【 thanks-SS.14-110720 】 『ディール急襲』第U部 第5章 3話 「 孵化 」 9 終了時
 
 

ファレスの日記 6   

 
 めし
 
 
 メシ
 
 
 飯はまだか。
 
 それにつけても腹が減る。ひもじくって仕方がねえ。だが、膳には絶対手は出さねえ。
 あと少しの辛抱だ。ケネルさえ到着すれば、腹いっぱい食えるのだ。そうだ、ケネルの奴が着きさえすれば、好きなだけ飯が食える。ケネルさえくりゃ飯が食える。ケネルは飯だ。飯はケネルだ。高々それまでの辛抱だ!
 腹をさすって切ないひもじさをなだめていると、あの奇特なトウモロコシ頭が膳を持ってやってきた。焼き魚の旨そうな臭い──
 いいや! 俺は騙されねえぞ。飯につられてくたばった途端、てめえ、阿呆を焼く気だろ。
 トウモロコシ頭は突っ立って、じぃっと出方をうかがっている。飯の匂いを振りまいて、しつこく誘いをかけてきやがる。こいつはいつも無関心な善人面で、飯をちらつかせて誘惑しやがる! 事実、まったく旨そうだ!
 ……い、いや、違う。
 俺は絶対、食わねえからな! どんなに旨そうでも食わねえからな! 
 飯になんぞつられてたまるか。一服盛られりゃ一溜まりもねえ。しくじりゃ阿呆は、即、白骨。ひと度焼かれて骨ともなれば、いくらケネルが凄もうが、二度と元には戻らない。なんとしてでも、ここは死守だ。
 そうだ。無人島で出くわした時から、こいつは狙っていやがった。あの阿呆を早く焼こうと、涼しい顔してうずうずしていやがる。まあ、さっさと片付けてえって気持ちもわかる。夏場の死臭はきついからな。確かに、脈も呼吸も停止して死んだようにしか見えねえし、阿呆はぴくりとも動かねえ。だが、あれで不思議と生きている。とはいえ、説明しようが所詮は無駄だ。トウモロコシには"あれ"が見えねえだろうから。
 俺には、見える。
 火炎のような萌葱のゆらぎが。それがゆらゆら揺れながら、うつ伏せの阿呆にまとわりついているあの様が。あたかも全身を焼くように。これまでも何度か目撃した、例の奇怪な現象だ。獣の腹の虫でさえ、ひとたぴ宿主がくたばれば、とっと見限り、離れていく。この理屈でいくってんなら、つまり阿呆はくたばっちゃいない。
 にしても、諸悪の根源はこのアマだ。なんて紛らわしい寝かたをしやがる! そこでただ寝てるってだけで法外な迷惑をかけるってんだから、まったくとんでもねえトンチキだ。
 あのトウモロコシ頭の偽善者は、飯を食うのを今か今かと待っている。旨そうな匂いをぷんぷんさせて。たく、涼しい顔してあの野郎。ひとの弱みにつけこみやがって。そんな顔したって食わねえぞ。俺は絶対食わねえからな?
 おうよ! 俺は寝はしねえっ!
 
 うたた寝から目覚めると、かすかに残り香が漂っていた。微妙に際どいこの匂いは"アレ"が出たに違いねえ。
 普段であれば、あんな盗人、屁でもねえが、今アレに来られたら、情けねえが、対抗できねえ。には見えても、あれは本職。仕事ともなれば冷徹だ。的が誰でも容赦はしねえ。だったら、先に手を打つか。やられる前にやれって話だ。
 ぺったりうつ伏せた阿呆のヘソに、例のブツを押しこんだ。
 たく、なんだって俺が、こんなくだらねえ小細工を。どこもかしこもズキズキ痛むわ、腹は減るわで目が回る。いや、あと少しの辛抱だ。ケネルの奴さえ到着すれば、すぐにも飯にありつける。そうだ、ケネルは飯だ。飯はケネルだ。あんの飯の野郎、いつまでちんたらしてやがる! にしたって、こんな時に、よりにもよって盗人野郎が。次に会ったら、ただじゃおかねえ。ふん縛ってフクロにしてやる! ぐるぐる巻きで吊ってやる! それにつけても、いっとう大事なことがある。
 飯は、まだか。
 
 
 


 

 
 
