【 thanks-SS.18-130203 】 『ディール急襲』第U部 第5章 10話 「煩悶の果て 」 5 終了時
とある夏の昼下がり
昼下がりの異民街、うらぶれた館の日の当たる廊下を、メイド服姿のラナとリナは、両手の拳をぎゅっと握り、強ばった面持ちで闊歩していた。
母子の死亡事件から少し後のことである。ザイに北門通りから連れ出されたあの後、皆で飲食店に入ったが、当のザイが、ややあって店に入ってきた目つきの悪い男に何事か耳打ちされるやいなや、用ができたと席を立ち、それを見たオフィーリアも後を追って出ていってしまった。それでやむなく二人で昼食をつついていると、北門通りから引きあげてきたらしい同僚たちが店の窓辺を通りかかり、眉をひそめて、こう告げた。
あの後、ファレスが倒れたと。
二人は顔を見合わせて、あたふた席を立ちあがった。
そして、異民街の奥にある、このうらぶれた館に駆けつけたという次第だった。ちなみに、かつてジョエルを尾行して、館内に入り込んだ片割れのリナは、ファレスがここで寝泊りしていることを知っている。
合宿所のような趣の館は、相も変わらず鄙びていたが、今日はどことなく浮足立っていた。廊下をやれやれと引きあげてくる者、入れ違いに駆けこんでくる者、廊下の隅でたむろして、すぐにせわしなく歩いていく者──彼らの身形はいずれも街着で、その風貌や雰囲気がファレスやジョエルとは異なっている。彼らは気忙しげに出入りしていて、制服姿の二人連れを見ては怪訝そうな顔をするものの、これといって声をかけてくるでもない。
勝手知ったる二度目のリナは、片割れラナを従えて、角を曲がり、廊下を進んだ。そして、誰に制止されるでもなく、見覚えのある扉の前にたどり着いた。
走り通しの息を整え、取っ手を握り、扉をひらく。
「……あァ? なんだ、てめえは」
窓辺の寝台で寝ていたファレスが、顔をしかめて身を起こした。上半身裸の腹に、白い包帯が巻かれている。
思わぬ半裸にぎょっと顔を引きつらせ、ぱっとラナが目をそらす。
「ふくちょうっ!?」
一瞬戸口に突っ立ったリナが、その目をみるみる丸くして、わたわたファレスに駆け寄った。
「ふっ、ふくちょう! ふくちょうっ! だいじょうぶっ?」
「……あ?」
きょとん、とファレスは見返した。眉をひそめて、ぎろり、とすごむ。
「おいコラおかちめんこ。ひとのこと副長とか気軽に呼んでんじゃねえぞコラ」
ぴた、とリナが駆け寄りかけた足を止めた。憮然と両手を腰に置く。
「自分だって、おかちめんことか、ひとのこと言ってんじゃないわよ! つか、だったら、なんて呼べばいいわけえ? 女男とか?」
「そいつは駄目だ」
うんにゃ、とファレスは首を振る。若干口を尖らせているので、どうやら、なんかムカついたらしい。
顎下で手を握って困ったように立っていたラナが、おどおど室内に進み出た。「あの、それなら、ファレスさん、の方がいいですか?」
「気安く名前で呼ぶんじゃねえ」
ああ、おめえもいたか泣き虫女、とファレスはラナに目を向けて、やっぱり首を横に振る。今度は親しげなタメ口が、どうやら沽券に関わるらしい。
「あの、それなら、なんて呼べば……」
困惑気味に返されて、む? とファレスは口をつぐんだ。
しばし、天井を睨んで考える。そして、
「……。副長だ」
昼下がりの一室に、さわりと吹き往く白けた間。
ファレスが舌打ちして目を向けた。「まあ、そんなこたァどうでもいい。おい、てめえら。緊急事態だ」
ちょっと来い、と手招きし、ぴら、と腹の上掛けをめくった。己の下腹に指をさす。
「さすれ」
「──はああ!? なあに普通に言ってんのよ!」
ごん、と後ろ頭をぶん殴るリナ。
新たな患部を片手で押さえ、ファレスが顔を振りあげた。「ぁにすんだコラ!?」
