CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章31
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 ガタガタ揺れる馬車の車輪が、地面から浮きあがりかけていた。
 大きな竜巻の渦に呑まれて、砂塵が摩擦で発光している。
 叩きつけるような砂風で、目も開けていられない。
 髪が滅茶苦茶になぶられる。唸りをあげる風に巻かれて、それでも踏み留まっていられたのは、彼が抱えてくれていたから。とてつもなく巨大な何かが通過したような一陣の風──。
 パシン──と宙で、空気が鳴る。何かに亀裂が入るような音で。
 雲が、白く輝きを増した。
 どろり、と天の陽光が、まばゆい尾を引き、地上に溶け出す。乾いた薄茶の大地から、黄金こがねのまばゆい光の帯が、いくつもいくつも立ちのぼる。
 ……あれは、なんだろう。
 地面に生じた三点から、光がうねって立ちあがり、それぞれ輝きをほとばしらせて、螺旋を描いて昇っていく。空の高みを横切ったのは、滑空する巨大な鳥影──。
 それが彼方へ飛び去ると同時に、ぬぐい取られたように異変が止んだ。
 あれほど猛り、吹き殴った風も、嘘のように収まった。辺りに濃く立ち込めているのは、大勢の靴に踏み荒らされて、舞いあがった乾いた砂塵──。

 それにエレーンは気がついて、困惑しきりで見まわした。
 誰一人騒いでいない。あれほど熾烈な変事の渦中に、これほど大勢がいたというのに。ならば、今のは錯覚だろうか──。
 微弱な振動が、靴裏に伝わる。
 それはすぐにも大きくなって、地鳴りのような地響きが、乾いた大地を揺るがした。
 街道のある右手からだ。得体の知れない不気味な音。いや、この音には覚えがある。そう、大地を揺るがすこの音は、
 ──馬の大群が走る音。 
 渇いた大地を蹴散らして、馬群の一団が雪崩れこんだ。
 出現した軍勢を、押し戻すようにして割って入る。
 一面もうもうと煙っている砂塵を避けるためだろうか、皆、黒布で顔を覆い、目元だけを出している。騎手はいずれも革の上着と、あの武骨な編み上げ靴。
「みんな……」
 エレーンは目をみはって馬群を見まわす。
 怒涛のごとく乱入したのは、ケネルの傭兵部隊だった。だが、大陸を南下していた頃より、彼らの数は遥かに多い。馬群にはかなりの厚みがあって、一体どれくらいの騎手がいるのか、その規模はわからない。
 向かいに広がる軍勢のどこかで、あわてたような号令があがった。
 その「排除」の命に従い、直ちに軍勢が押し寄せる。
 前線で戦闘が始まった。
 喧騒の先で光る刃。兵を槍で払いのけ、力任せに蹴り飛ばし──。
 エレーンはおののき、後ずさる。だが、街壁のぐるりを取り囲む、背後の川が足を阻んだ。盾になってくれている騎馬の端まで十歩の距離だ。
 そう、わずか十歩向こうで、戦闘が繰り広げられていた。
 怒声飛び交う乱戦の中、自分のいる周囲だけ、ぽっかり辛うじて空いている。傭兵団に守られて。けれど、なぜ、彼らがここに? そういえば、少し前、あの凄まじい暴風のさなかで、誰かに呼ばれた気がしたが──。
 普段とはまるで様子が異なる、皆の物々しさに圧倒された。軍勢を見据える厳しい面持ち。馬の手綱を片手で操り、もう一方の手には長い槍。腰にいた長い剣。
 いや、自分が知らないだけで、これこそ彼らの生業なのだ。あの時だって、そうだったはずだ。ディールの使者を退けたノースカレリア防衛戦の時にも──
 ぎくりと硬直、息を呑む。
 ……ノースカレリア防衛戦?
 あわてて顔を振りあげた。
「──だめっ! みんなっ!」
 戦慄が走り、足が震えた。肌が泡立ち、血の気が引く。あの時、苦い思いで学んだはずだ。彼らの抗戦が意味するものは──。
 領邸三階の自室から見た、戦後の街の光景がよぎる。通りの石畳にしみこんだ血だまり。気だるく凪いだ夏日を浴びた、道端に積まれた無数の亡骸。このままじゃ、また、
 ──殺戮が始まる。
「平気でしょー?」 
 その懸念を見越したように、頭上で彼の声がした。
 乱戦に突入した様を、あわてるでもなく見ていたウォードだ。
 だが、事もなげに言うも束の間、背後の回廊を仰いだウォードは、戦闘を見やって小首をかしげる。「やっぱダメかー。本気だし」
「──ちょ!? なにを無責任なことをっ!」
「あんたのせいでしょー」
 エレーンは虚をつかれ、口をつぐんだ。無頓着にウォードは言う。
「必死で防衛してるのは、あんたが・・・・ここにいる・・・・・からでしょ」
「だ、だってそれは、ノッポくんがあたしを連れてきたから──」
「ここで、すること・・・・があるんでしょー?」
 薄く開けた唇がわななく。声が、言葉が出てこない。
 まさしく彼の言う通りだった。
 アルベールさまを捜していた。トラビアにいるダドリーの、保護を改めて乞うために。そして、開戦している以上、ラトキエの総領は、
 ──ここに・・・いる。
 号令とどろく戦場の空で、ギラギラ夏日が照っていた。
 怒号をあげる人波の中、茶色い馬体が行き来する。馬上の黒いターバンと鉄兜の軍服が入り乱れる。刃がきらめき、盾が鳴り、怒号と悲鳴が充満する。

