CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章4
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「な、何するのよ! 返してよ、あたしのリュック!」
 エレーンはあわてて手を伸ばす。セビーにねだってユージン君に買ってもらった、高価で大事なお気に入りのリュックだ。しかも、中には、リナから借りた制服が──!?
「エレーン=クレスト」
 おもむろに名を呼ばれ、虚をつかれて居竦んだ。
 隣に座った短髪だ。背に冷や水かけられた心地で、固唾をのんで振りかえる。今、正確に・・・名を呼んだ。聞き間違い、などではない。
 そろりと注視で隣を覗けば、短髪はこちらを見てもいない。綿シャツの胸から煙草を取り出し、一本振り出し、口にくわえる。その先に火をつけながら、反応を見るように一瞥をくれた。「先だって、北方の領主に嫁いだ、ダドリー=クレストの正夫人、だろ?」
「な、何を言って──」
「ああ、隠さなくていい。あんたのことは知っている」
 無駄な議論を封じるように、短髪が軽く片手を振った。
 エレーンは戸惑い、目をそらす。なんだろう、この人は。
 底の知れない焦燥が、ざわりと胸にこみあげる。街でよく見る普段着で、ザルトの市民という感じだが。
 じっと反応を見るような、観察するような視線が落ち着かない。すべてを見透かされているようで。あのダドリーやレノさまも、そんな目つきをすることがあるが、もっとシビアで職業的な──。
 他の二人も知らない顔だ。皆三十代半ばというところだろうか。
 リュックを取りあげた左の男は、すがめ見るような鋭い目つき。右の端に立っているのは、丸めがねをかけた小太りの男。そして、隣の背もたれに、横柄な態度でもたれているのは、短い髪の片耳に、黒いピアスをした男。
 緊張と警戒に眉をひそめて、エレーンは身構え、後ずさる。「……何が望み? 誘拐でもするつもり?」
 レーヌの賊や借金取りとは又どこか雰囲気が違うし、与太者風情には見えないが、こちらの正体を知っていて、近づいてきた、というのなら、そこに価値を見出している、そうした輩に他ならない。
「ど、どういうつもりか知らないけど、さっさと逃げないと後悔するわよ。あたしの連れ、怒ると、すごく怖いんだからっ!」
 苦し紛れに牽制した。いや、本当にファレスが近くにいる。話が済めば戻ってくる。
 ちら、と三人が見交わした。
 ありきたりな脅しだったが、"恐い連れ"に反応したか?
 ──よし、もう一押しだ!
 速やかにどこかへ追っ払うべく、ぐい、と顎を突きあげた。
「いい? あたしに何かしたら、ひどい目に遭うわよ、あんたたち。そいつ、あたしに惚れてんだからっ!」   
 それぞれの姿勢で目を向けたまま、三人は誰も動かない。ただ無言で顔を見ている。
 当てが外れて、エレーンは焦った。そこまで言えば、恐れをなして、退散するはずだったのに……。
「──へえ。それはおっかねえな」
 隣でもたれた短髪が、気のない素振りでようやく応じた。
 大儀そうに首を回して、背もたれにかけていた腕を戻す。
 左右のももに腕をおき、前かがみの姿勢で目を向けた。「そいつは追々聞くとして、ひとまず来てもらおうかな」
「なんで行かなきゃなんないのよ!? あたし、あんたたちなんて知らないのにっ」
「──負けんの強いお姫さんだな」
「おう。何してんだ、お前ら」
 はっとエレーンは顔をあげた。ぞんざいな口ぶりとこの声は──
 内心ほっと息をつき、顔をゆがめて振りかえる。「もー、なにしてたのよ、遅いじゃないよ〜」
 何事もない顔つきで、ぶらぶらファレスが歩み寄った。
 長椅子の両端に立っている、二人の男の顔を見る。「地図屋に手配師も一緒かよ」
 短髪が背もたれに腕をかけ、身をよじってファレスを仰いだ。「お安くないねえ、副長さん」
「あ?」
惚れてんだって? 姫さんに」
「……ほっ?」とファレスが己をさした。
 ぽかんと口をあけ、しばらく停止。思考がぶっ飛んだ顔つきで。
 ぱっと目を向けられて、ぱっとエレーンもそっぽを向く。
 どんよりよどむ微妙な沈黙。
「──ばか言え。これでも亭主持ちだぞ」
 顔をしかめてファレスが身じろぎ、くい、とこちらを親指でさした。
不倫は駄目だろ、不倫はよ
 なっ? と振り向き、同意を促す。至極当然の顔つきで。
「うっ、うん、うんうんっ! もちろんっ!」
 う゛っ、と一瞬つまったものの、すかさずエレーンもぶんぶんうなずく。後ろ暗くて汗びっしょり。
 引きつる頬で笑みをつくった。「そ、それより、どこまで行ってたのよ〜」
 ただちに変えたい、この話題っ!