 夜の浜辺から街に入って、こぎたねえ飯屋に担ぎ込まれた。
 あのトウモロコシ頭が追いかけてきて、この路地裏の店に連れてきたのだ。まあ、不慣れな街で飯屋を探してうろつかれるより、よほどいい。早く食えるなら何でもいい。
 店はまずまず繁盛していた。日の暮れたこの時分、飯屋というより飲み屋だが。表戸をあけて、のれんを潜り、ザイに抱えられて店に踏みこむ。
 店内は、わりと広かった。やはり、大衆酒場といった趣きだ。赤い顔の大トラが喧騒の中でわめき散らしている。満席か? いや、隅の方に空き卓がある。ツマミと酒瓶、煙とざわめき、魚を焼く香ばしい匂い。さあ、やっと飯が食える!──と思いきや、ザイの野郎、卓を素通りしやがった。
「とりあえず、副長をおろさねえと」
 店奥にある薄暗い階段に向かっている。カレリアにある飯屋の二階は、たいがい宿になっている。つまり、部屋にぶち込む気だ。てんめえ、くそザイ。俺は眠てえんじゃねえ。食いてえんだ! まずは飯だろ。食わせろ飯!
 ぶらぶらくっ付いてきたロジェどもは、例の空き卓にいそいそ座って、壁の品書きをがっついた顔で眺めている。ザイは無視して奥の階段をのぼっていく。ここ連日のすきっ腹は限界、不満と苛立ちは最高潮、当然、抗議をねじ込んだ。奴は澄まして横顔で言う。
「だって副長、一人で座ってられないでしょ?」
 ──だから! 俺は今、眠てえんじゃねえ。
「飯が食いてえんだっ!」
 隅の大部屋にぶちこまれた。
 い草の敷物の広い部屋、ハジのところと同じ作りだ。大勢泊まれて、雑魚寝ができる。
 ザイは窓辺でこっちを下ろして、ふとんの上に転がすと、さっさと引き戸まで引きあげる。廊下で足を止めて振り返り、ひょい、と顎を突き出した。
「女将に言って、飯、運んでもらいますよ。年上の女、副長好きでしょ? てえことで、俺はこれで。ごゆっくり」
 忌々しいへらへら笑いが引っこんで、ぱたり、と廊下への引き戸が閉まった。
 てんめえ、くそザイ。てめえが食いてえもんだから、厄介払いしやがったな? 手が空くのなんぞ待ってたら、いつになるか、わからねえじゃねえかよ!
 女将が膳を持ってきた。
 ザイが出てから、わりあいすぐに。なんだ、ずいぶん早ええじゃねえかよ……。
 まあまあ整った顔立ちの、三十路過ぎの飯屋の女将だ。店屋の女らしく笑顔でそつなく話しかけつつ、窓辺の寝床に歩いてくる。両手で運んでいるのは、湯気の立ったできたての膳。飯と漬け物、煮魚、吸い物──ああ、やっと飯が食える。
 体の方はかったるかったが、寝床に手をつき、身を起こした──いや、起きあがろうとした途端、ぐい、と肩を元の寝床に押し戻された。なんだ! 刺客か! 襲撃か! きかねえ手足で慌てて抗う。なんだコラ! やんのかコラ! ぶっ飛ばすぞコラ!
 女将が上から覗きこんだ。
「もう。頼むから、大人しくしておくれ。今、食べさせてやるからさ」
 おい、冗談じゃねえぞコラ。そんなみっともねえ真似、誰ができるか。てんめえババア、ナメてっと泣かすぞコラ! 口に匙が突っこまれた。
「咬みつかないどくれよ、恐いねえ。あんた、手がきかないんだろ?」
 ──て、
 熱っちーよっ!
 あわあわ躍り上がって、涙目で口をはふはふする。こんなババアに、まさか泣かされるとは思わなかった。ほてり、と女将が首を傾げた。
「あらやだ。まだ少し熱かったかしらね」
 やだ、じゃねえよ!
 少し、じゃねえよ!
 なんなら、てめえで食ってみろや!
 さすがにてめえでもそう思ったか、女将は器から一匙すくって、自分の口元に持っていく。
 口の中の熱源をようやくなんとか飲みくだし、はーはー息切れしながら肩を引いた。なんて適当で大雑把な女だ。ただでさえボロボロのザマだってのに、残りの体力、これで一気に使っちまったじゃねえかよ! てめえだけさっさと食いに行ったザイの薄情面を思い出し、拳固をぎりぎり握りしめた。あの野郎、なんで、こんな女をよこしやがる。
 女将は唇をとがらせて、ふうふう、匙を吹いている。て、何していやがる、この女。俺はてめえのガキじゃねえぞ。ちなみに持ってきたのは粥らしい。
 警戒して睨んでいたら、女将のうつむいた生え際に、白髪が二本、混じっているのに気がついた。こっちのひどい有り様を見ても、余計な詮索をするでもない。下らねえ世間話を始めるでもない。場末の女には珍しく、色目を使ってくるでもない。
 拍子抜けして気が抜けた。ほのかに立ちのぼる飯の匂い。寝床の横に座った膝。炊事の途中のしなやかな手。女がたてる静かな物音──。心が凪いで、安らいだ。丁度こんな年代だろうか。
 目を閉じれば、思い出す。忘れられた試しがねえ。頬にキスして出て行った、あの女の笑った顔を。薄絹の衣装をひるがえす、あの軽やかな足取りを。そうして二度と戻らなかった。どれほど、あいつを恨んだか。どれほど、あいつを憎んだか。それでも、知らぬ間にたぐり寄せてしまう。一つ毛布にくるまったあの肌のぬくもりを。あの女が生きていれば、こんなふうな感じだろうか。幼いあの日に置き去りにした、あの母親が生きていれば──
「さあ、どうぞ」
 にっこり、女将が振り向いた。ふと気づいて見返すと、小首を傾げて、匙を出す。
「ほら、どうしたい。口をお開けよ、色男」
「……う゛」
 畜生。なんでか、逆らえねえ。
 
