ディール急襲 第1部 2章3話1

CROSS ROAD ディール急襲 第1部 2章1話7
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 昼さがりの街道は、まだ、のんびり穏やかだ。
 木漏れ日ちらつく土道に、革ジャン姿の傭兵たちが、寛いだ様子で行き来している。
 ようやく姿を見つけた彼は、あの粗暴な長髪と、ほこりっぽい道端で話している。
 知らない顔に気後れし、隠れていた木幹を出、エレーンはそろそろ二人に近づく。
 あの彼が気になった。
 周囲から「隊長」と呼ばれている、黒い髪の傭兵「ケネル」
 この土地を見舞った窮状を、冷淡な貴族に説明し、動転した住民の騒動を、荒い言葉で収めてくれた──。孤立無援のただ中で、関わり合うのを誰もが恐れ、誰もが見向きもしない中、困り果てて泣いていた自分に、手を貸すと、言ってくれた──。
 けど……とエレーンは嘆息する。
(ケネルって、喋んないのが難なのよね〜……)
 彼にはおよそ愛想というものがない。相手が貴族でも住民でも、まるで態度を変えないし、相手が女の子でも優しくない。まだ若い男というのに、口説くどころか、にこりともしない。一番ぴったりな言葉は無関心。
 殺伐とした仕事柄か、基本的にぶっきらぼうだし、そのうえ寡黙で、無口で仏頂面で不愛想だから、何を考えているやら、さっぱりだ。
 そう、彼は寡黙だ。これまで出会った誰よりも。けれど──
 彼のことを、もっと知りたい。
 助けてくれた、あの彼を。

 侵攻軍への対処について相談してでもいるのだろうか、夏日に凪いだ街道をながめて、真面目な顔つきで話しこんでいる。
「──人手不足が致命的だな」
 長髪の声が漏れ聞こえた。
「いくら敵を手負いにしても、みすみす逃がす羽目になる。かといって、街を離れるわけにもいかねえから、追い散らすくらいが精々か」
「動員するなら、筋を通す必要があるが」
「連中の大半は、レグルスの所属ほうだぜ」
 夏日に白む天幕群に目を向けて、ケネルは思案顔で顎をなでる。「あそこの族長は、確か──」
「ゾクチョー? なにそれ」
 満を持して質問すると、ぎょっと二人が飛びのいた。
 ケネルは絶句し、愕然とした顔。「──あんた、いつから」
「え? さっきから、そこにいたけどー?」
 かたわらを指さし、エレーンはにっこり笑いかける。彼らの話に入れるチャンスを、今か今かと待っていたんである。
「ねーねーケネルぅー。これからゾクチョーに会いに行くの〜?」
 一体どこから出現したか、ときょろきょろ辺りを見まわしていたケネルが、……む、と停止し、顔をしかめた。
「あんたには関係ない」
 言い捨て、すたすた歩いていく。夏日を浴びた道の先には、例のあの天幕群。
「ふ〜ん、ゾクチョーってどんな人かなあー、楽しみだわあー、わくわくしちゃうー」
「──ついてくんなっ!」
 がなって、ケネルが振り向いた。
 ケネルは怒りっぽい。早速、顎でこっちを牽制しているようだが、このくらいの邪険は想定内。両手を腰に押し当てて、ちら、とエレーンはすがめ見た。
「あっら〜ん、そんなこと言っていーのかしらあ? これでもあたし、クレスト領家の奥方なのよん? なのに仲間外れにするとかどーよ? 一応あたし、ここの留守を預かってんだけどなあ。いわば領主の代わりよ? 代・わ・り?」
「──勝手にしろ」
 ケネルが顔をしかめて吐き捨てた。
 仏頂面で脇を通過し、かったるそうに歩き出す。今の己の不機嫌さを全身で表明するあの態度は、無視することに決めたらしい。
 だが、ケネルみたいな朴念仁じゃ、大人しく素直に待ってたら、永久に振り向いてもらえない。それ以前に気づかない。ケネルの方から話しかけてくれるなど、天地がひっくり返ってもありえない。
 そうだ。これしきの迫害でめげてたまるか。味方はケネルしかいないんだからねっ!
 とっととケネルとの距離をつめ、ひっしとエレーンは腕に飛びつく。
 ぎょっとケネルが後ずさった。
 あたふた腕を振り払う。「あんた、何を!?」
「勝手にしろって言ったよね?」
 ……む、とケネルが停止した。一応覚えていたらしい。
「そんなことより──ねーねーケネルぅ〜」
 すかさず腕にぶら下がる。
「ねーねー、あれって、すんごい数ね。なんであんなに色んな色の天幕があるの? えーなになに? 青と黒とこげ茶ァ?──くっら〜い! 天幕って普通白っぽくない?あの色なんか意味があるわけ?それともテキトー?それとも趣味?パッと景気よく明るい色にすればいいのに赤とか黄色とかピンクとか──(息つぎ)──わあ見て見て!あの奥の方の青い天幕!なんかあれだけ他より立派──え?あたしたち今からあそこに行くの?ねーケネルー話聞いてるー?もーなんとか言ったらどうなのよ!ねーねーケネルぅ!ね〜ったらね〜!」
 尚いっそうの早足で、ケネルはすたすた歩いていく。仏頂面で振り向きもしない。もう、往生際が悪いったら!