 ああ、とファレスが事もなげに隅を指した。「ワタリのつら見かけてよ」
「で、宿舎あっちはどんな塩梅あんばいだ?」  
 短髪の言葉に目を向けた、ファレスの表情がふと曇る。「──まあ、なんとか、な」
 長椅子をとり囲むようにして周囲にたむろす一同を見まわし、エレーンはこそこそファレスを引っぱる。「──ね、なに。この人たち、知り合い?」
「部隊の参謀と、その部下だ」
「……え? あの部隊の人? でも、みんなとはなんか恰好が違──」
「初めまして、お姫さん」
 顔をしかめて紫煙を吐き、隣の短髪が振り向いた。
「俺はギイ。こっちは部下のガスパルとクレーメンス。副長みたいな格好は、町ではちょっと目立つからな。ま、以後お見知りおきを」
 片腕は背もたれにかけたまま、もう一方の手を胸に当てる。
 大仰でなおざりなその仕草に、むっとエレーンは口を尖らす。「あたしのこと、バカにしてる?」
「あんたに敬意を表してるのさ」
「でも、なんか不遜よね」
「性分でね。無礼の段はご容赦を」
「──やっぱ、からかってるでょー、あたしのことっ!?」
「それはそうと」
 ファレスが怪訝そうに割って入った。「なんでいるんだ、お前らが。北カレリアじゃねえのかよ」
「ま、ちょっと野暮用でね。──ああ、北のことなら心配ねえよ。部隊は置いてきたからな。仕切っているのは珍妙な侯爵の一派だしよ」
 ぱちくり瞬き、エレーンはたじろぐ。(……ち、珍妙な侯爵?)
 誰だ、それは。
「しかし、似合わねえことはするもんじゃねえな」
 参謀ギイが手を伸ばし、煙草の灰を皿に落とした。
「首長の伝言届けてやったら、用を言いつけられるってんだから。けど、そう言われて出向いてみれば、聞いてた場所にいやしねえし、街中捜す羽目になるしよ。こっちも先を急ぐってのに」
 顔をしかめて紫煙を吐く。
 で、なんで一緒にいる? と視線で暗に尋ねられ、ああ、とファレスが戸口を見た。「昼過ぎに、街道で拾ってよ。つか、お前ら客に何の用だ。偶然会ったわけじゃねえよな」
「言い付かっちまってね、統領に。このお姫さんを見ておけと」
 ファレスが面食らったように眉をしかめた。「──統領?」
「ああ、身柄を引き取りにきた」
 ファレスが不機嫌そうに柳眉をしかめた。「ここはいい。必要ねえよ。こっちの手は足りている」
「そういう訳にはいかねえよ。お客さんを見てねえとな」
「丁度参謀がいるってんなら、今はむしろ、宿舎ヤサの方に詰めるべきだろ」
「なんで、そんなに食い下がる。統領の指示じゃ、是非もねえだろ。しかし、わからねえもんだよな。百戦錬磨のあの猛者が、若い女にやられるってんだからよ──」
 しつこいファレスに顔をしかめて、そつなく話題を変えたギイが、ふと動きを止め、口をつぐんだ。
「若い、女?」
 噛みしめるような呟きに、一同、はっと振りかえる。
「……な、なに?」
 エレーンはたじろぎ、視線を見まわす。急に一同の注目を集めて、訳がわからず、うろたえる。ぐい、とファレスが腕を引いた。
「おう。ちょっと上へ行ってろ」
「──ええ? なんでよ? なによ、それぇ」
 顔をしかめて、とっさに抗議。「来たばっかりなんですけどー。ご飯食べにきたんじゃないのぉー!?」
 忌々しげにファレスは舌打ち。「後でいいだろ、飯なんかよ」
「せっかく お店にいるのにぃ? お腹ぺこぺこなんだけどーっ! こんなムーディーなお店なんて、めったに来られる所じゃないのにぃ?」
「たく! ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃうるせえなっ!」
 ついに、ファレスがブチ切れた。
「なら、てめえは好きに食ってろ!」
 ギイに目配せ、隅のカウンターへと顎をしゃくる。「おう。ギイ。ちょっと来い」
「──了解、副長」
 心得たように背を起こし、ギイが大儀そうに腰をあげた。
