CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章6
( 前頁 / TOP / 次頁 )


 
 

 食事を部屋に届けるよう、黒服の店員に言いつけて、副長は二階へひきあげた。件の客を追い立てて。
 二階の角に消え入った二人の姿を見届けて、ギイは短い舌打ちで、階段下から引き返す。
「──なにやってんだ副長。ご乱心かよ」
 ごちつつ、ぶらぶらホールへ戻ると、あらかた灯りの落とされたホール右手の扉の陰から、部下のガスパルが歩み寄った。「どうでした?」
「客の身柄は渡さねえってよ。こっちの越権行為だと」
「ま、一理ありますね。部隊で預かる客の身柄は、確かに副長むこうの領分ですし」
「──てめえはどっちの味方だよ」
 肩をすくめたガスパルと、連れ立ち、長椅子の卓へと歩く。
 もう一人の部下クレーメンスは、口のきけない五才いつつの子供、ヨハンの様子を見に行っている。商会ホールに通じた戸から、ギュンターが顔を覗かせた途端、食事を中座し、それっきり。街の見物で遊び疲れて、ヨハンはぐっすり鳥師の背中で寝入っていた。三階にある仮眠室のどこかで、もう休んでいるはずだ。
「いっそ、引き渡しちまっちゃどうですかね」
「却下」
 ガスパルが辟易と顔をしかめた。「あの副長と張り合って、面子にこだわってる場合じゃないでしょ。これからトラビアに乗りこもうってのに。向こうが引き受けてくれるってんなら、渡りに船、願ったりじゃないですか」
「馬鹿いえ。確保は、統領の指示だぞ。それじゃ職務怠慢になっちまうじゃねえかよ。おまけに今じゃ"容疑者"も追加だ」
「まあ、そりゃそうすけど。けど、連行するのは、こっちじゃなくても」
「おいそれとは渡せやしねえよ。逃がされでもしたら、どうすんだ」
「──逃がされるって、副長に、すか?」
 面食らったようにガスパルが見、小首をかしげて苦笑いした。
「もう耄碌もうろくしたんすか、かしら。相手はあの"ウェルギリウス"すよ? 万に一つもあり得ませんて。厳格を地でいく副長なら、万難排して連行しますよ」
「気づかなかったか? 顔つきが変わった」
「──ま、確かに初めて見ましたがね。あの副長が連絡以外で、口をきいてるとこなんざ」
 軽口であっさり受け流し、肩をすくめて歩いていく。
 ギイは舌打ちで足を止め、今来た道を振り向いた。帳場の灯が届かない、二階へ続く階段が、闇の中に沈んでいる。
「……少し前まで、他人を一切寄せ付けない、そんな面構えだったのによ」
 ガスパルが火を灯したのだろう、ぽっと背後が明るくなった。
 シャツを探って足を向ければ、なめらかな飴色の天板が、そこだけひっそり輝いている。卓をはさんで腰をおろし、ギイは煙草に火を点けた。
 革張りの椅子に背を沈める。「ただの縄張り意識なら、いいんだがな」
「てえと?」
 自分も煙草を取りだしながら、向かいのガスパルがいぶかしげに見た。
 灯りの点った、ランプの緑の傘を見つめて、ギイは揺らぎに目をすがめる。
「あの躊躇・・が引っかかる」  
 不審な点を尋ねた時、一瞬、副長は目をそらした。
 椅子の背もたれに片腕をまわして、右手の階段に一瞥をくれる。「ま、バード上がりじゃ、無茶な真似はしねえだろうが」
「──バード上がり?」
 火を点けていたガスパルが、目をあげ、ぽかんと見返した。「副長が、すか? けど、それじゃ、下地がまるで──」
「ああ。ろくな訓練も受けてねえ」
 あっけにとられて階段をながめ、舌を巻いたように背を戻した。「だったら天賦の才すか、あれは」
「あのきれいな顔だから、芸能の適性もあったろうによ。なんで転向したんだか。まったく、よくものし上がったもんだぜ。つるむ仲間も積年の修練もねえってのに」 
 身元の保証のない遊民は、町での暮らしができないために、人々の生活圏外に、生き残る道を模索する。つまりは、戦時が要請する傭兵であり、娯楽の担い手たる旅芸人であり。