 愕然と見やった軍勢の中で、閃光が炸裂、大地が震えた。
 大気を切り裂き、爆風が走る。
 兵が吹っ飛び、地面に落ちる。木片が無数に砕け散り、転がり、大地に突き刺さる。バラバラ破片が落下する中、悲鳴が渦を巻いていた。
 狼狽と混乱に入り混じる怒声。そうする間にも、続けざまに爆発が起きた。踏み荒らされた砂塵の中、軍勢の上に突き出たやぐらが、炎に包まれ、燃えあがる。それはすぐにも崩れ落ち、辛うじて残った骨組みが、めらめら炎をあげている。
「あんた、何をしている!」
 喧騒をついた叱責に、びくり、と頬が強ばった。
 封じた記憶を呼び覚まし、声の主を必死で探る。居丈高なこの物言い。相手の不興など気にも留めない、何よりこの懐かしい声はまさか──。
 指の震えを握りしめ、エレーンは声を振りかえる。
 乱戦の渦中から抜け出して、馬が疾走、一気に迫った。
 息を呑んで凝視する間にも、馬から半身乗り出した手に、もぎ取るようにして引きあげられる。ウォードが虚をつかれたように騎手を見た。
「なんで "ケネル"ー?」
 背後の回廊を振り仰ぎ、戸惑ったように目を戻す。
あんたを・・・・助けたつもりはないけどー」
 まさしくケネルが、ここにいた。
 エレーンはただただ呆然と、混乱をきたして言葉が出ない。
「まったく、あんたは!」
 ケネルがいつものしかめっ面で、ウォードに構わず声を荒げた。
「とうとう、こんな所まで! あんた一体どういうつもりだ!」
 ケネルが脱いだ革の上着で、ばさりと肩をくるまれて、はた、とエレーンは我に返った。
「なんでケネル死んでないのよっ!?」
 目を剥き、思わずつかみかかる。
 ケネルが面食らった顔で口をつぐんだ。
 拗ねたように上目遣い。「……俺が生きてちゃ、まずかったか?」
「──だからっ!? なんでそうなんのよっ!」
 ケネルはやれやれと頭を掻いて、軍の攻勢を食い止めている傭兵部隊に目をやった。
「まずは戻るぞ。脱出が先だ。たく。おちおち寝てもいられないんだからな」
 呆れたように愚痴をこぼして、馬の手綱を無造作に引く。動き出した馬に気づいて、ふと、エレーンは振り仰いだ。「ちょっと待ってケネル。ノッポくんは?」
「ウォードはいい」
「はああっ!? なに言ってんの、信じらんないっ。手ぶらなんだからねっノッポくんは!」
「奴は自分でどうにでもする」
「どーにでもするってどーやってぇーっ!? なによケネルの薄情者! なんでそんな意地悪いうわけ? ケネル本当にわかってるー? ノッポくんなんにも持ってないのよ? なのに一人で置き去りにして何かあったらどーすんのよっ。ケネルは隊長なんでしょー! だったらもう少し部下のことを──っ!」
「わかった」
 顔をしかめて文句を遮り、ケネルが左に身をよじった。
 ウォードの足元へ腕を振る。
「使え」
 放られた剣をウォードはながめ、目をあげ、おもむろに馬上を仰いだ。
「じゃあねー」
「じゃ、じゃあねーってノッポくぅん……っ?」
 どこまでもマイペースな人だ。
 思わぬ挨拶にあわあわしつつも、ギッとケネルをねめつけた。
「ほらあ! ケネルが意地悪言うからあっ! あんたまさか、これで済ましたつもりじゃないでしょうねっ! 行くんだったらノッポくんも一緒に──」
「三人は乗れない」
 ぷい、とケネルがそっぽを向いた。
「ウォードは、いい、と言っている」
「そういう問題じゃないでしょが!」
「行くぞ」
「ちょっとお!? 話ちゃんと聞いてたあ? ちょっと待てって言ってんのっ!」
 ただちにケネルに乗りかかり、むき出しの首を、かぷ、とかじる。
 ぎょっとケネルが瞠目し、両手で頭を引きはがす。
「なに考えてんだ、こんな所で!──こら! 乗るな! 蹴るな! 頭をかじるなっ! なんでそんなに落ち着きがないんだっ!」
 ぱかぱか走り出していた馬は、手綱を取られてよろよろ蛇行。
 たじろぎ顔でまなじり吊り上げ、ケネルがぐいぐい引きはがす。
「……ウォードは慣れてるっ……大丈夫だっ」
「なに無責任なこと言ってんのっ! まだ、たった十五歳の子にっ!?」

