CROSS ROAD ディール急襲 第1部 2章3話1 〜 確執の行方 〜
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 夕焼けに染まった裏庭で、散策の足をふと止めた。
 二人の姿を裏門で認め、エレーンは不快に顔をゆがめる。
(……な〜によ。あっちはあっちでヨロシクやってんじゃない)
 サビーネの姿を目撃していた。外出から戻ったらしい。事もあろうに、あの男と一緒だ。きれいな顔の長髪の傭兵。
 つまりは" 逢い引き "らしかった。
 ダドリーの妾サビーネは、先日から領邸に滞在している。こたびの戦で別邸が警戒区域に入ったとかで、男児を連れて避難してきたのだ。
 こちらの存在に気づいたようで、サビーネがたおやかに会釈をし、微笑みをたたえて歩いてくる。
 エレーンは顔をしかめて待ち受けた。
「ああいうのも、アリなわけ?」
 サビーネが驚いたように足を止めた。
 困惑したように、まつ毛を伏せる。いかにもか弱そうな、その素振りが気に障った。憮然と、エレーンは腕を組む。
「世間では、浮気っていうんじゃないのかしら? 上流階級の人たちのことって、まだよくは知らないけど、大っぴらに愛人を持つのは、普通に許されることなわけ? あなたって、ほんと恵まれているわね」
 嫌味の一つも言いたくなる。こっちがダドリーと喧嘩したのは、あんなひどい別れ方をしたのは、この妾のせいだというのに。なのに、元凶のこの女は、ちゃっかり男と逢い引きし、平気な顔ではにかんでいるというのだ。
 ダドリーの心もダドリーの子供も温かい家族も何もかも、すべて手中にしたくせに。
 サビーネは言葉を失った様子で、目を瞬いて、立ち尽くしている。
 おろおろ彼女はうつむいて、胸で白い手を握る。戸惑ったように顔をあげた。
「普通に結婚するものと、ずっと思っておりました」
 エレーンは面食らって眉をひそめた。思いがけない告白に、とっさに脇へ目をそらす。
 ざわり、と心をつかまれた。
 何が引っかかったのだろう、彼女の言った「普通」という言葉か?
 気分を害したと思ったのか、サビーネがおどおど覗きこむ。
「……あの、このお話を頂いた時には、わたくしはまだ十五の子供で、年の近い姉が二人、家にはまだおりましたから、縁談ならば姉の方から、とそう思っておりました。なので、本当に驚いてしまって」
 エレーンは反応できずに唇をかんだ。失言に気づいたが、もう遅い。こちらの敵意を感じとり、彼女は説明しようとしている。ここに至った経緯いきさつを。
 困ったようにサビーネは微笑み、長いまつ毛を優美に伏せた。
 当時に思いを馳せるように、暮れゆく夏空をゆっくり仰ぐ。
「突然わたくし一人だけ、こちらの方に参りまして。困ってしまいました。姉も母も友人も、誰も知り合いがおりませんし、屋敷にいた使用人にも、口をきいてもらえなくて。何故わたくし一人ばかりが、こんな目に遭うのかしらって」
 境遇を語る横顔は、未だ途方に暮れている。
 彼女と目を合わせないまま、エレーンは唇をかみしめる。
 緑豊かな裏手の庭にも、蒼い帳がおりはじめた。
 のどかに凪いだ昼の光を、刻一刻と失っていく。重く苦い時だけが、静かに辺りに降りつもる。
 クレスト領家とカレリアの商家の、絆を強めるこの縁談。
 ダドリーとの年齢を考慮して、サビーネに白羽の矢を立てたのだろうが、理由はおそらく、そればかりでもあるまい。姉をもしのぐこの器量こそ、選出の一因であったろうことは想像に難くない。
 夕焼け空を眺めたままで、くすりとサビーネが小さく笑う。
「あまり心細いものだから、こっそり屋敷を抜け出して、逃げ帰ったこともありましたっけ」
「──商都に? 一人で?」
 とっさにエレーンは振り向いた。ちょっと家出をするにしては、とてつもない長旅だ。自分が転居した時は、たしか馬車で十日もかかった。まして、つても土地鑑もない、十五の少女だ。
 だが、当のサビーネは「ええ、そうですけど」と頓着しない。
 絶句で、まじまじ彼女を見る。
「……一体、どうやって商都まで」
 サビーネは内緒話でも打ち明けるように「ええ。それが──」といたずらっぽく笑いかけた。
「屋敷を出たまでは良かったのですが、すぐに街道で迷ってしまって。途方に暮れておりましたら、ちょうど荷馬車が通りかかりまして。馭者に訊かれて、父の名を申しましたら、実家まで送り届けて下さいまして」
「……ど、度胸あんのね、あんた」
 とんでもないご令嬢だ。大方、荷馬車の商人は、礼金目当てで保護したのだろうが、もしも運が悪ければ、手もなく誘拐されている。領家と縁を結べるような、裕福な実家ならば尚のこと。
 だが、当のサビーネは、何をそんなに驚いているのか、よくわかっていないようで、小首をかしげて微笑んだ。
「あの商人は親切でしたが、商都はやはり、とても遠くて。それでも家に戻れるならと、わたくし、がんばって我慢しました。けれど──」
 ふと、ためらうように言いよどみ、弱々しくサビーネは微笑う。
「父に、叱られてしまいました。真っ青になって飛んできて、すぐに、こちらに戻るようにと」
 もう、お前の部屋はない。帰る家はないのだと。
「それでやっと、わたくし、諦めがつきました」
 きっぱり言いきったその声が、日暮れた庭に染み入った。
 彼女の長い髪をそよがせ、さらさら涼風が行きすぎる。
 赤に染まった夕暮れの庭で、後ろ手にして彼女は笑う。だが、その薄い背は、消え入りそうに頼りない。
 エレーンは眉をひそめて目をそらす。
 心を鷲づかまれて、動けなかった。
 天と地ほども事情が違う。喜び勇んでやってきた自分と、生家の都合で送り込まれた彼女では。
「……ごめん」
 何とか言葉を押し出して、溜息まじりに首を振った。
「サビーネ、ごめん。迂闊だったわ」
 こんな話をさせたのは、まぎれもなく、この自分だ。
「いいえ。お気になさらないで。ご不快になるのは当然ですもの」
 おっとりサビーネは微笑んだ。

