CROSS ROAD ディール急襲 第1部 3章6
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 高窓から射しこむ日ざしの中で、埃がゆっくりと舞っていた。
 ただっ広い館内は、大勢の軍服で埋め尽くされている。戦に破れた捕虜の群れだ。いずれもくたびれ果てて座りこみ、うずくまった膝にうなだれている。
「五百はいねえだろ、どう見ても」
 ぶっきらぼうな背後の声を、ケネルはおもむろに振りかえる。
 そこにいたのは、案の定の相手だった。ひらいた戸口に肩先でもたれ、整った顔をしかめている。部隊を仕切る副長ファレス。
 いぶかしげなその顔に目を向け、ケネルは西日に照らされた外に出る。「街道を見てくる」
「俺も行く」
 ファレスも肩を引き起こした。
「いやにあっさり、済んじまったのも妙だ」
 歩きだしたケネルに、すぐさま続く。
 開戦時、敵兵の総数は千二百。その内、爆破による死傷者三百、逃亡した傭兵三百、そして、街への侵攻組が百程度と、捕虜への聴取で判明していた。だが、この数字が確かというなら、いささかおかしな話になる。
 この計算では、捕虜の数は差し引き五百。だが、収容した人数は精々四百というところ。この差の百もの兵隊は、一体どこへ消えたというのか。
 鈍い西日に照らされて、ひっそりとした石畳を歩く。頬には、内海からの風。廃倉庫が建ち並ぶこの界隈は、普段から人けがない。
 捕らえた捕虜を収容したのは、旧港湾地区内の倉庫群、その中にある空き倉庫だった。戦のないノースカレリアには、百名を超える人数を収容できる施設はない。むろん、街に設えた監獄では、到底間に合うはずもない。だが、幸い、一時的な監獄にするには、広く頑丈な空き倉庫はうってつけだ。
「──おい、ケネル」
 ぶらぶら足を運びつつ、ファレスが連れを一瞥した。「統領代理が逃げたぞ」
「──油断した」
 ケネルはげんなり、額をつかんで嘆息する。「……まったく世話の焼ける人だ」
「どうする。捜すか」
「無駄だろ。どうせもう、付近にはいない」
 ケネルは一蹴、辟易とした顔で首を振った。「そもそもアレが、俺たちなんかに捕まるタマかよ」
 肩をすくめて、ファレスもそれに同意する。
 閑散とした倉庫街を抜け、街の端の街路に入った。
 貴族街の門前に行くのだろう。数人の男たちが向かいの街角を横切っていく。気忙しい様子の一団は、それぞれモップを手にしている。遺体の搬出がようやく終わり、石畳に染みついた血痕の洗浄作業が始まっている。戦はようやく終わったが、街はしばらく落ち着かない。
 西からの斜光に、ケネルは眩しげに目を細めた。
「──散々泣いたらしいな」
 口調に苦々しさが入り混じる。歩く横顔で、ファレスは応えた。「バードに持たせたのは軍刀だぞ。切れ味の鋭い真剣だ。俺たちが使った木刀なんぞとは違ってな」
 ケネルは嫌そうに顔をしかめた。「俺は、使ってない」
「峰で殴ってりゃ、同じこったろ」
 あっさり斥け、ファレスは含みのある一瞥をくれる。「こっちの捕虜はコブだらけ、貴族街の門前を除けば、斬死ってのはなかった、、、、からな」
 憮然と、ケネルは黙りこむ。やれやれ、とファレスは続けた。
「バードは大道芸人だぞ。そこまで望むのは酷ってもんだろ。敵は殺りにくるんだぞ。殺すなって方が、土台無理な注文なんだ」
 街に侵攻した兵は百名程度、その半数が討ち死にしていた。そして、それらは貴族街の門前に集中していた。その遺体を搬出する様が、公邸の三階の窓から、よく見えたらしい。「兵を殺すな」と訴えていた、あの奥方のいる公邸から。
 遺体を焼却する濃煙が、森の上空に立ち昇っていた。北方の冷涼な気候とはいえ、季節は夏だ。遺体の傷みはやはり激しく、そう長くは放置できない。
「不思議なことに、あの連中」
 夏空にたなびく煙を見、ケネルは釈然としない顔で首をひねる。「口を揃えて、殺してない、と言い張るんだよな。だが──」
 そう、現に、兵が死んでいる。
「不思議なことなら、もう一つあるぜ」
 ケネルの懐疑を、ファレスが引き取る。
「連中に言わせりゃ、貴族街まで辿りついた奴は、そもそも一人もいなかった、、、、、、、、って話だ」
「──だったら、誰の仕業だというんだ」
 ケネルは苦々しげに吐き捨てる。「斬死は一人や二人じゃない。五十名もの軍兵だ。それを斬った奴がどこにもいない? そんな馬鹿な話があるか」
「いいや、嘘はついてない。パードは本当のことを言っている。──わかってんだろ、あの連中は俺らとは違う。バードに得物は振り切れねえよ」
 ケネルは眉をひそめた思案顔。歩く横顔で、ファレスは続ける。
「剣舞ってのは寸止め、、、が基本だ。何百何千と稽古を積んで、そいつが骨の髄まで染みこんでる。それに、連中は素人だ。人なんぞ容易に斬り殺せるかよ。まして、迫りくる敵を前にして挟撃するなんて芸当が、高々ど素人にできると思うか。戦は安全な芸事とは違う。いくら身軽で器用でも、人間相手の戦は不慣れだ。切迫した殺し合いの現場で、人いきれと熱気に呑まれてビビっちまってる素人に、そんな余裕があると思うか。加えて連中は血の気が多い。挑発されれば、すぐに乗る。猪突猛進まっしぐらだ」