 交戦さなかの渦中から、軍服の兵士が駆けてくる。
 はっと襲撃に気づいた直後、四方から兵が殺到した。もたもたよろけた馬に気づいて、仕留められると思ったらしい。
 ぐい、と頭を片手で押しのけ、手綱を引いてケネルは見まわす。
 自分の腰に一瞥をくれ、忌々しげに舌打ちした。
 あ……とエレーンは息を呑む。ケネルはさっき、ウォードに剣をやってしまった……。
 とっさに振り向いたその先に、人馬入り乱れた人波の向こうに、白いシャツが垣間見えた。
 空を仰いで佇んでいる。足元の剣には見向きもせずに。周囲で起きている全てのことに、まったく関心がないかのように。
 虚をつかれ、不意に気づいた。
 彼はいつも、ああして取り残されてきたのではないか? たった一人で戦火の渦中に。
 彼の立つ周囲だけが、ぽっかり陽射しに凪いでいた。
 血なまぐさい戦から、そこだけ隔絶されたように。不思議なほど、静かだった。そこに佇む彼の姿が、誰にも見えていないかのように。

 馬が傾ぎ、大きく揺れた。
 剣を振りあげた軍兵の腹を、ケネルが強く蹴りつけた。
 奪った軍刀で刃を押しやり、群がる兵を押し戻し、片っ端から蹴り飛ばす。数人を難なくやり過ごし、ケネルが手綱を引っつかんだ。「──行くぞ!」
「ケネル。戻って」
 のけぞり返った兵士の向こうに、エレーンは指を突きつけた。ぽつんと独り佇むウォードに。
 ケネルがまなじり吊り上げた。
「どんな状況か分かっているのか!」
「だってっ!」
「戻れば、すぐに呑まれるぞ! 今は部隊が食い止めているが、その盾だって長くはもたない。早く出ないと、乱闘に呑まれて揉みくちゃに──」
「止まりなさあいっ!」
 手綱を奪い、ぐい、と引いた。
 振り向かされた長い鼻面、エレーンは強引に引き据える。
「止まれって言ってんのよ、プロキオン!」 
 ケネルがうさんくさげに目をすがめた。「プロキオン〜?」
「だからこの子の名前でしょうがっ!」
 苛々ケネルを一蹴し、エレーンはウォードを指でさす。
「ほらあ! なにしてんの、さっさと戻る! ノッポくんの所に引き返すっ!」
 パカパカ馬が、あわてた様子で走り出した。剣幕に恐れをなしたのか、先の場所へと引き返していく。
「ノッポくんっ!」
 ふと、ウォードが振り向いた。エレーンは満面の笑みで両手を広げる。
「迎えにきたっ! 迎えに来たわノッポくん! 大丈夫だからね! 一緒に帰ろう!」
 険しい喧騒のただ中で、ぽつん、と白いシャツが佇んでいた。
 足元の剣さえ拾わずに。先の場所から動いてもいない。
 ラトキエの軍勢を押し戻す、傭兵部隊が押し寄せてきていた。もう十歩の距離もない。早く、早く行かないと──! やきもき見やったその時だった。
 いななき、馬が不意に止まった。
「ど、どうしたの、プロキオン!? なにやってんの。ほら、行って!」
 バンバン平手で馬の首を叩く。だが、馬は嫌がって動かない。怯えたように首を振り、その場で尻込みするばかりで。
 ふと、エレーンは耳を澄ました。
 ひゅるる、と空気を切り裂く音。
 空の遥かな高みから、何かが落下するような──。
「エレーン」
 不意に滑りこんだその声は、いやにはっきり耳に届いた。
 エレーンは怪訝に振りかえる。
 ガラスのようにきれいな瞳で、ウォードが真摯に見つめていた。その口がおもむろに開く。
「オレ、やっぱり、あんたに言わなきゃならないんだけどー」
「……。え゛?」
 この一言一句違わない、義務感ともなうフレーズは……
「エレーン、オレ、あんたのことを、」
 ──て、

