■ CROSS ROAD ディール急襲 第3部3章48
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「おい! お前ら、何やってんだ!」
遺体に集る傭兵たちを、ヒースは追い散らし、立ちはだかった。
彼らは納得がいかないらしく、追い払われて尚、離れた場所で、戸惑ったように突っ立っている。ちらちら名残り惜しげに窺いながら。
死者の懐を漁るのは、勝者の特権とでも心得ているらしい。
だが、ここはカレリアだ。死者を冒涜するような人権蹂躙は許されない。
相手が決して引かないと知るや、傭兵たちは目配せした。
「欲しけりゃ、やるよ。ご自由に」
白けた態度で散開する背に、ヒースは苦々しく吐き捨てる。「たく。禿鷹みたいな連中だな」
時計も宝飾品も金目の物は、持ち去られたようだった。
手荷物一つ残っていない。わずかに残った所持品は、身に付けていた血まみれの衣服と、普段履きの布の靴。
ズボンの隠しを調べてみるが、やはり財布も見つからない。おそらく中に入れていたのだろう、この遺体の身分証もない。これでは彼が、どこの誰かもわからない。
傭兵は、とうに逃げ去っていた。
遺体の側にしゃがんだままで、ヒースは舌打ちで街道を見やる。どこの町の若者だろう。ここで戦に巻き込まれたのなら、この近くの住人だろうが。最寄りのガレー、あるいはバスラか。トラビアは封鎖していたし──。
なめらかな頬をした青年は、髪のかかる瞼を閉じて、誰の問いにも答えない。我が身に何が起きているのか、もう決して知ることもなく。
息をついて立ちあがり、ヒースは苦々しく遺体を見おろす。
「たく。なんで来ちまったんだよ、こんな所へ」
やりきれない思いで舌打ちし、銀縁めがねで見まわした。
広い荒れ野の方々で、青い制服の国軍が、戦の後片付けに従事していた。騎馬の姿はどこにもない。彼らはさっさと引き揚げたようだ。
あの「ギイ」の参戦に伴い、捨て身の戦局が一変した。
戦慣れした多数の騎馬が、どこからともなく現れたのだ。
隣国の傭兵だった。ギイと名乗った男は軍師。だが、あんな武装集団が、どうやって入国したというのか。無論、国境を通過できるはずもない。腹に一物あるようで、ダドリーは平然としていたが。
武力衝突を避けようと働きかけていたクレスト領主は、終戦の声を聞くや否や、糸が切れたように気絶してしまった。
いや、よくもった、というべきだろう。衰弱した体を引きずって、飲まず食わずで駆けずりまわっていたのだから。
こたびのトラビア会戦では、攻城兵器が暴発し、扱いに不慣れな操作兵、十余名が死亡した。騎馬隊とやり合った者たちも、少なからず負傷している。
もっとも、荒れ野をくまなく網羅した大規模戦闘にもかかわらず、戦死は存外に少なかった。先の爆死の十数名と、付近の住人と思われる、この青年が一名のみ。
懐を探り、煙草をくわえた。
部下の到着を待つ間、番をしながら一服し、足元の青年を改めて眺める。
永久の眠りに就く顔を。
「……よう。若い身空で災難だったな」
苦笑いで微笑みかけた。
「くだらねえ理由で左遷されてよ。それで女房に逃げられて、おまけにガキまで押し付けられて、俺もたいがい運がねえと思っていたが、それでも、お前より、まだましだな」
オールバックの頭を掻きやり、吹っ切るようにして天を仰ぐ。
夏日のまぶしさに目をすがめ、浅い吐息でつぶやいた。
── それでも、俺は、生きているからな。
やがて、荷馬車が到着し、灰色の制服が下りてきた。
回廊で遺体を発見した国境守備隊の部下たちだ。その遺体に間近で接して、痛ましげに顔をしかめている。手慰みの煙草を取って、紫煙を吐きつつヒースは踏み消す。
「運んでやれ。丁重にな」
横たわった遺体の肩と足とを、二人がかりで持ちあげた。
荼毘に付すべく荷台に乗せる。靴下のない若者の足に、ふと、ヒースは目を留めた。
「……残っていたか」
胸が詰まって、立ちつくす。
傭兵の強奪に遭って尚、唯一残った彼の遺品が、力ない彼とは対照的な、その紐の鮮やかさが、それを一層際立たせた。理不尽に命を奪われた、無慈悲なこの現実を。