 強い獣臭が鼻をついた。
 視線がいぶかしげに追ってくる。物陰でたむろす遊民たちが、倦んだような目を向けている。だが、声をかける者はない。
 敷地を埋めつくすほどの天幕が、気だるく夏日を浴びていた。
 ぶらぶら足を投げて歩く者、額を寄せて雑談する者、天幕の陰にしゃがみこみ、気怠そうに喫煙する者。入り口をあけた天幕の中で、陽射しを浴びた天幕の陰で、薄絹の衣装の遊民たちが、所在なげにたむろしている。どこか怠惰で荒んだざわめき──。
 ケネルの足の早さに四苦八苦しながら、エレーンはがんばってついて歩いた。背丈のある彼らとは違い、こっちは小柄な体格というのに、気遣う気配は微塵もない。
 どこまで行くのか尋ねてみたが、例のごとくケネルは無視。どうやら、本日分の質疑応答は、すでに終了した模様。
 隅の木陰に、雑然と木箱、人が一人うずくまれそうな大きさだ。すすけた黒っぽい木板には、文字とも記号ともつかない形の、原色の塗料の殴り書き。鉄格子の向こうから、奇妙な鳴き声が聞こえてくるから、見世物に使う猛獣の檻であるらしい。
 中でもひときわ頑丈そうな檻が、日陰の片隅にひっそりとあった。白い毛皮の前脚が、鉄格子から覗いている。
「うっわあ! なにあれなにあれ! まっ白い熊?」
 エレーンは目を丸くして、いそいそそちらへ駆け寄った。輝くような純白の毛皮だ。藁と毛布が敷かれた床に、四肢を投げ出し、気怠そうに寝そべっている。赤く殴り書きされたその檻は、木板が他より見るからに厚く、はまった鉄格子も格段に太い。
 かったるそうに行き来していた、ひょろりと痩せた遊民たちが、ふと足を止め、振り向いた。
 物陰に座りこんだ数人が、気怠そうに顔をあげる。連れの二人が足を止め、無言で素早く目配せする。
 白い獣が頭をもたげた。
 人が来たのに気づいたようで、白い毛皮の前脚を折り、大きな体をのっそり起こす。
 エレーンはほくほく檻を覗いた。
「やーん。かわいい。あんた、熊〜? にしては、毛足がやたら長いみたいな〜?」
 前脚の毛皮がさわりと揺れて、黒く鋭い爪が覗いた。鉄格子から足先を出し、餌をねだるように空を掻く。くんくん匂いを嗅ぎながら、濡れた鼻面を突き出してくる。
「かっわい──っ!」
 ぐい、と肩を引き戻された。
 体が振り回されて、尻もちをつき、むう、とエレーンは振り仰ぐ。「──もぉっ! 痛いじゃないのよ! なにすんの!」
「近寄るな」
 ケネルはにこりともしない仏頂面。
「ちょっとぉ。なんで、あたしの邪魔するわけ? こんな大っきい動物なんて、めったに見られるもんじゃないのにぃ」
「そいつはバクーだ。人を食らう」
 ……へ? と凍りついて、檻を見た。「……この子がバクー? あの有名な?」
「うっかり手でも出してみろ。あっという間になくなるぞ」
「……。へ、へえー」
 うっかり出しかけた右の手を、あたふた背中の後ろにしまう。己の迂闊さに生きた心地もしない。
 ケネルの言う「バクー」というのは、国境の山に棲息する凶暴で大型な肉食獣の名だ。
 内乱中の隣国と堺を接するこの国が、他国からの侵攻を心配せずに済んでいるのは、国境くにざかいの山中に、このバクーがいたればこそ、と聞いている。
 もう歩き出したケネルを見、エレーンもあわてて立ちあがる。
「無闇に天幕を覗くなよ。引っ張りこまれるぞ」
「──な、なにバカなこと言ってんのお〜」
 もちろん覗く気満々だったが。
「なんで、あたしがそんなことぉー? ここに知り合いとか、別にいないし」
「だからこそだ。あんただって子供じゃないなら、意味するところは分かるだろう」
 ぽかん、と口をあけて、ケネルを見た。
 額をつかんでケネルはうなだれ、げんなり溜息で首を振る。「──なら、身の振り方には気をつけろ。ここの連中は日頃から、素行がいいとは言いがたいが、こんな時なら尚更だ。この騒ぎで身動きとれずに、腐るほど暇を持てあましている。あんたみたいなトロそうなのはいいカモだ」
「と、とろい〜? あたしがあ?」
 はああ!? と己を指さして、エレーンは断然抗議する。
 ぶちぶち口を尖らせながら、構うことなく歩きだしたケネルの横をついて歩く。ふと、その向こうに目をやった。
(……げ。長髪)
 顔をゆがめて、目をそらす。あの男はどうも苦手だ。初対面から、印象は最悪。