 


 
 
 阿呆がまん丸の目で振り向いた。
 ぐっしょり濡れた前髪の先から、ぽろり、と汗の雫がしたたる。て、なんでそんなに汗かいてんだ。この昼日中の暑いさなかに、さっそく全力で遊んできたのか? 愉快な物でもあったかコラ。
 起きたばっかだってのに、しょうがねえな、この阿呆は。しかも、でっかいサンダルなんぞ、つっかけやがって。どこでガメてきたんだ、そんなもん。水虫がうつるぞ。
 ともあれ、ジジイ相手に何やってんだ。こんなガキのオモチャを買うのに、しつこく粘って値切ろうなんざ、情けなくって泣けてくる。こんな露店のジジイにだって、生活ってもんがあるんだぞコラ。
 面倒くせえから、代わりに払った。こっちの顔を見つければ、どうせ、どのみち、たかられる。
 阿呆は呆けた顔で突っ立っている。奇妙なことに言い返してこない。いつもだったら、一や十になって返ってくるのに。さては、徘徊したあげく、日射病でへばったか? そういや、顔じゅう真っ赤にして、頭をぐっしょり濡らしてやがるし。
 何か言った気がして振り向けば、阿呆は何故だかぐちゃぐちゃな顔だ。なんだ。どうした。百面相か?
 よくぞ、ここまで……と顔の崩壊に気をとられ、まじまじ細部を見ていると、阿呆は口をひん曲げて、何かを我慢している様子。なにベソかいてんだ。腹でも減ったか?
 すると、不様な顔を更にゆがめて、突進してきやがった。
 毎度のことながら、先が読めねえ。阿呆は両手で張りついて、えぐえぐ顔をこすりつけている。
「……お前」
 さすがに、これには面食らった。
 姑息な嘘泣きはよく見るが、こいつはマジ泣き、予期せぬ事態だ。
 そんなに腹へってんのか?
 不憫な奴だな。おう、わかるぜ。空きっ腹のひもじさはよ。
 つか、表に遊びに出るなら出るで、飯食ってから出かけろや。こんな往来の真ん中で、めそめそ情けねえ顔しやがって。て、お前なにげに鼻水こっちにくっけてんな? 
 上着から布きれを取りだして、顔をぐりぐり拭いてやった。ああ、まったく手のかかる!
 ともあれ、どっかの飯屋にぶち込むか。こっちは食ったばかりだが、あれっぱかしじゃ足りやしねえし、この阿呆をとっつかまえたら、どのみち食いに行こうと思っていたところだ。飯の度に阿呆が残しやがるから、今までの二倍は食ってるはずだが、備蓄されはしねえようで、食っても食っても腹が減る。この阿呆との格闘で無駄に体力使うから、全部消費されちまうらしい。ああ、飯屋に行くなら、あそこだな。あの路地裏の気楽亭。女将は筋金入りのお節介だが、飯の方はわりとイケるし、色目も使ってこねえから、飯に安心して集中できる。
 それにしても、「誰のせいだと思って」るって、俺がいなけりゃ飯も食えねえのかこの阿呆は。
 寝たら寝っぱなしで大騒動だが、起きたら起きたで、たちまち徘徊、挙句、腹減った! と泣きわめきやがる。
 まったく、こいつはしょうもねえ。
 
 
 
 

 お粗末さまでございました。  (*^o^*)
 
 
 
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