「そんなはずはない!」
 ついにケネルが、苛立ちまぎれに遮った。
「どこかで二手に分かれたはずだ。南壁に直進した組。西の貴族街に抜けた組。現にディールの先兵は、挟撃にあって壊滅している」
「だったら、あの連中が、すっとぼけてると思うかよ」
 ファレスは白けた顔で肩をすくめる。
 市街地の煉瓦の道を、通行人が行き交っていた。
 店先には、まばらに観光客の姿。街に、人が戻っている。
 ケネルが思案顔のまま口を開いた。
「俺たちはしょせん遊民だ。その時々の風向きで、立場も旗色も様変わる。うっかり気を許そうものなら、たちどころに罪人だ。それを恐れて口をつぐんでいるというなら、なんら不思議な話でもない。ただ──」
「ただ?」
 いぶかしげに、ファレスが促す。だが、ケネルは足元を睨んだままだ。
 甲高い奇声をあげて、子供が街路に駆けこんだ。数人の男児がわらわら続く。
 わんぱく坊主の一団をながめて、親子連れが行きすぎる。子供の手を引く父親に、土産物を勧めるひげ面の店主。店頭に並べた鉢植えに、水をやっている老婦人。
 街路を抜けて、街道に出た。
 木立に囲まれた土道が、うっすら夕焼けに染まっていた。すっかり長くなった影を引きずり、数人の部下が後処理をしている。
 二人は前線まで引き返し、周囲を丹念に見てまわった。街道とその先の草原に異変はないことを確認し、道から逸れて、樹海に分け入る。
 藪を掻きわけ、二人は進んだ。
 舞いあがった蝿に顔をしかめて、ファレスは連れに声をかける。「バクーはもう、しまったんだろうな。ここで襲われた日には、目も当てられねえぜ」
 前方に投げた視線を戻し、虚を突かれたように足を止めた。
「──おい、ケネル」
「どうした」
 鋭く目線で示された先に、ケネルも怪訝に目を向ける。
 眉をひそめて、足を止めた。
 その光景を、絶句で見渡す。
 静かに降り注ぐ木漏れ日に、青い布地が照らされていた。大木の根元にもたれたそれは、事切れた兵の遺体だ。
 斬り合いをしていた前線から、さほど遠くはない場所だった。街道から少し入った樹海の只中。同じような遺体が点々と、広範囲にわたって散乱している。
 倒れていたのはディールの兵隊、カレリアの正規兵たちだった。青い軍服を血で染めて、ある者はうずくまり、ある者は手足を投げ、また、ある者は折り重なり──。
「ざっと百、というところか」
 ファレスは目をすがめて勘定する。「こんな所に、いたとはな」
 遺体の総数はおよそ百。恐らくこれが、不足していた兵だろう。ケネルはおもむろにうなずいて、手近な遺体にしゃがみこんだ。
 兵の死因を手早く調べ、歩み寄ったファレスに目配せする。「一突きだ。どれも鋭利な刃物で殺られている。だが──」
「妙だな」
 その先を引き取り、ファレスもうなずく。
 不思議なことが起きていた。ケネルらの知る限り、戦中、森に立ち入った者はない。そもそも、七倍強の敵と対峙していたのだ。そんな暇など、あろうはずもない。だが、それなら一体、誰だというのか。これらの兵を斬り殺したのは。
 草むらに転がった軍服に、蝿がやかましくたかっていた。異臭が強く立ちこめている。打ち捨てられた遺体には、獣に食い荒らされた形跡がある。それは、彼らがここで事切れてから、既に数日が経過している事を示している。
 散乱する亡骸の山を、ケネルは無言で眺めやった。調べが済んだ遺体から、ファレスがおもむろに立ちあがる。
「"死神"が出た、か」
 ピクリ、とケネルは眉をひそめた。
 ファレスは肩越しに一瞥をくれる。「そいつを気にしていたんだろ?」
「──まさか、力レリアにまで現れるとはな」
 ケネルは苦々しげに嘆息した。ひっそりと息づく日暮れの森に、ファレスは視線をめぐらせる。
「そいつが現れると、町や村がたちまち失くなる。開戦中なら、敗北する。正体は知れず、アジトも目的も皆目不明。どの勢力に肩入れするというのでもなければ、出没時期に規則性もない。ふらりと気紛れに現れては、ただただ人を斬っていく」
「他の可能性は?」
部下うちのにできると思うかよ」
 散乱する遺体を ファレスは見渡す。
「こいつはいささか手際が良すぎる。心臓、肝臓、腕の内側。どいつも急所を一突きだ。致命傷の他には、掠り傷一つありゃしねえ」
 野草生い茂る森の斜面で、ひっそり木漏れ日がゆれていた。青い木立は静まり返り、森は穏やかな静寂で満ちている。
 大木にもたれた遺体の足を、ファレスは靴先で軽く蹴る。
「まるで寝てるだけ、みたいなきれいな面だ。手足も顔も、まったくの無傷で。どうせ、いつかはくたばるもんなら、俺もこういう楽な死に方をしてえもんだぜ」
「ファレス。早急に処理班をまわせ。それと」
 ケネルは苦虫噛み潰して踵を返した。
「このことは、アレには伏せておけ」
 
 
 

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