「下心があるでしょ! このすけべっ!」
「ちったァあるが、それだけじゃねえ!」
うむ、ときっぱり言い返す。
「なあに偉そうに認めてんのっ!」
「……腹が痛くて、たまんねんだよっ!」
ぎゅうぎゅうリナに口を横に引っぱられ、口をあがあがしながらも、素直に応える副長ファレス。彼は泣く子も黙る副長のはずだが、何やらのびのびリラックス。むしろ、はなはだゆるみ過ぎ。
「どーにかしろよ! どーにかよっ!」
ちなみに、全部己のせいなんであるが。
目のやり場に困ったふうに戸惑いがちに視線をめぐらせ、ラナがおずおず進み出た。寝台の横に膝をつき、ファレスの腹にそっと手を置く。
「こ、こうですか……?」
そろりそろり、とさすってもらい、ファレスは左上方に視線をやった。
しばし、そうして吟味して、やれやれと首を振る。
「全然だめだな」
すっくとラナが両手を握って立ちあがった。口はへの字で、うるうる涙目。
じっとり腕組みで見ていたリナが、舌打ちしながら歩み寄った「たく。しょうがないわねえ。あたしがやったげるわよ」
場所をあけたラナと入れ替わり、寝台の横に膝をつく。
ちらちらファレスを上目使いで盗み見ながら、包帯の腹をすりすりさする。「……ど、どお? こんな感じでっ」
ファレスがおもむろに目をやった。そして、大きく嘆息し、
「へたくそ」
「──はああっ? なあんですってえっ!」
まなじり吊りあげ、すっくとリナも立ちあがる。今にもぶん殴りそうな勢いで。
「絶対安静と言ったはずですがね」
開け放ったままの戸口の向こうで、呆れ果てた声がした。
一同、怪訝に振りかえる。
二十歳を少し越したくらいの、青年がそこに立っていた。少年と見紛うほどに線が細い。とはいえ、性別の見当がどうにかつくのは、今呼びかけた声からだ。
そうしたことにはまるで無関心のファレスのかたわら、双子は美麗さに目を奪われ、ぽかんと口をあけて立ち尽くしている。
彼のさらりとした直毛が、しなやかな肩まで伸びていた。白い額に整った目鼻立ち。一同を見据える涼やかな瞳──
はっ、とラナが我にかえり、あたふたしながら頭を下げた。
「は、初めましてっ! 無断で入り込んで申し訳ありません。あの、お邪魔しています!」
クロウは「──はあ」と気のない素振りで振りかえり、やれやれと足を踏みこんだ。
冷ややかなまなざしで、ファレスを見やる。「まったく。あなたは何をしているんです。真っ当なお嬢さん方を連れこんで」
面倒事はご免ですよ、と既に迷惑げな視線で釘を刺す。
ひょいひょいファレスは手招きした。「おう、クロウ。いいところに来た。こいつら、ちっとも使えなくてよ〜」
きいっと詰め寄ったリナを無視して、笑顔で己の下腹をさす。
「さすってくれ」
「いくら出します?」
間髪容れずに訊き返し、ずい、とクロウは顎を出す。
う゛──っと一同、えげつない要求にひるむ中、ファレスはたじろぎつつも抗議した。
「治すのがてめえの仕事だろうが!」
じろり、とクロウが一瞥をくれた。しなやかな腕をおもむろに組む。
「あなたの怪我は処置済みです。それ以上をお望みならば、上乗せするのは当然でしょう」
整った顔でにんまり笑う。破産するまで、ふんだくられそうな勢いだ。
呆気にとられた一同の顔を、クロウは端から見渡して、寝台のファレスに目を戻す。
「何がそんなに気に入らないんです。誰がさすろうが同じでしょうに」
「──いや、なんかこう」
ファレスがもそもそ首をひねった。「ちっげーんだよな、アレのやつとは──なんつーんだろうな、あいつ、がんばってんのかな」
「「「 何を、どう? 」」」
声をそろえて突っこむ一同。
それはそうと、とファレスが双子に目を向けた。
「おう、お前ら、外に出ろ」
「……副長。相手は堅気のお嬢さんですよ」
今注意したばかりでしょうに、とクロウはげんなり首を振る。
