もとる。
 脱力して、うなだれた。
「……あれでコップ一杯かよ」
 二本は、まるで手つかずだ。
 残った酒を瓶ごとあおり、とん、と卓に瓶を戻す。
 ザックをとって左肩にかけ、手つかずの二本を片手でとった。
 クリスについて階段に向かう。
 ぺろぺろ毛づくろいをしていた卓の仔猫も、あわてて降りて、ついてきた。こいつらと一緒にいれば、飯にありつける、と踏んだらしい。
 手を伸ばして、背をかがめ、ケネルは仔猫を拾いあげる。微塵も警戒しないところを見ると、迫られて壁に後ずさった拍子に、踏んづけたわけではないらしい。
 片手に二本酒瓶をぶらさげ、片手に仔猫をぶらさげて、ケネルはとんとん階段をあがる。
 客室の扉連なる二階の廊下に出た途端、ケネルはげんなり嘆息した。
「……何をしているんだ」
 クリスがガチャガチャ、ムキになってノブを回している。
 別の部屋の 扉のノブを。
「そっちじゃないだろう。部屋はこっちだ」
 逆方向に足を向け、手招きしてクリスを呼ぶ。
 む? とクリスが扉板から顔をあげた。
 何がそんなに不審なのか顔をゆがめて扉をすがめ見、「はあ〜い」と一転、笑って返事。右に、左に、よろめきながら、よたよた廊下を歩いてくる。
 あけた扉を背中で押さえて、到着するのを待っていると、へらへら上機嫌で戸口をくぐった。
 続いてケネルも部屋に入る。
 片手の仔猫を床に放して、扉を施錠し、部屋の向かいの窓へと歩く。
 窓を開けて風を入れた途端、部屋を右手に歩いたクリスが、寝台の端にへたりこんだ。
 嫌な予感でケネルは戻り、急に黙り込んだクリスの顔を、おそるおそる覗きこむ。「おい、どうした。気分が悪いか?」
「……わたし、ぜったい、あきらめないから」
 ぼそり、とつぶやいたと思ったら、ぎろり、と顔を振りあげた。
「ぜったい! ぜったい! ぜええぇったいっ!」
 両手の拳をにぎって宣言。天井にわめき散らす絶叫で。
 とっさに耳を押さえた前で 「……ふんだ、なによ、隊長さんのばかあ……」 とごそごそ寝具を引っかぶる。
 じぃぃ〜ん……と痺れた耳に手を当て、ケネルはなすすべもなく立ち尽くす。
 そうしてそれから三秒後、はー、もー、やれやれ……と向かいの自分の寝台に歩いた。
 さげたままだった酒瓶を、ごとり、と足元の床に置き、ザックを脇に放り投げる。
 か細く鳴いてすり寄った、足元をひっかく仔猫に気づいて、手を伸ばして拾いあげ、すがりつく仔猫を懐に抱いて、床にじかに腰をおろす。
 足を投げて寝台にもたれ、階下から持ってきた酒瓶をとった。いわゆるヤケ酒で潰れたクリスは、すでに寝息を立てている。
 今の宣言を思い出し、ケネルは浅く嘆息した。むろん、クリスは魅力的だし、色香に惑わされなかったと言えば嘘になる。だが、
 相手が悪い、とケネルは思う。
 あのクリスの父親は、かつての仕事の雇い主。今後も付き合いがあるやもしれぬ、つまり、揉め事は避けたい相手だ。そんな娘に手なんぞ出して、どの面さげて会えというのだ。
 キズモノにされた娘の父と、じっとり膝づめで談判の図……など、男なら誰しも全力で回避したい事柄だ。だが、クリスにも女のメンツがあるから、話は微妙にややこしく──
 あー、もーやれやれ……とケネルはげんなり額をつかむ。まったく先が思いやられる。クリスのあの調子では、そう簡単には引き下がるまい。酔いが醒めたら、忘れてくれればいいのだが。
 ざらり、と顔を舐められて、猫を目の高さにまで持ちあげた。
「……すまん。お前も災難だったな」
 よしよし、と猫の頭を、半ば本気でなでてやる。なんの悪気なく邪魔立てし、酔っぱらいに絡まれた、この猫こそ災難だ。
 慰めるように、ミィ、と鳴く、黒い仔猫を懐にかかえて、床から二本目をとりあげる。
 残った酒を飲みかたづけながら、不貞寝の寝顔をやれやれとながめた。
「俺の気なんか引かなくても、途中であんたを放り出しやしないよ」
 久しぶりの心地よい酒気で、頭がほどよく痺れてくる。
 ぼんやり投げた意識の端に、先の問いかけが一閃した。
「なんで、まだ、追いかけるの、か……」
 苦い笑いを口端に浮かべ、酒をあおって眉をしかめる。
「──まだ、しなけりゃならないことがある」
 膝の仔猫をなでながら、窓の外の夕焼けをながめた。そう、まだ、彼女には
 話していない・・・・・・ことがある。 
 
 
 

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