 屋敷の廊下を苛々歩き、最上階の自室に向かった。
 絨毯じゅうたんの床を踏みしめて、無人の廊下をひたすら歩く。
 今や自分は、豪華な屋敷の女主だった。
 誰もがうらやむそれらはすべて、今や自分のものだった。ここにあるのは、かつて心躍らせた上流階級の憧れの暮らし。だが、どんな豪華な屋敷であろうと、どれほどの慰めにもなりはしない。
 空にかかった夏雲が、夕陽の赤に照らされていた。
 緑あふれる裏庭に、夕方の風が吹いていた。こぼれるように咲いている頭でっかちな花々が、ゆらゆら風に揺れていた。彼女に悪気がない・・・・・のは分かっていた──。
 力任せに扉を押しあけ、叩きつけるようにして戸を閉める。
  広い居間を突っきって、窓辺の寝台に身を投げる。
 悪気がないのは分かっていた。なんの気なしに彼女が語った、あの夫とのなれそめに。
 わかっている。
 サビーネは何も悪くない。
 話がそちらへ流れたのは、むしろ自然の成り行きだ。あのダドリーに関すること以外、共通の話題などないのだから。
 彼女を非難するのはお門違いだ。むしろ、彼女には同情すべきだ。何ひとつ落ち度はないのに、肩身の狭い思いを強いられてきたのだから。故郷から引き離されてたった一人、味方のいない見知らぬ土地で。
 だけど──
 後味の悪さと自己嫌悪、そして、荒んだ気分がないまぜとなって、親指の爪を苛々と噛む。彼女の事情はよく分かる。だけど──!
 どれほど、ここが気に食わなかろうが、今更おめおめと戻れはしない。あんなに盛大に送り出されて、どの面さげて戻れと言うのだ。
 帰る場所がないのは、あたしだって同じよ。
 
 
 
 
 

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