■ CROSS ROAD ディール急襲 第１部 １章３
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華美な客室中央で、傷一つない飴色の卓をさし挟んで座っていた。
エレーンはぶちぶち背後を見る。そこには、危ういところで難を逃れ、胸なで下ろした老執事。
（もー。なんで、あたしがこんなことをー！）
向かいには、眼窩の落ち窪んだ痩せぎすの中年男が、背筋を伸ばして着席している。
ディールからの正式な使者だ。その紛うことなき当人を、あろうことか元気ハツラツぶっ飛ばしてしまったからには、引くに引けない崖っぷちである。
「さて、早速でございますが」
使者は口上を述べ終わり、早々に用件を切り出した。
「主より預かりました書状にございます。ご領主様ご不在の由、先ほど確かに承りましたが、なにぶん急を要します故、代わってお受け取り願いたく」
「いいえ。受け取れませんわ」
つん、とエレーンは横を向いた。
使者は面食らったように動きを止めて、怪訝そうに見返した。「受け取れない？──失礼ながら、何を仰っているのか、お分かりか」
「わたくしは当主ではございませんもの。そんな権限、どっこにもございませんことよ？」
頬に手の甲押しあてて、エレーンは、ほほ、とお愛想笑い。相手は故郷を攻めたディールの使者だ。歓迎など、できるはずがない。
しばし、使者は唖然とながめ、さし出した書状を拾いあげた。
「そうですか。ならば、仕方がございませんな」
落ち窪んだ眼窩を無表情に向ける。
「それではまことに残念ですが、私は自国へ立ち戻り、助力は得られなかった旨、報告させて頂きます。つまり、クレストは我々を、敵に回すと仰るのですね」
ぎくり、とエレーンは腰を浮かした。「──それは！」
「現状での早馬が援軍の要請であることは、いくら世事に疎いといえども、お分かりになっているでしょう。それを書状さえ受け取らぬなら、弓引く意志は歴然です」
淡々と、使者は続けた。結論を出される前に、よくよくお考え頂きたい。我々を敵に回して宜しいのですかね。奥方様の大切な領土が、明日にも消えてなくなるやも知れませんぞ──
急展開にエレーンは戸惑い、壁際の老執事を盗み見た。首を微かに振っている。
小さくそれにうなずき返して、エレーンは顔を振りあげた。
「お引き取りを」
「……ほう」
使者は怪訝そうにすがめ見た。
「では、やはり、お心は変わらぬと？ クレストは我々に敵対すると、こう受けとって宜しいのですな」
「いいえ？ かようなことは申しておりませんわ」
エレーンは微笑み、ゆったりと見据えた。
「このような大事な書状を、私などが受け取るわけには参りませんもの。当家の意向をと仰るのなら、尚のこと主が戻り次第、出直して頂くのが筋というものではございませんこと？」
「ですから、急を要すると」
「そちら様のご都合でございましょう？ 私などに仰られても」
使者は口をつぐんで眉をひそめた。
エレーンは密かにほくそ笑む。こうは見えても元庶民。多くの他人に揉まれつつ世の荒波を渡ってきたのだ。口先で相手をやり込める事にかけては、ちょっとばかり自信がある。
客間の高い天井に、しん、と静けさが張りついた。
壁一面の大窓から、夏日が白々とさしている。床に黒く窓枠の影。
「──頑固なお方でいらっしゃる」
使者が苦笑いで表情を崩した。
「ならば、こちらも少しばかり、事情を明かすとしましょうかな。ああ、いえ、ここから先は、ありふれた世間話とお聞き流し下さって結構。いやなに、ちょっと耳に挟んだ他愛のない話なのですがね」
仕切り直すように前置きし、使者は礼装の肘をつく。
「実は先日、当方の兵が、ある者を捕らえて参りましてな。それがこちらのご当主様に、とてもよく似た風貌とのこと」
「──主人が！」
鋭くエレーンは息を飲んだ。
使者はやんわりと苦笑いする。「いえいえ、かようなことは申しておりませんよ」
だが、射抜くような視線は逸らさぬままだ。
わなわな唇が震え出す。エレーンは絶句で目をみはった。ここ数日の出来事が、脳裏を目まぐるしく駆け回る。ずっと行方が知れないダドリー、見計らったように現れた使者、身柄の拘束をちらつかせる含み。目の前の使者を凝視した。ならば、今の「よく似た者」というのは──
使者は反応を楽しむように目を細め、骨張った指をゆっくりと組んだ。