 店の奥の薄暗い片隅、カウンターの隅へとぶらぶら向かう。ファレスも続いて足を踏み出す。
 はた、とファレスが足を止めた。
 つかつか直ちに取って返し、卓の向かいに腰をおろしたガスパルとクレーメンスを、ギロリと睥睨。
「いいか、てめえら。余計なことは喋んじゃねえぞっ」
 ちらと二人が目配せした。
 目つきの悪いガスパルが、降参したように片手をあげる。「了解、副長。ご心配なく。俺らは番だけしてますよ」
 丸めがねの目を細め、クレーメンスも穏やかに微笑む。「お客さんは見てますから、副長はどうぞごゆっくり」
「本当だろうなっ? 見てるだけだぞ、食うんじゃねえぞっ!」
 ファレスはくどくど念を押す。至極穏やかな相手に対して、けっこう失礼な振る舞いだ。
 ガスパルが背もたれをつかんで身をよじり、黒い制服の店員を呼んだ。
 
 
 軽い飲み物を店員に頼んで、ファレスは飴色のカウンターの薄暗い隅に陣取った。
 隣の壁際に座っているのは、参謀本部を束ねるギイ。
 傭兵団を立ち上げるにあたり、統領代理デジデリオは、自分の息子のあのケネルを、部隊の隊長に押し込んだ。それを知った統領が、すかさず送り込んだのが参謀ギイだ。いわば、お目付け役といったところ。
 とはいえ「報酬分は働く」が口癖の、統領の代理人たるこのギイは、その威光を笠に着て組織を牛耳る奸物ではなかった。むしろ「仕事は必要最低限」を旨とする、横着者の合理主義者だ。それが大雑把で頓着しないケネルの人となりとも相まって、派閥争いは今のところなく、部隊の中は安泰だ。
 総大将たるケネルには、内外を納得させる信用があり、部隊にくすぶる不穏分子を実力で排除、一掃したという十分すぎる実績がある。武力集団を率いる資格を、実力で示した格好だ。
 一方、ギイも参謀としての手腕は確かで、隊員からの支持が厚い。常に最小限の手数で済ますため、つまりは無駄なことをさせないために、部隊が楽をできるのだ。
 休戦で失業する傭兵たちが、盗賊に身を落とす必要がないのも、ギイの働きによるところが大きい。雇用主たる同盟幹部と脅しを交えて交渉し、数万人もの食い扶持を、持続的な形でもぎ取ってきたのだ。
 そして、従前の同業者を追い出して、さっさと配下を割り振ってしまった。要人を守る用心棒だの、帝国の領土と接している長い境界線の監視だの、前線に位置する多数の町の警備だのの保安業務に。
「宿舎の連中の証言によれば、」
 煙たそうに紫煙を吐いて、ギイが話を切り出した。
「さっきのあのお姫さん、昼ごろ例の宿舎を出、事件の店へ向かったらしい。ちなみに、店の証言で、事件直前まで隊長といたのは、よそ者の身なりをした若い女とわかっている。しかも、あの隊長が、警戒を解くくらいには、親しい間柄の女ってことだ」
「何が言いたい」
「副長、あんた知らねえかな。さっきのあのお姫さんに、不審な様子はなかったか」
 飴色にかがやく天板に、ファレスは刹那目を伏せた。
 ちら、と迷いが胸をかすめる。今のギイの「不審」の言葉で、呼び覚まされた光景がある。
 炎天下の街道を、ふらふら、放心したように歩いていた。
 どこか焦点の合わない瞳で、ひたすら足を前に出し──。呼びかけにもまるで応じず、何も目に入らない様子で──。
「あんた、客と一緒にいたろう。昼過ぎといえば、事件後だ。あれだけの事を仕出かしておいて、動揺しないとも思えねえ」
「──あれは、まともだ」
 口をついた言葉で振り切り、ファレスは卓のグラスを取った。
「普段と何も変わりゃしねえよ。毎度のことだぜ、あの客には。落ち着きのなさも、ふらっと勝手に消えるのも」
「だったら、なんであのハジと、接触しようとしたんだろうな」
「……ハジ?」
 思いがけない名前が出、思わず口内で復唱する。
