■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 1章 1話5
( 前頁 / TOP / 次頁 )
背をかがめて靴を脱ぐ、待ちわびたあの黒髪──ケネルがつかつか踏みこんだ。
「飲め」
いきなり片手を突きつける。
白く湯気があがっていた。持っているのは湯呑みのようだが──エレーンはそれをなんとなく受け取り、湯呑みの縁に口をつけ
「──かっ!」
のたうち回って、突っ返した。
「な、なにこれっ! にがっ!」
「薬草茶だ」
ツーン、と立ち昇るものすごい匂い。
茶色というのか緑というのか、どろっと腐った苔とでもいうのか──ケネルの顔をおそるおそる見た。「……あの、一つ確認していい?」
ケネルは背を向け、壁の水瓶へ歩いていく。「なんだ」
「あ、えっと、もしかして……」
エレーンは目を泳がせた。
愛想笑いで首を振る。「──あっ、ううん、いいやっ! なんでもない」
だって、そんなこと聞けないではないか。毒殺する気じゃ ないわよね? とは。
とはいえ目下の問題は、現にこうしてここにある薬草茶という代物で……。
むう、とエレーンは湯呑みを見た。こうして湯呑みを受けとったからには「要らない」と言うのも感じ悪い。さりとて飲み干す勇気もない。てか、誰が飲めるかこんな沼!
しばし、じっとり睨んでみるも、それでなくなるものでもない。まだ、たっぷり残っている。そう、湯呑みに半分ほど。うっかり舐めた瞬間から、ただの一口も減ってない。どーする?
コレ。
「早く飲め」
ケネルはコップの水を飲み、土間を挟んだ向こう側へと歩いていく。どさりと床に腰を下ろして、荷物のザックを探っている。
「痛みがとれて楽になる。この薬を作るために、貴重な材料を借りたんだからな」
え……と、エレーンは聞き咎めた。
湯呑みの沼を、まじまじと見る。ならば、ケネルが作ってくれた? 一日中、馬を駆っていたから、きっと疲れていたのだろうに、わざわざ外に出て
あたしの為に?
かあっ、と頬が熱く火照った。
思わぬ反応にうろたえる。エレーンはどぎまぎうつむいた。
(……じ、実は、わりといい奴なのよね、ケネルって)
そう、あの時だって助けてくれた。
ディールの使者に迫られて、ひとり渦中に取り残された時にも。誰もが係わり合うのを恐れて、尻込みしていたあの中で。
このケネルだけが言ってくれた。
『 俺が行く 』
あの声が蘇り、とくん、と胸が跳びはねた。
胸にあたたかな灯がともる。頬に微笑みが込みあげて、エレーンは向かいへ目を向ける。無愛想なケネルのことだから、どうせ、仏頂面で座って──
……ない。
エレーンはぎょっと二度見した。そこにあるべき人影がない。そして、今夜は、あのケネルと二人きり。ということは──?
こちらに近づく人影を気づいて、エレーンは引きつり笑顔で後ずさった。
「ななななになにっ? なんか用?」
あわあわ視線を泳がせる。なぜに、こっちに向かってくるのだ!?
説明だったら、もう聞いた。痛み止めのお茶ももらった。昼でもろくに喋らなかった奴が、今さら世間話でもないだろう。そうだ。用など何もない! 夜更けに男女が二人きり。この状況が意味するものは……
エレーンは這いずり、わたわた後退。
「あ、これ? お茶のことっ? えっと──今から飲もうかなって、ちょうど今、思ってたとこでっ──あ! でもこれ、けっこう まず──いや、苦くって! だからっ!」
──やっぱり、そういう魂胆かー!?
街道も使わず、宿も使わず、何か変だと思っていたら! 人里離れた荒野まで、連れてきたと思ったら! 馬群の大勢から一人だけ、こっちに引き離したと思ったら!
そうだ、さぞかし都合が良かろう。ここだけ何故だか他のゲルから離れてて、いわば野中の一軒家状態。泣こうがわめこうが誰もこない。
いや、だけど、冗談じゃない。確かにケネルはタイプだし、格好いいとは思うけど、そんな気なんかサラサラない。だって、こちとられっきとした既婚者! 社会の倫理に反するような、ふしだらな行為に及ぶとか──いや、まて。もしかして、
……そういうの、ケネルは気にしない?
そういや彼ら遊民は、他国から来た異邦人。この国の都会の常識が、通じなくても、おかしくない──!
ケネルがぶらぶらやってくる。土間を背にして立ちふさがる。
壁で火影がゆめいた。
天井の高い暗がりで、ケネルはこちらを見おろしている。
「あんた──」
どんな表情をしているのか、逆光で顔はよく見えない。エレーンは壁でへたり込み、キッとまなじり吊り上げる。
(ちょ、ちょっとでも触ってみなさいよ?)
──大声あげてやるんだからっ!
オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》