CROSS ROAD ディール急襲 第1部 2章1話3
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「丁重にお断りしたはずだがな。俺たちは力になれないと」
 統領代理デジデリオは、辟易とした顔で溜息をついた。
「俺たちはしょせん、よそ者だ。誰が土地を治めようが、俺たちには関係ないね」
 交渉は難航した。
 亭主セヴィランが働きかけてくれたのだが、統領代理は頑として、やはり首を縦には振らない。
 部屋には円卓と椅子が乱雑に置かれ、すさんだ風体の男たちがくつろいだ様子でたむろしている。三十人もいるだろうか。ある者は土足を卓に投げ、ある者は椅子にもたれて腕をかけ、ある者は隣と雑談している。
 長髪に案内されたのは、あの小奇麗な応接室ではなく、紫煙がうっすら立ちこめる大勢が詰めた部屋だった。その誰もが目をすがめ、冷やかしの視線を向けている。漫然と立ちこめる無関心なざわめき。馴染みのない、ざらついた物々しさ。
 エレーンは臆し、戸惑った。彼らは一体何者だろう。遊民たちの天幕群の敷地内にいるというなら、彼らも「遊民」なのだろうか。だが、世に言ういわゆる「遊民」とは、彼らの様子は大きく異なる。
「遊民」とは一般に、どこの国にも属さない混血児の集団で、各地を興行しながら流浪する「旅芸人」を指す蔑称だ。だが、物々しくたむろす一団は、旅芸人には到底見えない。
 男たちは一様に、暗い色の綿シャツに、迷彩柄の長ズボン、分厚い革の上着を携えている。床に投げた足元は、悪路を進むような編み上げの靴。まるで、どこかの軍隊のようだ。
 彼らの身なりは、統領代理に面会した時、同室していた護衛と同じ。だが、この全員が護衛というには、たった一人に数十人とは、あまりに人数が多すぎる。警備がいささか大げさだ。そう、この光景はどこか奇妙だ。あたかもディールの侵攻に、予め備えていたような──?
 まさか、とエレーンは首を振る。そんなことが、あるはずはない。こたびの他領の侵攻は、あの使者を斥けた自分の一言で決したのだ。
 窓の外では、いわゆる「遊民」の天幕群が、気だるく西日を浴びていた。
 長髪をくくった道化師だの、薄絹の衣装の踊り子だの、看板や太鼓を運搬する軽い風体の若者だのと、いかにもそれらしい「遊民」たちが、日々に倦んだような無表情で、そこかしこにたむろしている。この建物の中だけが異質だった。建物の内と外では、異なる空気が流れている。
 森の底を這う白霧のように、ざわめきが低く煙っていた。大勢が一室に詰めた様は、さながら実戦部隊の待機所といった趣きだ。
 案内してきた長髪は、窓辺でたむろしていた一団にまじった。陽のあたる窓辺のためか、目を引くたくましい蓬髪の男が一人まじっているからか、そこだけ他から浮いて見える。
 亭主の説得は続いている。
 だが、旗色は依然として思わしくない。
 エレーンはじりじり唇をかむ。たまらず彼らに語りかけるが、男たちは足を投げ、白けた顔で見ているだけだ。心は少しも動かない。話がまとまる兆しはない。軍は刻々と近づいてくる──
 焦燥に駆られて考えを巡らせ、ふと、エレーンは顔をあげた。
「ねえ、聞いたわ。ここが──このノースカレリアが、あなた達の故郷だって!」
 室内のざわめきが、ぴたりとやんだ。
 部屋が、唐突に静まりかえる。馬鹿笑いしていた男たちが、眉をひそめて振り向いた。亭主が驚いた顔で目を向ける。「お、おい! あんた、その話は──!」
「だったら土地の人も同然じゃない。ね、みんな。そうでしょう」
 エレーンは強引に言い切った。
 壁で聞いていたどくろ亭の女将が、たまりかねたように亭主を見た。亭主は唖然と口を開け、眉をひそめて困惑顔だ。
 部屋は不気味に静まりかえり、全員が動きを止めていた。漫然としたざわめきは払拭され、空気がピンと張りつめている。
 エレーンは思わぬ反応に面食らった。皆から注視されている。雲行きが何か奇妙だった。だが、やっと食らいついた感触がある。
 ためらいを振り切り、畳みかけた。
「同じ故郷を持つ仲間じゃない! だったら、力を貸してくれても──」
「──仲間! 仲間、ね」
 茶化すような声が、おどけたように返った。中央に陣取った中年の男だ。
「いいねえ。いい響きだ。背筋がゾクゾクしてくるぜ」
 くつくつ笑って、椅子にふんぞり返っている。
「あーあー、まったく、ありがてえなあ。そっちの都合のいい時にだけ、仲間扱いして下さるってんだからなあ」
