CROSS ROAD ディール急襲 第3部2章41
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「──ちょっと、レノ!」
 たまりかねた声に振り向けば、二つ手前の扉の前で、ユージンが腕組みで睨んでいた。「どこまで行く気?」
「二人ずつなら、割り振りはこうだろ」
 呼び止められた当のレノは、だが、気にも留めねば、足も止めない。
「二台の寝台に、男三人で寝泊まりは無理」
「だからって、なんで君が──!」
「こいつとどっかの人さらい を、同室にするわけにはいかねーだろ。な、セビー?」
 腹立たしげなユージンの抗議を、あっさり一言でレノは黙らせ、ちら、と肩越しに同意を求める。
 むっと口をつぐんだユージンの向こうで、セビーがあわてて、たじろぎ笑った。
「……う、うん。いいんじゃないか? それで」
 扉のノブに手をかけて (……へ?) とエレーンは瞬いた。なんということ、セビーが追従。会って間もないこの彼に。
 これが友達のユージンならば、ちょっと声をかけただけでも、まなじり吊りあげて排除するのに。そう、なぜだろう。セビーはレノさまに、
 めっちゃ弱い。
 ベルセの旅宿の二階にいた。
 街道の要所ノアニールとは違い、規模の小さなこの町は、宿の数もそれなりだ。階下の帳場で尋ねたところ、空室はぎりぎり、あと二つ。つまりは男女で・・・一部屋ずつ。それについては、わざわざ確認するまでもなく、暗黙の了解──のはずなのであったが。
 ぶらぶら後をついてきて、到着したご主人様が、早く開けて、と目で急かす。
 エレーンはあわてて鍵をあけ、扉を押さえて、脇で待った。
 廊下の向こうでユージンが、レノさま側に加担したセビーと、言い争いを始めたようだが、エレーンはうつろに引きつり笑う。
 気を揉むことなど何もない。チャラくは見えてもレノさまは、筆頭領家ラトキエの一員、主従の境に厳格だ。黒子役の使用人などには、残念ながら見向きもしない。どれほどの美女であろうとも。
 旅というのに手ぶらなレノは、どこ吹く風で戸口をくぐる。
 なあ、と通りすぎざま、目さえ向けずに声をかけた。
「お前見てると、なんかざわざわすんだけど俺」
「……えっ?」
 あんぐり凍りついた連れの二名が怒号で突進する前に、あわあわ扉を引っ張り閉めた。
 
 ノブを押さえて扉を閉じ、ごくり、と硬直して唾を飲む。
(い、今のって一体……)
 どういう意味?
 至近距離の扉の板目に、困惑しきりの目が泳ぐ。どんなに彼の近くにいても、今までは目もくれなかったのに。そもそも視界にさえ入っていないという感じで。
「……」
 すーはー深呼吸で心を静めた。
 よどんだ気まずさを払拭すべく、エレーンは引きつり笑いでチラ見する。「も、もう。からかわないで下さいよ、レノさま」
 とぱりの降りた夕暮れの部屋。
 もめ始めたらしい連れの声が、扉の向こうから聞こえてくるが、彼は耳にも入らぬ様子で、ぶらぶら気負いなく踏みこんでいく。「ま、大体、事情はわかった」
「じ、事情って?」
 エレーンもどぎまぎ歩き出し、荷物をぎくしゃく壁際に置く。ほの暗い板張りの室内。軽く整った寝台が二つ。灯りは、まだ点っていない。
 そのまま彼は向かいに進み、西向きの窓を押しあけた。
 シャツの胸から煙草を取りだし、一本くわえて、窓辺で一服。
(……あれ?)
 エレーンは異変に気づいて瞬いた。
 襟から手を突っ込んで、ごそごそ鎖を引っ張り出す。手のひらに載せた石を見やって、眉根を寄せて首をかしげた。
「……やっぱり」
 あの翠玉が振動していた。奇妙な言い方ではあるけれど、小刻みに震えるその様が、なぜか怯えているようにも見える。それにしても、なぜ急に? なぜか、窓を開けた途端に──
「なにそれ」
 声に気づいて振り向けば、彼が窓辺でながめている。
 とっさに、愛想笑いで石を見せた。「あっ。ええ。ガラス玉だけど結構きれいで。お守りにしようかなって──」
くれる?
あげません
 ただちに手をひっこめる。
 ぶちぶち口を尖らせて、そそくさ服にしまいこんだ。「もー。なんで欲しがるんですか、ひとの物をー」
「いや、そういう小物が手頃かなって」
「ナンパに使う小道具なら、買えばいいじゃないですかー。レノさま、お金持ちなんだからー」
そんなのに金払いたくない
「……」
 また、毎度のわがままですか。
 エレーンはげんなり額をつかむ。ナンパはあんなに大好きなくせに、あんがい手間は惜しむらしい。「……もー。お守りだって言ってるのにぃー」
「で、"会った" ってのは?」
 ふっと床に、沈黙が落ちた。
 彼は窓辺で紫煙をくゆらせ、外をながめる目端で見ている。
「……あ、はい。それが、あの、」
 わずかに硬くなった声の響きに、アディーの話だと気がついた。あの別棟の不思議な体験。
「ちょっと前に、別棟で……あ、もしかしたら夢、かも知れないですけど……」
 あの夏を共にした仲間は、あの子の名前に敏感だ。二年も経った今になっても。
 そう、レノさまでさえ、訊いてくる。
 耳に届いたアディーの噂を。あのレノさまでさえ、そうなのだ。まして彼なら、聞きたいはずだ。聞けば、必ずわかってくれる。
 ──アディーを愛したアルベールさまなら。
 件の監禁については伏せ、記憶に頼りにエレーンは語る。
 窓枠の影が床に伸び、急にほの暗く室内がかげる。
 窓から通りをながめたままで、彼は口をつぐんでいる。いつも多弁なあの彼が。さりげなく背けたシャツの背が、意識を凝らしている──それがわかる。
 アディーの話を続けつつ、頻繁に見るようになった夢についても、あやふやな断片をたぐり寄せる。
「なんのことだか、具体的にはわからないんですけど──あの子、あたしに、伝えたいことがあるみたいな──」