ファレスは構わず、顔をしかめて身をよじり、背もたれにかけてあった、分厚い革の上着をつかんだ。「気軽にこんな所きてんじゃねえぞコラ。早く帰れ。通りまで送る」
「まだ無理に決まってるでしょう」
クロウは呆れた顔で却下する。少し前に運び込まれて、目を覚ましたばかりなのだ。
ファレスはじれったげに舌打ちし、部屋の戸口を顎でさした。「だったら、お前が行ってこい」
「私には、することがあります」
「なんだよ、することってのは」
「決まってるでしょう。あなたの監視ですよ」
ずい、と腕組みを、クロウは突き出す。逃がしませんよ、という顔で。
あからさまな阻止に一瞬ひるみ、ファレスは顎で戸口をさした。「だったら、誰かに送らせろ。おう、誰か呼んでこい」
「誰かって誰です?」
「──だから! 誰かいんだろハゲとかよ!」
「誰もいませんよ。出払ってます」
クロウはあっさり、つれない返答。
ファレスは忌々しげに舌打ちした。「たく! 連中がこいつら見つけてみろ。たちまち食われるに決まってるだろうがよ」
「そうですか?」
「食うだろうが普通はよ!」
「私はさして興味ありませんが」
「てめえはいっぺん、どっかの医者に見てもらえ」
「いずれにせよ」
ぷい、とクロウが横を向いた。
「部屋から出ることは許しません」
「てんめえ、クロウ。いつから、そんなに偉くなった!」
「あなたの傷を診た時からです」
ぴしゃりと言下に突っぱねられ、ファレスはぎりぎり睨めつける。びしっと双子を指さした。
「だったら、どうすんだ! こいつらはよ!」
「怪我人は大人しくしていなさい!」
ファレスの癇癪と同じ音量で一喝し、ちら、とクロウは目を向けた。
「なんです急に。聞き分けのない。普段のあなたなら、女がどうなろうが見向きもしないくせに」
ファレスは苛々と舌打ちした。「そういうわけにはいかねえだろうが。──こいつらはアレのダチだからよ。こいつらに何かあったら──」
「あの人に顔向けできませんか?」
言葉の先を疑問形で続け、クロウはやれやれと腕を組んだ。
「素直に言ったら、どうなんです。あの人が怒るのが嫌なんでしょう?」
「てめえは本当に底意地が悪りィなっ!」
拳固をぷるぷる、ファレスはがなる。(こいつのやり口、タヌキと似てんな?)と不思議そうに首をかしげて、腹立たしげに舌打ちした。
「たく! なんで誰もいねえんだ! 当番が居残る決まりだろうがよ。なんかあったら、どうすんだ。いや──」
ふと口をつぐみ、目をすがめて聞き耳を立てた。
瀬踏みするように、クロウを見る。
「そういや、ばかに騒がしいな」
クロウはそっけなく目をそらした。
「そうですか?」
「何があった」
間髪容れずに詰問し、ファレスは鋭く凝視する。
「ばっくれてんじゃねえぞコラ。こんなに中が騒がしいのに、出払ってるってのは、どういうことだ。クロウてめえ、俺に何か隠してんだろ」
クロウがわずか柳眉をひそめた。
だが、それは一瞬のことで、くるり、とファレスを振り向いた。
「何をですか?」
「──だから! そいつをてめえに訊いてんだよっ!」
しれっとしたクロウの態度に、ついにファレスがぶち切れた。
がなり立てる患者の顔を、クロウはちらと盗み見る。負傷の程度と彼の日頃の素行に鑑み、クロウはファレスに例の件は伏せていた。こと彼女のこととなると、ファレスは強引で性急だ。危篤の知らせを聞いたが最後、暴れ出すに違いない。そうなれば、誰にも止められない。いかにも彼の肉体は常軌を逸して強靭だが──あれほどの重体でありながら、けろっと街に散歩に出かけ、案の定、運び込まれてきたわけなのだが、そんな無謀を再三許せば、いずれは生死に関わりかねない。そもそも、治療の二度手間など、クロウとしては真っ平ご免だ。よって、賓客の実情がファレスの耳に入らぬようにと、特務の伝令を辛くも遠ざけ、面会謝絶の札をかけ、念には念を入れて人払いをした。
