■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部 1章 5話4
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「ほ、ほ〜らね? ちょおっと痛くなくなってきた〜、みたいな?」
エレーンは引きつり笑顔で覗きこみ、せっせとファレスの腹をさすった。
三白眼の仏頂面には、本音が正直に書いてある。(たった十秒ぽっちでかよ)
少しでも場を和ませようと、えへへ、とエレーンは笑みを作る。
「こうやってさするとね〜、嘘みたいに痛みが消えるのぉ〜。だからほらあ、治療すること "手当て"って言うでしょ〜?」
「──適当なことをほざいてんじゃねえよ」
わずらわしげに顔をしかめて、ファレスはうめいて軽く身じろぐ。
だが、文句は言いつつ引きあげるつもりはないようで、大人しく寝床に横たわっている。普段と違って、いやに素直だ。いっそ気味が悪いほど。
エレーンは密かに首をひねった。
(どーなってんの? あたしがお腹に触った途端……)
ファレスの態度が急変した。
迷子になっただけで叱りつけ、仲間を脅して金品まきあげ、隣のシートにいただけで即座に連れ戻して突き飛ばした、あの獰猛な男がだ。しつこくしたから諦めたのか?
カンテラの炎がゆらめいた。
夜風にばたばた布壁が騒ぎ、暗がりの壁で影絵が踊る。
土間で爆ぜる炎の赤が、軽くしかめた整った顔を照らしていた。左の肩を上にした、硬く平らな横臥の腹を、エレーンはせっせと手の平でさする。
土間の向こうで背を向けたケネルは、今度は本当に眠ったようで、身じろぎ一つしなかった。ファレスも目を閉じ、口をきかない。土間で、炎の爆ぜる音──。
意識が静けさに溶けていく。摩擦でほんのり、手の平が熱を帯びてくる。しなやかな髪を敷布に広げ、ファレスは目を閉じ、横たわっている。
未だわだかまる夢の余韻が、夜の静寂に混じりこみ、溜息の中に滑り出た。「……ねえ。あんたもやっぱり、平気だったりする?」
「なにが」
ぎくり、とエレーンは硬直した。
(お、お、起きてた……!?)
応えがあるとはよもや思わず、予期せぬ返事に、わたわたたじろぐ。ずっと目を閉じていたから、てっきり寝てしまったものとばかり──。
「あの、いや。だから、その〜……平気なのかなって、ちょっと思って……」
しどもど口を開いたかたわら、ふっと懸念が脳裏をよぎった。又そっけなくあしらわれたら? 大したことでもないように。「それだけのこと」と。二人が二人に言われたら、価値観の違いを突きつけられたら、それでも抱かずにいられるだろうか。決定的な不審を、彼らに。
「人を、殺したりとか、するの」
めぐらした思考を追い越して、口からその先が滑り出ていた。
横たわった肩越しに、ファレスは無言で一瞥をくれる。
「それを訊いて、どうするつもりだ」
……え? とエレーンは面食らった。「──ど、どうって」
「なら、訊き方を変えてやる」
ファレスが大儀そうに身を起こし、あぐらをかいて目を据えた。
「俺が平気だと答えても、まだ、そばにいられるか」
エレーンは虚をつかれて言葉をのんだ。
一拍遅れて、まざまざと悟る。そうか。そういうことなのだ。
この彼らを頼った時点で、問いの答えは自ずと出ている。
こうして誰かに寄り添えるのは、決して自分を殺めない、その前提があったればこそだ。平気で人を殺める輩に、人は決して寄り添いはしない。
布壁がばたばた、音を立てた。
原野をさらう夜風の音。炉火が絶えまなく爆ぜる音。他に物音は聞こえない。
気まずい沈黙が立ちこめる中、火影が壁で怪しく踊る。
横たわった横顔を、土間の炎が照らしていた。その炎を見やったまま、ファレスは背中を向け、口をきかない。
エレーンは自分の不注意に辟易とする。
他意なく漏らしたあやふやな懐疑は、隠しもった拒絶と疑心を露呈したも同然だった。つまり、彼らにしてみれば、不審を突きつけられたにも等しいことで──。
彼らの世話になる以外、現状、別の選択肢はない。ならば、危うい感情は、もっと厳重に封じ込め、慎重に管理すべきだったのだ。うっかりするにも、ほどがある。
ためらい、エレーンは顔を覗いた。「──ごめんね、怒った?」
「別に」
ぶっきらぼうに、ファレスは応えた。たぶん、彼は知っていた。そう思う。
「あの、あたしを捜してたって、昼間ケネルにそう言われて──もしかして、心配した?」
ファレスが柳眉をひそめて身じろいだ。
「断りもなく、いなくなるな。あんたを捜す手間が増える」
「……まだ、痛い? お腹」
「初めて殺したのは、八歳の時だ」
はっ、とエレーンは息を詰めた。
横たわった端整な顔を、炎の揺らぎが照らしている。ずっと口をつぐんでいたのは、律儀に考えていたらしい。問いに対する応え方を。
意外な一面を垣間みて、エレーンはどぎまぎ呟いた。「な、なんで、そんな小さい子が──」
それにしても、八歳というのは思いがけない。どこか投げやりな口調で、ファレスは続けた。
「女の代わりにされそうになってよ」
え? とエレーンは面食らった。
「その頃、俺は、どさ回りの一座にいた」
大儀そうに眉をひそめて、ファレスは軽く身じろいだ。
その日も一座は興行を終えて、林道の隅に天幕を張り、大人たちは賭け事に興じていた。
俺は別の天幕で、一人で何か考え事をしていた。昼にやり合った連中に、どんな仕返しをしてやろうか、そんなようなことだ。
月の明るい静かな夜で、俺のいる天幕には、誰もこないはずだった。一座にガキは少ないし、大人は皆よそで集まっていたからな。
だが、草を踏みしだく音がして、男がひとり入ってきた。初めは忘れ物でも取りに来たのかと思ったが、そうでないことは、すぐにわかった。
そいつは、まっすぐ近づいてきた。むろん抵抗はしたんだが、八歳のガキに、できる事など知れている。
恐くて声も出なかった。もっとも助けを呼ぼうにも、どのみち宛てはなかったが。その頃には母親も死んでいたから、自力でどうにかするしかなかった。無我夢中で抗って、気づいた時には刺していた。
ぐったりと動かない、そいつの重たい体を退けて、俺は天幕を飛び出した。
闇に紛れて林を走り、夜の荒野を駆け抜けて、走って、走って、走ってよ。
気づいた時には、夜の森をさまよっていた。蔓で切って足は痛いわ、腹は減るわで泣きたくなった。とはいえ、一座には戻れない。
戻るに戻れず、どこへも行けずで、真っ暗な森で途方に暮れた。だが、朝になっても、行くあてなんか、なくってよ。そうして何日か経った頃、ついに疲れて動けなくなって、大木の根に座りこんだ。獣の餌になることを覚悟して。
だが、一眠りして目覚めると、俺はまだ生きていた。
俺を保護したのは遊牧民で、事情も訊かずに匿ってくれた。
そのまま俺は夏を越し、家畜の放牧の南下に合わせて、国境の森から隣国へ逃れた。一座と鉢合わせしないように。そして、いつしか、この稼業に紛れこんだ。
「──逃げて、逃げて、逃げて、よ」
遠く思いを馳せるように、ファレスは吐息で呟いた。
火影の踊る暗がりに、しばらく無言で目を凝らし、言葉の先をおもむろに続けた。
「俺は、あれで居場所を失くした。他人を手にかけるってのは、そういうことだ」
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