 《 屈しては、だめ 》

 細い眉を生真面目にひそめて、すがるように見つめたあの顔。

 《 行ってはだめよ。エレーンさん 》

 窓あかりの夕暮れに、息苦しいほどの沈黙がおりた。
 時が凪いだ暮れかけた部屋の、気配が先とは変わっていた。
 うっすら淀み、張りつめている。夕焼けさしこむ壁隅に、闇の気配がうずくまる。逆光の窓辺で、彼が身じろぐ。
「じゃ、また出てくるかもな」
 絶句でエレーンは見返した。「──ちょ!? レノさま!? アディーのことオバケみたいに」
 くるり、と彼が、顔をゆがめて振り向いた。
「ひっでえ、お前。オバケはねーだろ」
「い、今のはレノさまが先に言──っ!」
「俺はオバケなんて言ってないし?」
「も、もう! 大体レノさまは、どうして、あの時──」
 言いかけ、先をためらった。かつての主にぶつけるには、あまりに不躾な質問だ。
 けれど、再び会えたなら、尋ねたいと思っていた。ずっと胸につかえていた──。
「レノさま」
 思い切って彼を見た。
 非難が声に出ないよう、細心の注意を払って言う。
「なぜ、お戻りにならなかったんですか。あの子が──アディーが亡くなった時に」
 彼が見やって、小首をかしげた。
「なんで、わざわざ?」
 面食らって見返した。
 あまりに無造作な言い草に、返す言葉が見当たらない。
 彼は窓の外に手を伸ばし、煙草の灰を落としている。「死んだことは知ってたし、葬儀はアルが取り計らうだろうし」
「そ、そんなレノさま!? アディーを請け出した主人なのに。どれだけあの子が待っていたか──」
 容態の悪化を知りながら、彼は領邸に戻らなかった。
 ある日突然、ふらりと出かけてそれっきり。葬儀にも、ついに顔を見せずに。そうした彼の薄情さが、今でもシコリになっている。
 思わず、彼に言い募る。
 彼は煙草をくゆらせて、口を挟まず聞いている。普段のように言い返すでも、言い訳しようとするでもなく。不機嫌になるというでもなく。
 一方的に攻撃していた。
 無抵抗な相手を甚振るようで、嫌な気分がこみあげる。いたたまれなくなって唇をかんだ。
「──お仕事なら、仕方ないです。国の重要なお仕事を、なさっているのも知ってます。だから忙しく飛び回っていたって、それなら、それは仕方ないけど!」
 知らず、責めなじる口調になっている。けれど、憤りを止められない。無礼なのはわかっている。主に対する口のきき方ではないことも。予期せぬ涙で視界がにじむ。
「でも、せめて最期くらい、会いに来たっていいじゃないっ! レノさまは冷たすぎます! それまでは一緒にいたくせに! 避暑にまで、あの子を連れていったくせに! なのに死んだら、それですか! あんまり可哀想じゃないですか!」
「──可哀想?」
「だって! アディーだって、最後のお別れをしたかったはずで──」
「死んだ奴は、もういねえよ」
 虚を突かれて、口をつぐんだ。
 煙草の手を外に出し、彼はおもむろに灰を落とす。
「お別れも何もない。死んだ直後から、そいつはどこにも存在しない。死ぬってのは、そういうことだろ。当の相手がいない所に、のこのこ出向いて、なんになる?」
 あっけにとられて固まった。
 確かに理屈は正しいのだろう。彼の言う通りでもあるのだろう。死んだ者は存在しない──これ以上ないほど当たり前で、これ以上ないほど彼は正しい。けれど──
 言いたいことは、あるはずだった。
 けれど、言葉にまとまらない。まだ、頭が追いついていない。
 痺れて麻痺した脳裏の片隅、うっすら閃いたそれを捉える。
 ──金持ちって、ドライだ。