というのに、目覚めたばかりのこの男は、異変を感じとったらしいのだ。
内心舌を巻いた胸倉を、ファレスが片手でつかみあげた。
「とっとと吐け。隠し立てすると、ためにならねえぞコラ!」
顔を間近に近づけ、すごむ。
クロウは目をそらして嘆息した。こうなってはお手あげだった。細身のファレスは優美に見えるが、その実、腕っぷしはすこぶる強い。その筋ではウェルギリウスと呼ばれ、恐れられる猛者なのだ。彼が本気で締めにかかれば、戦地で鳴らした大の男も、たちどころに気絶する。
ぎりぎりと吊るし上げられ、クロウは息苦しさに顔をしかめた。
「……仕方がありませんね」
その顔をねめつけながら、ファレスが手を突き放した。
クロウは眉をひそめて首元をさすり、やれやれと嘆息した。「本当に、あなたは勘が鋭い」
乱れた衣服を軽く直して、その手をおもむろに懐に入れる。
「あなたに隠し事はできませんね」
すっと、手をさしだした。
ほっそりとした指の先に、手の平ほどの紙袋。
あ? とファレスはまたたいて、クロウの顔を見返した。「なんだよ、こいつは」
「副長がお好きだと聞いたので」
はたと、含みに気がついて、はっしとファレスが袋を奪った。
一も二もなく顔を突っこむ。
ぱっと笑顔を振りあげた。
「おお。悪りィな、気ぃつかわせてよっ!」
良い子の態度で礼を言い、袋をいそいそ覗きこむ。もう見るからに気もそぞろ。
すっかり気がそれたようだ。
袋の中には、きらきら光る赤い宝石。
いつの間にやら押しやられていたリナとラナは、呆気にとられて固まっていた。突如繰り広げられた応酬を、右に左に顔を動かし、唖然と交互に二人を見──
はた、とリナが我に返った。つつ、とファレスに近づいで、けげんそうに袋をつまむ。「……なによお、これは」
「くんなっ!」
ばっ、とファレスが即座に袋を奪い返した。
「てめえには、もう、やらねえからなっ!」
両腕で袋を覆い隠して、フーフー、リナを威嚇している。どうも取られると思ったらしい。事実リナには、彼のチェリートマトを平らげたという、部下が聞いたら裸足で逃げ出しそうな恐るべき前科がある。
がるがるファレスは威嚇する。
「おい、てめえ、おかちめんこ! その線からこっち入ってくんじゃねえぞコラ!」
「はああ!? なによそれえっ! あんた一体、どこの子供よっ!」
「くんじゃねえっつってんだろコラ!」
「ちょっとお! それがお見舞いに来てくれた人に対する態度なわけえっ!」
いっこくらい寄越しなさいよっ! とリナが袋に手を伸ばす。ファレスはあわててかかえ直して辛くも阻止。
ぎゃんぎゃんけたたましい攻防から、クロウはさりげなく避難した。そっとその場を離れつつ、白い紙袋を両手でかかえ、ガンくれて死守するファレスの顔を、くわばらくわばらと盗み見る。
(……副長が単細胞で助かった)
まさか、こんなに幼稚とは思わなかった……と、ウェルギリウスと恐れられる、かの男の顔をまじまじと眺める。
その口元が不敵にゆがんだ。不穏に笑って、クロウは決意も新たに腕を組む。
(絶対に行かせませんよ?)
リナのとがり声と、ファレスのがなり声が、午後の天井に響いていた。ラナが引きつり笑顔でなだめるも、両者ともに一歩も譲らず、一袋二百カレントのチェリートマトをにらんで、つかみかからんばかりの勢いだ。いや、実際につかみ合いになっている。
夏日にひなびた館内で、いじましい攻防が続いていた。クロウはがなる横顔を横目で見やり、この患者を手始めに──
ふん縛っておこう、と密かに思った。
お粗末さまでございました。 (*^o^*)
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