■ CROSS ROAD ディール急襲 第2部1章 6話10
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「──あがり」
とケネルが宣言し、ぽい、と事もなげにカードを投げた。
あてつけがましく、ちらと見る。
「おれの勝ち」
エレーンはわなわな、顔をゆがめて地団太を踏む。小憎らしいこのセリフ、一体何度聞いたであろうか。むしろ、聞かなかった回はない。早い話が全敗だ!
それというのもこのタヌキ、まったく手加減をしやがらないのだ。情けも目こぼしもオマケもなし。ケネルをカードに誘ったのが、今からおよそ一時間前だが、以来その間ただの一度も──そう、ただの一度も、ケネルに勝てた試しがない!
「気が済んだろ?」
ケネルは口をあおいで大あくび。そして、あからさまに飽きたという顔。
腰をあげかけたズボンの生地を、むんずとつかんで引き戻し、エレーンはぶんぶん首を振る。「だめっ! やるのっ! 勝ち逃げなんて、ずるいわよケネルっ!」
「……まだ、やるのか?」
四つんばいの肩越しに、ケネルは辟易としたように目を戻した。
溜息まじりで座りなおす。「まったく、負けず嫌いだな」
「はああ!? ケネルに言われたくないんですけどっ!」
バシバシぶん投げて配ったカードに、ケネルがやれやれと手を伸ばした。「なら、あと一回だけな」
ちら、とうかがい、念を押す。「負けたからって咬みつくなよ?」
「わかったってばっ! 今度は勝つから大丈夫っ!」
「何度やっても同じだけどな」
「──うっくぅうぅ〜っ! な〜に言ってくれちゃってんの? 違うから! まだ本気出してないからっ!」
「金を賭けなくて、よかったな」
ほらな、と言わんばかりのしたり顔。
「う、うっさいわねっ! 次はケネルなんかケチョンケチョンよ! やっつけてやるから覚悟なさいっ!」
だん──っ! と寝巻きの膝を立て、エレーンは鼻息荒く睨み据える。
「いざ! 勝負っ!」
そうして、かれこれ三分後、
エレーンは腑抜けて、へたりこんでいた。
「勝負あったな」
ケネルは口をあおいで身じろぎする。
ケチョンケチョンにやっつけられて、エレーンは未だ放心状態。ケネルが膝を立てて腰をあげ、促すように振り向いた。
「さ、寝るぞ」
ぎくり、とエレーンは顔をゆがめた。
(ね……ね……っ)
そろり、とケネルを盗み見て、寝巻きの膝に、どぎまぎうつむく。
寝 る ?
というのは、ひょっとして──
い、いや、ない。それはない。なにせ相手はあのケネル。女子と体を密着しても、なんとも思わない朴念仁だ。口から出てくる言葉といえば、無味乾燥な対処や命令、含みも仄めかしもへったくれもない。機微や情緒とこうまで程遠い奴も珍しい。ならば、今のも額面通り、意味するところはズバリ
就 寝 。
すたすた歩き出したケネルの背中に(……なんだ)とぐったり脱力した。とはいえ、八時といったらば、町なら子供だって起きている時刻だ。
そういや、未だに見たことがない。惰眠をむさぼるケネルなど。明け方ふと目が覚めた時にも、何くわぬ顔で起きていたし。
「そんなに早く起きて、何してんのよ?」
ケネルが面食らった顔で振り向いた。
「──いいだろ、別に」
なぜか口ごもって、目をそらす。うっかり疑問がこぼれ出たが、そんなに虚をつく質問か?
隅のカンテラの火を消して、ケネルは陣地がある方の、土間の向かいに引きあげた。壁から寝具をとりあげて、無造作な手付きで投げ広げる。
ごろり、とその上に仰向けになり、片腕をもちあげ、額にのせる。
え゛え゛──とエレーンは二度見した。着替えもしないで寝るつもりか? 馬にゆられて町まで行って、汗と埃にまみれているのに? もしや奴は今までずっと……?
