CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章3
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 窓の星あかりを背に受けて、ファレスが無言で懐を探った。
 煙草を出して一本くわえ、眉をひそめて火を点ける。「申し開きはあるか」
「……え?」
 とっさに間抜けな声が出た。「あの、──」
「聞こえなかったか。申し開きはあるかと訊いてんだ」
「……え、でも……それってなんの……?」
 ガン──と激しい音がした。
 居竦んでつぶった目を開けば、板張りの床の片隅で、卓が横倒しになっている。
「女なら、なんでも許されると思って、なめてかかってんじゃねえぞコラ」
 蹴り飛ばした卓には見向きもせずに、陰の落ちた床板へ、ファレスがおもむろに足を踏み出す。
「なぜ、あんなことをした」
 エレーンは動揺に瞳を揺らした。何が何だかわからないが、その理由を訊こうにも、すごみにてられ、声が出ない。
「どうした。だんまりを決め込むつもりか。ますます立場が悪くなるぞ」
 つけ入る隙もない無表情。声こそ荒げはせぬものの、すがりつくことさえ許さない、射るような厳しいまなざし。
 長椅子のかたわらに来た途端、手が伸び、手荒にあごをつかんだ。
「もう一度訊く。なぜ、あんなことをした」
 片手で顔を引き据えられて、顔をしかめてエレーンはもがく。
(な、なにこれ、まるで……)
 尋問、みたいな?
 ファレスの豹変に戸惑った。いつものファレスとは、まるで違う。よく知るあのファレスとは──
 はっとそれを思い出し、ぞくりと背筋が凍りつく。
 いや、これこそが本来の姿だ。ディールと戦ったノースカレリア。あの数百の兵を殺傷して尚、平然としている、それが"ファレス"だ。だから旅に出た当初、あんなにファレスを警戒した──。
(早く、なにか言わないと……!)
 怯えて浅く息をつき、目まぐるしく考えをめぐらせる。
「──ご、ごめん。あの、怒ってるよね?」
 ファレスは何も答えない。片手で顎を引き据えたまま、じっと顔を見おろしている。
「だけど、しょうがないじゃない。急に閉じこめられたんだもん。だ、だから、のっぽ君と逃げ出して──だ、だって、あそこの借金取り、なんかすんごく怖いんだもん。そりゃ、無断で出たのは悪かったと思ってるわよ? だ、だけど──っ」
 口を開いたら、止まらなくなった。
「え、あ、違う? これじゃない?──あっ! なら、もしかして、あのこと? けど、あれは仕方なく──」
 恐怖に駆られて、せかせか喋る。なんでもいいから、手あたり次第にまくし立てる。口をつぐんでしまったが最後、ひどいことが起きそうで。
 ファレスの表情は変わらない。
 応えるでも促すでもない。冷ややかに整ったその顔からは、なんの反応も読みとれない。今何を考えているのか、少しでも心が動いているのか、ほんのわずかにもわからない──。
「だ、だ、だって仕方がないじゃないっ! お腹がペコペコだったんだもんっ! 一個にしとこうとは思ったのよ? でも、ゆうべから何にも食べてなくて、ずっと行列に並んでて、だから買ったの二個とも結局食べちゃって。でも、なんであんたが知ってんのよ、朝に買ったパンのことまで──っ」
 ファレスはただ顔を見ている。何の手ごたえも得られない。
「──ねえっ、ちょっと聞いてんの?」
 焦りがついに頂点に達して、破れかぶれで睨めつけた。
「ひ、人が真面目に喋ってんのにっ。てか、なんで、こんなひどいことすんのよっ、ケネルに言い付けてやるんだからっ!」
 ほんのわずか、ファレスの目が見開かれた。
 冷ややかな頬がわずかに動く。
 灯りのない暗がりで、紫煙が薄く立ちのぼる。陰になった板床が、ひっそり星あかりを浴びている。
 顎から手を突き放し、ファレスが煙草を口にくわえた。
 腰に差した護身刀を引き抜く。
 ぎくり、とエレーンはすくみあがった。
(お、怒った……!?)