 二の句が継げずに立ち尽くした。なぜ、こんなにも、かみ合わない。
 彼とは、まるで違うのだ。物事に対する解釈が。それぞれ手にあるモノサシが。
 けれど、一蹴しなかった。どこにも「存在しない」はずの、そのアディーを「見た」と言っても。
 閃いた断片をたぐり寄せ、揺るぎない彼に、矛盾をぶつけた。「でも! それなら、なんで、アディーの話を──」 
「木造だよな、あの別棟」
「……え?」
 肩透かしを食って口をつぐんだ。
 先走って意を汲み損ねたか、それとも、意図的に話を変えたか──歯がゆい思いで顔をあげる。
「生き物ってのは、死に際に」
 彼は、外に向けて紫煙を吐く。
「そいつを動かしていたモノが抜け出す。それが尽きると、動かなくなる、そういう説があるそうだ。ちなみに樹木は、木材になっても呼吸する、こいつは本当」
「……あ!」
 はっと閃いて、壁を見た。
 不思議な体験をした場所は、まさに彼女が亡くなった場所。そして、あの別棟は、石ではなく木造・・建築。
 息をつめたその脳裏で、次々要素が結びつく。
 ふっと、鮮やかに光景が浮かんだ。
 あの窓辺の寝台で、事切れて横たわった彼女。瞼を閉じた青白い顔、もう二度と動かない──。
 その亡骸なきがらから魂が、気化するように抜け出して、板張りの壁に吸い込まれたとしたら──
「部屋から出るなよ」
 窓の外の建物の壁で、彼は煙草をすり消して、右手の寝台へ歩きだす。
 土足のまま寝転がり、口をあおいで、あくびした。「鍵をかけて、誰も入れるな。仮眠とったら、出かけるから」
 無造作な声に我に返り、エレーンはとっさに顔をゆがめる。「──こんな旅先でまで、夜遊びですか」
 片腕で枕を作った彼が、小首をかしげて振り向いた。
「なに、お前。手ぇ出してほしいの?」
「……え゛っ?」
 わたわた飛びあがって見返した。「あっ!──いえ、あのっ! そそそそういうことではっ!?」
「構わねーけど? 俺は別に」
 今度こそ返事につまり、ぱくぱく口を無為に開閉。
 ごろり、と彼は向こう側に寝返りをうつ。「三十分──いや、四十分で起こして?」
「……。かしこまりました」
 空いた左の寝台に歩き、エレーンはへなへなと座りこんだ。
 寝ころんだその背を、呆然とながめる。どうも、彼にもてあそばれた気がする……
 ともあれ、靴を脱いで寝台にあがった。
 壁にもたれて膝をかかえる。今日も朝から色々あって、身も心もくたくただ。なのに、目覚まし代わりなど頼まれれば、まだしばらくは休めない。ちなみに、わがままなご主人様は、他人の都合など考えない。
 一発で皮肉を封じた彼は、まるで何事もなかった様子。
 なんとはなしに嘆息した。
 相変わらずだ。
 まったく、彼は相変わらず。ほんのごくわずかにも、自分のペースを乱さない。
 いつの間にか日が暮れて、窓あかりの室内に、黒い影が伸びていた。
 ランプを点けようと身じろいで、ふと、気づいて肩を戻す。灯りは、まだだ。彼が、寝ている。
 暗がりを満たす夏虫むしの中、急に一人で取り残される。
 日暮れの部屋で、青い壁を見ていたら、先の話が思い出された。彼女が亡くなったあの別棟。木造の建物。不思議な体験──。
 そう、亡骸なきがらから魂が、かつて彼女を形作っていた、目には見えない構成要素が、気化するように抜け出して、板張りの壁に吸い込まれたとしたら。
 壁に当たって外に出られず、そのまま屋内に留まっていたら。そうして漂う無数の粒子に何らかの力が作用して、一点に集束したのだとすれば──だから彼は、再構成の・・・・可能性を考えた──。
 はあ、と溜息で突っ伏した。