銀縁めがねの眉をひそめた厳粛な面持ちでヒースは近づき、つるりと滑らかな足首に巻かれた、色鮮やかなミサンガをほどく。
若者がたむろす屋台でよく見る、なんの変哲もない装飾品だった。今、若者の間で流行っているらしい。流行りの物を身に付ける、彼もそうした一人だったのだろう。
彼の背景を呑んだ腹が、黒々と、暗澹と冷えていく。
たまたま、この彼だったのだ。
ここに意思なく横たわることになったのは。
誰であっても、おかしくなかった。明日は我が子であるかもしれない。
あるいは「コリン」であったとしても。
だが、そうした殺人を犯しても、当の身勝手な為政者たちが、罰せられることはない。
冴えた直感が、胸を突いた。
──為政者は、犯罪者と紙一重。
覚束ない"良心"で、正しい岸に繋ぎ止められているに過ぎない。
更に質の悪いことに、自分が気まぐれに手にかけた、相手の名さえ連中は知らない。犯罪者でさえ知っている、善良で真っ当な他人の名前を。
いや、権力闘争の会戦に、住民が巻き込まれた現実を、この国の為政者は知るべきだ。
あいつは今ズタボロだが、何事もなかったように片づける前に、認知すべき責任がある。為政者たちの我欲が招いた、厳然たる現実を。
薄茶の前髪の降りかかる、物言わぬ顔をじっと見つめて、静かにヒースは語りかける。
「必ず、領主に届けるからな」
クレスト領主とは誼みがある。
戦後のトラビア、街壁の回廊。
眼下の荒れ野を撤退するカレリア国軍の部隊をながめて、くわえ煙草でギイはごちた。
「畜生、俺も、さっさと引き揚げてえんだがなあ」
灼けた手すりを両手でつかんで、北カレリアの空を眺める。帰りを持っている女がいる。
「ま、褒美はしばらくお預けだ」
彼女の願いは果たしたが、まだ戦後処理が残っている。
トラビアで衝突したラトキエとディールの、いや、実質ラトキエとクレストの、喧嘩のケリがようやくついた。決着の決め手になったのは、意外にも、あのメイド服。
「──まったく、大した度胸だぜ」
進軍の行く手を果敢に阻んだ、彼女の姿を思い出し、風に吹かれて苦笑いする。
「天下のラトキエの総領を相手に、一歩も引かねえってんだからな」
小柄な肩でなびく髪先。
旗幟を見据えた黒い瞳。戦の交渉の現場には、仕事柄いくつも立ち会ってきたが、あんな大舞台に引き出されれば、大の男でも怖じ気づく。それを、あのわずかな間で、腹をくくって覚悟を決めた。まさにあれこそ、
「クレストの当主が選んだ女、か」
合図の花火が上がったあの時、軍師ギイは頬をゆるめた。
あれこそ策の成った瞬間だった。
真昼のあの打ち上げ花火は、彼が到着した合図。
この国随一の豪商の令嬢、エルノア=ドゴールを伴って。
それは、初めから分かっていた。
夫人の手紙に驚いた、彼女の友人エルノアが、ロワイエ侯爵家の次子にして恋人、領家の徴税を取り仕切る、ラルッカの元に駆け込むことは。
そして、手下を大勢引き連れた彼女の姿を見咎めて、官吏が領邸へ走ることは。
エルノアが庁舎を出る頃には、案の定ラトキエの手の者が、彼女を捕えるべく待ち構えていた。
これほどの事変が起きているのに、王都は未だ動かない。
つまり、これはラトキエが、己に不都合な情報の、王都への流入を阻んだ結果だ。三領家の筆頭にある己の地位を利用して。もっとも、この時勢では、ディールの政務もクレストも、すでに機能していない。
この国唯一の強権をもつ国王不在の国内は ただ一人ラトキエの天下だ。その総領のすることならば、もはや誰にも手が出せない。
となれば、内情を知るラルッカは、必ず国王への直訴に及ぶ。
だが、クレスト夫妻の友人であり、ダドリーの親友でもあるラルッカは、ラトキエ総領アルベールに、目をつけられて動けない。
ならば、訪ねてきた恋人を、王都へ送るべく算段する。
なにせ、彼女は、カレリア随一の豪商の娘。出入りの極めて難しい、王都の門をも潜ることのできる、数少ない特権階級。それをよく知るアルベールならば、直訴を阻止すべく速やかに動く──。