 目を閉じ、強く首をすくめる。そうする間にもファレスの気配が、体の上にのしかかる。無意識に逃れようと身をよじり、手首に縄がきつく食い込む。
 その縄が、不意にゆるんだ。
 好機を逃さず身を起こし、あわてて背もたれに後ずさる。
 逃げようにも腰が抜け、足腰に力が入らない。とっさに振りあげた視界には、さらりと長いファレスの髪──背を向け、かがみこんでいる? 垣間見たその手元は、縄でくくられた自分の両足──。
 ぶつり、と縄が断ち切られた。
 肩を起こしたファレスの顔を、へたり込んだまま仰ぎやる。「……へ?」
「たく。こんなにやつれやがって」
 機嫌の悪そうな三白眼で、ジロリとファレスは振りかえる。「目ぇ離すと、すぐこれだ」
 扉に向けて顎を振った。
「飯食いに行くぞ、あんぽんたん」 
 
「……。ちょっとなによー。さっきのはぁー」
 部屋を出、廊下を歩きつつ、エレーンはぶんむくれてファレスを見る。
 物のない廊下には、人っ子一人見当たらない。左の肩にリュックを引っかけ、右隣を歩きつつ、顔をしかめてファレスは舌打ち。「まだ何もしてねえだろが」
まだ・・!?」
 やっぱり何かするつもりだったのかコイツ!?
 面倒そうにファレスが続けた。「無断で消えた、てめえが悪い。ちょっと懲らしめてやっただけだろ」
「あそこまでするぅー? それだけで」
「なんか文句でもあんのかコラ。こんな所まで来やがって。どれだけ世話かけたと思っていやがる──」
 ふと立ち止まって、振り向いた。
 軽くかがんで、まじまじ覗く。
「本当に、何もしてねえな?」
 三白眼で、じっとり念押し。
 むぅ、とエレーンは口を尖らす。「だからー。さっきから言ってるでしょー? そりゃ、ひとの分まで食べたけど、あたしが買ってきたパンだってー。それって、そんなに悪いことー?」
 顔を突き合わせて、じぃっと見、ファレスがかがんだ背を伸ばした。
 てくてく廊下を歩き出す。「よし。お前は気にすんな」
「あんな怖いことされたのにぃー?」
 エレーンは瞠目。両手を広げて断然抗議。「ありえないでしょー縛るとかぁー。なにあれ、いじめて楽しいわけえ?」
「あれはついで・・・だ」
「なんのついでよっ!?」
「夢遊病か何かか、お前」
 ぱちくりファレスを見返した。「む、ゆう……?」
「一人で街道を歩いていた」
 ぶらぶら足を運びつつ、前を見たままファレスは言う。
憑かれたように・・・・・・・ふらふらと。散歩なんて距離じゃねえ。西でお前を見つけた時には、隣町まで半分の所まで進んでた。あんな真昼の炎天下じゃ、ぶっ倒れるのは目に見えてるのに、何を言っても聞かねえし、連れ戻そうとすりゃ暴れるし」
「……。誰それ」
「お前の話をしてんだろうが」
 顔をしかめて舌打ちされ、しばし呆然と思考が固まる。まるでさっぱり記憶にない。
 廊下の端に行き着いて、ファレスは階段を降りていく。
「それにしたって、危ねえところだ。ザルトの街門くぐる前に、飯食ってたから良かったもののよ」
「でも、よく分かったねー。街道にいるの、あたしだってー」
 門前市の屋台から、顔まで分かるものだろうか。隣町との中間にいたのに。
「声がした」
「……へ?」
「今にして思えば、妙なんだが」
 ファレスは釈然としない面持ちで、目をすがめて首をかしげる。
「誰かがしきりに呼んでる気がして、街道の方が気になった。で、行ってみたら、お前がいてよ」  
 あれ? とエレーンは首をひねった。なんか似たようなことがなかったか?
