夢のあと
水飲み場は、子供たちが好きでした。
手を洗いにやって来る、みんなのことが好きでした。
わいわいがやがや蛇口をひねる小さな手を。
競って水を飲む子供の口を。
みんなが行ってしまってから、そっと差し出される小さな手も。
時々台座を蹴ったりする行儀の悪い子がいて痛い思いをしましたし、蛇口の水を跳ね散らかす元気すぎる一味がいて、すっかり水浸しにもなりましたが、みんなのことが大好きでした。
校庭を散々走った暑い日に、水をごくごく飲んだ男の子が 「 ここはオアシスだな 」 と仲間に大声で言いました。仲間も 「 ほんとほんと 」 と大きな口で笑いました。
" オアシス "
意味は分かりませんが、なんだか素敵な呼び名ではありませんか。
水飲み場は、たいそう気に入りました。
今はもう、学校には誰もいません。
水飲み場を横切って白い校舎に入って行く子供たちのランドセルを見ることは出来ませんし、校庭をキャーキャー駆け回る笑顔や遊ぶ姿を見ることも出来ません。そして、休憩時間に行き場がなくて、日差しに暖められた石の台に手をついて、ぼうっと眺めている小さな手に寄り添うことも。
ある日、日向ぼっこしていた水飲み場の所に、男が一人やってきました。
薄汚れた身形の男です。髪は長くボサボサで、顔も手足も真っ黒で何日もお風呂に入っていないように見受けられました。落ち着きなく辺りをピリピリ見回しながら、そそくさと早足でやってきます。
周囲に誰もいないことを確認すると、男はやれやれと大儀そうに溜息をつき、水飲み場に手を伸ばしました。黒く汚れた手を伸ばし、水道の蛇口をひねります。屈めた顔をザブザブ洗い、口をすすぎ、両手ですくって水を飲みます。水の滴る顔を上げ、男は笑顔で言いました。
「──ああ、生き返るねえ。ここはオアシスだな」
行きより、いくぶん、ゆっくりと、男は満足そうに帰って行きます。
のんびりしたその背を見て、水飲み場も満足しました。最後に喜んでもらえて良かったな。
背の高い雑草の花だけが揺れる校庭を、水飲み場は懐かしい思いで眺めます。
出来たてほやほやの新品の台でこの場所に建てられてから、色々なことがありました。あの顔、この顔、笑顔、泣き顔。
廃校となったこの学校は、来月、取り壊されることが決まっています。
〜 夢 の あ と 〜
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