  ー!?

 ぎこちなく首をかしげて、エレーンはほりほり頬を掻く。
「あ、……いやあのノッポくん? 気持ちはとっても嬉しいんだけども〜」
 てか、あんた、ちょっと待て。
 あわあわ見まわし、しどもどなだめる。
「今はちょっと、そういう場合じゃ〜……」
 どくん、と何かが息づいた。
 無視できない大きさで。
 はっ、と意識が"それ"にいく。制服の下のお守りに。チリチリ次第に熱くなる。
(はあ!? ちょっとなんで急にっ! てか、この忙しい時にっ)
 火傷をせぬよう、首の鎖をせかせか手繰たぐった。
 そわそわウォードの様子を見る。頭を軽く背に倒し、彼は空をながめていた。高く、高く、はるか彼方を。
 キラリ──と空で、それ・・が光る。
「……あ」
 ぎくり、とエレーンは息を呑んだ。
 肩が硬直、血の気が引いた。指の震えが止まらない。
 愕然と唇をかみしめた。もう秒読みなのだ・・・・・・・・と不意に悟る。もう、
 ──後戻りは、もうできない。

「エレーン」
 空をながめた目を戻し、ウォードが目を見て呼びかけた。

「エレーン、オレ、あんたのことを、」

 そうだ。これを知っている・・・・・
 この彼の表情を。周囲の景色もこの空も。このすべての瞬間を。
 これから何が・・起こるかを。

「……エレーン、オレ、あんたのことを、」

 きらめきが空から、ぐんぐん近づく。

「エレーン、オレ、あんたのことを、」

 胸が早鐘を打ち始める。
 どくん、どくん、とこめかみが脈打つ。

「エレーン、オレ、あんたのことを、」

 声が掠れて彼を呼べない。
 封じられたように声が出ない。きらめきがぐんぐん、彼に近づく。

 吹っ切るように息を吐き、ウォードがもどかしげに顔を見据えた。
「エレーン、オレ、あんたのことを──オレ、あの晩、あんたのことを──!」
 ためらうように言葉が途切れ、口をつぐんで空を仰いだ。
 息をついて目を戻し、途方に暮れたように微笑いかける。

「……あんたのことが、好きだよ」

 その様は──
 いやにゆっくり目に映った。
 夏日にきらめき、ぐんぐん近づく。紛うことなき彼を目指して。
 遥かな高みから降りきたるそれ・・が、恐ろしい速さで近づく様が。

 無我夢中でエレーンは叫んだ。
「ノッポくんっ! うしろっ!」

 大きく背中がのけぞって、彼が地面に膝をついた。
 がくり、と肩が前に落ち、ふわり、とうなだれた髪がゆれる。
 前傾の体を串刺しにして、一振りのほこが突き立っていた。
 まっすぐ背中から貫いて。赤黒い房がその柄にある、祭具のような "奇払いの鉾"が。

 どこかで時鐘が鳴っていた。
 三時を知らせるガレーの鐘が。戦場の熱気が、喉をく。
「──いやあ! ノッポくんっ!?」
 もがいて躍り出たお守りの翠玉いしが、夏日を弾いて、パシン──と砕けた。
 
 
 

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