 そう、ピン、と引っ張られるようなあの感じ。見えない糸の先にいるのは、いつも決まって、あの彼で──
 はた、と顔を引きつらせる。"ふらふら歩いてたと思ったら、一転して狂暴化"って、まるきり危ない人なんじゃ──?
 そろりと隣を盗み見た。「……気味、悪くなかった?」
 てか、よく逃げなかったな、この野良猫。
「ま、お前だったしよ」
 事もなげなその返事に、へえ、と少しだけ見直した。自分がその場に遭遇したら、裸足で逃げだす自信ある。
「あ、ねー、そういえば、なんでか、お腹、痛いんだけどー」
 その時ぶつけた? との意味合いだったが、ファレスはやはり事もなげに言った。
「ああ、連れて帰ろうとした時に あんまり言うこと、きかねえからよ」
「……」
 つまり、やったの、お前ってことか!?
 ちょっとお!? と連れを睨みつけ、ふと、階下を振り向いた。
 灯りの落ちた、広いホールだ。薄暗いその中央に、台座にのった「天秤」のオブジェ──。
 え? とまなこを見開いた。
「……ここって、もしかして」
 ゆったり広い間隔で置かれた、卓と椅子、革張りの長椅子。壁にかかった絵画や調度が、暗がりの中に沈んでいる。階段を降りた左手だけが明るいのは、受付を兼ねた帳場があるから。そう、ここは、もしかして、
「ラディックス、商会?」
 ケネルたちと詰めていた、昨日のあのホールではないか。そうだ、あの帳場から、領邸の書庫でさえ望めない、詳細な地図を出してきた──。
 業務は終了したようで、灯りは落とされ、閑散としている。ファレスはホールには目もくれず、階段を降りると、右手へ折れた。
 突き当りの壁まで歩き、アーチ型の扉を引きあける。
 ほの暗いざわめきが、その向こうに広がっていた。
 緑の傘の卓上ランプが、そこここの卓で揺れている。
 右手の壁一面を、ずらりと埋める高価な酒瓶。飴色に輝くカウンターの中で、黒い制服の店員たちが、優雅な所作で立ち働いている。
 思わぬ酒場の出現に、ぽかんとエレーンは口をあけた。
「高そうな、お店……」
 気後れしたふうもなく、ファレスは奥へと歩いて行く。
 ほえ〜……とエレーンはきょろきょろしながら、小走りで後について行く。
 ふと、ファレスが、奥の壁で目を止めた。
 手近な空き席を目で示す。「ちょっと待ってろ」
「──ええ!? 一人にしないでよ!?」
「この館内は安全だ」
 ファレスはリュックをおろして押し付け、振り向きもしないで歩いて行く。
 もー、急になんなのよー、とリュックを抱いて目を凝らせば、壁の隅の暗がりに人影。知り合いでも見つけたらしい。
 ぶちぶちリュックを座席に放り、その隣に腰をおろした。
 ふかふかの長椅子でひとしきり弾み、椅子の背もたれを両腕でかかえ、壁の男と話しこむ長髪の背を眺めやる。「でも、大丈夫なのかな。こんな高そうなお店……」
 店の高い天井を、そわそわしながら眺めやる。
「……あ、そっか」
 ふと気づいて、またたいた。商会との境は扉一枚。同じ館内にあるってことは、
「この店も、ハジさんのとこだから」
 街道の町で話をしていた二人の姿を思い出す。
 この館の主のハジを、ファレスは訪ねたことがある。商売上の付き合いでもあるのか、ケネルもファレスも、なぜか親しいらしいのだ。それでツケが利くのだろう。町のカフェのご飯でさえも文句をたれるあのファレスが、見栄を張るとも思えないし。
「それにしても、高そうな店よね〜……」
 呆けて周囲を見まわせば、そこここのランプの卓で、ゆったり歓談する客の姿。恰幅のよい腹回り。葉巻を手にした指輪の手。だが、笑みの瞳には抜かりがない。
 なんだろう、ここの客。商人ばかり、いるような?
