CROSS ROAD ディール急襲 第2部 interval 〜 診療室にて 1 〜
( 前頁 / TOP / 次頁 )


 
 
「喫煙は慎んでくれないか」
 苦々しげなその声に、窓辺にもたれた傭兵が、夜更けの庭から目を戻した。
 くわえた煙草を取り去って、床に落として踏みにじる。「──悪い。こうした場所は、不慣れでね」
 紫煙を吐いたそのシャツが、肩から黒く染まっている。若い女の血液で。
 踏みこんでくるなり傭兵は、室内の全員を追い出した。ひとりこの医師を除いて。
 寝台手前にたたずむ医師へと、傭兵はおもむろに足を運ぶ。「それで、怪我けがの状態は?」
「幸い、骨にまでは達していないが」
「出血は」
「止まっている。君がそう言っていた通りに」
 失血で弱ってはいるものの、脈も体温も正常だ、その旨医師はおもむろに告げ、いぶかしげに首を振る。「長らく医術に携わっているが、こんな症例は初めてだ。ここまで深い損傷というのに、他に異状が見られないとは」
「一つきたい。特異体質ということは」
「いや、そうした話は聞いていないが」
「だが、変だろう。明らかに、これは」
 医師は浅く嘆息し、寝台の患者を痛ましげに見やった。
「まったくだ」
 包帯を巻いた肩をさらして、黒髪の女がうつ伏せていた。
 横向きに伏せたその顔が、まつ毛を伏せて眠っている。鎮痛剤が効いているのか、寝顔は何事もなく穏やかだ。じっと見つめた視線を外し、傭兵は医師へと目を戻す。
「このことは口外無用に願いたい」
 同じく患者を見ていた医師が、あぜんと傭兵を見返した。「しかし、それでは、すぐにも支障が」
「照会には、こう答えろ。公爵夫人はかすり傷だと」
「──君は私に、嘘をつけというのかね」
 医師が憮然と、たまりかねたように顔をしかめた。
「いいかね、これほどの重傷なのだぞ。隠しおおせるはずがなかろう。そもそも私の立場では、そんな虚偽の──」
「礼はする。十分に」
 医師が面食らったように口をつぐんだ。
 戸惑い顔で顎をなで、壁に視線を泳がせる。日々盤石な医師のような者には、今の性急な申し出はいささか不躾であったろう。
 傭兵は構うことなく話を続ける。「死亡の際にも、公表はしばらく、さし控えてもらいたい」
「しばらく、というと?」
「事態が落ち着くまででいい。商都の騒動が決着し、次の統治者が決まるまで」
「しかし──」
「先生。あんたに迷惑はかけない」
 有無を言わせず、傭兵は迫る。
 しかし、と医師は尚も渋った。
「大勢が現場を見たはずだろう。広間にできた血溜まりを、それなら、どう説明すると」
「問題ない。警備の連中は動転していて、患部をじかに見た者はない。まして医術の心得がなければ、医師の言葉は絶対だ。つまり、誰にも、わかりはしない。あんたさえ・・・・・黙っていれば」
「しかし、広間からここまで運んだのなら、どれほど姿を目撃されたか──」
「問題ない。それについても抜かりはない」
「しかし──しかしだね。もし、旦那さまのお耳に入れば」
「──そいつは無用の心配だろ」
 思わず、というように苦笑いし、傭兵はおもむろに腕を組んだ。「当主が戻る保証はない。むしろ、生還は望み薄だ」
「──しかし」
 懸念材料をことごとく潰され、医師は苦虫かみつぶして鼻を鳴らす。「君は私に、隠蔽工作に加担しろ、と言うのかね」
「人聞きが悪いな、先生」
 傭兵は苦笑わらって壁にもたれた。
「俺は、公表を控えてくれ、と言っているだけだろう」
「従う義務はないと思うが」
「まだ、わかっていないようだな」
 肩で壁にもたれたままで、目だけを改めて振り向ける。
「これは要請じゃない。命令だ。クレスト領家とその治領は、現在、俺の指揮下にある。つまり、戦に関する全権を、俺は一任されている。そこには、あんたも含まれる」
「し、しかしだね君。それとこれとは話が──」
「悪いが先生、あんたと議論をする気はない。指示には、どうあっても・・・・・・従ってもらう」
 語気を強めて踏み出した相手に、医師はそそくさ目をそらす。
「なに。あんたが心配することはない。これについては、折を見て俺から報告する」
「──なぜ、そこまで」
「言ったろう。俺は全権を任されていると。この刃傷沙汰が表に出ては──外敵の侵入を許したとあれば、兵の士気にも差し障る」
 うつ伏せた患者に手を伸ばし、傭兵は背までの黒髪を払った。
 無造作な手つきで、彼女の耳下に手を当てる。彼女の脈と体温を、手ずから確認しているらしい。
 やがて、その手を引きあげて、枕にうつ伏せた寝顔を見つめた。
「あんた、これをどう思う。こいつが発現した途端、嘘のように出血が止んだ。背中の傷の周囲だけ、凍りつきでもしたように」
「──それは、なんの話かね」
 怪訝そうな顔つきで、医師が背後から覗きこんだ。「すまんが、私には一向に。今の、その"コイツ"というのは?」
 傭兵は虚をつかれたように口をつぐんだ。
 刹那戸惑ったように視線を揺らし、苦笑いして首を振る。「どうやら通じていなかった・・・・・・・・ようだな。──いや、いい。忘れてくれ」
 一転そっけなく肩を返し、寝台を離れて歩き出す。戸口へ向かう肩越しに、なおざりな調子で付け足した。「なるべく助けてやってくれ」
「どういう意味かね」
 憮然と医師は顔をしかめた。
「君に言われるまでもない。患者を助けるのが、私の務めだ」
「……そうだったな」
 含みのあるあざけり笑いで、傭兵は頬をゆがませた。
 いかつい革靴のかかとを鳴らして、静かな夜更けの部屋を突っ切る。
「後のことは、よろしく頼む」
 ふわり、と窓辺のカーテンを揺らして、診療室の扉が閉じた。
 
 

( 前頁 / TOP / 次頁 )  web拍手


オリジナル小説サイト 《 極楽鳥の夢 》