 限られた二択を選んだ子供は、それに即した訓練を幼少時から積んでいく。それゆえ、技能のない側への転向は、険しい道のりとならざるを得ない。
 かの副長が戻っていった階段の闇をながめやり、ギイはひとり思索にふける。「……そう、だからこそ、この状況、おそらく何より怖いはずだ」
「は? 無敵のウェルギリウスが、すか?」
 声に気づいて目をあげれば、向かいのガスパルはいぶかしげな顔つき。独り言を聞き咎めたらしい。
「なんすか、副長の恐いものって」
 己の迂闊さに顔をしかめて、ギイはなおざりに手を振った。「ま、いいじゃねえかよ、そんなこた」
「そりゃあないでしょ。そこまで言って」
 ガスパルが眉を下げて食い下がる。ちら、と思わせぶりに眉をあげた。
「ポーカーのツケ、チャラにしてもいいっすよ?」
 辟易としてギイは舌打ち、煙草を灰皿に押しつけた。「──敵わねえな、お前には。度が過ぎるほど副長が、遵法精神旺盛なのは何故だと思う」
「は? そりゃ性格でしょ。元から几帳面みたいだし」
「部隊を追われたくないからだ」
 シャツの胸を片手で探り、煙草の紙箱をギイは取り出す。「それに、用心深い、が正解だろうぜ。几帳面というよりは」
 次の煙草に火を点けて、顔をしかめて一服した。
「部隊に来るまで副長は、食うにも困っていたらしい。そのひもじさに耐え兼ねて、隊長を襲い、拾われた。ま、副長にしてみりゃ、仕掛ける相手を間違えたってところだろうが、結果的には幸運だった。なにせ、あの隊長は、親殺しの怪物まで引き取ってきちまうようなお人よしだ。ま、当時の副長は、飢死寸前だったらしいし、潰すには惜しい腕だがな。もっとも、どれだけ腕が立とうが──」
 椅子にもたれて、ギイは続ける。一人で立ちまわるには限度がある。傭兵にとって負傷は日常、だが、手傷を負って寝付こうものなら、たちまち食い詰めることになる──。
「仮に統領に盾つけば、今いる地位の剥奪は元より、部隊からの放逐は必至。すきっ腹かかえて町をさまよう孤独な放浪生活には、死んでも戻りたかねえだろうぜ」
 頭の後ろで手を組んで、ガスパルは無言で聞いている。
「つまり、どれほどの女だろうが、」
 ギイは続けて紫煙を吐き、夜闇に沈む階段をながめる。
「精々一晩しけこんで、明日には階段そこから降りてくる。こっちに身柄を引き渡すためにな」
「犯人なんすかね、あの姫さん」
 立ちのぼる煙に顔をしかめて、ギイは横を向いて紫煙を吐いた。「どうだろうな。あれっぼっちじゃ、まだなんとも。お前の方こそ、一緒に飯を食ってたじゃねえかよ」
 逆に心証を尋ねられ、ガスパルは背もたれに首を倒し、思い起こすように天井をながめる。
「正直とてもそんなふうは見えませんでしたがね。よく喋るわ、よく笑うわ、女とは思えねえほど、よく食うわ。クレーメンスさんの食いかけまで、これ、いーい? とかなんとか言って平らげちまう有り様で。そんなに腹が減っていたのか、あるいは、」
「あるいは全部・・芝居だった・・・・・か」
 言葉尻をギイは引き取り、思案に耽って目を細める。
「芝居なら、とんだ食わせ物だぜ」
「つまり、ウチで処理・・するわけですか」
 意図するところをそつなく汲みとり、ガスパルがやれやれと戸口を見やった。
「たく。鼻が利くよな、あの連中。声がかかる直前にとっととずらかるってんだから。本来その手のお役目は、特務あっちの仕事だってのに」
 不運を呪うように首を振り、捨て鉢な手つきで頭を掻く。「あの筋金入りの連中も、さすがに気が進まなかったか。ガキみてえな相手を拷問するしぼるのなんざ」
 左右の腕を背もたれにかけ、溜息まじりに天井を仰いだ。
「なら、自白剤でも使いますかね」
 
 
 

( 前頁 / TOP / 次頁 ) web拍手 


オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》