 ……そうか、と遅まきながら合点した。
 この店は商会の館内。つまり、商談前の待ち時間に用いるような店なのだ。
 取引の度に利用するには安くはない出費だろうが、大商会と取引のある富裕層の商人ばかり、痛くもかゆくもないのだろう。むしろ常連であることがステイタスになるのかもしれない。
 きらびやかなざわめきにたじろぎながらも、はー、やれやれ……と肩を戻した。
「きのうのあのホールの横に、まさか、こんなお店があったとはね〜」
 ゆうべ話したあのハジの、涼しい顔を思い浮かべて、何とはなしに嘆息する。傭兵たちとつるんでいても、やはり大商会の代表だ。さすがに商魂たくましい。商売をする相手から、更に金を絞り取るとは。
「……こうなると、なんかもう、別世界よね」
 溜息しか出てこない。
 家財あり余る富豪たち。思いもよらない肥沃な世界。実家でかじった商いのような、町中の店なんかとは規模が違う。
 なんだか虚しくなってしまい、ふかふかの高価な背もたれに、ぐったりエレーンは身を沈める。「やっぱ違うわ、ラディックス商会……」
 はっと身をこわばらせ、境の扉を振り向いた。自分は何か、忘れていないか?
 リュックをつかんで立ちあがる。
 急いで、扉へ引き返した。
 何気なく口にしたその屋号に、記憶の疼きが触発される。そう、ここはラディックス商会。ゆうべの捜索拠点になった──。あの後、彼はどうなった? 行方不明の、
 ──セレスタンは!?
 灯りの落ちたホールに戻り、その人影を見据えて走る。
「あのっ!」
 息せき切って駆け込んだ。ホールの薄暗い天井の下、一角だけが明るい受付。
 書類を見ていた黒服が、顔をあげて微笑んだ。「いらっしゃいませ、お客様」
「あの、すみません、ハジさんを呼んでいただけますか」
 営業用の笑みのまま(……は?)の顔で黒服が固まる。
「代表を、でございますか?」
 困惑したような微笑みを浮かべ、大階段の階上を一瞥。
「お約束はおありでしょうか。どなた様、とお取次ぎすれば?」
 こちらの立場を明かすよう、暗に黒服に促され、前のめりの勢いを呑んだ。
「……あ、いえ、あの、」
 愛想笑いで後ずさり、そそくさ扉に退散する。「すみません、もう結構ですから」
 開けたままの扉をくぐって、ほの暗いランプのざわめきに戻る。
 店の方から来たからだろう、小娘風情の身なりでも、つまみ出されはしなかったが、明らかに不審そうな顔つきだった。ぐずぐずすれば、人を呼ばれる。だが、クレスト夫人と身分を明かせば、またどんな災難に、巻き込まれるかわからない。
 ここで待つようファレスが指示した、元の長椅子に身を投げた。
 隣の座席にリュックを放る。ああ、まったくついてない。あの昨日の帳場の人なら、顔を覚えていたろうに。
 そういえば、今の帳場の人は、雰囲気からして昨日とは違う。物腰こそは丁寧だが、どこか隙なく事務的で。あの昨日の受付は、仲間のようでさえあったのに──
 どさり、と真横で音がした。
 淡い思索を破られて、ぎょっとエレーンは振りかえる。
「ご機嫌いかが、お姫さん」
 左の腕を背もたれに置き、男が椅子にもたれていた。三十代半ばの知らない顔。え、これって、もしや、
 ……ナンパか?
「ま、間に合ってま〜す……」
 とっさにへらへら、お愛想笑い。エレーンはそそくさ腰を浮かせる。
 別の席へと移るべく、隣に手を突き伸ばす。座席に置いた赤いリュック──。
「おっと」
 頭上で男の声がして、すかさずリュックを取りあげた。
 その男と別の一人が、長椅子の両端を囲い込むようして立ちふさがる。
(な、なに、この人たち……)
 エレーンはじりじり後ずさり、恐くなって男らを見まわす。
 隣に座った短髪の男が、探るようにじっと見つめ、口の端をつりあげた。
「捜したぜ、奥方さま」
 
 
 

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