 視線に気づいて振り向けば、冷ややかな顔つきでながめていたのは、きれいな顔の長髪だった。横を無言で歩いている。
 けれど、あの長髪には、正直あまり近寄りたくない。だって、何もしてないおじさんの腕を、ねじあげるような粗暴な輩だ。あんなにきれいな顔なのに、見た目と中身は大違い。
「あっ! ねえねえ見て見て! ほら、あそこっ!」
 気を取り直し、ケネルの腕をぐいぐい引っ張る。言っただけでは、どうせ無視するにきまってる。
「ねねねケネル。今の見たあ? あそこの大っきな天幕に人が大勢はいっていったわ」
 にっこり笑って指さすが、ケネルはまるで見ようとしない。──む。引っ張っても無視ってか。
「んねっ? ちょっとだけ寄ってかない? いいでしょケネル。ねっねっねっ!」
 だって、こんな機会はめったにないのだ。天幕群の入り口の向こうは、市民にしたら未知なる領域。こうして自由に歩くどころか、入口に近づくことさえ、ままならない。
「楽しみ〜! これから何が始まるのかしら〜!」
「賭博だろ」
「いっ、──いやいや、まっさか! こんな真っ昼間っから不健全な。ケネルってば普通の顔で冗談ばっか。どうせ、興行の練習とかに決まって──」
「ここでは普通だ」
「や、でも──」
「自分と同じ倫理観を、奴らに期待する方が間違いだ。ああ、交ろうなんて思うなよ。連中の十八番おはこは八百長だからな。身ぐるみはがれて泣くのがおちだ」
「……あ、……さいですか」
 握った財布を、やむなく、もそもそ引っこめる。
 ケネルの闊歩にせっせとついて歩きつつ、エレーンは不貞腐って盗み見た。まったく、ケネルはにべもない。
 それにしても、二人の歩調はかなり速い。ぶらぶら歩いているように見えるのに、うっかりよそ見でもしようものなら、あっという間に置いていかれる。こんな調子でどこまで行くのか。川と街とに挟まれた大陸北端の草原は、思ったよりもかなり広い。外から見るのとは大違いだ。
 右手に見える天幕の陰に、男が一人うずくまっている。髪の長い痩せた男だ。薄い絹の衣装だから、芸妓団の一員らしい。気怠そうにうなだれて、ゆるゆる首を振っている。
 異状を感じて、そろそろ近づき、膝に手をおき、エレーンはかがんだ。
「あのぅ、もしもし? 大丈夫ですか?」
 男が、緩慢な仕草で顔をあげた。
 病人のように青白い顔だ。しわ一つない若者だが、眼はとろんとして、生気がない。うまく焦点が定まらないのか、ぼんやり小首をかしげている。表情がどこか虚ろで、指の長い痩せた手が、地面に力なく落ちている。
 手が、不意にもちあがった。
 さまようように、手を伸ばす。
「──あ、あの? 誰か呼んできましょう──かっ?」
 ぐい、と引っぱり戻された。
 ……ぬう、とエレーンは顔をゆがめる。これで二度目だ。誰の仕業かわかっている。
 ふくれっ面で振り向いた。「もう、ケネル! 今度はなによっ!」
「放っておけ」
 ぶっきらぼうな言い草に、俄然、男に指をさす。「ほっとけるわけないでしょが! あんな真っ青な顔で座りこんでんのに!」
 そうだ、今度は、ちゃんと正当な理由があるのだ。
「あんなに具合悪そうじゃない! 早くお医者さん呼ばないと!」
「必要ない」
「そんなこと言ってて、何かあったら、どうすんの!」
「あんたには関係ない」
「──はああっ!?」
 なぜに、こいつはこうなのか。意思疎通を図ろうとの努力に欠ける!
「なにそれ! あるでしょー! 断然あるでしょー! だって現に、目の前で──!」
「相手にするな。中毒者だ」
 口をはさんだのは長髪だった。
 ケネルの向こうで足を止め、面倒そうにながめている。
 思わぬ横やりに面食らい、エレーンはしどもど口の先を尖らせる。「な、なによ、その中毒って──あ、きのこか何かに当たってお腹痛いとかそういう──」
「麻薬だ」
「……ま、やくぅ?」
 いや、確かそれは、非合法な物ではないのか? 
 事もなげに長髪は返した。「バードには、常習者が多いからな」
「……。ばーど、ってなに?」
 二人がさっさと歩き出した。構うつもりはないらしい。
「──ちょ!? ちょっと待ってよケネルっ!?」
 エレーンは両手を振って追いかけた。
 麻薬中毒がうろついてる所に、置いていかれてはコトである。
 
 
 

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