とはいえ、そんな個人的なことを──まさかぱんつはかえたよね? などと問い質すのも憚かられる。
やむなく、そこは気づかぬふりで、膝先のカードに目を戻した。そうだ。今は、そんなことより急務がある。
「ちょっとおー。そしたら、あたしはどーすんのよ」
連れに勝手に寝られてしまえば、暇をもてあまし放題だ。
「あんたも早く休め」
いともあっさり、ケネルは返答。「少しでも休んで、回復を促せ」
「もー。なによ。薄情者ぉー。もう少しカードに付き合いなさいよぉー。ねー!」
灯かりを落とした暗がりの中、土間の炎がゆれていた。
ぽっかり丸い天窓の向こうで、銀の星々がまたたいている。人の声が途切れると、押しのけるようにして虫の音がひろがる。
「……ケネル〜……ねー、まだいいじゃない。ねー……」
ぱちぱち炎の爆ぜる音。
ゲルの外の草むらにひそむ、夜をつつむ夏虫の声。ケネルからの返事はない。
火影踊る闇の中、ぽつん、と一人とり残される。
なにやら急に胸苦しくなり、しがみつきたい衝動に駆られた。けれど、寝ている肩を揺すれば、どうやらもう眠いらしいケネルに、カミナリ食らうこと必定だ。
冷たい寝床に座りこみ、エレーンは枕を抱きしめる。寝巻の膝が無性にうずく。動きのない向かいを見つめ、軽く唇を噛みしめた。
……ねえ、ケネル。わかってる?
こんなにも不安だと。
もしもケネルが見放せば、途方に暮れるしかないのだと。
ねえ、ケネル。わかってる?
味方はひとり、ケネルしかいないと。ケネルだけが頼りだと。唯一の拠り所だと。
一人ぼっちは、もう嫌だ──。
静寂が、耳についた。
灯かりを落とした丸壁の中、窯にかけられた鍋底を、チロチロ炎が舐めている。壁で踊る黒影に呼応し、心の片隅のあの陰が、密かに怪しくうごめくが、エレーンは気づかぬ振りをした。炎の向こうの暗がりで、寝床に横たわるケネルの輪郭──ふと、気づいて手前を見た。そういえば、火がつけっぱなしだ。
ケネルは隅のカンテラは消したが、土間には軽く目をやっただけで、そのままにして戻っていった。夜間の冷えこみに配慮して、わざと火を残したのだろうか。だが、始末をせずに危なくはないのだろうか。このまま二人とも眠ってしまえば、他には誰も──
誰も?
はた、とエレーンは瞠目した。
あわあわ目を泳がせる。だしぬけに直面していた。予てより抱いたあの懸念に。そう、今夜はケネルと
──二人きり。
一つ屋根の下、二人きり──抜きさしならない現実が、ずっしり肩にのしかかり、顔を引きつらせて硬直する。
こんなふうに一緒に就寝するのは初めてだ。なんだかんだで、気づいた時には眠っていたから。つまり、これが、ケネルと迎える
初めての夜……!?
(──いやっ! ないないないない!)
ありえない。
泡くって赤面し、エレーンはぶんぶん首を振る。そうだ。今こそ思い出すのだ。こっ恥ずかしい記憶の数々を。あの忌まわしい取り越し苦労を!
なにせ相手は、鈍感を地でいくあのケネル。のっぴきならない状況になど陥ろうはずがないではないか。すぐに腕をつかんだり、急に腕を引っ張ったりするから、その都度どぎまぎしていたが、結局なんにもなかったし──いや、あってもらっちゃ困るのだ。確かに、いつも引っついてるが、わりと好みのタイプでもあるが、別にケネルと子作りしたいわけではないのだ。そもそも、こっちは既婚者で──そうだ。それはケネルも承知。そもそも、奴に乙女心は通用しない。「初めての夜」だろうがなんだろうが、そんなものは気にも留めない。まして、意識するとか、ありえない。さっきからなぜか微動だにしないが、ああ見えて実は眠っているのだ。ほーらね。寝息が聞こえて──
こない?
「……む」
そろり、とエレーンは盗み見た。寝つきは悪くないはずだ。なにせ、外でも平気で熟睡する奴だ。なのに、まだ眠っていない?
ケネルは暗がりで横たわり、寝返りひとつ打っていない。仰向けになって手足を伸ばし、腕を額に乗せたまま──ずっと、あのままの体勢だ。
エレーンはそわそわ唇を噛んだ。考えすぎだろうか。空気が張りつめているように思うのは。なにやら奇妙な緊張が、みなぎっているように思うのは。たぶんケネルは起きている。なんとなく──そう、なんとなく、息を殺しているような──。
顔をゆがめて、エレーンは固まる。なにか、様子がおかしくないか?
もしや、これって、ひょっとして……
静まり返った暗がりに、虫の音だけが響きわたる。
土間の真上の天窓に、ぽっかり丸い満天の星空。土間の向こうの暗がりを、困惑しきりでエレーンはうかがう。燃えたつ炎の向こう側。壁で影絵がゆらめく暗がり──。
むくり、と人影が起きあがった。
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