「恐らく、これは人違い、さもなくば誤報の類でございましょうか。しかし、こうしたことは念のため、お耳に入れてさしあげた方が、と思案しました次第でしてな。いや、まさか、かような北方のご当主が、遠い南のトラビアに、今時分、おられようはずも──」
「た、ただで済むと思ってんのっ！ 領主を人質にとるだなんて！」
相手の言葉を遮って、エレーンは憤然と乗り出した。
「はて、なんのことでございましょうか。ご非難の意味合いが分かりかねますが」
「だ、だって！ 今あんた、ダドリーを！」
「ですから、申し上げておりますでしょう。よく似た者と」
エレーンはへなへな、浮いた尻を座面におろす。
卓で握った手が震えた。一体、何が起きているのだ？ こんなことが罷り通るものなのか？ 他領の主を拘束するなど。
だが、使者の口から出てきた言葉は、紛れもない脅迫だった。ディールへの隷属を拒むのならば、領主の命の保証はない、そう今も脅されている。
領民の命と、ダドリーの命、その二者択一を迫られていた。
そして、どちらか一方を選ぶこと即ち、残る一方をさし出すこと──。
のろのろ卓から手を下ろし、エレーンは奥歯を食いしばる。「──一体、あたしに、どうしろと」
「おや、急に聞き分けが良くなられましたな。初めから素直に聞いておけば宜しいものを」
使者は哀れむように小さく嘲笑い、先の書状をさし出した。
「奥方様には、援軍をご検討頂きたい。ご当主様は、しばらくご不在のご様子ですからな」
交渉の続く卓の下、エレーンは強く拳を握る。クレスト領家の命運が、思わぬ転落を始めていた。だが、食い止めようにも術がない。
向かいの使者が、何事か打ち明けるように乗り出した。
「我々は兵が欲しいのです。それも、ちっぽけな農民の寄せ集めなどではない。戦地シャンバールでも通用する、遊民どもの戦力が」
「……ゆうみん、の？」
思わぬ名称に面食らい、エレーンは怪訝に向かいを見る。
「ええ、遊民の」
その名を口にするのも汚らわしいとでもいうように、使者は苦々しく顔をしかめ、その口元をハンカチで押さえた。
「クレストには無論、民兵もご提供頂く。奥方様もご存知でしょうが、我々は今、商都に軍を留めております。だが、この状態が長引けば、国境の守備に支障をきたす。よって、今我々には、一人でも多くの兵が必要なのですよ」
ディールの領土トラビアは、隣国と境を接しているため、国境防衛の任がある。
「しかし、本日こうして伺ったのは、何もそれだけが理由ではない」
使者は蔑むように目を向けた。
「我々はそろそろ決着をつけようと思うのですよ。如何なしぶといラトキエといえども、賤民どもに攻められては、陥落せずにはおれますまい。もっとも、ならず者の集団に伝などというものが、あろうはずもない。あろうはずもないのだが、しかし、ここクレストならば、そうした事情も別物のはず」
一段と声を低くして、耳打ちするように顔を寄せた。
「おありになるのでしょう？ 特別な伝が。奥方様におかれましては、是非ともそちらの方面で、ご尽力を賜りたい」
エレーンは戸惑い、視線をさまよわせた。話がさっぱり飲みこめない。
使者の言う「遊民」というのは、どさ回りの旅芸人を指す蔑称だ。彼らはどこの国籍も持っていない、いわゆる混血児の集団で、歌や軽業等を披露しながら、幌馬車一つで各地を転々と放浪する。歌い、踊り、道化を演じる芸事畑の旅芸人を、なぜ、戦になど駆り出そうとするのか。まさか、兵の慰労のためでもあるまいに。
「……なぜ、私などに手配できると思うのです？ 何か勘違いをされているのでは」
"混血"は忌み嫌われる風潮があるため、彼ら「遊民」は一段低く見られがちだ。彼らの方でも舞台を降りれば、群れの中に引きこもり、部外者を決して近付けない。そんな排他的な存在に、特別な伝など、あろうはずがないのだ。
使者は哀れむように失笑した。
「おやおや、何も知らされてはいないらしい。賤民どもとクレストの親密なる関係を」
「でも、そんな話、あたし、一度も聞いたことは」
「遊民どもにお会いになれば、それはすぐにも、お分かりになること。クレストの頼みとあらば、連中も嫌とは言いますまい。ともあれ」
慇懃に言い捨て、ディールの使者は改めて見据える。
「本来ならば一刻の猶予もないところですが、急な話で驚かれたことでしょう。奥方様におかれましては、よくよくご検討頂いて、返事については明日にでも、改めて伺うことと致しますかな」
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