「……やっぱ、わかんないわ」
 レノさまって。
 こんな突拍子もないことを、あの一瞬で考えたというのか。ユージンに声をかけてきた、白壁の続くあの道で。
 だから・・・、急に言いつけを変えた。
 治領に戻るよう言っていた彼が。あれほど聞く耳を持たなかった彼が。この先行動を共にすれば、あのアディーと、
 ──再会できるかもしれないから。
 柄シャツを着た彼の背は、寝返りを打ったまま身じろぎもしない。
 どうやら、すっかり眠ったらしい。手持ち無沙汰だが、何もできない。部屋から出ぬよう言われているし──
(……や。ちょっと待て)
 はた、と重要事項を思い出した。そういえば、部屋に二人きり。
 そして、今しがたのあの発言。そして、更には──
 あわあわ無為に見まわした。
(そ、そういえば、さっき言ったよね? あたしを見てると──)
 ──ムラムラするって!? 
 からかわれたと思ったが、まんざら冗談でもなかったら……? 
 じとり、と背中を凝視する。商都で彼と再会してから、ずっとどこかに違和感があったが──。
 もはや、気のせいなどではない。
 厳格だった彼の態度が、明らかに気安くなっている。
 あちら使用人こちらの境界を、決して踏み越えなかったあの彼が。いや、そうした主義は変わってはいまい。ならば、理由は立場の変化、つまり、領邸を辞めたから?
 けれど、同じ相手に対して、そんなにあからさまに態度を変える?──いや、そんなことより自分はもう、彼の無関心の枠外で、ただの一個人ということで恋愛についての制限なんかも撤去されたということで……
「……。まじで?」
 己を指さし、呆然とつぶやく。
 わたわた踊りあがって、口を押さえた。寝転がった背を盗み見て、どぎまぎ己の手を握る。
(……どうしよう)
 レノさまが、いる。
 手を伸ばせば、届く場所に。
 初恋とまでは言わないまでも、一時、熱をあげた相手だ。
 北カレリアの避暑地まで皆で追いかけて行ったのも、何を隠そうこの彼狙い。そして、財閥令嬢エルノアも、彼の気をなんとか引くべく躍起になって奮闘していた。
 ちなみにダドリーとラルッカは、二人ともアディー狙い。そして、合流した後は、四人全員ことごとく、あっさり玉砕したわけなのだが。
 あこがれ続けたあの彼が、背を向けて眠っていた。
 じぃっ、と思わず無言で見入る。ケネルやファレスの硬い背とは違う、どこかしなやかなシャツの背中──。
 とっさに、暗い天井を見た。
(……。レノさまと一緒かあ〜)
 にま、と勝手に口元がほころび、くふふ、と一人で照れ笑い。
 いやん、いやん、と体をくねらせ、お気に入りの相手を指折り数える。
(セビーでしょー? ユージンくんでしょー? そして、なんつっても、レノさまでしょおー!?)
 なんということ。「苦あれば楽あり」は人生の真実!
 商都を出てから散々だったが、楽しい旅になりそうだっ!
 
 
 
 夜のしじまに、カチリ、と錠の外れる音──。
 かすかに軋んで、扉がひらいた。
 闇にたたずむ人影が、室内に視線を走らせて、板張りの床に、音もなく踏み出す。
 二台の寝台、右手はから
 左にある寝台だけが、こんもり寝具がふくれている。
 月あかりの静けさの中、長身の人影は左へ向かう。
 夏虫のに包まれて、あの彼女が寝入っていた。
 さらりと髪を、枕に広げて。
 黒い眼鏡が、寝顔を見おろす。
 筋ばった白い手を、禿頭が伸ばした。
「姫さん。お迎えにあがりましたよ」
 
 
 

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