☆ CROSS ROAD 月読の記憶 03
【3】 逃 亡
暗い森を駆けていた。
黒い髪のあの子と二人、緊張に強ばった面持ちで、小さな手を固くつないで。
怯えた手が震えていた。
前を行くゼルガディスが、怖い顔で 「早く──!」 と急かす。
湿った草が鳴っていた。
息があがり、熱かった。
隣には、せわしない息遣い、泣きだしそうなあの子の顔。その輪郭の向こうには、夜空の下の炎上する森。
月読は、助かるまい。
赤の遊鳥の出現すなわち、 " これ " が最期の時との知らせ。
あれは「最期に出逢う者」、 常に「命数を断ち切る者」だ。
あの者の到来を、母は予期し、覚悟していた。自らの幕がおりる時を。我ら二人がここにこうして「在る」ことが、その何よりの確かな証。
この国では、子は二人に分かたれて生まれる。その役割は「本体」と「影」。
従たる影は、本体が潰えし場合の控え。庇護のないこの地での、根源の断絶に備えた措置だ。
いや、存外この分裂は、この強大な天分を削ぐべく、この地が用意した呪いかもしれぬ。
だが、世界は「影」を保護しない。
影は "打ち捨てられる者" 本体の核が潰えぬ限り、見捨てられると定められし者。
月読は、最期の時に子を残す。
肉体が滅び、土くれへと還る前、命数が尽きるその周期は六十年が通例だ。だが、月読も生身ゆえ、常にそうあるとは限らない。
滅びは、突如、到来する。
自覚、気構え、いずれの有無をも問われない。
繁殖期に入った「月読」は、終焉の香気で異性をいざなう。そして、押し寄せた者たちを、ことごとくその支配下に置く。招集された者たちに、それに抗う術はない。そもそも、その存在は、異性を魅了するに十分な、その用途に適した姿形を備えている。
月読は、それらを相手に夜ごと目合い、自らの核を子に残す。その強力で理不尽な呪縛から自由でいることができるのは、世話役の用途で創られた《 翅鳥
》と《 迦楼羅 》くらいのものだ。
そして、ひと度子が成れば、招集者は解放され、あたかも憑き物が落ちたように、元の平穏へ戻っていく。
猛威をふるった狂乱の宴も、不意にその終宴を迎え、平穏で満ち足りた結実期に入る。
そして、出産を終え役目を終えた月読は、ゆるやかな斜陽期を経、大地の土へと還っていく。それは幾代も幾年も「人」がくり返した営みだ。
それは次代を紡ぐため。
血脈を継ぐべき己が器を残すため。
それが国主の対として生を享けた月読の、未来永劫変わらぬ役儀。大地に群れ咲く民草よりも、はるかに長い命数を持ち、長らく天地を治める国主の、常にかたわらに在るための。
世界が白一色に染まった。
目もくらむような圧倒的な純白。肩に叩き落される光の滝。ほとばしる白の飛沫。
光が全身を焼いていた。
霧散する視界の中央で、あの子が泣き顔で手を伸ばす。
天は、わたしを選んだようだ。
( 『 邂逅 〜始まりの地〜 』 より )
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