と、ここまでは、誰でも予想がつく。
問題はその後だ。
エルノアはそのまま軟禁されて、ラトキエ邸から出られない。
ダドリーの親友ラルッカも、既にアルベールの監視下にある。
この厳しい条件で、なんとか活路を開くには──。
策は、あった。
切り札が。
街の下回りが持ち込んだ、この情報の取得如何で、やりようは大きく異なったろう。
もっとも、仕掛けは些細なことだ。
それをエルノアが所持しているなら、一言教えてやるだけでいい。天下を統べるラトキエの、
── 当主は一体誰なのか。
とりわけ富裕階級は、付き合う相手の所持する「格」に、序列の正確さに敏感だ。
果たして彼女は、領邸の一室に囚われて尚、正しい相手に面会を求めた。
屋敷の奥で病みついた、かのクレイグ=ラトキエに。つまりはラトキエ現当主に。
ラトキエ当主クレイグは、公明正大をもって鳴る、高邁な君主で知られた男だ。そんな一角の人物が、カレリア全土を巻き込んだ総領の私的な復讐を知れば、黙って見逃すはずがない。なんとしてでも阻止すべく、必ず、現地に駆け付ける。
とはいえ、元よりの重病故か、その到着は遅れていた。
侵攻の矢面に立っていたクレスト夫人エレーンには、会談を引き伸ばすよう指示したが、それも手もなく片がついた。無論、ラトキエに押し切られるという至極順当な結末で。
だが、やむなく進軍を見送った直後、待ちわびた報せがついに来た。
当主の到着を発見すべく回廊で東を注視していた、部下の合図の打ち上げ花火が。
半死の我が身を顧みず、ラトキエ当主が駆け付けたのだ。トラビアの窮状を訴える、あの訴状を携えて。
エルノアに宛てた夫人の手紙を。クレスト夫人エレーンの。
晴れ渡った夏空の、回廊端の階段塔に、シャツの人影が現れた。
駆けてくるのは地図屋ガスパル。なにやら渋い面持ちだ。どこかそわそわした顔は、どうやら急ぎの知らせらしいが。
何か問題でも発生したか。ふてぶてしいあの地図屋の、落ち着かなげな顔は珍しい。短くなった煙草を取って、紫煙を吐きつつ、ギイは踏み消す。
「なんだ、ガスパル。どうかしたか」
それが、と続けた部下の報せに、ギイは愕然と凍りついた。
一通りの報告を終え、一息ついたガスパルは、顔をしかめて北空を眺める。
「なにしろ、この暑さですからね。向こうの連中の判断で、現地で荼毘に付したとか。──あの頭?」
「──聞いている」
気づかわしげに、地図屋が覗く。「あの、連絡はどうしますか、領邸への」
「必要ねえさ。戦を制したクレスト当主は、恋女房と凱旋だ」
苦笑いに皮肉を潜ませ ギイは北空を睨んで眉をひそめる。
「……もう、誰も、気にしねえだろうさ」
北から軍師を遣わした、ひっそり微笑む妾のことなど。
軽く嘆息、目を閉じた。
「そうかい。世話をかけたな、アルチバルドたちには。労をねぎらってやってくれ」
指示を受けたガスパルは、だが、まだ立ち去ろうとしない。
しばらくもじもじ逡巡するようにためらって、踏ん切りをつけたように真顔で覗いた。
「あの、頭、なんて言ったらいいか──。でも、迎えの連中の話では、苦しんだ様子はなかったとか。遺体はひっそり綺麗なままで、うっすら笑って見えたとか。あの、頭、この度は──」
手をあげ、弔慰をギイは遮る。
行け、と手を振られたガスパルは、それでも困ったような面持ちで、しばらくその場に留まっていたが、やがて、片手で頭を掻きやり、軽く一礼、歩み去った。
ぽっかり黒く口をあけた階段塔の入り口に、訃報を伝えたその背が消え入る。
視界の端でギイは見届け、震える指で懐を探った。
「……全部、うまくはいかねえもんだな」
夏日に灼けた回廊の、石壁にもたれて腰を落とす。
編み上げ靴の足を投げ、一本抜いて、火を点けた。
「……籠の鳥のお姫さん」
後ろ頭を石壁にもたせて、膝でくゆる紫煙のその先、抜けるような夏空を仰ぐ。
記憶の中の邪気ない笑みに、仕方のない苦笑いを返した。
「──外は、楽しかったかい? お姫さん」
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