 ガン──と前の椅子を蹴りつけた。
「ふざけたこと言ってんじゃねえぞコラ。ちょっと毛並みが変わってただけで、街から追い出すのが仲間なのかよ。よってたかって迫害するのが仲間のすることだってのかよ!」
「──うっ、でも、あの、緊急事態よ?」
 男の急な剣幕に、エレーンはひるみ、たじろいだ。「こっ、このままじゃ、ディールがここに攻めてきて、街自体がなくなっちゃうわ。だから、そういう遺恨はおいといて──あ、ううん、この際、水に流しましょうよ。だって今こそ、一致団結する時よ。各自の役割をそれぞれ果たして、みんなが一つにならないと、危機は乗り越えられないわ。この街をみんなで守──」
「たく。大したペテン師だな。ぺらぺらとよく回る口だぜ」
「聞いて! あたしは不在の夫から、市民の命を預かっているの。街を荒らされるわけにはいかないの。だからお願い、力を貸して!」
「ま、俺らなら、討ち死にしても後腐れがねえもんなあ?」
 男は冷やかし顔で、耳をほじくる。憎々しげに、ぎろりと凄んだ。
「帰んな、ねえちゃん。怪我しねえ内によ。コケにするのも、たいがいにしとけや。オツムの中身が丸見えだぜ。どうせ、盾に使おうってはらだろうが。なにせ俺らは遊民だからな」
「──あんた達が遊民だから、だから盾に使うんだろうですって?」
 むっとエレーンは睨み返した。
「はん! 女だと思ってなめんじゃないわよ! あたしは身内と思えばこそ、こうしてお願いにきているの! こんなせっぱつまった時に、信用できない赤の他人に、助けを求める馬鹿なんかいないわ!」
「見え透いてんだよ。どうせ、この場だけ、丸め込めりゃいいってはらなんだろうが」
「いつまで拗ねてりゃ気が済むの! そんなこと言っていじけていたら、どこにも道なんか拓けやしないわ!」
「──小娘風情が偉そうに! 土地を追われた苦労なんぞ、これっぽっちも知らねえくせに。どうせ俺らは遊民なんだよ! てめえらが蔑んで追い出した──」
「いつまで泣きごと言ってるつもり! 甘ったれてんじゃないわよ! 逃げんじゃないわよ! 人の存在に貴賎なんかないわ!」
 窓から、そよ風が吹きこんだ。
 薄く立ち昇る紫煙だけが、卓のそこここで揺れている。壁一面の腰窓から、夏陽がじんわり降りそそぎ、白茶けた板張りの床に、窓格子の影が落ちている。
 窓際に据えた卓の男が、苦々しげに目をそらした。
「そんなおとぎ話は、そこらのガキにでも言ってやれや。その手の奇麗事に興味はねえよ」
 エレーンはあわてて目を向ける。「き、奇麗事なんかじゃ──」
「もし!」
 ぴしゃりと男が遮った。
「もし、あんたの言うように、人に貴賎がないんなら、どうして街から追い出した。事あるごとに"あいの子"と蔑む! そんな寝言は聞きたくもないね。俺らはもう──」
「そんなことは言わせない。誰にも、そんなことは言わせない! あんた達のことは、あたしが守るわ!」
 ぽかん、と男が見返した。
「……守るだァ?」
「そうよ! 何があっても、あたしが守る! 約束するわ! あたし達は家族じゃないの!」
 卓の方々から失笑が漏れた。
 かんばしからぬ反応に、エレーンはあわてて拳を握る。「そ、そうよ家族よ! 文句あるっ? あたしなんかが家族じゃ嫌だってのっ!」
 男たちからの反応はなかった。部屋には白けた空気がひろがり、誰も言葉を発しない。長椅子にもたれた統領代理は、片肘をついて眺めている。
 熱意が空回りしているのは明らかだった。声が全く届いていない。
 砂を噛むような虚しい思いで、エレーンは声を震わせた。「……家族になってよ。誰か、あたしを助けてよ……お願い、だから……」
「お引きとり願いましょうか」
 統領代理が溜息まじりに立ちあがった。
 エレーンは捨て鉢に振りかえる。「こんなに言ってもわかんないの! このわからんちんっ!」
「それだけ言えば、気が済んだろう。なんと言われようが、兵は出せない」
「──おい、デジデリオ」
 黙って見ていたどくろ亭の主が、見かねたように振り向いた。
「なんとかしてやれよ。お前になら、できるだろうが」
 統領代理は肩をすくめた。「だから、無理なものは無理だって。兵自体がないんだよ」
「だったら、こいつらはなんなんだ。隣国となりで荒稼ぎしてる傭兵隊の連中じゃねえかよ」
「だから、これで全員だって。あらかた貸しちまったからな、旦那の方に」
「旦那?」
