☆ CROSS ROAD 《 月読 》の記憶 04/10

☆CROSS ROAD 月読の記憶 04





【4】 紅 竜  


 黒光りする大きな鳥が、地面をくちばしで掘り返していた。
 湿り気のある黒土の上に、興味を引くものがあるらしい。鳥は何かをつっついては、足の爪で蹴転がしている。黒い首を左右に振る都度、キィーキィー鳴き声が漏れてくる。鳥の鉤爪から覗いているのは、もぞもぞ動く赤い生き物。
「こら! 悪い子ね。弱い者いじめしないの!」
 ひょい、と鳥が振り向いた。
 大きな黒翼をバサバサ広げ、高い曇り空へと飛び立っていく。
 それでも名残惜しいのか、空の高みを旋回している。だが、やがて進路を北にとり、ツイ、とそっけなく飛び去った。
 どこかの枝で、鳥があわただしく羽ばたいた。
 何かの甲高い鳴き声が、高木の森にこだまする。元の通りに森閑とした森の中──
 
「……た、助かった」
 
 ん? 誰か、何か言った?
 周りを見たが、誰もいない。いないはずだ。
 ここは樹海のまっただ中。深い森の泉のほとりだ。人家はおろか人影さえも見当たらない。
 この辺りにあるものといえば、森のひんやりした静けさと、深緑の梢を写した泉の静謐な鏡面と、草木あふれる森林の風景。他にここにあるものといえば、泉の真ん中に居座った大人の背丈ほどもある巨大な岩くらいのものだろう。
 そう、この辺りのことは、よく知っている。それというのも、森から抜け出すことがどうしてもできず、長いこと歩き回っているからだ。
 森にすっかり囚われていた。そう、森が、、外に出してくれないのだ。
 それにしても今の声、何故か足元から聞こえたような──?
 木々を見渡す視線を下ろし、自分の足元を見てみれば、赤い鱗がもぞもぞ動いた。
 鳥に突かれていた生き物だった。つい、とそれが顔をあげた。
 
「せ、世話になったな。礼を言うぞ」
 
「──喋った!?」
 思わず見かえし、絶句した。
「い、今の、あなたが喋ったの?」
 いかにも声は、赤い生き物のものだった。それは、短い足で体を支え、二本足で立っている。
 その全身は、色鮮やかな赤い鱗で覆われていた。いや、全身ではない、お腹は白くて尻尾がある。立ち上がった小さな爪が、森の湿った黒土に食い込んでいる。
 小さな赤い生き物が、赤鱗の片手を上げて、腹を突き出し、そっくり返っていた。クリクリとうるんだ瞳で、小首を傾げてこちらを見ている。その仕草自体は可愛らしいと言えないこともないけれど、「可愛らしい」という形容を、目の前のこれに当てはめて良いかどうかは疑わしい。だって、あまりに非常識な光景だ。
「……わたし、夢でも見ているのかしら。赤いトカゲが後ろ足で立って、しかも喋っているなんて。でも、トカゲにしては、お腹まわりがちょっぴり太め──」
「失敬な! わしは竜じゃ! 姿を見れば、わかるであろう!」
「……リュウ? こんなにちっちゃいのに?」
 手の平にのる大きさだ。
 だが、どうしても「竜」だと言い張るので、それについて考えてみる。
「──またまたあ!」
 思わず吹き出し、笑いこけた。「人語を解する生き物」と思えば空恐ろしいが、これを恐いと思うには、あまりに小さく、可愛らしい。
 転んだ拍子に付いてしまった手の泥を、泉で洗い落としながら、訊いてあげる。
「まだ赤ちゃんなの?」
「──本当に失敬だな、小娘! 世が世なら、すぐに喰ろうてやるものを!」
 尊大な口調で “竜” は言う。
 どうやら、怒ったようだった。“竜” は見るからにプリプリしてる。短い腕をお腹で交差してるのは、たぶん腕組みのつもりでいるのだ。仕草がなんだか人間っぽい。
「でも、食べるって言っても、入らないよね、そのちっちゃいお口じゃ」
 どれほどがんばって口を開けても、指に咬みつくくらいが関の山だ。
 “竜” は、とんがった口を愕然とつぐんだ。
 おろおろ我が身を振りかえっている。今更、動揺したらしい。今しがた鳥に食べられそうになっていたのに、もう忘れていたらしい。
 こほん、と“竜” は咳払いをした。仕切り直すように向きなおる。
「そうまで言うなら、証拠を見せてやろう」
「証拠って?」
「お前の望みを叶えてやろう。なんなりと申し出るが良いぞ」
 寸胴な腰に両手を当てて、ふんぞり返って生意気を言う。
「いいよ、無理しなくても」
「……え?」
「だって、どう見てもトカゲだし」
 そう、手の平にのるほど、小さく、か弱い生き物だ。
「──ば、ばかにするでない! わしは竜じゃと言うておろうが!」
「じゃあ、お口から火を吹いてみて?」
「お安い御用じゃ」
 “竜”はおもむろにうなずいて、カッと赤い口をひらいた。
 ぽっ、とそこに炎がともる。
「火!?」
「どうじゃ! 小娘!」
 “竜”は得意満面──のつもりなんだろう、きっと。白いお腹を突き出して、引っくりかえりそうなほど、そっくり返っている。
 思わず、口がすべってしまった。
「でも、ちっちゃいね」
「──む!?」
 “竜”はあちこち振り向いて、ポッポと炎を吹きまくっている。どれもマッチの火くらいの大きさだが。
 しばらくすると、“竜”はぜえぜえ肩を落とした。疲れてしまったのか、燃料が切れたのか、小さくか弱い見かけの通りに、体力は大してないらしい。
 “竜”がじたばた、短い足を踏み鳴らした。
「──民草風情がいい気になりおって! よいか小娘。心して聞け。目に見えるものだけが真実にあらず。小なる者は小さくない。大なる者は大きくない。目に見えるものはことごとく、その者の影にして、実体にあらず。真実は常に、我がかたわらに在り!」
 キィーキィーわめいて怒っている。
 いじめるつもりはなかったが、矜持をくじいてしまったらしい。憤慨している“竜” の前に、膝をかかえて、しゃがみこんだ。“竜” の怒りをなだめるべく、目一杯にそり返った赤い鱗に手を伸ばす。
「よく聞け、小娘。わしを、ゆめ侮るでないぞ。我こそは、長らく国主《荒王》を支え、荒ぶる荒炎の世を統べるべく──ん?」
 黒くうるんだ“竜” の瞳が、ぱちくり、一度またたいた。
 指が触れたその場所から、真っ白な放流がほとばしった。

( 『 逃げてきた娘 』 ・CROSS ROAD本編 より )






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