「今、帳場でそう聞いた。ハジに取次ぎを頼みに来たと。実は丁度俺たちも、階上うえから降りてくる途中でね。見てたんだよなあ、階段で。帳場から逃げ戻るお姫さんの背を」
「──適当なこと言ってんじゃねえよ。なんで都合よく、てめえらがいるんだ」
 ギイはグラスを持った手で、ハジの執務室のあるあたり、暗い天井を軽くさす。
「ツケを払いに来たもんでね。あいにく先方は留守だったが」  
「──客じゃねえよ、犯人は」
「根拠は」
「俺が直に確認した」
「あんたの聴取に不備があるとは思わねえが、女ってのは嘘をつく」
 ファレスは苦々しく嘆息した。
「……ピーチクパーチクうるせえ奴だが、そんなに器用な芝居はできねえ。第一"ケネル"はあれ贔屓ひいきだ」
「仲良しこよしの仲だって、痴話喧嘩くらいはするんじゃねえか? 現に店員が証言している。最後に見た時、隊長といたのは、隊長と親しそうな・・・・・若い女・・・。物騒きわまるこの稼業じゃ、ザラにはいねえ人種だぜ」
「奴は、あの・・ケネルだぞ。女ごときにやられるかよ」
「そこはむしろ、だからこそ、だろ。相手が非力な女なら、いかな戦神でも油断する」
「客を引っ立てるつもりかよ」
「まずは事情を訊かねえとな。なに、犯人かどうかは、本人に訊けば、はっきりする」
「よせ!」
 一喝でファレスは遮った。
 その反応を見るように、ギイが横目ですがめ見る。「不都合でも?」
「言ったろ、奴になついてる。うるせえくらいくっついて歩いて、姿が見えなきゃ、この世の終わりかってくらいの狼狽ぶりで、必死になって捜しまわる。そんなことを聞かせたら、取り乱して恐慌をきたす」
「だから今回は見逃せってのかよ、冗談きついぜ、副長さんよ」
 呆れた顔でギイが一蹴、溜息で振り向き、直視した。
「らしくねえな。じゅん法精神旺盛なあんたが。あの姫さんと好い仲になって、泣きつかれでもしたのかよ」
「──そんなんじゃねえ」
「なんで、そんなに肩をもつ。わかってんだろ。犯人をあげなきゃ、示しがつかない。相手は雑魚の下っ端じゃない、数万を束ねる組織の頭だ。疑わしけりゃ引っ立てて、取り調べるのが筋だろうが」
「おい、忘れてんじゃねえだろうな。隊長代行は、この俺だ。指揮権はさしあたって俺にある」
「悪いが副長。客の確保は、統領の・・・指示でね」
 更に上位を持ち出され、ファレスは苛々と舌打ちした。「──たく。これだから統領の犬はよ」
 統領はかの代理と違い、めったに姿を見せないために、指示はしばしば、ギイを通じてもたらされる。
「たまたま伝手つて統領そっちにあったってだけだろう。大体あんたも同じ穴のむじなじゃねえのかよ。今のあんたのその地位は、隊長の口添えがあったればこそだろ」
 それを持ち出されてはぐうの音も出ず、ファレスは苦り切って口をつぐむ。
「とにかく、降ってわいたこの事件で、店も宿舎ヤサも混乱している。あんたが采配を振ってくれ。客の身柄は俺が預かる。元より統領の指示でもあるしな」
「──統領統領うるせえなっ!」
 形勢不利に苛立って、ついにファレスは毒づいた。
「一々指図するんじゃねえ! だったら、てめえに従って、死ねっつったら死ぬのかよ!」
「ああ、そうだ! 俺が死ねっつたら死ぬんだよ! 俺らがやってる傭兵渡世は、元よりそういうもんだろうが!」
 予期せぬ癇癪を叩き返され、ぐっとファレスは言葉に詰まる。
「あんたもう、辞めた方がいいんじゃねえのか、この稼業」
 ランプの炎が、暗がりで揺れる。
 夜更けのバーは、低いざわめきで満ちている。ギイがいぶかしげに凝視した。
「あんた、何を・・考えてる・・・・?」
 鬱陶しげに顔をしかめて、ファレスは舌打ちで目線を外す。「──別に何も企んじゃいねえよ。だが、客は渡さねえ」
 振り向き、参謀の顔を見た。
「あれは俺の管轄だ」
 
 
 

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