 視線で説明を促され、「本当は内密なんだがな」と、統領代理は腕をくむ。
「商都に行くから兵をよこせ、と領主が突然乗りこんできた。だから、みーんなカレリアだ」
「──ダ、ダドリーがっ!」
 エレーンは唖然と目をみはった。そんな話は聞いていない。統領代理はつくづくというように嘆息した。
「まったく。どうしたらいいんだろうねえ。旦那はカレリアを援護に行くから兵をくれと言うし、奥方は奥方で、これからディールに楯突くから兵を出せと言う。まったく、なんて夫婦だ、我がままな」
 呆気にとられたどくろ亭の主が、不敵な笑いを頬に浮かべた。「へえ。お前が兵を貸したってのか。一体何を企んでいる」
「何も。俺たちはいつだって友好的だ、そうだろう? 街の皆さま方と上手くやるつもりは、常にあるさ」
無料ただじゃないだろ。条件は」
 統領代理はつまった様子で口をつぐんだ。渋々亭主に目を向ける。「……影切の森の、居住権」
「森の? そんなもの手に入れて、どうするんだ。木こりにでもなるのかよ」
「決まっているだろ、住むんだよ。樹海を拓いて集落をつくって。近頃、人数が増えて手狭なんだ、色々と」
「それだけか?」
「もちろんだ」
 いかにも心外そうに、統領代理はうなずく。
「町で暮らすお前なんかにゃ、ピンとこない話だろうが、俺たちには切実でね。一つ所に定住できるだけでも、ありがたいさ。病人や年寄りに移動生活は厳しいからな。まあ、そういうわけだから」
 淡々とエレーンに目を向ける。「わかったろ。どうにもならない。古くからの友の頼みだ、できれば聞いてやりたいが」
 近くの男に目配せした。
「さ、奥方様はお帰りだ。丁重に送ってさしあげて」
 ただちに男が席を立った。
 つかつか歩いて、エレーンの左の腕をとる。ぎょっとエレーンは身を引いた。
「は、放してよっ! まだ話は終ってないでしょ!」
 だが、無遠慮なその手は構わない。エレーンは暴れて身をよじり、卓の面々を指でさす。「いいわよ、ここにいる人たちで! この人たち、あたしに貸してよ! ほ、ほら、いっぱいいるじゃない! みんな、とっても強そうだし!」
 さっさと追い出せ、と統領代理が手を振った。
「おい! 手荒な真似はよせ!」
 亭主があわてて手を伸ばした。傭兵たちが立ちあがる。大股で進み、またたく間に群がっていく。
 両手を振り回して抵抗するも、男たちには歯が立たない。今にも、つまみ出されてしまいそうだ。呑まれた渦中で揉まれつつ、亭主が苛立たしげに怒鳴りつけた。「おい! やめさせろよ! デジデリオ!」
 だが、統領代理は素知らぬ顔だ。
「ちょっと! うちの人に何するんだい!」
 揉みあいを始めた人垣に、女将が驚いて駆け寄った。「さっさと放しな! 承知しないよっ!」
 服をつかんで、力任せにひっぱり戻す。腕に取りつかれた男の一人が、うるさげに女将を引きはがした。「バード風情は引っこんでな。大人しくしないと怪我するぜ」
「何すんだい! ロムだかなんだか知らないけど、何をしてもいいってわけじゃないんだからね!」
 転んだ床で尻もちをつき、女将はまなじり吊りあげる。
 三人は手を振り回して踏んばった。だが、抵抗もむなしく引きずられていく。あたかも赤子の手をひねるがごとく。
 部屋の出口が、徐々に近づく。
「──いくじなしっ!」
 歯がゆい思いで、エレーンは叫んだ。
「人前に出るのがそんなに怖いの! ひなたに出るのがそんなに怖いの!──ちょっと! なんとか言いなさいよ! いつまでそうして殻に閉じこもっている気なの!」
「ほら、もういい加減にしときな、ねーちゃん」
 屈強な男が、あやすようにエレーンを覗いた。
「もう、そろそろ終わりにしようや。俺らだって、手荒な真似はしたかねえんだよ。噛みついても無駄だってこた、あんたにも、よくわかったろう」
 拍子抜けするほど穏やかな口調。彼は決して疎んではいない。だが、追い出そうとしていることに、変わりはない。
 扉が、無造作にあけられた。
「いやよ! あたしは帰らない! 帰らないぃー! 帰らないってばっ!」
 エレーンは壁にへばりつき、必死に見据えて、声を張った。
「お願い! 一緒に戦ってよ! あたしと一緒に戦ってよ! ディールはもう、すぐそこにまで来てるのよっ!」
「俺が行く」
 ぶっきらぼうな声が、窓辺で、した。
 
 
 
 
 

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